第二十四話 山へ

文字数 6,520文字

「ははは!やはりおんしは獣か!小屋の中より、外の方が好ましいと思うたか!」
ルドラ達が森を進んだ頃より一晩越えて、アヌーダの郷より遠く西にある森で、高らかな笑声が響いていた。
さっと流れた風が、黒く長い髪をそよがせる。やはりその笑い声の主は、二百年近くの時を生きる”魔女”であった。対象は可笑しきかな、自分の十分の一以下しか生きていない、幼き少女に対してである。
「う……ん」
声を聞き、少女の意識は現実に連れ戻された。飛び込む光景は、紫がかった薄暗い緑。そして人影。腕を組みながら高らかに笑みを浮かべ、こちらを見下ろす女性の図である。
完全に信頼を寄せている証拠か。それとも間が抜けている証拠だろうか。もしかしたら胸元にある漆黒の爪の存在のお陰かもしれないが、やはり少女が驚きを見せなかったのは、親しき白馬の胸元に抱かれていたからである。その馬の表情は心なしか険しく見えるが、長旅の間に多少は慣れを見せていた。距離はあるが、威嚇のそぶりは見せず、ただ静かに立ち尽くす魔女を見つめている。
危険が寄れば、真っ先に白馬が対処するだろうと踏んだうえでのこの様である。笑い声が上がるまで、少女の寝顔は実に健やかな表情であった。が待つ余裕はない。笑いも束の間。魔女の表情はすぐに冷えを見せた。
「……まぁ森の中で寝るのも最後やろうからな。思う存分味わうが良いさ」
最後。どんな夢を見ていたかは知らないが、少女が目覚めた先の現実は冷たい。そう。彼女にとってこれは望まぬ最後の旅なのである。
少女にある一番古い記憶。それはどうもあのチェルネツの森近くにある自宅の前なのであった。一人ひたすらに振り返ることもなく、草むらを這う自分。ある程度の所まで進んだとき、急に恐怖心が胸を覆い、後ろを向くと笑顔で駆け寄る女性。そして抱きかかえられる感触。母のぬくもりで記憶は始まっているのだった。
自分の人生の記憶の始まりを終えた病。自分と同じような境遇を増やさない為に生きる事が、自身の活力となっていたのだが、それはどうもあと少しで終わりを迎えるしかないようである。
「どちらにせよ。進まねばならん」
グリンデは首を動かし、顎先を小屋に向けた。足もそちらに向かう。来い、と言う事か。それに続く純粋な少女。
「まずは軽く腹ごしらえを、そして少しもしたら荷物を白馬の上に載せろ」。小屋に着いてからの指示はこんな具合だと思ったが、それはやはり的中した。おそらく彼女は準備が出来次第、すぐに動くつもりなのだろう。少女も共に行動しているうちに、魔女の性格をすっかり把握したようである。無言のままに、オリビアは革袋の口に手をかけた。
調理も実に早い。塩漬けにされた骨付き肉を渡したや否や、自身の火を操りそれの表面を焦がした。その加減は料理人も納得のものだが、肉を手渡された少女の表情は実に暗い。それはそうだ。これが最後の旅になるのだから。
少女の心も知らず、いや知った上での対応か。魔女は淡々と自身で焼いた肉を、無言で、無表情でひたすらに頬張っている。
(これが私の役割)
彼女の能力がいかに高いものであるのか、実に思い知らされる。郷の長に伝えられていた言葉は、大変よく少女の心に響いていたのであった。
(……自分にしかできない事)
どこか腑に落ちないが、この言葉は重い。
しかし、この先何が起こるかはわからない。ドロネアの洞窟でもそうであった。想像はいつも自身を裏切るものであった。もしかしたら旅は続くのかもしれない。
少しの希望が、少女に肉を齧り付かせる力を与えた。


時を同じく。魔女らが目指す、オルドの町の片隅で、小さなやり取りが行われていた。その対象は眼帯をした大男と、端正な顔に似つかない、屈強な二の腕を持つ女によるものであった。
大男の背後には、煉瓦を重ねて作られた工房があり、向かい合う女の手には自慢の愛馬の手綱が握られている。
「……ロジャー、無理すんなよ。あんたはもう昔とは違う。一応、障害持ちなんだから」
無骨な職人には相応しいのかもしれないが、これがなければもっと色男に見えるに違いない。大男は、微かに剃り残した髭を撫でながら口を開いた。
「知恵の女神様にそう言われたら、これまた大そうな加護がありそうだな」
「またふざけた事抜かして。黙って『ありがとう』の一言でも言や良いのに」
「これはアウラ様、ご無礼をお許しくださいませ」
大男は、笑みを交えて膝を地に着け、敬意の姿勢を女に見せた。金属で作られた、左足の義足が若干の軋みを見せたが、問題なく主の意志を汲み、彼の動きを補助している。
「ったく!アンタの足が無事なら、蹴り飛ばしてやるのによ!」
少しの間を置いて、再び義足が滑らかな動きを見せた。大男は立ち上がると同時に、笑声を女に浴びせる。
「これはこれは。知恵より力が似合うとされる。アウラ様ではなく、マイラ様の間違いでしたか」
もはや神に対する冒涜であろう。しかし、死の淵から生還した彼からしたら、この世に神も仏も無いのである。神は存在するとは思っているが、それに対する信仰心など一切なくなってしまっているのであった。
「しかしながら女神様。私が拝みたいのはラウラ様、勇気の女神様の御身なのでございます」
「さっさと帰れって事かい?無礼だねぇ。帝国の王族たちが聞いたら、あんたどうなるか」
顔に似つかない、女の頑丈な二の腕が互いに交差し合った。片方の眉がぐわりと上がり、大きな溜め息が鼻から噴き出る。

この国には、古来より伝わる創世記なるものがある。言わば神々によるこの国の成り立ちを伝える聖典の一角なのだが、その聖典に人々に富を与えた女神が存在する。その女神達に肖り、自身の子にその名をつける者も多い。
力の女神、マイラ。知恵の女神、アウラ。勇気の女神、ラウラ。それぞれを奉った神殿がこの帝国内に存在するのだが、名前にあるように、エルビス山脈にあるラウラ聖堂院がそれの一つである。
今あるラウラ聖堂院は、三つの神殿の中で最も歴史が浅い。その歴史を知るには、オルドの町のそれに触れることは避けられない。
オルドの町は炭鉱夫を中心に作られた町である。今から百年程前、エルビス山脈の麓の一角から鉱石を得る為、帝国が貧困層の人々やならず者達を雇い、この地で採掘を促したことがきっかけで生まれた町であった。
質の良い鉱石を入手し、定期的に現れる帝国からの使者とそれを金銭に交換する。辺境の地であるが故に多少の不便はある。そして何より、帝国側の利益率が著しく高く設定されていたのだが、元は貧困層の人々である。昔の生活に比べたら、まともなものである者たちが大半であった。初めは、金銭を得た炭鉱夫達は何不自由のない生活を送っていた。
しかし彼らも所詮は人間である。今より高い理想を持ちはじめ、挙句その幻想に溺れ、欲に負けたのであった。いやもしかしたら"気づいた"という表現のほうが適格かもしれない。どちらにせよ彼らは、違和感を覚え始めてしまったのだ。
その巨体故なのか。エルビス山脈は古くより、神聖な場所とされており、鉱石を発掘する地も限られていた。しかし、資源とはやがて尽き行くもの。だんだんと今までの鉱山が枯渇の様子を見せるにつれ、その不安は大きさを増してきたのであった。
神域を守り、麓に鉱業を成して数年。もはや二十を超す採掘所を生み出した時であった。遂に、炭鉱夫の一人の口から飛び出したのである。
『なぁ?もう少し踏み込んでみないかい?』
しかし、エルビス山脈の存在は彼らにとっても偉大である。
『馬鹿野郎!神に背く気か!』
『でもこのままだと俺たちどうなるんだよ……』
天使と悪魔のやり取りは暫く続いた。が、彼らは元々、貧困層出身の人間である。ましてこの言葉を切り出したのは、ならず者出身の者であったようだ。今まで密かに溜め込んでいた疑問のほうが、後に勝ってしまったのだ。『神が存在するのであるならば、何故こうも格差を産んだのか。いつ我らを救ってくださるのか』と。
生まれてこの方"決まり事"ととして、神を崇めることを教え込まれていたが、こうしてエルビス山脈の麓にいても、その恩恵はとりわけ感じない。強いて言うならば、近場で温泉が湧いており、疲れを癒す機会があるくらいだ。
帝国側からの扱いも日々、雑になっていく一方である。朝から晩まで泥だらけになって鉱石を探し、僅かな金が食料や酒へと変わるのを繰り返す毎日。まして、このまま鉱山が枯渇の様子を強めたら、自分らはどうなるのだろうか。帝国側からしたら、貧困層の人間がいくらいなくなっても構わない。切り捨てられて終わりであろう。そこに神の救いはあるのだろうか。
恐怖や欲望は増大し、やがて信仰者たちの心を包み込み、光を消した。そして炭鉱夫達の想いは行動に代わったのであった。
炭鉱夫達は複数の集団に分かれ、それぞれの採掘所で作業をするよう決められている。帝国の監視兵は少数いるのだが、一集団の数は多く、数名が抜け出しても気づかれはしない。それぞれから毎日、数名が抜け出し、エルビス山脈の麓に集った。
完全に信仰心がなくなったわけではない。集った人間の大半は、自分の未来に畏怖した者が大半であった。酒を持ち寄り、彼らなりの地鎮を済ませた後、つるはしが山肌に突き刺さった。
繰り返される高音。ややその音量が低かったのは、何も帝国側に気づかれるのを恐れていたわけではない。勿論、神への恐れを成してであった。しかし、その音も日を増すにつれて、次第に強まった。天罰は一切下されなかったのである。
『やはり神様なんていやしないんじゃないか?』
『馬鹿言え!神様たちが、貧しい俺たちにも救いの手を差し伸べて下さったのさ!』
初日にその”仕事”を終えた者たちは歓喜に潤っていたという。
それから日々、監視の目を掻い潜り、採掘は進められた。芳醇とまではいかないが、十分に鉱石は採れ、怪しまれない程度に他の採掘所の成果に加え、帝国に差し出していた。炭鉱夫達にも多少なりとも余裕が生まれ、生活は潤いを見せた。
この程度で終わらせておけば良いのに。欲が尽きなかった点が実に浅はかである。彼らは満足せず、新たに採掘場を掘ろうという意見が現れだした。その理由がこうだ。
『毎回同じ鉱石ばかりが掘れる。もっと上に向かえば、もっと珍しい鉱石が採れるんじゃないか?』
勿論反対の意見もあった。しかし、今回の件で彼らは過信していた。完全に目が眩んでいたのである。
『そうだな。俺たちには神の御加護がある。きっと次も見守って下さるさ!』
こうして次第に、よりエルビス山脈の上へ上へと密かに採掘場が生み出された。
そして、その採掘場らが万年凍土にぎりぎり差し掛かるかの程に達した時の事である。事件は起きた。いつものように採掘をしていた時、彼らのつるはしが岩壁に当たるや否や、物凄い爆発を生み出し、辺り一面吹き飛んだのである。
この音は麓にあるオルドの町に停泊していた帝国兵の元にも十分に届いた。そして勿論彼らはすぐさま駆け付けた。
その惨劇は凄まじいものだったという。岩肌はえぐれ、地面に大きな皿地が作られていた。おそらく多くの人間がいたに違いないが、その姿かたちはどこにもない。かろうじて入り口付近にいた者数名が遠くに飛ばされていたぐらいだった。その残された数名が捉えられ、事の真相を知ることになったのであった。この時、その者たちが周りを庇い、口を割らずに自分たちだけで行ったことを伝えなければ、きっと今ではオルドの町は存在していなかったであろう。
事件を知った、帝国の王族たちは焦った。それは何も、オルドの町や鉱石の存在を燻ぶったわけではない。この噂が帝国中に知れ渡った時のことを恐れたのであった。
エルビス山脈は神の住む土地。もしその地に大穴を開けたとするならば、いかなる天罰が下されるのか、恐れを成して国中の士気が下がるであろう。まして時期も時期である。帝国の南、国境沿いでは隣国らと戦が繰り広げられており、停戦状態でもあった。もし気を抜いてしまうと、攻め込まれる危険性すらある。この時に兵の意識を下げる訳にもいかない。まして敵国にこの情報を知られる訳にもいかず、即座に対策を打たねばならなかった。
しかしこの危機的状況の中、吉報が舞い込んだ。爆発が起きた跡地から、水が湧き出し、小さな泉を作ったというのだ。それを聞いた帝国側の動きは早かった。すぐさま帝国中枢にお触れが出された。内容はこうだ。
「先の争いにて地上の住いをなくしたラウラ様が、遥か南のエルビスにて再臨なさった。証に治癒の力を持つ泉を我らに与え、その聖水を飲んだアリエリア一五世は病を克服し、威厳を取り戻した」と。
かつて南の地にラウラ聖堂院は建てられていたのだが、戦により大きな損傷を受けてしまっていた。そして都合よく、先王であるアリエリア一五世が、北の地の一族に伝わる秘薬を飲み危篤から一命を取り留めていた。この事実は内部にしか知る者はいない。まさにこの事態に便乗しよう考えであった。
ちなみに後々、実際にこの泉の水には若干の治癒の力があることが判明し、よりこの逸話に重みを増させた事は奇跡かもしれない。
元々、南の地にラウラ聖堂院が建てられたのは、国境を攻める兵士に勇気を与え、士気を上げる目的でもあった。「ラウラ様は、今度はエルビス山脈よりそなた達の背中を見守っておる」とでも伝えておけば、尚も都合良い。
こうして取り急ぎ、移設させられたのがラウラ聖堂院であった。王族に不利益な点といえば、帝国中枢よりこの地に辿り着くまでの道中は険しく、ラウラ様を奉る定期的な参拝に手間がかかるくらいであった。その手間を軽くするべくか、孤児を使い整備している面もあるだろう。

アウラの溜息に対し、ロジャーは掌を天に向け、首を傾げながら答えた。それは、彼のとある実績から成る、自信故の反応であった。
「俺を誰だと思っているんだい?障害を持って、やっと並みの兵士が相手になる」
これに対し、アウラが否定する姿勢を見せない辺り、彼が嘘を付いていないことが伺える。
ロジャーが吊り下げている、無駄に大きく見える革袋も彼の偉大さを物語っている。いくら優れた義足を身に着けているとはいえ、足に障害を持つ者がこの革袋を持てば、たちまち体勢を崩して倒れこんでしまうだろう。
「俺を見た兵士がいたら、そいつが次に見るのは地獄だろうよ」
「……そうか」
「……まぁ、俺は大丈夫だからよ。そろそろ行くわ」
頬をかき、不器用なはにかみを見せると彼は背を向けた。
ロジャーはその雪深きラウラ聖堂院の近くで野営し、一晩道具を試す予定であった。様々な環境下でそれが使用できるか確認する必要があるため、ラウラ聖堂院付近に長時間滞在しなければならない。野営の準備にも時間はかかる。あまり悠長な時間を過ごしている訳にはいかないのである。
伝説の鍛冶職人ロジャークランクは、馬に跨り女に手を振った。そして聳える雪山に向け目を細めると、ラウラ聖堂院に向けて馬を出した。

男の背中は次第に小さくなり、森へと消えた。ここは町の隅の隅。すぐに石畳を蹴る馬の蹄の音は、土が成す柔らかいものに変わり、次第に聞こえなくなった。
アウラの心には、あらゆる想いが芽生え始めているのだが、ロジャーにとってはなんら昔と変わりない。あくまで『友人』という立場らしい。しかし死地を共にした者同士。こうして顔を合わせる事にすら幸せを感じるのが事実であり、女が身を引く理由でもあった。
アウラは彼の気配が完全に消えた後も、何処かにその姿を探していた。ふと、半ば溶けだしていた神雪氷が彼女の肩に舞い降り、消えた。その冷たさが彼女に現実を思い出させ、帰路へと誘った。
それにしても運命とは実に残酷である。想いとは裏腹に、その微かな幸せすら得られない未来が訪れることを、彼女は想像できずにいるのであった。
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