第1話

文字数 1,125文字

 例えば、ある一人の傘を持った男が土砂降りの道を歩いていたとする。
 中年のくたびれたスーツのサラリーマンでも、冴えない大学三年生でもいい。確かなことは、様々な理由があって男の中には鬱屈とした塊がドスンと腰を据えているのだ。
 すると、そんな男が何を思ったのか突然傘を投げ出して走り出す。男が頭につけているのはヘッドホン。まるで子供みたいに水たまりをバシャバシャ踏んだり、空を見上げ両手を広げて全身に笑顔で雨を浴びたり。  
 この時、ヘッドホンから流れているのは当然「少年たちの予感」だ。言葉はいらない。男の行動がNITRODAYの音楽の魅力をそのまま体現してくれている。
 いや、あるいはもしかすると、最初から雨など降っていなかったのかもしれない。男がそれまで雨だと思っていたものはNITRODAYの奏でる音だった?
 彼の歌声は、地面を強く叩く雨音に似ている気がする。更に、ギターがベースがドラムが混ざり合うことによって、雷となって台風となって雹となって聞くものに降り注ぎ五感に響いて語りかけてくる。「少年たちの予感」は、そんな感情のパレードをもたらしてくれる一枚に違いない。
 雨だとか台風だとかネガティブに聞こえるかもしれないが、考えてみれば心地よい音と言うのはきっと人工的な音ではなく、鳥の鳴き声や、川の流れる音、つまるところ自然の音なのではないだろうか。
 永遠に続く雨はない。雨が降るということは、その後に晴れるということだ。「少年たちの予感」は雨の後にかかる虹まで聞く人に連想させてくれる。
 不器用でがむしゃらな歌詞を雨の中噛みしめる男は、まるで自分のことを歌われているように、NITRODAYが自分一人のためだけに歌ってくれていると錯覚してしまうほど背中を押され、走る。いや、押すという表現は甘すぎる。蹴り飛ばすのだ。

 ヘッドセットで蹴っ飛ばしてやる そんな簡単に行かないのだ
 
「少年たちの予感」、次から次へと曲が繰り出されたらそのあまりの忙しさに、サラリーマンも大学生も少年だった頃まで時空を超えて簡単に蹴っ飛ばされるかもしれない。男が脇目もふらずに雨の中を走ることができるのは、NITRODAYの音楽の力が男の心に居座っていた鬱屈とした何かを蹴り飛ばしたからである。
 きっと、「少年たちの予感」を聞いている間は子供でいいのだ。その間だけは何も考えずに、子供の頃玩具に夢中になって周りが見えなくなるのと同じように、NITRODAYに耳を、全身をゆだねればいいのだ。
 そうしているうちにいつの間にか雨は上がり、灼けるほどの快晴が空には広がっていることに気づいて男は立ち止まる。そして、男の頭上には虹がかかるのである。
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