黄金の星のお姫様

文字数 5,828文字

エリシア・アイギース・レオーネはぼんやりと眼下の花畑を見下ろしていた。
【黄眼】を統べる皇族の第二皇女であり、宇宙連合議会の議員を務める才女であるが、壊れた飛行艇を直す程の力は持ち合わせておらず、こうして待ちぼうけを食っているのだ。
風に交じって聞こえる声から察するに、飛行艇の修理はかんばしくないらしい。
かと言って彼女が退屈しているかと言えばそうではなく、その身分から外出の機会が少ないエリシアにとっては、自然を見下ろして鳥たちのさえずりに耳を傾ける時間も十分に満足出来るものだった。
結婚と出産を経験し、まもなく三十代へ入ろうとする今となっても、その澄んだ瞳は少女のように輝いている。
ふと足元に巨大な影を捉え、見上げると一隻の輸送船が近づいていた。
『どうしたいお兄さん方。エンストかい?』
野太い声で通信をよこす中年の男に、警戒しながらも黒服の男達が答える。
「故障のようだが、機械に疎い者ばかりだ」
『そいつは困ったな。俺も船長でメカニックじゃねえ。だがまあ都まで乗せてやる事は出来るがどうする?』
応えたのは男達ではなくエリシアだった。
「あら、乗せていただけます?」
立ち上がり、おっとり足で歩み寄る。その姿に船長は歓声を上げた。
『もちろん!美人は歓迎さね』
「あらあら」
美人と言う言葉に照れたようにエリシアが頬に手を当てる。困ったのは黒服の護衛達である。
「あの、さすがにそれは」
「いけませんか?」
「このような船にエリシア様を御乗せするわけには」
エリシアという名前に、船長が目を見開いて反応する。
『おいおい、見たことあると思ったら皇女殿下様じゃねえか!こりゃ俺の船にも箔が付くってもんだ。小僧っご案内だ』
「おいまて、乗るとは言っていない!」
声を荒げる黒服に見向きもせず、ハモはエリシアに手招きした。
『さあ乗りなぁお嬢さん。華はねえが船長の腕は宇宙一だぜ』
「あらあら~お嬢さんだなんて」
既に娘を儲けて久しいのだが、無邪気に微笑む様は確かに少女の様に見える。
互いに乗り気になっているのを察し、黒服達も諦めて顔を見合わせた。
しばし話し合い、一人を残して自分達も同乗すると申し出る。
そこへ白い表皮を纏った巨体が静かに舞い降りた。


飛行用の推進機を付けた【ハンディIV】の中、ハモからの通信にうるさそうにレオンは顔をしかめた。
『相手は皇女殿下だぁ。丁重に運ぶんだぞ。優しく柔らかぁーくだ』
「わかってるから興奮すんなエロジジイ」
鼻息の粗いハモの顔をモニターから消し、眼下からこちらを見上げるエリシアへ向けて、レオンは機体を降下させた。
巨体とは思えぬ静かな着地を終え、ゆっくり膝をついて右手の甲を地面へとつける。
「優しく柔らかく……ねっ」
軽快なタッチで数度画面を撫でると、機体の手の平表面に張られた被膜が波立ち、空気を入れたクッションに膨らんだ。
即席のエアマットに目を輝かせながら、エリシアがハイヒールを脱いで飛び込んだ。子供のような姿に顔を見合わせつつ、黒服の男達もそれに続く。
「不安定じゃありませんか?」
コックピットのハッチを開き、レオンは無邪気にはしゃぐエリシアに尋ねた。
「大丈夫です。よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ光栄の極み」
笑顔の皇女様に、物語の騎士の様に芝居がかった動きで頭を下げてレオンは操縦席へ戻った。
「じゃ、いきます」
エリシアらを手の中に収めたまま、【ハンディIV】はゆっくりと立ち上がり、ふわりと羽根の様に舞い上がった。
離れていく大地を身を乗り出してエリシアは見送り、そんな無防備なエリシアをいざとなれば掴んででも引き戻そうと護衛の男達が張り詰める中、【ハンディIV】は危なげなく輸送船の中へと着地した。
お世辞にも綺麗とは言い難い船内で【ハンディIV】は膝をついた。もう少し片付けておけばよかったと反省しながら、座席下の保管スペースからケースを引き抜いて開く。
汚れた作業着を脱ぎ捨て、ケースから数着の服を引っ張り出して着替えた。
「到着です。汚い所ですみませんが」
着慣れぬ服にむず痒さを感じながら、操縦席から飛び降りたレオンは、素早く【ハンディIV】の指先へと移動して手を差し出した。
「あら、ご丁寧に」
慣れた仕草でその手を取るエリシアとは対照的に、黒服の男達はその口を大きく開けて固まっていた。
何故ならば彼らの目の前にいるレオンが先程までの作業着から一転し、フォーマルなタキシードを身にまとっていたからである。しかの胸元に薔薇の造花まであしらう手の込みようだ。
相手を考えれば問題無いと言えるが、オンボロ輸送船の中でティーンエイジャーが着るような服ではない。
一方、気にするそぶりも無かったエリシアがふと立ち止まり、レオンの顔を覗き込んだ。
「えと、何か?」
失礼でもあったかと冷や汗を流すレオンだったが、エリシアは朗らかな笑顔のまま首を振った。
「ごめんなさい。思ったよりお若いから」
十代で働く者も珍しわけでは無いが、一般的にはまだ学生の年頃であるレオンに、そう思うのも無理からぬことである。
「おいくつです?」
「今年十六になります」
普通は学校行ってる年頃であり、レオンの友人も大半が進学している。
母親からも進学を進められたが、そのうち通信制の学校でも受けるという約束でしばらくは自由にさせてもらっている。
「行っていないのですか?」
「不良とかじゃありませんよ。こうして日々労働に勤しんでますから」
雑多な格納庫を抜け、小奇麗な応接室へとレオンはエリシアを案内した。
年に数度使うかどうかの部屋であったが、レオンが空いた時間を使って片付けた為、船内で唯一整理された部屋となっている。
もっとも、レオンの目的はこの広い部屋を私物化する事であり、ハモには仮の物置として説明しているのだ。
「船乗りさんって大変じゃありません?」
「覚える事は多いです。でも俺にとっちゃ独り立ちの為の社会勉強ですからね」
「まあ、では未来の船長さんなのですね」
「はい。でもこのオンボロじゃなくて、自分の船で飛び回ります。【ヴィーナス号】って言うんですけど」
その言葉に、後ろで控えていた一人が反応した。
「お前キャプテン・タイガーの息子か!?」
「きゃぷてん・たいがー?」
首を傾げるエリシアに、黒服の男が説明する。
「【輝葉】を拠点とした船乗りです。揉め事処理に定評があり、仲裁役としても有名ですね。役所の犬、法令順守の鬼、土下座のタイガーとも呼ばれていました」
やや興奮気味に男は説明した。
早口の説明をはんすうしながらエリシアが尋ねる。
「どげざって何です?」
「えっ」
言葉を詰まらせる黒服の代わりに少年が答えた。
「あー、とても丁寧で誠意のこもった謝罪……ってとこですかね」
「まあ」
男は特に訂正せず、話を逸らした。
「しかしキャプテン・タイガーは事故で死に、船も大破したと聞いていたが」
「正確には大破寸前ってとこでした。今も宇宙港で修理中です」
「後を継がれるのですか?」
少年は困った表情を浮かべた。
「俺は親父ほど頭が良くないですから。爺さんみたいな自由商人になります」
「お爺様?」
「キャプテン・ライガですね」
再度黒服の説明が入る。
「この近くの星区の顔役として知られた船乗りです。悪名も多いですが。……しかし三代続けて船乗りとは」
「血筋って奴ですかね。気にした事は無いんすけど」
そう言って少年は頭をかいた。
そんな少年にエリシアは、ところでと尋ねた。
「なぜタキシードを着ているのですか?」
今更ですか!?とどよめく黒服達をよそに、レオンはさらりと答える。
「こんな事もあろうかと。――ってやつです」
「こんなこと?」
「美人に恥をかかせるなってのが家訓でして」
「まあ」
そんなこんなで話が弾む中、運転席のサモ船長はと言うと、電源ごと切られた通信機に向かい。
「ちくしょう!運転代われクソガキ」
としばらく叫んでいた。
なお、王都へ着くのと同時に交通法違反の疑いで拘束されるのだが、この時点では知る由もない。


【金のウナギ丸】が王都へ到着したのはちょうど十分後の事だった。
金の海、銀の港、緑の大地と様々な表情を見せた【黄眼】の首都【藍璃洲(アイリス)】は、美しい青の都である。
クリスタルの人工大地を大理石の様に敷き詰めて整地された広大な水晶帯の上、碁盤目状に建築された街並みは巨大な芸術品とも言えよう。
そんな【藍璃洲】の中心に位置する虹彩宮では、大慌てでエリシアの出迎えが行われた。
「あらあら、こんなに集まって何事です?」
集まった十数人の臣下達に、エリシアが驚いた声を上げる。
能天気とも言える無邪気な声に、一同の緊張は一瞬にして解け、一部は盛大にずっこけた。
「いやあ、ご無事で何よりでした。一同安心しましたわい」
年長の大臣の言葉に、一斉に頷き合う。
彼らの心境を気にも留めず、エリシアはレオンを伴って船を下りた。
緊張を隠しながらエスコートするレオンだったが、そこへ一際小さな影が現れた。
「母様ぁ」
それはエリシアを二回りほど幼くした少女だった。
危うい足取りでエリシアのもとへと元気に駆け寄る
「チェリシアって言うの」
「最近テレビ出てますよね」
「可愛いでしょう」
「それはもう母親に似て」
まだ小さい体で一所懸命に駆け寄る姿を見守っていると、寸前で足をもつれさせて体勢を崩した。
ハッとするエリシアの隣をすり抜け、チェリシアと地面の間にレオンは体が割りこませた。
「大丈夫ですか?」
「……っ、ハイ」
恥ずかしそうにチェリシアは頷いた。
当然その頬は赤い。何処の誰とも知らぬ少年を押し倒した態勢なのだ。
そして押し倒された相手は何故かタキシード着用で胸に薔薇を挿しているが、そんな些細な事を気にかける余裕は無い。
顔を赤くしたまま動けないチェリシアを見て、両脇を抱き上げてレオンは立ち上がった。驚いたチェリシアが口を開くが、声にならない声が僅かに漏れるだけだった。
そんな我が子を、仔猫か何かを見る様に、目を輝かせてエリシアは見つめていた。
「私にも抱っこさせてくださいな。未来のキャプテンさん」
「おっと、これは失礼」
エリシアの言葉にレオンはチェリシアを抱き上げたまま反転し、エリシアの眼前へと差し出した。
「怪我はありませんね?」
「優しく受け止めさせていただきました」
「受け止めさせていただきました」
兄妹のような姿に口元をほころばせながら、エリシアはチェリシアを受け取る。
幼いとはいえ八歳を迎えて背も伸び、失礼ながら体重もそれなりにある。しかし、それをものともしないのが母親だと言わんばかりに、軽々と抱え上げてエリシアは抱きしめた。
「今度は一緒にお出かけしましょうね」
「お出かけですか?行きたいです」
パッと顔を輝かせて喜ぶチェリシアだったが、そんな姿を微笑ましそうに見るレオンの視線に気付き、恥ずかしそうに頬を染めた。
「そ、そろそろ降ろしていただけませんか?お母さま」
「駄目です。もう少しぎゅーっと」
娘の訴えとは反対に、エリシアは小さな体をいっそう強く抱きしめた。
「ああもう、どなたか助けてくださいませ」
腕をばたつかせながら懇願するも、皇女の胸元からかすめ取るわけにもいかず、大人たちは顔を見合わせる。代わりに動いたのはレオンである。
背後からチェリシアの両脇に手を回し、まだ平坦な胸に触れぬように再度抱え上げた。
「あ、ありがとうございます」
頬を上気させながらチェリシアが礼を言い、反対に不満そうな顔をエリシアは向けた。
「若い子のほうがいいんですね」
その言葉にチェリシアが勝ち誇ったような笑みを浮かべ、いっそう頬を膨らませたエリシアが娘の頬を指で挟んだ。
「そんな顔する子はお仕置きですよー」
「ムグー!大人げないでふよ、おふぁーふぁま」
負けじとチェリシアも母の頬を摘み上げて左右に引っ張った。あわや泥沼の親子喧嘩かと思われたが、その光景はレオンの「可愛い喧嘩はやめてください」という言葉で終幕した。
「可愛いですか!?」
ほぼ同時に反応する母娘に、ああ親子だなと感心しつつ、自分の星の皇族がこんなんで大丈夫なんだろうか?と思わずにもいられない。
その後もささやかな――と言うには賑やかな会話を終え、レオンは退出すべく頭を下げた。
「未来のキャプテンさんは忙しいですね」
「子供ですから。学ぶことが多いんです」
「あんまり急ぎ過ぎてはいけませんよ?」
心配するよな言葉に、レオンは「大丈夫ッス」とおどけてみせた。
「下手打って母ちゃんの拳骨は食らいたくないっすから」
「まあ」
そんなレオンの体をエリシアは我が子の様に抱きしめた。
「賢く健やかに育ちなさい。貴方が巣立つ日も、この金の瞳が貴方を見送るでしょう」
赤くなり、口元が緩むのを隠す様にレオンは頭を下げた。しかしそんなレオンの顔を斜め下からチェリシアの目が覗き込んでいるのに気づき、頬の赤みが増す。
そんなレオンにチェリシアは口元に指をあて、秘密?と首を傾げ、レオンはお願いしますと頷いた。


その輸送船が【黄眼】の港から飛び立ったのは、夕焼けが金海を赤く染め始めた頃だった。
【金のウナギ丸】の中、レオンはふとハモに尋ねた。
「なあ、オッサンは何でこの船の船長やってんだ?」
「何でぇ急に」
「何となく」
本当に何となく言っただけのレオン言葉に、ハモは少し真面目な顔で答えた。
「そうさなぁ。親父がこの船乗り回してんの見て、俺もやりてぇって思ったからだろうな」
「やっぱそういうもん?」
「男なんて単純なもんよぉ」
豪快に笑いだすハモだったが、ふと視界の端に何かを捉えて振り向いた。
「おおっ!見ろよ鳳凰星が飛んでるぜ」
指差された先に赤い光点を見つけてレオンは身を乗り出した。
鳥のような三角形の彗星が優雅に視界を横切り、尾を引きながら星の影へと消える。
「何処まで飛んでくかな?」
「気になんなら、確かめて来いや」
「そうだな。そのうちな」
遠く輝く星々の海を眺めながら、レオンは小さくつぶやいた。
「この先は……自分の目で」
今はまだ小さな少年の背中を、黄金の瞳は静かに見守っていた。
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