エピローグ(月曜日)

文字数 7,985文字

 業務終了時刻は19時。今日も特にハプニングも無く会社を出る事ができそうだ。ここ最近は業務が少し落ち着いている。俺は出勤してきた夜勤担当に引き継ぎ事項を伝え、それから、最近分かった事だがソイツは大層馬が好きだったので趣味が合い、ついでにそっちの情報交換も合わせて行い、終了後はそそくさとロッカールームへ向かった。
 19時ということは、今から急いで行けばアルルカンに滑り込む事ができるだろう。なにせ、20時までに入ればアルルカンはお客さんを無理に追い出すことはない。それはマスターが店を始めてからのこだわりだそうで、閉店する20時まではどんなにぎりぎりに入店しても、その客に対してはきっちりと通常通りにもてなしてくれるのだ。それが創業以来アルルカンの基本方針だった。なので、マスターは閉店前のラストオーダーって奴を心底嫌う。閉店時間はまだあるのに、30分も前にオーダを閉め切るなんて、何をケチ臭い事を言っているのだ、と言う。
 しかし、そうは言っても最近マスターはその信念が少し揺らぎつつある。何故かというと、その理由がまた可笑しい。マスター曰く眠たいのだそうだ。マスターももういい歳であるのには変わりないので、体力の限界で働く事自体がきついだとか、そういう理由ならばこちらも納得がいくのだが、そちらの悩みは今の所一切無いらしい。それよりも、夜になるとなんだかスイッチが入り眠たくなるのだと言う。俺は一度その話をマスターから聞いたとき、子供か!と突っ込みを入れたことがあるのだが、後々考えてみると、年齢を重ねるにつれて老人は子供のようになってくるという話も聞くし、もしかしたらそうなるのは自然の原理なのかもしれないと思った。
そういう訳で、最近は俺が19時55分に到着したならば、例えば眠たさのピークを迎えた時などはあからさまに俺に向かって、帰れ!という、最早お客に言うセリフではない暴言とも言うべきセリフを吐く時もあるし、なんなら俺が飯を食ってると目の前のカウンターで椅子に座りぐっすりと眠ってしまう時だってある。まぁ、そういう時は客が俺だけの時だから、全く問題ないのだが。今日は元気に起きていてくれるだろうか、なんて考えながら、俺は身支度も早々に会社を後にした。
 昨日は美佐を見送ってから、またアルルカンに戻った。いつものように建付けの悪い扉を開けると、マスターと真紀ちゃんの心配そうな顔が俺を迎えてくれた。二人は俺の当然の結果を労うように言葉をかけてくれた。その時の俺はと言えば、堂島から店までの記憶がほとんど無かったことに気が付いた。頭の中の色んなことや、美佐との様々なやりとりを考えていて、其れ以外のことには気が回らなかったのだ。ともかく、美佐は東京に行ってしまった。
 俺は最後に美佐と話せた事で、彼女の本当の事を聞くことができた。
美佐の歩んできた紛れも無い事実に、俺はコテンパンにされた。きっと、美佐に会う事なく別れていたならば、俺はいつまで経っても成仏できない浮遊霊のような思いを引きずっていただろう。俺みたいな眠たい野郎は、俺など追い付く事も出来ない、目の覚めるような事実で横っ面を張り倒された方が良いのだ。そして実際、俺はアルルカンに戻った時、憔悴しきっていた。宮田と美佐にまつわる数々の重たい歴史に対して、免疫が無かったのだった。
マスターと真紀ちゃんには、梅田での美佐とのやりとりを一通り話してから、俺は自宅に戻り泥のように眠った。それから今日は、寝坊しそうな身体を叩き起こして会社に向かったというのが、昨日からの俺の行動だった。
会社ではいつも通り、しっかりと働いたせいでそれなりに疲れてはいたが、それでも今日は夕食をアルルカンで食べようという気力がある。まだ心の中は重たいけれど、それでもなんとか足を進める事ができる。この心の重さは、これから少しずつ時を使って癒していく必要があるのだろう。
 美佐と話して、俺は美佐の痛みを聞く事ができた。
金曜日に聞いた事のみならず、包み隠さない美佐自身の全ての痛みと悩み。一人の女の子の、俺なんか思いもよらないほどの、思いつめた気持ちを目の当たりにして、俺に出来る事なんてものは何もなかった。
もしあそこで美佐に行くなと言って手を引っ張って逃げていたら、美佐は一緒についてきてくれただろうか。今となっては証明のしようもない妄想だが、仕事をしながら不図そんな妄想が頭をよぎった。
 会社の最寄り駅から地下鉄に乗って、心斎橋で降りる。
いつもの道をいつも通り曲がって、平日の夜のアーケードを歩く。まだ辺りは活気が満ちていてそこら中を人々が行き交っている。酒屋を始め色んな業者が飲み屋への配達でせわしなく走り回っている。その隙間を縫うようにして、俺は見慣れた狭い横道を入った。すぐに見た事のある小さな店が目に入る。
「おつかれぇー」
 扉を開けてベルをガランと鳴らすと、自分でも驚くような気の抜けた声が出た。
「あ、こんばんわー」
「おう。」
「… …あれ?」
 最近聞いた事のある元気な声。ていうか、つい昨日の話だ。
俺は伏し目がちだった目線を上げてカウンターを見てみると、果たして昨日と同じ配置、真紀ちゃんが身を乗り出し気味でマスターと話をしているのだった。
真紀ちゃんはマスターに何やら笑顔で話をした後、隣の椅子を引いて俺の席を空けてくれた。
「おいー。もうすでに常連になってるやん。」
 俺はマスターと真紀ちゃんを冷やかすように言った。
「おう、よう来たな。」
 席に座るとマスターが俺の目の前におしぼりを置いてくれる。今は19時50分。もたもたしていたらこんな時間になってしまった。マスターに小言の一つでも言われるのかと思っていたが、今日はどうやら眠くないらしい。
「マスター、今日は眠たくないん?やけに元気やん」
「そりゃ、いつも快眠してるからな。」
「あっそ。阿呆みたいに、カウンターの中で爆睡してるの、誰やっけ。」
「うっさいわい。まぁ、今日は真紀ちゃんもおるからなぁー。」
 そう言いながら、マスターは真紀ちゃんの方に顔を向けて仲が良さそうに言った。真紀ちゃんの方も、マスターの、おるからなぁー、の所でハモって声を出した。一体全体、なんだこいつら。奇妙に意気投合している。
「おいおい、なんやねん、あなたたちのそのテンションわ。なんか、しんどいわぁ。」
 俺は失笑しながら、週刊スピリッツを本棚から取り出してページを開く。
「ちょっとー、私も来てるんですから、皆で話、しましょうよ。」
 俺の姿を見て、真紀ちゃんが声を掛けてきた。俺は仕事で疲れていたので、黙って少しゆっくりしたかったのに、彼女はそうさせてくれない。なんだか面倒臭い。
「えー、俺、勤労で疲れてんねんよ。話するんやったら、マスターとしいな。俺は今から漫画読むねんから。あ、それからマスター。ピラフと、アメリカン」
 俺は真紀ちゃんのそんな声を打っ(ちゃ)って、マスターに注文を通す。マスターはその言葉を耳だけで聞きながら、返事を返した。
「あいよ。てゆうか、隆志、そんなに真紀ちゃん邪険にするな。せっかく彼女、来てるねんから、相手してあげな。」
マスターがどっこらしょと言いながら、立ち上がろうとしていた。その姿に向かって、真紀ちゃんがすぐに抗議の声を上げる。
「え、ちょっと、マスター。相手してあげって、なんだか酷くない?あたし、小さい子供やないんやから。」
「えー、なんで疲れてる俺が、こんな元気ハツラツな子の相手せなあかんの?メンドイなぁ。」
 それぞれが、それぞれの要望を言うので、三人だけなのに店内がなんだか騒がしい。そういや、美佐が来た時もこんなだったけ。そんな事が不図頭に浮かんだ。だけどそんな一瞬の夢想も空しく、一人やかましい真紀ちゃんが更に俺に絡んでくる。
「ねぇ、ねぇ。隆志さん。」
「うん?」
「ちょっと、これ見てください。」
「…… …?」
 テーブルの上の雑誌の横に真紀ちゃんがそっと何かを置いた。
雑誌に落としていた目線をそのまま横にスライドさせると、そこには何かの教科書と問題集、それからノートが置いてあった。
「ちょっと、分からないところあるんで、一緒に見てもらっていいですか?」
「… …… …何これ。」
「えっと、短大の教科書。」
「…へ?… ……真紀ちゃんて大学生なん。」
「うん、一応。ねぇ、ちょっと。だから、一緒に勉強見てもらって良いですか?一人で問題解いてるんですけど、ちょっと分からんとこあって。」
 そう言いながら真紀ちゃんが俺の方に正対して、慎ましくお伺いを立ててきた。
「な、なんでやねん。そんなん分かるかいな。大学なんか、もう大昔の事やねん。」
「なんでですか。お願い!そこをなんとか!だって、マスターも他の常連さんも勉強の事になったら、あたしの所避けて、しらーって逃げ出すんですよ。この狭い店内を。ひどないですか?」
 両手を合わせて懇願してくる真紀ちゃんの後ろで、マスターがくくくと小さく笑っているのが見えた。
「観念せぇや、隆志。今のとこ、アルルカンの人間で勉強教えれるのん、お前くらいしかおらんのやわ。」
「… …えー… ……なんで、俺が。疲れてるんやで仕事で、これでも。労働は明日も明後日も続くのだよ… ……。」
「ほな、しゃあないから、ピラフ大盛にしといたるから。そやから、真紀ちゃんの勉強見てやってくれ。」
「… ……えー… ……。… ………それは、ちょっと、……嬉しいなぁ……」
「嬉しいんかい。」
 マスターの返し。曰く。商談というものは感情とは別に、時として損得で決まるものである。って、そんな名言があるのかは知らないが、まさしく俺はマスターの提案の後、次の瞬間には、週刊誌を閉じて真紀ちゃんの教科書をガン見しているのだった。ビバ現金な心、ビバ損得。
 そういう訳で、まぁ教科書を見始めると、これが意外や意外。案外楽しいものだった。そういや、これは人間の不思議なところだが、学生の頃は勉強を強いられるのが酷く苦痛だったはずなのに、自身から進んで行う自学については楽しいといった現象がある。この今の感情も、結局はそんな感じなんだろう。かと言って、俺の知能では、真紀ちゃんに全部を全部教える事なんて出来るわけでもなく、どちらかと言えば二人三脚と言った感じで、ああだこうだと言いながら問いに答えていくのだった。
 その内にマスターの大盛ピラフも運ばれ、それを食べながら勉学を進めていた。マスターは俺達の姿を眺めてから、また椅子に座って新聞に目を落す。店内にはマスターのお気に入りの洋楽セットが薄く鳴り響き、外の喧騒とはかけ離れた時間が流れていく。俺はこの居心地が良い時間が好きだ。その雰囲気がずっと続くと思われた刹那、アルルカンの玄関のベルが重たく鳴った。  
 もう既に20時の閉店時間は過ぎていた。こんな時間になんだろう、と顔を上げようとした瞬間、真紀ちゃんが分からないところを質問してきた。
「ここって、どういうことなんやろ?」
 俺はその質問で、また目を落して問いに集中する。
 俺の背中の後ろで、何やら紙袋のくしゃくしゃとした耳障りな音がしていた。そして、入口からどたどたとせわしなく店内に入ってくる人の気配がした。
「ただいまー。」
 俺は心臓が止まる思いがした。忘れようのない声。跳ねるように顔を上げて、すぐに声のした方を見た。
 美佐だった。
「はぁ、疲れた、……重た。」
「はい、お疲れさん。有難う、ほんま助かるわ。」
「おつー。」
 マスターはちらっと美佐に一瞥した後、また新聞に目を落す。真紀ちゃんは問題集に問いを解きながら、片手間のように美佐に声を掛けた。
 美佐はといえば、気怠そうに野菜でパンパンになったスーパーの袋を両手に抱え、奥へ入ろうとしていた。
 一体全体、この状況はなんなのだろう。
 俺は狐にでもつままれたような顔をして、美佐の動きに合わせて首をゆっくりと追従させていた。自分でも分からなかったが、目は大きく見開いたままだった。その姿を傍から見れば、大層滑稽だったのだろう。まず最初に真紀ちゃんが俯いたまま、ぷっと噴き出した。それを契機に、まるで風船が破裂したかように美佐が大声を上げて笑い、マスターも新聞を開いたまま、天井を見上げるように大きな口を開けて笑った。
「…ちょっとぉー、真紀ー!」
「…… ……あ、あかん。我慢できひんかった… …。だって、隆志さんが、昆虫みたいやねんもん。何、その動き!ゆーっくり、何も声を出さへんまま、美佐の姿を目で追いかけてるねんで。あんた、その隆志さんの姿見て、我慢できると思う?!」
「…あぁ、お腹痛い……。… …実はさ、私もさっき席の後ろ通る時、痛いほど強烈な視線は感じてたの… …。せやけど、めっちゃ我慢してんで!」
「… …あーあ、おもしろ。いつ以来や、久しぶりやな、こんなに笑ったの。なぁ、隆志。」
 マスターが老眼鏡をずらして両方の目じりを指で拭いていた。それから美佐は、マスターの隣まで来て、カウンター越しに笑顔で俺を見た。
「ちょ… ………ちょっと!…… …… ……え?!… ……なに、これ、……え。」
 俺はまだ事態を把握する事が出来なかった。だが、マスターも真紀ちゃんも美佐も、誰もちっとも声を上げない。まるで、俺が何か言うのをずっと待っているようだった。
「……え?… …………い、いや。…… …だって、美佐。… ……お前、東京は?… …宮田についていくって… …」
思いっきり狼狽(うろた)えながら、俺はなんとか思っている事を口にした。
「やめちゃった。」
「… ……は?」
 美佐はふふっと笑いながら、カウンターの奥に歩いて行く。俺はあまりの事に呆然としたまま、いつの間にかカウンターに身を乗り出していた。その不自然な態勢に、隣の真紀ちゃんがまた口を両手で覆って吹き出した。カウンターで座っているマスターが、美佐の動きを追いながら声を掛ける。
「そろそろ、帰ってくるかなって思ってたから、まだアメリカン入れてへんねん。」
「うん。今見てそうかなって思ったから、今から用意します。」
 美佐が慣れた手つきでコーヒーカップを取り出す。水曜日に買ったマスターお気に入りの奴だ。その動作に目を奪われているところで、マスターが俺に言った。
「美佐ちゃんな、今日の朝、突然真紀ちゃんと一緒に出勤してきてん。まるで何事もなかったかのように。昨日、お前と別れてからの事なんて聞いてへんし、別に興味もあらへん。ただ、美佐ちゃんが戻ってきたって事だけで、わしは十分や。」
 マスターが優しい目をしながら美佐の方を向いたところで、美佐はアメリカンを汲んで俺の方に来た。俺の目の前に、ゆっくりと静かに置かれるアメリカン。
「おかわり、あるからね。」
 美佐がしっかりと俺の目を見て言った。マスターはあんな風に言ったけど、俺はやっぱり理由が聞きたかった。
「…… ……… ……なんで行くんやめたん?」
 美佐はその問いに臆する様子もなく、いつもの明るい笑顔を浮かべ言った。
「…… ……頭で考えてる事って、ウソばっかりやなって思ったわ。… ……私、昨日は確かに覚悟した気でいたの。東京行って、宮田と一緒になるって。それで宮田の車に乗った。だけど、私の動作や雰囲気、全てに答えが出てたんやろうな。大阪に残りたいって気持ちが。宮田は、そんな私を見て、思ったんやと思う。」
「…… …… …」
「… ……お前、自分の居場所、出来たんかって。車飛ばしながら、ゆっくりと言うの。それで、私やっと気が付いたの。隆志に言われた事。アルルカンのカウンターに居る自分の事。私が私の為に居たい場所は、どこにあるのかって事が、やっと分かった。」
「…… ……」
「私そのとき、なんでか分からんのやけど、アルルカンにおった時の事が溢れるように口から出湧いて出てきてん。自分でも全く止められへんかった。で、やっぱり私は、大阪を離れる事できひん、ってはっきりと言った。宮田は私の話を黙って聞いた後、大きくため息をついて、ほなしゃあないなぁって。… ………もしかしたら、あの人はもう最初から分かってたのかもしれへん。涙流しながら話する私の肩を軽く叩いて、お前の気持ち、もう十分、分かったから、って。それで仕舞。後は、とりあえず新大阪まで行って、そこであいつと別れたの。」
「…… ……」
「……それから、すぐに真紀に電話して、昨日は泊まらせてもらった。これが、隆志と別れてからの、昨日の全部。」
美佐は世間話でもするかのように、すらすらと流暢に話をした。
「…… ……… ………」
「… ………隆志?… ………おーい………。だから、これからずっと大阪おるよ。」
「…… ………… ……… …」
 俺は堪らなかった。
 宮田の優しさや、美佐の思い。これまで必死で出してきた答えと共に、新たな問いが出てきて、その問いにぶつかりながら、また答えを出す。合ってるのかも分からないまま悩みながら、探して次に進んでいく。皆、いつもそうやって、自身の問題となんとか折り合いをつけて生きている。美佐も昨日、重大な人生の決断をして、今ここに立っている。自分で答えを出した、自分に恥じる事のない場所を見つけたのだった。それに比べて俺はといえば、飽きもせず同じところをぐるぐる回っている。
 俺は目の前にあるアメリカンの並々と入ったカップを()っと見ていた。あまりにも長時間眺めるものだから、なんだか周りの三人とも黙っていた。
 それから俺はカップを乱暴に掴んで、アメリカンを一気に飲み干した。口の端から珈琲が少し零れた。美佐と真紀ちゃんが、俺の突然の行動に、えっ?!と驚きの声をあげ、若干引いていた。それから俺はすっかり空になったカップを、美佐の前に思い切り突き出した。
「おかわり!」
「…… ……。」
 美佐が怪訝な顔をしながら()っと俺を見ている。マスターも真紀ちゃんも黙ったままだ。
「… ……… …ん!」
 俺はもう一度、美佐に催促の声を上げる。
「… …… ……この人、一体どないしたんでしょう?」
 理解不能な突然の行動に、美佐が俺を指さしてマスターに問いかける。マスターは外国人のように身体の横で両方の手の平を上にあげ、分からないというジェスチャーで答える。
「… … ……おかわり!」
 俺はもう一度、若干逆切れの季節のような感じで、カップを美佐に突き出した。
 ダメだ。こうなったら俺は、情けないこの道をどこまでも突き進んでやろうか。俺が今出来る事と言ったら、とりあえずはこの道を行けるところまで突き進んで、走って。そうして、思いっきりぶつかってから考える事にしよう。それまではきっと、俺は美佐に憧れる情けない馬鹿な子供(ガキ)のままだ。
 美佐は仕方がないというような困った表情を浮かべながら、はーい、と言って俺の手からカップを受け取った。
真紀ちゃんはと言えば、おかわりの姿勢のままで固まっている俺の肩を、シャープペンシルの先っちょでつんつんしている。
「… …………」
「…… …嬉しいなら、嬉しいって素直に言えば良いのに。」
 つんつんしながら、真紀ちゃんが隣で言う。
 つんつんされる俺は、以前として美佐にカップを渡したままの姿勢を保っている。
「隆志はな、そういう意固地な所があるわ。」
マスターがまた、新聞をばさっと広げて一言物申している。
「…… ……難儀な人ですねぇ。」
 真紀ちゃんはつんつんが気に入ったのか、一向に俺に対してのつんつんを止めない。
 向こうの方で美佐がアメリカンを入れながら笑っている。俺は俯いているので美佐の姿は見えないが、おそらく、そのような表情をしているのだと思うのだが、これは全くもって俺の(つたな)い妄想だ。
 それからすぐにまた、アメリカンの良い匂いが香ってくる。
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