第13話 偏見
文字数 3,760文字
ロリババア病の子たちを思う放課後。教室の窓から穏やかな春の日ざしが差し込んでくる。
美紅ちゃんが小夜さんのトイレ当番を代わってくれて、僕は待っていた。
「我が眷属よ。妾を笑うでない」
美紅ちゃんが教室のドアを開けつつ言う。離れた距離から心を読んだの?
「妾とて好きで中二病をしているわけではないのじゃ」
「す、すいません」
「それより、妾は任務を完遂したのだぞ。小夜ちんの小用に付き合うなど造作もないこと。妾も自分が役に立てると実感したいのじゃ」
実は、美紅ちゃんがトイレ当番を変わると申し出てくれて、僕は断ろうとした。自分の仕事だから。
けれど、『妾は思考回路は正常じゃ。日常生活に支障はない』と、言われてしまう。
日向先生にも言われたことがある。
要介護者に身の回りのこととかを自分でしてもらうと、自尊心を充たすことができるんだ。
小さな達成感は病気に立ち向かう気力をも生み出すことがある。
だから、できることはできるだけしてもらえ、と。
というわけで、美紅ちゃんに任せていたのだった。
どうやら無事に仕事をやり終えたくれたらしい。小夜さんの顔もすっきりしていた。
「罰だ。妾はテニスがしたい。汝らも付き合うのじゃ」
「うん、でも、学校のはテニス部が使ってるから。近所にしない?」
「わかった。駅前の公園にテニスコートがある。近くに豚丼の店があるのじゃ。妾が勝利した暁には所望するぞよ」
「いちおう、空いているかネットで見てみるよ」
支給されていたスマホを取り出した。例の生体情報管理アプリも入っている。かっこいい名前を使ってみたけど、胸の柔らかさを管理して意味あるんです? もちろん、僕は悪用してないよ。
テニスコートは問題なく予約できた。
美紅ちゃんは意気揚々と歩き始める。僕はじゃれついてくる小夜さんの手を取り、後を追った。
校舎を出て、テニス場に行くべく裏門へ向かう。
花壇にはチューリップが赤や黄の花を綺麗に咲かせていた。
数人の垢抜けた男子生徒が僕たちの反対側から歩いてくる。おおはしゃぎで楽しそうだ。
パリピはなじめない。けど、迷惑になるほどうるさくしなければ、文句を言うつもりはない。
「我が眷属よ。汝に妾の力を渡そうぞ」
「ん?」
「手を通して、妾の闇のオーラを汝に流し込む」
ああ。手を繋ぎたいってことか。
十日も一緒に暮らしていて、美紅ちゃん語の翻訳精度は日々向上している。
「いいよ」
僕が右手を差し出すと、ぎゅっと彼女は握ってきた。
「どうじゃ? 妾の味は」
「どうって言われても……って、小夜さん?」
後ろから小夜さんが身を寄せてきて、ふにゅん。
暴力的なブツが背中に当たり、えも言われぬ快楽を覚えたと思えば。
耳たぶがくすぐったくなる。
足を止め、振り返る。
なんと、小夜さんは僕の耳を舐めていた。しかも、豊かな双丘が僕の背中に潰されているし。
「執事さん、今日もおいしいですね。独特の食感が癖になりそう」
なにかと勘違いしてるらしい。
って、子犬にペロペロされている気もしなくはないけど。決定的な違いは、圧倒的に柔らかい膨らみです。
不意打ちだったこともあり、一気に身体中に血液が一カ所目がけて集まっていく。
思わず前屈みになった時だった――。
「なんだ、バカップルがっ!」
「ちがうだろ。彼女はガイジで有名じゃん」
「そうそう。福祉科にいる奴だと思う。去年から見かけてるし」
先ほどから騒いでいたパリピが、こっちを見て笑っている。
会話から察して小夜さんの行為をバカにしてるんだ。
下っていた血液は一気に方向転換。頭へと。
ふざけんな。おまえら、小夜さんのなにを知ってるんだ?
怒鳴りたくなる。
けれど、すんでのところで我慢した。
ロリババア病は公に公開されている病気ではない。もちろん、福祉科で奇病の研究が行われていることも。
彼らは小夜さんのことを、残念な健常者と考えているのかもしれない。
そう擁護しかけたのだが……。
彼女が動く。
「おい、ゴミよ。貴様ら」
美紅ちゃんだった。傲然と胸を張って、三人の男子高校生を見下している。
「しかも、高二のガキになってまで、他人を嘲笑するとはな。恥を知れ、恥を!」
仰々しい口調は威厳に満ちていた。
先輩たちは驚いた顔をして、後ろに下がる。
ところが、最初の一撃から時間が経つにつれ、顔が赤くなっていく。
ヤバい。三人とも体格は僕よりがっちりしている。中三にしては小柄な美紅ちゃんでは相手にならない。
「なんだと、ガキが」「こいつ、単なる中二病だぜ」「プークスクス」
先輩たちが美紅ちゃんに詰め寄る。
僕の後輩は後ずさる。砂が舞った。金髪のツインテールに木の葉が落ちる。
「くっ。こんな時に真祖になれぬとは……」
美紅ちゃんの顔が引きつり、男子生徒たちは大爆笑。
見てられなかった。
中学時代。同級生にバカにされた時のことを思い出して、胸が苦しくなる。
頭が重くなり、意識がやや遠ざかっていく。
ぼんやりとしていても、ふつふつと怒りが湧いてくる。
こうしている間にも、健常者たちは小夜さんを見て腹を抱えていた。
いい加減にしろ。
そう言いたいのに、口が震えて言葉が出てこない。
たしかに、小夜さんたちは普通の人とは違うよ。
でも、じゃあ、『普通』ってなんなの?
先輩たちは僕が考える普通を持っているのかもしれない。絶対的に自分が正しくて、少しでもレールから外れた相手を攻撃しても構わないのだろう。
はっきり言うと、あなたがたが『普通』をどう定義しようが勝手だ。
けれど、『普通』じゃなくて、苦しんでいる子を愚弄する権利は誰にもないんだよ!
「なあ、天然ちゃんよ。マジでじわるわー」「陰キャじゃなくてさー、俺らと気持ちいいことしねー」「かわいいのに頭のネジが抜けるな。下もユルいんじゃね」
タンポポに話しかける小夜さんを、奴らは小馬鹿にしている。しかも、卑猥な視線を向けて。
これ以上は無理だった。
口が動くよりも先に、拳に力が入っていた。
こんなのに会話で解決しようとしても無駄。
戦わねば。
負けてもいいから。
弱者でも抵抗できることを示したかった。
僕は彼女たちを守りたいから。
ケアラーとして。
いや、ひとりの男として。
覚悟が決まる。
左足を前に出し、半身を引いた。
右拳を武器に変換し、力を蓄えていく。
走りながら、攻撃を始めようとした――。
が。
「ユウ、落ち着いて」
羽交い締めにされた僕に、懐かしい声が投げられる。
振り返られなくてもわかった。
「ほ、穂乃花。離してよ!」
「だめっ!」
ぎゅっと背中に温もりが伝わってくる。
「僕、ここで戦わなくちゃダメなんだ」
振りほどこうとするが、幼なじみは腰を下ろし、重心を安定させる。
「ユウが一生懸命なのはわかってる」
「……穂乃花」
「あのことを後悔してるんだよね?」
なにも言えなくなった僕は足を止める。
幼なじみの声は悔しそうで、僕が背負っている枷が少しだけ軽くなった気がした。
「だから、彼女たちを必死に守ろうとしてるんでしょ」
正解だった。僕は自分勝手な理由で……。
「あたし、そんなユウが好きよ。でも」
僕のおなかに回された幼なじみの手。指先に力が入ったのか、軽く締めつけられる。
「喧嘩はダメ。ユウも、その子たちにも傷つくから」
「そうだね」
僕は拳をほどき、だらりと腕を下ろした。
力みが抜けたとたん、幼なじみの温もりがより強く感じられた。
穂乃花は僕から離れると、こっちを見ていた先輩たちに近づいていく。
「あんたたち、最低ね」
「あん、てめえはなんだ?」
茶髪で肩幅の広い先輩が幼なじみを威嚇する。
僕が間に入ろうとしたところ。
「先生に連絡しておいたけど、余裕そうね」
そう言って、幼なじみは遠くを見やる。
日向先生がいた。隣に背が高い若手教師がいる。年は近いはずなのに、親子みたいだった。
「やっべ。行くぞ」「お、おう」「待てよ」
先輩たちは慌てて走り去っていく。
「あ、ありがと。穂乃花」
「いいって、いいって」
幼なじみに礼を言うが、内心では自分が情けなくてしかたがなかった。
僕は空回りして、穂乃花に助けられて。
あの頃と同じだ。
おばあちゃんを介護していた時のことを思い出す。
「ほら、そんなに暗い顔をしないの」
顔に出ていたようだ。
「テニスするんでしょ」
「どうして、それを?」
って、美紅ちゃんがテニスラケットを持って、素振りしてたし。
「さっさと行くわよ」
穂乃花が先頭に立って、歩き始める。
僕と幼なじみのやりとりを見ていた美紅ちゃんはにやける。
僕は小夜さんと手を繋いで、ふたりの後を追いかけた。
春の空は青かった。
美紅ちゃんが小夜さんのトイレ当番を代わってくれて、僕は待っていた。
「我が眷属よ。妾を笑うでない」
美紅ちゃんが教室のドアを開けつつ言う。離れた距離から心を読んだの?
「妾とて好きで中二病をしているわけではないのじゃ」
「す、すいません」
「それより、妾は任務を完遂したのだぞ。小夜ちんの小用に付き合うなど造作もないこと。妾も自分が役に立てると実感したいのじゃ」
実は、美紅ちゃんがトイレ当番を変わると申し出てくれて、僕は断ろうとした。自分の仕事だから。
けれど、『妾は思考回路は正常じゃ。日常生活に支障はない』と、言われてしまう。
日向先生にも言われたことがある。
要介護者に身の回りのこととかを自分でしてもらうと、自尊心を充たすことができるんだ。
小さな達成感は病気に立ち向かう気力をも生み出すことがある。
だから、できることはできるだけしてもらえ、と。
というわけで、美紅ちゃんに任せていたのだった。
どうやら無事に仕事をやり終えたくれたらしい。小夜さんの顔もすっきりしていた。
「罰だ。妾はテニスがしたい。汝らも付き合うのじゃ」
「うん、でも、学校のはテニス部が使ってるから。近所にしない?」
「わかった。駅前の公園にテニスコートがある。近くに豚丼の店があるのじゃ。妾が勝利した暁には所望するぞよ」
「いちおう、空いているかネットで見てみるよ」
支給されていたスマホを取り出した。例の生体情報管理アプリも入っている。かっこいい名前を使ってみたけど、胸の柔らかさを管理して意味あるんです? もちろん、僕は悪用してないよ。
テニスコートは問題なく予約できた。
美紅ちゃんは意気揚々と歩き始める。僕はじゃれついてくる小夜さんの手を取り、後を追った。
校舎を出て、テニス場に行くべく裏門へ向かう。
花壇にはチューリップが赤や黄の花を綺麗に咲かせていた。
数人の垢抜けた男子生徒が僕たちの反対側から歩いてくる。おおはしゃぎで楽しそうだ。
パリピはなじめない。けど、迷惑になるほどうるさくしなければ、文句を言うつもりはない。
「我が眷属よ。汝に妾の力を渡そうぞ」
「ん?」
「手を通して、妾の闇のオーラを汝に流し込む」
ああ。手を繋ぎたいってことか。
十日も一緒に暮らしていて、美紅ちゃん語の翻訳精度は日々向上している。
「いいよ」
僕が右手を差し出すと、ぎゅっと彼女は握ってきた。
「どうじゃ? 妾の味は」
「どうって言われても……って、小夜さん?」
後ろから小夜さんが身を寄せてきて、ふにゅん。
暴力的なブツが背中に当たり、えも言われぬ快楽を覚えたと思えば。
耳たぶがくすぐったくなる。
足を止め、振り返る。
なんと、小夜さんは僕の耳を舐めていた。しかも、豊かな双丘が僕の背中に潰されているし。
「執事さん、今日もおいしいですね。独特の食感が癖になりそう」
なにかと勘違いしてるらしい。
って、子犬にペロペロされている気もしなくはないけど。決定的な違いは、圧倒的に柔らかい膨らみです。
不意打ちだったこともあり、一気に身体中に血液が一カ所目がけて集まっていく。
思わず前屈みになった時だった――。
「なんだ、バカップルがっ!」
「ちがうだろ。彼女はガイジで有名じゃん」
「そうそう。福祉科にいる奴だと思う。去年から見かけてるし」
先ほどから騒いでいたパリピが、こっちを見て笑っている。
会話から察して小夜さんの行為をバカにしてるんだ。
下っていた血液は一気に方向転換。頭へと。
ふざけんな。おまえら、小夜さんのなにを知ってるんだ?
怒鳴りたくなる。
けれど、すんでのところで我慢した。
ロリババア病は公に公開されている病気ではない。もちろん、福祉科で奇病の研究が行われていることも。
彼らは小夜さんのことを、残念な健常者と考えているのかもしれない。
そう擁護しかけたのだが……。
彼女が動く。
「おい、ゴミよ。貴様ら」
美紅ちゃんだった。傲然と胸を張って、三人の男子高校生を見下している。
「しかも、高二のガキになってまで、他人を嘲笑するとはな。恥を知れ、恥を!」
仰々しい口調は威厳に満ちていた。
先輩たちは驚いた顔をして、後ろに下がる。
ところが、最初の一撃から時間が経つにつれ、顔が赤くなっていく。
ヤバい。三人とも体格は僕よりがっちりしている。中三にしては小柄な美紅ちゃんでは相手にならない。
「なんだと、ガキが」「こいつ、単なる中二病だぜ」「プークスクス」
先輩たちが美紅ちゃんに詰め寄る。
僕の後輩は後ずさる。砂が舞った。金髪のツインテールに木の葉が落ちる。
「くっ。こんな時に真祖になれぬとは……」
美紅ちゃんの顔が引きつり、男子生徒たちは大爆笑。
見てられなかった。
中学時代。同級生にバカにされた時のことを思い出して、胸が苦しくなる。
頭が重くなり、意識がやや遠ざかっていく。
ぼんやりとしていても、ふつふつと怒りが湧いてくる。
こうしている間にも、健常者たちは小夜さんを見て腹を抱えていた。
いい加減にしろ。
そう言いたいのに、口が震えて言葉が出てこない。
たしかに、小夜さんたちは普通の人とは違うよ。
でも、じゃあ、『普通』ってなんなの?
先輩たちは僕が考える普通を持っているのかもしれない。絶対的に自分が正しくて、少しでもレールから外れた相手を攻撃しても構わないのだろう。
はっきり言うと、あなたがたが『普通』をどう定義しようが勝手だ。
けれど、『普通』じゃなくて、苦しんでいる子を愚弄する権利は誰にもないんだよ!
「なあ、天然ちゃんよ。マジでじわるわー」「陰キャじゃなくてさー、俺らと気持ちいいことしねー」「かわいいのに頭のネジが抜けるな。下もユルいんじゃね」
タンポポに話しかける小夜さんを、奴らは小馬鹿にしている。しかも、卑猥な視線を向けて。
これ以上は無理だった。
口が動くよりも先に、拳に力が入っていた。
こんなのに会話で解決しようとしても無駄。
戦わねば。
負けてもいいから。
弱者でも抵抗できることを示したかった。
僕は彼女たちを守りたいから。
ケアラーとして。
いや、ひとりの男として。
覚悟が決まる。
左足を前に出し、半身を引いた。
右拳を武器に変換し、力を蓄えていく。
走りながら、攻撃を始めようとした――。
が。
「ユウ、落ち着いて」
羽交い締めにされた僕に、懐かしい声が投げられる。
振り返られなくてもわかった。
「ほ、穂乃花。離してよ!」
「だめっ!」
ぎゅっと背中に温もりが伝わってくる。
「僕、ここで戦わなくちゃダメなんだ」
振りほどこうとするが、幼なじみは腰を下ろし、重心を安定させる。
「ユウが一生懸命なのはわかってる」
「……穂乃花」
「あのことを後悔してるんだよね?」
なにも言えなくなった僕は足を止める。
幼なじみの声は悔しそうで、僕が背負っている枷が少しだけ軽くなった気がした。
「だから、彼女たちを必死に守ろうとしてるんでしょ」
正解だった。僕は自分勝手な理由で……。
「あたし、そんなユウが好きよ。でも」
僕のおなかに回された幼なじみの手。指先に力が入ったのか、軽く締めつけられる。
「喧嘩はダメ。ユウも、その子たちにも傷つくから」
「そうだね」
僕は拳をほどき、だらりと腕を下ろした。
力みが抜けたとたん、幼なじみの温もりがより強く感じられた。
穂乃花は僕から離れると、こっちを見ていた先輩たちに近づいていく。
「あんたたち、最低ね」
「あん、てめえはなんだ?」
茶髪で肩幅の広い先輩が幼なじみを威嚇する。
僕が間に入ろうとしたところ。
「先生に連絡しておいたけど、余裕そうね」
そう言って、幼なじみは遠くを見やる。
日向先生がいた。隣に背が高い若手教師がいる。年は近いはずなのに、親子みたいだった。
「やっべ。行くぞ」「お、おう」「待てよ」
先輩たちは慌てて走り去っていく。
「あ、ありがと。穂乃花」
「いいって、いいって」
幼なじみに礼を言うが、内心では自分が情けなくてしかたがなかった。
僕は空回りして、穂乃花に助けられて。
あの頃と同じだ。
おばあちゃんを介護していた時のことを思い出す。
「ほら、そんなに暗い顔をしないの」
顔に出ていたようだ。
「テニスするんでしょ」
「どうして、それを?」
って、美紅ちゃんがテニスラケットを持って、素振りしてたし。
「さっさと行くわよ」
穂乃花が先頭に立って、歩き始める。
僕と幼なじみのやりとりを見ていた美紅ちゃんはにやける。
僕は小夜さんと手を繋いで、ふたりの後を追いかけた。
春の空は青かった。