第10話 空白

文字数 2,277文字

 柳生の北国での興行は盛況だったみたいで、地方紙の夕刊の演芸欄でも紹介されて、かなりの評価を得ていた。神山ぐらいになるとその地方に知り合いが居て、それぞれの地方紙での演芸の記事等を送って貰っている。逆に東京でその地方出身の芸能人等の情報を送っている。
 神山は北海道での口演の模様を書いた記事を読んでいた。ゲストが居るとはいえ、独演会なので柳生は少なくても二席、それも大根多が中心で、中には三席やったところもあった。
「いずれも好評か。人気も芸も鰻登りだな」
 そんな神山の呟きを耳にした同僚の佐伯が
「柳生は今一番聴きたい噺家なんだそうだ。噺が上手くって、仕草に色気があっておまけにイケメン。これで人気が出ない方がおかしいよ」
 確かに佐伯の言う通りで、柳生は噺家以上の人気の出方だった。
「でも、あれで浮いた噂の一つもないんだからな。あの事件が尾を引いてるのかね」
 佐伯それだけを言うと、神山の言葉を聞かすに取材に出てしまった。空いた編集部で神山は考えていた。
『柳生が東京に帰って来たら直接確かめるかどううか』
 素直に告白するとは思えない。もし聞いてもそれは公に出来るものではない。事件は既に処理されてしまってるのだ。
「やはり足を使って調べないと駄目だな」
 神山は自分の仕事を片づけると愛車に乗って都内を西に走らせた。行き先はかって柳生と美津子が十五歳まで過ごした施設だった。確かその施設は私立なので当時の園長が引退したとはいえ、名誉園長として圓にいると柳生から聞いていたのだ。
 直接尋ねても何も得られないかも知れない。でも確かめておきたかった。
 郊外の園を尋ねると幸い名誉園長は在宅していて柳生の知り合いだと言うと逢ってくれた。
 園の応接室で挨拶をする
「はじめまして、演芸情報誌『東京よみうり版』の記者の神山と申します」
「この園の名誉園長をしています。秋山孝子と申します。今日は顕くん。いいえ今は柳生師匠でしたわね。あの子の取材ですか?」
 演芸関係の雑誌だからそう察してくれた。かなりの高齢だが頭は現役だと思った。
「そうなんですよ。彼は今や人見抜群でしてね。現に今は北国を回ってるんですが、何処も人が入りきらないほどなんですよ」
 少しの誇張もなく事実だけを伝える
「そこで、彼が幼い頃はどうだったのかを取材しようと思いました」
 神山がそう言うと名誉園長は
「本当に良かったです。一時は本当に心配したんですよ。この園出身の二人があんな事になるなんて」
 神山が切り出す前に向こうから切り出してくれた。
「あの事件ですか。大変心配なされたでしょう。御察し申し上げます」
「ありがとうございます。なんせここに居る時から兄弟のように育ちましたからねえ、だから美津子ちゃんが酷い仕打ちを受けて自分の事のように感じてしまったのでしょうね」
 この言葉からは新しい情報は得られない。
「いっそのこと二人は一緒になれば良かったのに」
 神山は探りを入れてみた。そう、二人が一緒になれば何の問題も無かったのだ。
「そうなんですよ。でもお互いに男女という想いは薄かった気がします。特に顕くんはその気が薄い子でしたから」
 やはり名誉園長も気が付いていたのかと思った。柳生は総じて女性に余り興味を持たないみたいだからだ。自分の仕事の範囲なので、その事に関しては色々な噂を知っていた。
「でも、美津子さんはどう思っていたのでしょうかね」
 ここが大事だった。ここが否定されれば今までの考えは神山夫婦の妄想で終わってしまう。
「美津子ちゃんは多分本気だった。だって顕くんが園を出るときに泣いてね。その時の目が八歳だったのに、おんなの目だったのよ。あれは人を愛する事を知っているおんなの目だった。だから、さっきは事件は同情だと言ったけど、それは間違いでは無いけど、それだけでは無かったと思う」
 名誉園長は柳生を本名で呼んだ。
「八歳でおんなですか……」 
「肉体的にはまだまだだけど、心は完全だったのじゃ無いかしらねえ」
 名誉園長の言葉を聞きながらも当時のことを考える。
「彼は卒園してすぐに師匠の所に入門出来たのですか?」
「そうね、その前から寄席の出口で待ち構えていたから、卒園までには決まっていたわ」
「では美津子さんの時はどうしたのですか」
「あの子の時は顕くんが引き取ったのよ」
「え、引き取った?」
「そう。そのころ二つ目になっていたし、成人しれいたから一緒に暮らしたのよ。だから一緒になるものだと思ったの」
 確かにそう思われても仕方ないと思った。
「初めて聞きました」
「今まで誰にも尋ねられなかったから」
 確か石川美津子の経歴では園を卒園後直ぐにプロダクションにスカウされた事になっていたはずだった。
「スカウトされたのは少し経ってからだったと思うわ」
 では、どれぐらいの間一緒に居たのだろうか。確か美津子をスカウトしたプロダクションは十代のうちは寮に住み込みのはずだった。今でもそれは変わらないはずだった。
「卒園する時、美津子ちゃん嬉しそうだったわ」
「一緒に住めるからですか?」
「他に何があるの」
 名誉園長の言葉を胸に仕舞い、礼を言って園を後にした。
 美津子としてみれば、晴れて一緒になれると思ったのだろう。でも実際は自分の思いと違っていた。それもあって、スカウトされたから芸能界に飛び込んだのではと、神山はハンドルを握りながら考えていた。
 少なくとも、美津子と一緒に暮らしていた事だけは確かめたいと思った。
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