その1

文字数 899文字

「もしもし、曽山さんのお宅ですか?
 夜分恐れ入りますが、ユキさんをお願いできますか?」
「はい、ワタシですが」
 受話器を通して聞こえる曽山ユキの声が、五年の時の長さをあらわすかのように、僕の耳に小さくゆっくりと届いた。
「吉見です。高知の吉見です、覚えていますか?」
「覚えていますよ。いやぁ、お久しぶりです」
 僕は電話に出たユキの声の調子が、以前と少しも変わっていないことが嬉しかった。
「突然電話してすいません。どうしても、声が聞きたくなったもんで……。元気ですか?
 変わりないですか?
 今も保母さんをしようがですか?」
 僕は宴会の酒にしたたか酔っており、酒の力を借り、邪険に切られることも覚悟で電話したのだ。
「変わってないですよ。吉見君の方こそ何しているの?」
「僕は高知に帰って、地元の市役所に勤めています」
「へぇー、市役所に勤めているの……。そやけど、本当懐かしいわ」
「本当に、高知に帰ってからも、ずっと君のことを思っていましたよ。多分もう結婚しているだろうなと思いながら……。それで今日は少し酔っ払っているから思いきって電話したんです」
「ヤダァ、まだワタシ、独身ですよ。お嫁にもらってくれる人なんていないわよ」
 僕はユキの少し甘ったるく舌足らずな話し方が、懐かしかった。
 しばらく話した後、ユキの対応の感じがいいことに調子付いて、
「今度また、会いたいですね」
 と探る様に言った。
「ホントウネ、会いたいわ」
 思わぬ展開に僕は、
「それじゃ、今度のゴールデンウイークに会いませんか?」
 と間髪入れずに言っていた。
「いいですよ」
 僕は、酔いと喜びにくらくらしそうになった頭で、来週に迫っているゴールデンウイークの待ち合わせ場所を、必死に心を落ち着かせながら、ぬかりのないよう決めた。今日のうちに全てを決めておかなければ、水泡に帰すように感じた。
「それじゃ、五月三日の夜八時に国鉄の徳島駅で会いましょう」
「わかりました」
 ユキは大阪のI市に住んでいた。I市は和歌山に近いベッドタウンであり、その頃関西空港が建設中であった。ユキに言わせると何にもないところで、関西空港が出来たら少しはよくなるかもと話した。
 
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