11章 ー みされぽ 再 ー
文字数 3,187文字
カタカタカタ……。
パソコンに向かい、美沙はレポートをまとめ上げようとしていた。
気がつけば夏休みもあと2日。他の課題は夏休み開始から1週間でカタをつけたのだが、このレポートだけはどうしても上手くまとまってくれなかった。学校の課題というより、自分自身の人生そのものに向き合わされているような、まるで天からの課題だった。
データを保存してから、迷わずダイニングテーブルの席に着く。程よく膨らんだ丸いスコーンを半分に割り、イチゴジャムを塗って、はむ、とかぶりつく。外側さっくり、中ふんわりの口当たりに、ふんだんに使ったバターとイチゴの香りが鼻をくすぐる。
ざっくりすぎる説明だが、初心者にはむしろこういう説明のほうがいい。ハードルが下がって取っつきやすく感じられるからだ。母のいろいろ途中をすっ飛ばす性格は、こういう所で長所と化す。物事をシンプルにまとめる力、と言ってもいいのかもしれない。
今日は久しぶりに過ごしやすい気温で、暖かい紅茶を飲んでも汗ばまない。
本当は、わかりたくないのかもしれない。どんな返事を相手は望んでいるのか。どんな返事を自分はしたいのか。返事してしまったら何が変わってしまうのか。今までの自分ではいられなくなってしまうのではないか。そんな言葉にできない不安がもやもやと、おなかの底のあたりでうずまいていた。
美沙は今までの人生に不満などなかった。いや、ないと思っていた。優しくてすてきなお父さんお母さんがいて、数は多くはないが心許せる友達たちがいた。身近に戦争もいさかいも無く、傷ついて苦労している人が周りにいるわけでもなく、人生は概ね順風満帆と言ってよかった。
よかったのに。
(神さまはどうして私の人生にちょっかい出し始めたんだろう。)
そんな風に感じていた。
けれど、その神様のちょっかい(という言葉は適当じゃないかもしれないけど)のお陰で、いろいろなことに気づかされ始めた。
震災以降ずっと感じていた後ろめたさから解放されたこと、喧嘩別れに心を痛めていた愛子ちゃんとの関係が修復されたこと、もやもやと言葉にできなかった性についてタカと母から正直な話を聞けたこと、自分からはあまり出してこなかった感情のフタが開いて、心が解放されていったこと等……。
上げれば幾つも幾つも出てきた。そしてそれは、今振り返ってみれば歓迎すべき変化たちだった。その時はあまり心地よくなくとも、結果として良い変化が起こってきたのだ。楽ではない変化もあったし、受け入れるまで心に痛みが走るものもあったが、結果はいつも喜ぶべきものばかりだった。
だから、だ。
慌てて食器を下げると、またパソコンに向かい始めた。
その晩、美沙は遅くまでかかってレポートを書き上げた。4部印刷すると、1つは学校の鞄に、1つはダイニングテーブルの上に、残りの2つはクリアファイルに入れてお出かけ用の手さげ鞄に入れた。
次の日、夏休み最後の日曜日。
地下鉄に揺られながら、いろんなことを考えた。
レポートのためリサーチをして見えてきた「神さま」という存在は、まとめるとこんな感じだった。目には見えずとも実在して、しかもその方が「イエス・キリスト」という人となってこの地上を歩み、身体障害者たち(全盲や肢体不自由など)を障害から一瞬で奇跡的に回復させ、病気を一瞬で治し、死人を生き返らせ、人々に希望を与えた。
もしそんな偉大なお方が【私自身にも訪れておられる】のならば、何かしらの応答をしなければならない、と思った。
美沙の両親が言っていた、祈りと同刻に起きた病気の回復も、聖書に同じ出来事が書かれているのを発見した。ヨハネによる福音書4章46節〜54節だった。病気で死にかけていた息子を持つ父親が遠くから訪れてイエスに癒しを求めてすがると、「帰りなさい。息子は治っています。」という言葉だけをかけられた。その言葉を信じて帰途につくと、家から来たしもべに帰り道出会う。聞くと息子の熱が引き始めたという。回復し始めた時刻を尋ねてみると、父親がイエスに言葉をかけられたのと同じ時刻に熱が引き始めたという。
また、祈りの中で大切なことを思い出すという体験も、決して珍しい現象ではないようだ。ネットを検索する中で、そのような体験をしたというブログ記事をいくつか見つけた。また、賛美歌を聞いたり歌ったりする中で号泣する事もよくある事らしい。そしてそれは「聖霊」という存在が関与している、とも書かれていた。まだまだ、わからない事だらけだ。しかし、神さまからの問いかけに対する美沙の答えは、ほぼ決まっていた。