第7話

文字数 5,037文字


「もういや! ヒーローなんてもうこりごりよ。所詮私はただのOL。あいつらを見返そうだなんて、虫が良すぎたわ」
 この日の美佐は泥酔していて、老人にやたらと絡んでいた。誘拐事件の失態により、完全にやる気をなくしている。
「そうか、辞めるんじゃな。せっかく――」老人は慌てて口に手を当てる。「おっと、これ以上は言えん。ジャスティスレディはもう廃業するんじゃからな」
 そう言われて気にならないわけがない。美佐はカウンターに身を乗り出すと、思わせぶりな老人の襟元を掴みながら、前後に激しく揺らす。
「ケチケチしないで言いなさい! 辞めるかどうかは、それから判断するわ!」
「……わかったわかった。とにかく手を放すんじゃ」
 美佐は本当でしょうねと念を押し、両手を離した。
 解放された老人は少し咳き込むと、腕を組みながら、神妙な顔をする。
「……お主、最近若い女性が次々に行方不明になっておるのを知っておるかな?」
 そういえばテレビで見たことがあった。ここ半年の間に十人以上の女性が、忽然と姿を消している。しかもどの女性も世間的には美人と言われる者ばかり。世間ではマフィアによる人身売買の可能性があるとも伝えていた。もしかしたら次は自分が狙われるかもと、不安になったのを覚えている。
「まさか、そのマフィアの情報を掴んだっていうの?」
「ここだけの話じゃが、独鈷委(どつこい)署の刑事が何かを掴んでいるようじゃ。この時こそアレの出番じゃないかね?」
 なるほど。盗聴リングのお出ましと言うワケか。これまでは結果に結びつかなかっただけで、性能は折り紙付き。要は使いどころの問題だった。
 もし、人身売買がマフィアの手によるものならば、相手にとって不足はない。女性にとっては最も恐るべき犯罪だし、一気に名を上げる絶好のチャンスだ。
 老人から独鈷委署の住所を聞き出すと、美佐は一目散で店を出た……。

 場所はすぐにわかった。最寄りの駅から電車でふた駅。意外と近い存在だった。
 独鈷委署の見える喫茶店の窓際に陣取ると、さっそくリングをはめる。最低でも一週間は張り込むつもりだったが、一杯目のコーヒーを飲み干すころには、それらしき会話が聞こえてきた。
『……それで奴らのアジトは判明したのか?』
 奴らとはマフィアのことに違いない。話の流れから確信していた。
『……情報屋によりますと、六本木の“ランランド”というホストクラブの店員の一人が、奴らとつながっているようです』
『名前は?』
『そこまでは……どうしますか? 警部』
『もう少し探ってみてくれ。なにせ相手は大物だ。くれぐれも慎重に……』
 ――ランランドか。ホストクラブなんて入ったこと無いけれど、ここは行くしかないわね!
 美佐はバッグから携帯を取り出し、ランランドを検索した……。

 ランランドは海袋の飲み屋街にある商業ビルの地下にあった。薄暗い階段を降りると、突然きらびやかなネオンが目に飛び込んでくる。
 高級そうな佇まいに美佐は気後れしたが、今さら帰るわけにはいかない。
 勇気を振り絞ってドアを開けると、そこにはきらびやかな世界が広がっていた。
 テレビでしか見たことがないような大型のシャンデリアに、シックで落ち着いたデザインの壁紙。何より、上品で清潔そうなホストたちが、五人ほど待ち構えている。
「いらっしゃいませ。ご予約の方ですか?」
 いいえと返事をすると、ご使命はと聞かれた。せっかくだからと、一番好みの男性を選ぶ。シャギーの入った金髪で、キムタクと福山雅治を足して二で割ったようなイケメンである。
 席に着くなりさっそく手を握られた。あまりの強引さに多少引いたが、それでも悪い気はしない。
「キミは罪な女性だ。僕の心を一瞬にして奪ってしまった」
 歯の浮くようなセリフだが、心地良いことに変わりはない。
「ありがとう。お世辞でもうれしいわ」本当はそんなことなど微塵も思っていない。むしろルックスには自信があった。
「お世辞なもんか。僕はキミに出会うために生まれてきたようなものだからね」
 ――初対面でいきなり歯の浮くようなおべっかを使うなんて……もっと言って!
「私もそうなのかも。これって運命なのかもしれないわね」
 だんだん気持ちが乗っていく。ホストにハマる人の気持ちがよく分かった。
 金髪のホストは美佐の了解を得てワインを頼むと、グラスに注ぎ、それを重ねた。
「二人の出会いに乾杯。僕はハイランド。こう見えてナンバーワンなんだ」
 ランランドのハイランド? ダジャレか!
「私は美佐……子よ。どうぞよろしく」
 セーフ! 危うく本名を告げるところだった。
「美佐子か。素敵な名前だね。キミにピッタリだ」
 その後も甘い言葉が続いた。美佐も酔いしれそうになったが、自分の使命を思い出し、我に返る。
「……ところでハイランド。人身売買の噂知ってる?」我ながらストレートな物言いだったが、他に言葉が見つからなかった。
 途端に顔色が変わった。ハイランドは声を潜めながら、耳元でこうつぶやく。
「……誰から聞いたかしらないけど、ここじゃあ、その話は御法度なんだ」
「なら、どこならいいの?」
 美佐の返しに、顔を歪めるハイランド。
「ねえ、一番高いシャンパン入れるから教えてくれない?」
 すると彼はコースターを裏返すと、ボールペンで何かを書きなぐった。
「……俺から聞いたなんて、誰にも言うなよ」
 約束するわと返事をし、こっそりとコースターを受け取った美佐は、お礼として約束の最上級シャンパンを注文した。
 会計の十万円には目を丸くしたが、正義のためだから仕方がないと、美佐は自分に言い聞かせる。
「また来てくれよな、美佐子さん」
 ハイランドは笑顔で手を振った。美佐は心の中でこう叫ぶ。
「無料ならね!!」

 店を出るなりコースターを見た。そこには電話番号とジェーンという名前が記してあった。
 階段を上り地上に出ると、携帯電話を取り出して番号を打ち込んでみる。時刻は十時半なので、かけるのをためらったが、思い切って通話ボタンを押した。念のため美佐の番号は非通知にしてある。
『……誰?』
 女性のくぐもった声が鼓膜を震わす。
「あなたがジェーンさん? 人身売買の件について聞きたいんだけど……」
『知らねえ。他を当たりな』
「待って。情報料なら払うわ。どこに行けばいい?」
『あんた、サツじゃないだろうね?』
 もちろん違うと答える。すると電話の女は、『……明日の十二時。世代々木(よよよぎ)のkid’s a Tenという喫茶店に来て。目印として赤色のスカーフを巻いてね。もし一分でも遅れたら、この話は無しよ』
 そこで通話が切れた。
 
 翌日。
 約束の時間より十分早く、美佐は指定された喫茶店『kid’s a Ten』の扉を開けた。もちろん赤いスカーフも忘れてはいない。
 お昼時だというのに、店内は閑散としていて、客の姿はカップルと見られる男女二組だけだった。ジェーンという女性はまだ来ていないらしく、美佐は一番奥のできるだけ目立たないテーブル席に腰を下ろす。
 ウェイトレスが美佐の隣に立つ。てっきり注文を聞きに来たのかと思ったが、彼女はお冷の代わりに小さく折りたたまれたメモ用紙を置いた。
「先ほど、女性のお客様から頼まれまして……」
 話によると、その客は赤いスカーフをした女が来たら、このメモを渡してほしいとことづかっていたらしい。その客こそがジェーンで間違いない。何も注文しなくてもいいのか尋ねると、「先ほどのお客様からチップを貰ったので結構です」とのことだった。
 ウェイトレスが席を去ると、美佐はメモを開く。『今から三十分以内に、江の頭公園まで来い』とあった。
 
 すぐさま喫茶店を出ると、タクシーを止めて、メモにあった江の頭公園に向かう。
 直接喫茶店に現れなかったのは、おそらく美佐を警戒してのことだろう。それだけジェーンは慎重であり、貴重な情報を握っていると確信した。

 二十分後。江の頭公園に到着した美佐は周りを見回す。やがて十二時半になると、紙飛行機が飛んできた。美佐の足元に落ちると、またしてもメモ書きが記してあった。
 今度は忠雄(ただお)百貨店に行けと指示された……。

 用心深いにもほどがある。その後も駅やカラオケボックスなど五か所も回らされ、ほとほと疲れ果てた。もしかしたら自分はからかわれているのかもと、心が折れそうになったが、こうなったらとことんまで付き合ってやると、意気込みを新たにした(開き直りともいう)。
 結局、最初に指定されたkid’s a Tenに戻ったところで、ようやくジェーンと対面することができた。彼女は美佐の座っていたのと同じテーブルに腰かけ、カフェラテを傾けていた。年のころは美佐より少し上くらい。きっと三十そこそこではないかと目星をつけた。それより目を引いたのが、彼女の見た目。口には決して出せないが、目が細く、しかも垂れ下がっている。鼻もつぶれていて、顔中あばたまみれ。ぶっちゃけ結構なブサイクである。服のセンスも、顔に負けず劣らずといった具合で、流行おくれのワンピースに、派手過ぎるブローチ。髪型もイマイチで、くせ毛もひどかった。彼女もそれを自覚しているのか、濃いめの化粧に加え、伊達と思われる大きな眼鏡をかけているが、それでも残念な印象は拭いきれない。
 時刻は夕方の六時半過ぎ。夜のとばりが落ち始めた頃であった。
「……いろいろ引きずり回して悪かったわ。あんたを信じないわけじゃないけど、これでも臆病者なんで、本当に警察の人間じゃないか、調べさせてもらったの。気を悪くしたなら謝るわ」
「ちょうど体がなまっていたから、いい運動になったわ」いろいろありすぎたせいか、最近では強がりもすっかり板についてきた。
「で、例の話なんだけど……」ジェーンは人身売買について語り始める。「私の知っている情報だと、たぶん裏社会の組織で間違いないわ。彼らは馬家留鹿(まけるしか)区にある雑居ビルの三階に事務所を構えていて、名目上は芸能プロダクションとなっているわ。連中はルックスの良い娘(こ)を見つけると、アイドルの素質があると言葉巧みに誘い、事務所に連れ込んでいるらしいわ」
「そのプロダクションの名前とビルの住所を教えて」美佐は小声で訊いた。
「おっと、その前に貰うものを貰わないとね」
 美佐はハンドバッグから封筒を差し出す。中を確認したジェーンは、微妙に顔をしかめた。
「あんた、私を舐めてんの?」
「足りなかったかしら? 悪くないと思うけど」
 するとジェーンは封筒から中身を取り出した。
「どうして温泉なんかに行かなくちゃならないわけ?」
 美佐は呆気に取られてしまった。
 うっかりしてあの老人から貰ったチケットを渡してしまっていたのである。美佐は動揺しながらも、現金の入ったもう一つの封筒をテーブルに置いた。
「……あいさつ代わりのジョークよ。本当の報酬はこっちに入っているわ」
 訝しがりながらも、ジェーンは出された封筒の中身を確認した
「……五万か。少し足りないけど、温泉チケットの分だけサービスしてあげる」ジェーンは二つの封筒をハンドバッグにしまった。
「ありがとう。助かるわ」
「今回だけよ」ジェーンはバッグから一枚の紙を出した。「……ここにプロダクションの名前と地図が書いてあるわ」
 美佐は素早く受け取ると、ズボンのポケットにしまった。
「ところで大丈夫なの? こんな真似して」
「ああ、最近は実入りが少なくてね。それにこの稼業もそろそろ潮時だと思っているの」ジェーンの言う稼業とは、きっと情報屋のことだろう。「ところであんた。どうしてこんな情報を知りたいの? 連中に恨みでもあるのかい? だったら辞めときな。あんたのかなう相手じゃないわ」
 ジェーンはカフェラテを飲み干すとソーサーに置き、軽く指ではじく。真の目的など言えるはずもなく、美佐は適当に誤魔化す。
「……実は借金があって、どうしても大金が必要なの。それに恨みを持っている友人がいて、売れるものなら売り飛ばしたいわけ。それに……」
「それに?」ジェーンは思わず身を乗り出してきた。
「なんか面白そうじゃない? ドラマみたいで」
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