文字数 1,526文字

 初めて受けたオーディションに落ちたと聞かされたのは、夏の終わり頃だった。夏休みを二人で一緒に過ごし、後期の授業が再開されてからすぐに受けた大手劇団のオーディションだった。数人の仲間と受験し、誰一人として合格しなかった。覚悟はしていたとは言え、ミライは数日学校を休んだ。電話をしても、常に留守番電話のメッセージが流れた。心配になり、帰り道、部屋に寄った。すると、ミライは部屋にいて、ここ数日は携帯電話のゲームに夢中になっていたのだと言って笑った。ほっとした。
「部屋でゲームばかりしてないで、気晴らしに買い物でも行こう」
「いいわよ、何を買ってくれるの?」
 携帯電話を布団の上に放った。
「新宿まで出よう」
「ちょっと待って、今、着替えるから」
 台所にある椅子に腰掛け、ミライが着替えるのを見ていた。
「またエッチなこと考えてたんでしょう?」
 忙しそうに、あれこれと服を引っ張り出し、鏡の前に立って着替えた。そして、ふと、手に持っていた服を置き、思い出したようにトイレに入った。
「覗かないでよね」
 トイレの扉を全開にして用を済ませた。陶器に激しく尿があたる音がした。覗くつもりは無かったが、自然に視界に入ってしまうので目をつむった。
「見ないでいてくれたのね」
「扉を閉めないの?」
「小さい頃からの癖なのよ、閉所恐怖症って言うのかしら? 将来、お金持ちになったらトイレの広いお家に住みたい」
 軽く化粧を済ませ、タイトな黒いミニスカートと白いブラウスを身につけた。
「久々に映画でも観ようか?」
 新宿東口に出て、新宿中村屋でインドカリーを食べ、その足で歌舞伎町の映画館に入った。映画を見終わった後、伊勢丹までたわいもない話をしながら歩いた。
「オーディション落ちちゃった」
 表情が強張っていた。瞳の奥を覗いた。
「平気よ、平気。向こうの見る目が無かったのよ。そりゃ、落ち込んでないと言ったら嘘になるけど、ほら、オーディションなんて他にもあるから」
「そうだよ、他にも劇団はたくさんあるし、君を必要としている劇団がきっとあるはずだ、気にするな」
「有難う」
 力無く微笑んだ。通りを行く人々が、立ち止まって話す二人を迷惑そうな目でちらと見ながら過ぎて行く。それに気付き、またゆっくりと歩き始めた。どこか遠くで車のクラクションが鳴っている。靖国通りは大渋滞で、片側三車線の道路が車で埋め尽くされていた。昼下がりの新宿に陽が傾きかけ、ビル群の大きな日陰に包まれながら歩いた。
「でも、私、やっぱり自信無い」
「今日はとにかく楽しもうよ。色んなこと忘れてさ」
新宿伊勢丹に行き、ミライが前から欲しがっていたバッグを買った。それはテツヤがアルバイトで稼ぐ月の給料とほぼ同額だったが、喜ぶ顔が見たかった。
「こんな高いバッグ、本当にいいの?」
「いいよ、欲しかったんでしょう?」
「有難う、大切に使うわ、嬉しい」
「なぐさめてくれて、本当に有難う」
 夕刻、歌舞伎町の居酒屋で食事を済ませ、その流れでホテルに入った。ミライとしては、テツヤにしてあげられる精一杯のお返しのつもりだった。一緒にシャワーを浴び、互いの性器を愛撫し合い、ミライはテツヤが求めるがままに体位を変えた。ミニスカートを身に着けたままでしたいと言われれば、それにも応じた。自分を受け入れなかった劇団へのあてつけもあった。そう思うとテツヤの子供じみた要求にも素直に応じることができた。それに、自分を受け入れない世の中に比べ、テツヤは自分を受け入れてくれる。欲望のままではあるが、自分を求めてくれる。こんな自分を愛してくれている。そう思うことで、傷ついた自尊心を癒すことができた。抱かれながら、ミライは孤独だった幼少の頃を久々に思い出していた。
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