Phase 03 Murder of Golem

文字数 17,538文字

 僕が『ゴーレムの殺人』という小説のアイデアを思いついたのは――中学生の時だった。その頃の僕と言えば、ミステリ研究会で様々なミステリ小説を読み漁っていた。その中でも特に――京極夏彦が書く推理小説が好きだった。『姑獲鳥の夏』から始まったシリーズは溝淡社ノベルスの看板シリーズであり、当時の最新作だった『邪魅の雫』をわずか2日で読破したのは今でも誇りに思っている。――あんな分厚いノベルスを2日で読み切るなんて、当時の僕はどうかしていた。
 もちろん、この武勇伝は恵介や聡子にもネタにされていた。恵介曰く「『絡新婦の理』を読むのに1週間かかった」とのことであり、聡子にも「筋トレ?」と勘違いされたぐらいである。
 何より、国語の先生だった福代先生には――「そこまで京極夏彦が好きなら、自分で続編を書いてみたらどう?」と言われたことがある。ちょうど次作が『鵼の碑』であることが発表されていて――ファンの間では「塗仏から陰摩羅鬼まで5年かかったんだから、矢っ張りそれぐらいはかかるだろう」なんて噂されていた頃だった。――結局、実際に『鵼の碑』が発刊されたのは、『邪魅の雫』から17年が経った去年の秋だったのだけれど。
 いかにして「京極夏彦的な小説を書くか」と考えた結果――僕は「明らかに人為的なモノではない犯行」を思いついた。それは京極夏彦の小説が「妖怪の仕業による犯行を人為的なモノであると見抜いて、犯人に取り憑いていた妖怪――つまり、憑き物を落とす」という体で話を進めているところから着想を得た。――早い話が「オマージュ」である。しかし、「妖怪の仕業」だと「京極夏彦のパクリ」になってしまう。そこで考えたのが――「ゴーレム」だった。
 なぜゴーレムだったのかというと、ちょうど『ファイナルクエスト8』というRPGが流行っていたからであり、そこに登場するモンスターの1匹から選んだだけの話である。――もっとも、ゴーレムが「ユダヤ教に伝わる人造人間」だと知ったのは、小説家としてデビューしてからだったのだが。

 *

 部活の時間に、パソコンで小説を執筆していく。どうせフィルタリング機能でインターネットは濫りに使えないし、使った所で――最悪の場合、「活動停止処分」を受けてしまう可能性があったからだ。要するに、部活でインターネットを使っていいのは「学校のホームページを更新する時だけ」だったのだ。部活の名前が「広報部」だから当然だろうか。
 ある時、小説を執筆していると、副顧問の福代先生が――僕のパソコンの画面を覗き見てきた。
「卯月くん、それ――新しい小説?」
「まあ、そうですけど……」
「ちょうど良かった。卯月くん、少しお話があって……」
「お話? 一体どうしたんでしょうか?」
 僕がそう言うと、福代先生は思わぬ話を持ちかけてきた。
「実は、鈴村先生が卯月くんに対して『全国子どもシナリオコンクールに応募してみないか?』と打診してきたんです」
「なるほど。――それで、鈴村先生はどこに?」
「そうねぇ……確か、『サーバの調子が悪い』とか言ってサーバ室に入っていきました。――どうせこっそり卑猥なサイトでも見ているんでしょうけど」
「分かりました。――少し待っていてください」
 そう言って、僕はパソコン室の隣にあるサーバ室へと入っていった。――サーバ室では、広報部の顧問である鈴村先生がバナナを食べながら自前のパソコンで違法アップロードされた『スター・ウォーズ:帝国の逆襲』を見ていた。
 鈴村嘉彦(すずむらよしひこ)――豊岡第一中学校の教師であり、オタクっぽい見た目の通り、担当教科は技術である。当時は一般家庭にインターネットが普及し始めていた頃だったので、彼のような存在は珍しかったのだ。当然、パソコンに精通しているということは――無条件で広報部の顧問にもなる。――早い話が、小学校の大半を引きこもりで過ごした僕を外の世界へ引きずり出した張本人でもある。
 バナナを食べながら、鈴村先生は話す。
「絢斗くん、その様子だと――福代先生から話は聞いたみたいだな」
「はい、聞きました。――鈴村先生、『全国子どもシナリオコンクール』への応募を前向きに検討したいと思います」
「そうか。――絢斗くんならそう言うと思っていた。ただ、条件がある」
「条件?」
「それは――パソコンを使わずに書くことだ」
「そ、そうですか……」
 僕は、昔から――鉛筆が上手く持てない。かといって、シャープペンシルを持とうと思っても――矢っ張り上手く持てない。――故に、作文の課題が苦痛だったのだ。頭の中では考えていても、筆記用具で文字を書くことができない。――後に知ったのだが、それは僕が持っている障害特性の1つであり、特段珍しいことではなかったのだ。
 とはいえ、当時は「パソコンばかり使っていると馬鹿になる」と言われていたので――僕みたいなダメ人間は格好の差別の対象になっていた。故に、広報部自体も「運動も勉強も出来ない人間が行き着く先」として鼻つまみのように嫌われていた。――今から思うと、「僕以外の部員も発達障害を患っていたんじゃないか」と思う節がある。もっとも、僕が通っていた第一中学校は「吹奏楽部以外の文化部は内申点が低くなる」という都市伝説が囁かれていたので――広報部を選んだ時点で詰んでいたのだろう。
 そんな中、部活中に暇を持て余している僕を見かねた福代先生が――僕のために「ミステリ研究会」を設立してくれた。メンバーは僕と同じ1年6組の生徒であり、錦織恵介と古谷聡子の2人がメンバーになってくれた。ちなみに、2人の本来の部活は――恵介が男子陸上部で、聡子が女子バスケットボール部だった。

 *

 僕が一番青春をエンジョイしていたのは――多分、中学2年生の頃だっただろうか。部活では部長を務め、ミステリ研究会では常に何らかのミステリ小説を読み漁っていた。それは京極夏彦から森博嗣、ちょっと変わり種になると――西尾維新や舞城王太郎なんてモノもあった。一方、『ゴーレムの殺人』の原稿は部活中に執筆しつつずっと温めていた。USB経由で家に持って帰ってダイナブックで編集してやろうと思ったけど、それは禁じ手だろうか。そう思いつつ、僕は青春を味わっていた。
 そして、2学期も中盤に差し掛かった頃――それは、秋の物悲しい夕暮れだったか。オレンジ色の夕焼けを背に、僕は聡子から呼び出された。
「聡子、どうしたんだ?」
 どういう訳か、彼女はモジモジとしている。
「えっと……その……こうやって絢斗くんを呼び出したのは――ちょっと話をしたいなって思って」
 モジモジとする彼女に対して、僕はハッキリと言いたいことを言った。
「――そんな、恥ずかしがらずに言ってくれたらいい」
 僕がそう言うと――彼女は、頬を赤らめながら声を出した。
「絢斗くん……好きですっ!」
 それは――所謂プロポーズだった。――というか、こんな僕を好きになっていいのか。
 後で知った話だが――このプロポーズ、恵介や福代先生、そして鈴村先生もこっそり見ていたらしい。
 聡子からのプロポーズをきっかけとして、僕の青春は更に加速していった。――流石に、一線を越えてはいけないことは分かっていたのだけれど。

 *

 3年生に進学しても、相変わらず僕の青春は輝いていた。しかし、2学期になると――部活は引退せざるを得ない。理由は、進路相談が待ち構えているからだ。当時の担任の先生からは「今の卯月くんの成績だと進学校に進学してもギリギリ」と言われていた。それなら――矢張り、養護学校の高等部に行くべきだろうか。そう思って、僕は養護学校を見学することになった。
 ところが、養護学校の高等部は――僕にとって「つまらない」の一言だった。勉強することも小学校レベルであり、名門大学への進学を目指していた僕からしてみれば――屈辱的だったのだ。
 結局「ギリギリの学力」を取って進学校へと進学した僕だったが――その後のことは言うまでもない。
 そういえば、事件の聞き込みを行うついでに恵介から聞いた話だと、鈴村先生はリタイアして悠々自適な老後を送っているとのことだったが――福代先生は第一中学校を退職したあと、行方知れずになっているとのことだった。――まあ、教師という職業は激務の元に成り立っているので、耐えきれなかったのだろう。
 そんな恵介の噂話に対して、僕はある質問をした。
「恵介、少しいいか?」
「絢斗さん、どうしましたか?」
「鈴村先生って、今はどこに住んでいるんだ?」
「そんな事言われても……あっ、『噂をすればなんとやら』ですね!」
 昔から、恵介が「噂をすればなんとやら」と言う場合――大抵はその人物からのメールやメッセージが来ていることが多い。――要するに、鈴村先生からのメッセージが彼のスマホ宛に入っていたのだ。
 僕は、恵介のスマホの画面を覗いた。
「――その様子だと、スマホにメッセージが入ってきたのか。見せてくれ」
「分かりました。えーっと……『もしかして、絢斗くんは例の殺人事件に対して首を突っ込んでいるんじゃないか』とのことです」
 矢張り、鈴村先生にも見透かされていたか。――仕方ないな。
「ああ、バレテーラだな。――そうだ、『確かに今回の事件に対して彼が解決に首を突っ込んでいるのは事実だ』と返信してくれ」
 僕の言葉に対して、恵介は鼻息を荒くしていた。
「分かっていますよっ! ――これでよし」
 恵介は、そう言いながら鈴村先生宛にメッセージを送信した。――僕よりもフリックの速度が早いじゃないか。
「助かる。――返事が来ているな」
 どうやら、メッセージに対する既読が付いて1分も経たないうちに返事が来ていたらしい。
 そして、恵介はスマホのメッセージを読み上げた。
「ふむふむ。――『これが一連の事件において重要な情報になるかどうかは分からないけど、福代先生は現在神戸で介護職の仕事に従事しているらしい』とのことです」
 なるほど。――でも、鈴村先生のメッセージは今回の事件と関係あるのだろうか? そう思いつつ、僕は恵介と学生時代の思い出話に花を咲かせていた。
「それで、高校の時は――」
「ああ、そんなこともありましたね! 覚えていますよ!」

 *

 当然だけど、この時は福代先生が神戸で殺人を犯して指名手配犯になっているなんて知らなかったし、知る由もなかった。世の中には「知らないほうが幸せだったこと」がたくさんあるけど、もしかしたら今回の事件も――そういう類の「知らないほうが幸せだったこと」なのかもしれない。多分。

 恵介が襲撃された現場――スリースターのオフィスの前には、無数のパトカーが止まっていた。
 僕は、オフィスがある2階の階段を駆け上がった。当たり前の話だけど、オフィスの入り口には規制線が張られている。こういう時、一般人なら即座に出禁となってしまうのだが――浅井刑事が僕の姿に気付いてこちらへ向かってきた。
「綾川先生、来てくれたんですね」
 彼女の言葉に対して、僕は――嘆願した。
「当たり前だ。――事件現場に入らせてくれ」
「分かっていますよ。この事件は、綾川先生じゃないと解決できないと思いますから」
 浅井刑事がそう言うと、規制線のテープを上に引っ張った。――要するに、「事件現場の中に入れ」ということだった。
 今日は日曜日なので、当然ながらスリースターは休業日である。しかし――1台だけパソコンの電源が点いている。そして、何よりも――神戸で発生した「撲殺事件」を報じた記事がデスクの上に置かれていた。
六アイで撲殺事件 令和6年2月9日 神戸新報
 昨日、神戸市東灘区の六甲アイランドで遺体が発見された。
 遺体には何かで殴られたような痕があり、兵庫県警では「何者かによる撲殺事件」として捜査を進めている。
撲殺事件 容疑者を指名手配 令和6年2月16日 神戸新報
 2月8日に発生した撲殺事件はその後も同様の手口による犯行が相次いでおり、兵庫県警では犯行時に映っていた監視カメラから神戸市西区に在住している福代加世容疑者(48)を指名手配した。福代容疑者は、現在も逃亡を続けているものと思われる。
 他にも例の撲殺事件を報じた記事は多数あったが、矢張りこの2つの記事の面積が大きかった。多分、恵介は――「仕事柄新聞のアーカイブが確実に残っている」という理由でスリースターのオフィスへと向かったのだろう。そして、福代加世と思しき人物から襲撃された。そんなところか。
 僕は、浅井刑事に――恵介の容態を聞いた。
「それで、恵介の現在の容態はどうなっているんだ?」
 浅井刑事は――俯いた顔で質問に答えた。
「一応、市民病院に搬送されましたが――意識不明の重体です。現在の生存確率は半々ぐらいでしょうか」
 生存確率は半々ぐらい。多分、そうだろうなと思っていた。そして、思っていたからこそ、僕は――恵介のことを浅井刑事に伝えた。
「なるほど。――ああ見えて、錦織恵介という人物はしぶとい。だから、多分意識を取り戻すと思う」
 僕の言葉で、浅井刑事は――輝きを取り戻した。
「綾川先生がそう言うのなら、ここはあなたの言葉を信じましょう。――あとは、『いかにして錦織恵介という人物が襲撃されたか』ですね」
 恵介を襲撃した人物は――言うまでもなかった。
「僕の話を信じるかどうかはさておき、錦織恵介を襲撃した犯人は――福代加世だ」
「福代加世!? それって、神戸で指名手配されている殺人犯ですよね!?」
「ああ、そうだ。――この新聞記事を読んでくれ」
「えーっと、『撲殺事件 容疑者を指名手配』……なるほど、神戸から逃げるとすれば――この豊岡であると判断したんですね」
「逃げるもなにも、福代加世は豊岡第一中学校で教師として働いていた。そして――担当教科は国語だ」
「国語? それって、事件と何か関係があるんですか?」
「――『ゴーレムの殺人』の犯人は、国語教師だ」
「ああ! ――福代さんはもしかして

……」
「ほぼ正解だ。――そうだ、このメッセージを読んでくれ」
 そう言って、僕は浅井刑事にスマホのメッセージを見せた。
「えーっと、『これが一連の事件において重要な情報になるかどうかは分からないけど、福代先生は現在神戸で介護職の仕事に従事しているらしい』――ですか」
「そうだ。僕の推理が正しければ、一連の殺人事件において使われた凶器は――氷だ」
「確かに、氷なら撲殺に使っても証拠は隠滅できますね。――でも、どうやって証拠を隠滅したんでしょうか?」
 浅井刑事の疑問に対して――僕は、事実を述べた。
「携帯用の酸素吸引器があるだろう? その中に――氷を入れて溶かしたんだ」
 僕の事実に対して――浅井刑事は反論する。
「でも、どうやって氷を溶かしたんでしょうか? 仮に5キロの氷で相手を撲殺したとしても、急速に氷を水に変えることは不可能ですよ?」
 浅井刑事の反論を聞いたのか――頭の中で声がした。絢乃が何かを言いたそうにしている。
「絢斗、万策尽きちゃった?」
「絢乃、こんな所で喋るなよ」
 当然だけど、浅井刑事には絢乃の声が聞こえない。――傍から見れば変質者でしかない。浅井刑事は、僕を心配そうに見つめる。
「綾川先生、どうされたんでしょうか?」
「いや、何でもない。――そうだ、トイレに行かせてくれ」
「そうですか……。――仕方ないですね。すぐに戻ってきてくださいよ?」
「分かっている」
 トイレなら、絢乃とも気軽に話ができるだろう。
 トイレへと入った所で、僕は改めて――絢乃と話をした。
「絢乃、急にどうしたんだ」
「なんとなく、刑事さんと話してる絢斗が万策尽きたんじゃないかって思って」
「そうだ。酸素吸引器で大量の水を飲ませたところまでは思いついたんだが、肝心の『氷を急速に水へと変える方法』は思いつかなかった。ここは――絢乃の知識が欲しい」
「うーん、そんな事言われてもなぁ……あっ、そうだ。氷って、ある程度の気温だと急激に溶けるのよね」
「ある程度の気温?」
「よく考えてみなさいよ。今は冬だけど――多分、笠原興業の社屋って、ガンガンに暖房が効いてるはずよ」
「――そうか。暖房なら、1時間もあれば氷は溶け出して水になるな」
 絢乃は――そこで「死に至る魔術」を話した。
「仮に、社長室のエアコンの設定温度を30度の暖房にする。当たり前の話だけど、氷で殴られた笠原玄次は――そこで意識を取り戻すかもしれない。でも、ガンガンに効いた暖房で――氷は水へと変わる。そこで出てくるのが酸素吸引器よ。酸素吸引器の中に水を入れて、チューブでそれを送り出す。すると、急激な水の侵入によって――水のない溺死体が完成するわ」
 矢張り、一連の殺人事件は撲殺ではなく溺死だったのか。――多分、絢乃の言うことが正しいのだろう。そう思った僕は、絢乃に感謝した。
「絢乃、ありがとう。――君が頭の中にいなければ、僕は事件の解決へと導けなかったかもしれない」
「えへへ、絢斗がそう言うと――人格を覚醒させたくなっちゃうわね」
「やめてくれ。――絢乃の場合、何をしでかすか分からない」
「そう? そっかぁ……。じゃあ、仕方ないわね。私は事件の顛末を最後まで見守るつもりだけど、ここから先は絢斗の人格に任せたわよ?」
 そう言って、「頭の中のホムンクルス」は喋るのをやめた。

 *

 トイレから出ると、浅井刑事が今か今かと待ち構えていた。
「綾川先生、いくらトイレに籠もると言っても長すぎますよ。大きなモノを出すのに10分もかかるんですか?」
 浅井刑事がそう言ったので、僕は――嘘を吐いた。
「そうだ。――腹の具合が悪いから仕方ない」
「そうですか……」
 どうせこんな嘘もすぐに見透かされるだろう。でも、咄嗟に出た嘘が「腹の具合」だった。とはいえ、僕はすぐにお腹を壊してしまうのであながち嘘でもないのだけれど。
 改めて襲撃現場に戻ると、監察医が来ていた。監察医は、浅井刑事に話をする。
「樋口監察医、お疲れ様です。何かあったのでしょうか?」
「春奈ちゃん、ちょっと聞いてくれる? 多分、捜査一課は一連の事件を『撲殺』だと判断したんだろうけど――実際の死因はそうじゃなかったわ?」
「そうなんですか? それで、実際の死因って一体何なのでしょうか?」
 監察医は、本当の死因を浅井刑事へと伝えた。
「――溺死よ」
「で、溺死……?」
「そう。溺死。で・き・し」
 僕も、その会話に加わった。
「――そうだ。溺死で間違いない」
 当たり前の話だけど、監察医は僕を警戒している。
「アンタ、誰よ? 見ない顔ね」
 そう言われたのなら、仕方ない。名前を名乗るか。
 僕は、自分の名前を監察医に名乗ることにした。
「僕は――卯月絢斗だ。職業は小説家で、今回の事件は自分が書いた『ゴーレムの殺人』と手口が似ているということで兵庫県警から協力を仰がれている」
「へぇ。面白いわね。私の名前は――樋口乃絵(ひぐちのえ)よ。兵庫県警直属の監察医として働いているわ。今度ともよろしく」
 樋口乃絵と名乗った監察医は、事件現場で煙草を吸いながら話を続けた。――というか、ここは禁煙だろう。
「それで、絢斗くん――自分の小説とまったく同じ手口で殺人が行われているというのは本当なの?」
「ああ、本当だ。僕は『ゴーレムの殺人』の中でゴーレムの犯行に見せかけるために凶器として5キログラムの氷を使用した。そして、氷は――相手の口に含ませた。ただ、氷を被害者の口に含ませた方法が小説と異なる」
「そうなの?」
「僕が『ゴーレムの殺人』で氷を被害者の口に含ませた方法は、氷を砕く方法だった。しかし、今回の事件は――30度の気温で氷を溶かして、水に変えた。水は酸素吸引器の中に入れて――無理やり被害者の口に含ませた。だから、実質的な死因は溺死。樋口監察医、そう言いたいのだろ?」
 僕の推理は――合っていたらしい。
「その通りよ。撲殺だと思ってそのまま検死を終えるつもりだったけど、2人目の被害者である倉田翔平の遺体に対して――違和感を覚えたのよ。なんというか、腹部が膨らんでいた訳。被害者の年齢が27歳だとしても、メタボには早い。だとしたら――矢張り、『無理やり水を飲ませた』と判断した訳。それで、胃を調べたら――中から大量の水が出てきたのよ。念のために水の成分を調べたけど、特に毒性物質があるわけではなく――単純な水だったわ」
 浅井刑事が、樋口監察医の話に対して口を挟んだ。
「樋口監察医、それは本当ですか?」
「本当よ。――そうじゃないと、この殺人事件は成立しないわ」
 煙草を吸い終わったのか、樋口監察医はポケット灰皿に吸い殻を入れた。そして、話を続けた。
「もちろん、神戸で同様の事件がいくつか発生していたのは知ってたわ。だからこそ――私は指名手配犯の職業を見てピンと来たわけ」
「職業?」
「――介護職よ」
「ああ、なるほど! 介護職なら――酸素吸引器の扱いに慣れていますもんね」
「そうよ。福代加世は豊岡第一中学校を退職した後、神戸で介護職に従事していた。それは事実。でも、彼女が現在どこに逃げているかは――分からないわ」
「そうですよね。福代加世を捕まえない限り、この事件は解決しませんもんね」
 福代加世の逃亡先――僕は、なんとなく見当が付いていた。
 僕は、福代加世の逃亡先について――2人に話した。
「浅井刑事、樋口監察医、僕の話を聞いてくれ」
「分かりました」
「良いわよ?」
「福代加世は、恐らく豊岡第一中学校にいるはずだ。そして、僕の大事な友人を――殺害しようとしている。その友人の名前は――古谷聡子だ」
「――そうですか」
 浅井刑事は、そう言った後で――司令を出した。
「兵庫県警捜査一課に告ぐ! 被疑者の逃亡先は、恐らく豊岡第一中学校です! 捜査一課、及びSATは――至急、第一中学校へと向かうように!」
 司令を出した後――僕に話しかけてきた。
「綾川先生、今回の事件は――あなたがいなければ解決しなかったと思います。私たちも、至急第一中学校へと向かいましょう!」
「そうだな」
 浅井刑事の話を受けて、僕はカワサキグリーンのバイクに跨った。
「それじゃあ、第一中学校で合流しましょう」
「ああ、分かっている。――これで、事件を終わらせてやる」
「そうですね。――終わらせましょう!」
 そう言って、浅井刑事はパトカーで第一中学校へと向かっていった。僕も、バイクで同じ場所へと向かっていくことにした。
 この時期にしては、空はどんよりとした鉛色をしていた。現在時刻は午後1時前といったところか。
 全速力で幹線道路を通り抜けていく。僕が子供だった頃に比べて――空き店舗や空きテナントが多い。それだけ、豊岡というクソ田舎はオワコンになりつつあるのだろうか。というか、僕が芦屋に引っ越してからそういうことを気にしたことがなかったが、言われてみれば、オカンからのビデオチャットで「〇〇が閉店した」とか「〇〇が潰れた」と聞いていた。
 それは未知の疫病が齎した要因なのか、それとも――少子高齢化が齎した要因なのか。僕には関係ないと思いつつも、矢張り気にせざるを得ない。
 やがて、幹線道路から高架橋を抜けて中学校の前へと辿り着く。中学校付近はアパートやマンションが立ち並んでいて、昔からの家も立ち並んでいる。とはいえ、ほとんどの家に「入居者募集中」という看板が貼られているのが実情なのだけれど。
 住宅街から「卸売団地」と呼ばれる倉庫街を通り抜ける。そして、中学校の前の交差点へと差し掛かった。パトカーが「心臓破りの坂」を登っているので、僕もバイクでその坂を登っていた。
 坂を登りきると、第一中学校の校舎が見える。日曜日だから当然だけど、校舎には誰も――いる。校舎の屋上に、2人の人影が見える。僕は、玄関から階段を駆け上がって、屋上へと向かった。
「――福代先生! いい加減にしろ!」
 福代先生は――凶器で聡子を殺そうとしていた。

 聡子は、屋上を背にして怯えていた。そして、僕の姿を見るなり――か細い声で言葉を発した。
「絢斗くん……こっちへ来ないで……」
 聡子の前には、福代先生がナイフを持って聡子に襲いかかろうとしていた。
 僕は、福代先生の元に駆け寄る。そして、怒りを露わにした。
「福代先生、もうやめてくれ! こんなことをしても――誰も幸せにならない!」
 しかし、福代先生は――強気だ。
「卯月くん、私を止めに来たのね。――でも、もう無駄よ。全てを知っていた古谷さんを殺害することで、私の犯罪は完璧なモノになるのよ。そう、卯月くんが中学生だった頃から温めていて、フェレス賞受賞作として世に出た『ゴーレムの殺人』のように」
 福代先生の言葉に、僕は――言葉を失いそうになった。でも、今ここで言えることをぶちまけるように言葉を振り絞った。
「――確かに、『ゴーレムの殺人』は完璧な犯罪の元に成り立っていた。でも、完璧な犯罪が成り立ってしまうと、探偵小説としては意味がない。だからこそ――探偵役である三階堂冬彦がアリバイとトリックを崩すんだ。例えば、『ゴーレムの殺人』の場合は――『meth』と書かれた紙から指紋を採取して犯人を見破った。つまり、何が言いたいかというと――凶器として使われたモノの指紋を採取すれば、事件の犯人は一瞬で分かってしまうんだ」
 福代先生は、僕の言葉に対して――きつい口調で反論した。
「そんなこと言われても、私は『絶対に証拠が残らない凶器』として氷を使用したのよ! 当然、氷は溶けたら水になる。水になったら――指紋なんて残らないわよ!」
「いや、そこじゃない。――福代先生、第一中学校を退職した後に神戸で介護職に従事していただろ?」
「どうして、それを知っているのよ? 私はあなたに対して何も教えていないわ」
「――鈴村先生から聞いた。というか、厳密に言えば恵介から聞いた」
「錦織くんが、あなたに伝えたの?」
「そうだ。――福代先生、恵介の後頭部を殴打して意識を失わせたのは事実だな」
「そうよ。たまたまスリースターのオフィスの照明が付いていたから、もしかしたら誰かが私のことを調べているんじゃないかと思って――オフィスの中に入った。そうしたら、中に――錦織くんがいたの。私は、咄嗟の判断の末にレーザープリンタのトナーで錦織くんの後頭部を殴った。――当然、錦織くんはそのまま倒れ込んだわ」
 福代先生が恵介を襲撃したことを白状したタイミングで、浅井刑事も屋上へと上がってきた。
「あなたが、福代加世さんですね。先程、市民病院から連絡がありました。――錦織恵介さんは、意識を取り戻したようです」
 浅井刑事の言葉で、福代先生は絶句した。
「――えっ?」
 僕は、絶句する福代先生を横目に――事件の顛末を説明した。
「レーザープリンタのトナーで恵介を殴打したところまでは良かったのだが、所詮レーザープリンタのトナーで殴打したところで――一時的に意識を失うだけだ。人は殺せない」
「――そうですか」
「そうだ。まあ、僕は最初から『恵介は無事』だと思っていたけどな。アイツ、意外としぶといし」
「それじゃあ――次に殺すのは古谷さんですね!」
 福代先生は、狂気に満ちた顔で聡子の胸元にナイフを這わした。――あんなのは先生じゃない、ただの人殺しだ。
 人殺しの悪女に対して、僕は話を続けた。
「――どうして、第一中学校を退職したんだ? とても優しい先生だったのに」
 悪女は、僕の疑問に答えた。
「大変だったのよ。激務、疫病、パワハラ、セクハラ、言うことを聞かない生徒。――私が一中を退職する少し前に、優等生のいじめが引鉄になって学級崩壊を起こしてしまったのよ。学級崩壊の原因は、明らかに私の実力不足だった。――その挙げ句、PTSDになってしまった。そして、一中を依願退職することになったのよ。――どうせ、卯月くんに言っても分からないでしょうね」
 僕だって――悪女の気持ちは分かる。
「いや、気持ちは分かる。――僕も、度重なるいじめでPTSDになってしまったことがあるからな。もちろん、今はほぼ完治しているけど――たまにフラッシュバックして過呼吸に襲われたり、自傷行為への衝動に駆られたりすることがある」
「そうなのね。――だからって、それがどうしたのよ?」
 この悪魔は、話が通じない。そう思いつつも、僕は教え子の1人として言葉を発した。
「要するに、PTSDとは――上手く付き合うしかないんだ」
 その瞬間、悪魔はナイフを地面に落とした。ナイフを落とした隙を見て、刑事たちが乗り込む。
「福代加世! 殺人及び銃刀法違反の容疑で逮捕する!」
 刑事の1人がそう言った瞬間――銃声が鳴り響いた。――悪魔の手に、拳銃が握られている。
 状況を察した僕は、浅井刑事に声をかけた。
「浅井刑事、この状況で乗り込んだら――余計と犯人を刺激してしまう」
 浅井刑事は、僕の言葉に頷いた。
「分かりました。――あとは、綾川先生に任せます。いや、ここは――卯月絢斗さんでしょうか」
「当然だ。――福代先生を説得できるのは、教え子である僕しかいない」
 そう言いながら、僕は――悪魔の元に近寄った。悪魔は、銃口を上に向けた状態で2射目の銃声を鳴り響かせた。
「来ないでっ! どうせ私はここで死ぬのよっ!」
 そう言いながら、悪魔は引鉄に指をかけている。
 僕は、話しながら少しずつ悪魔と間合いを詰めていく。
「そうは言うけど、福代先生は死ねない。――その程度で死ねるなら、僕はとうの昔に死んでいる。それと――先生が学級崩壊を引き起こした原因の生徒って、もしかして――

だろ?」
「あ――あっ――」
 僕の言葉がクリティカルヒットになったのか、悪魔は言葉を失った。
 そして、僕は――声なき悪魔に対して全てを説明することにした。
「笠原玄次は、言うまでもなく笠原興業という建築会社の社長だ。それと同時に、豊岡でも有数の実業家であり、市民の間では――『笠原に足を向けて眠れない』と言われている程だ。その一方で、平成16年の水害で手抜き工事が発覚して――豊岡という街が少しずつ衰退していく原因を作ったのも事実だ。――そういうことはどうでも良くて、ここでは玄次の息子について説明していこうか。笠原玄次の息子は笠原龍玄という中学生だ。――当然だが、家が校区内にあるという理由で第一中学校に通っている。これは鈴村先生から聞いた話だが、龍玄は自分が金持ちの家系であることを良いことにいじめの常習者だった。そして――学級崩壊を起こしてしまった。それが、福代先生が担当していたクラスだった。――福代先生、それで間違いないな?」
 僕の説明に対して―――悪魔は頷いていた。
「そうよ! あいつのせいで、私は教師としての自信を無くしてしまったのよっ!」
 激昂する悪魔をよそに、僕は話を続けた。
「それで、笠原龍玄がきっかけで学級崩壊が起こってしまった第一中学校は――緊急説明会を開くことになった。当然だけど、龍玄の父親である玄次は説明会に現れる。――『笠原』という名字はそんなにありふれている訳じゃないから、当然玄次の姿を目にした生徒の親御さんはビックリしてしまう。そして――ひれ伏す。つまり、第一中学校は笠原玄次から裏金を受け取っていじめを揉み消そうとした。そうだろ?」
 僕の話は――そこで終えることにした。そして、悪魔は――僕の話に対して拍手をした。
「卯月くん、その通りよ。――よく、そこまで調べ上げたわね」
「もちろん、1人で調べ上げた訳じゃない。――僕の頭の中にいる、もう一人の人格が調べ上げた」
「もう一人の人格? そんな巫山戯たこと言わないでよっ!」
 ――どくん。
 ああ、そういうことか。
 ――どくん。どくん。
 分かっている。
 ――どくん。どくん。どくん。
 こうやって頭が脈を打つ感覚も慣れてきた。
 ――どくん。どくん。どくん。どくん。
 もう、恐れることは何もない。
 ――どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。
 ふ、ふ、ふははははははははははははははっ!

 *

 明らかに、その時の僕の人格は「卯月絢乃」に支配されていた。なんというか、「脳が何かにハッキングされる」という感覚に囚われていたかもしれない。ただ、空気を察したのか――「卯月絢乃」は、明らかに僕の言葉遣いで声を発していた。
 心臓の鼓動と同調するように脈を打つ頭を抑えながら、僕は――立ち上がった。
 当然だけど、銃口を僕の方に向けながら――悪魔は話をする。
「あら、どういうことかしら? 急に笑ったかと思えば気を失って、頭を抑えながら立ち上がる。頭痛なら、保健室で休むべきよ?」
 悪魔の挑発を――僕は蹴飛ばした。
「いや、休まなくてもいい。――ボクは、完全に復活した」
「あら、そう。――じゃあ、死んでもらおうかしら?」
「いや、ボクは死なない。――まだ、死ぬべき人間じゃないからね」
「そうですか。――それで、私はどうなるのかしら?」
 答えは、分かっていた。
「とりあえず、その拳銃を下ろしてもらおうかな。話はそれからにしてほしい」
 僕がそう言うと、悪魔はあっさりと拳銃を下ろした。
「下ろしたわよ。――話って、何よ?」
「えーっと、福代先生には初めましてかな? ボクは『卯月絢乃』って言うんだ。普段は絢斗の頭の中――要するに、脳の中に潜んでいるんだけど、彼に言わせれば、ボクは『頭の中のホムンクルス』らしい。まあ、胎児のようなモノだから当然かな? それはともかく、ボクは絢斗から伝言を受け取っている。この際ハッキリと言わせてもらうけど――福代先生、あなたの旧姓は『秦』さんでしょ?」
「ど、どうしてそれを知っているのよ!」
 動揺する悪魔に対して、僕は事実を述べた。
「第2の事件の目撃者である水嶋貴史という人物が言っていた。彼に言わせれば――『秦という名字の人間はいないが、身近な人物の旧姓は秦だ』と言っていた。それで――恵介クンにそういう情報を聞いたら『確か、福代先生の旧姓が秦である』という手がかりを得ることが出来たんだ。そして、最近『秦』という名字はユダヤ系にルーツを持つという説が出てきたんだ。――まだ、眉唾モノでしかないけど」
「そうね。確かに――私の祖父は、六芒星を信仰していたわ。普通なら五芒星なのに、どうして六芒星なのかがよく分からなかったわ。でも――よく考えると、イスラエルの国旗って六芒星よね」
「そうだ。この六芒星は別名『ダビデの星』なんて言われている。――ダビデといえば、『ゴリアテ』という巨人を倒したという伝説で知られているけど、『ゴリアテ』が訛って出来たのが『ゴーレム』なんじゃないかと言われている。――両方とも、巨躯を操るという共通点があるからね」
「確かに――そこまでは気づかなかったわ」
「ついでだから、ゴーレムの話をしよっか。――ゴーレムは『emeth』というヘブライ文字の護符で動いて、護符に書いてある『e』を消して『meth』という文字にしたら動きを止めるというんだ。『emeth』はヘブライ語で『真理』といい、『meth』はヘブライ語で『死』という。――まさかとは思うけど、福代先生は大学で聖書学を専攻していたのでは?」
 僕の言葉で、福代先生は青褪めた。――何か秘密を抱えているのか。
「そうよ。私は大学で聖書学を専攻していたわ。それの何が悪いのよ?」
「――聖書を学んでいたら、否でも応でもヘブライ語を学ぶはず。それで、綾川夏司という作家が執筆した『ゴーレムの殺人』に対して色々と思う部分があったのでは?」
「――くっ。ここからは卯月さんと2人だけで話したいわ。とりあえず、古谷さんは解放します」
 そう言って、聡子は刑事さんの元に引き渡された。
 聡子は、泣きながら浅井刑事の元に駆け寄る。
「――うっ、ううううううっ」
「そんなに泣かなくて良いんですよ。古谷さんは良く耐えましたから」
「分かっています。でも、絢斗くんが心配で……」
「大丈夫。綾川先生――いや、卯月さんはきっと福代さんを説得すると思いますよ?」
 後で聞いた話だと、浅井刑事は聡子を保護した上で――そのまま家へと返したらしい。多分、その方が正しかったのだろう。
 聡子の身元が保護されたところで、僕は――「卯月絢乃」として悪魔と話を続けた。
「それで、2人だけで話がしたいってどういうことなんですか?」
「そうねぇ。これ、卯月さんだけに伝えたいと思うんだけど、私――放っておいてももうすぐ死ぬのよ」
「もうすぐ死ぬ? まだ若いんじゃ?」
「私、PTSDと同時に――ある病気を発症していたの」
「病気? もしかしてそれって……」
「癌よ。それも、末期の胃癌。どうせ癌で死ぬぐらいなら、最後に報復してから死のうと思った。それで、綾川夏司――いや、卯月絢斗が商業で初めて出した小説である『ゴーレムの殺人』から着想を得て、笠原玄次を殺害しようと思ったわ」
「笠原玄次を殺害したのなら、もう目的は済んでいたはずなのでは?」
「そういう訳にはいかなかったのよ。――笠原玄次を殺害した時に、目撃者がいたから」
「それが――倉田翔平だったのか」
「そうよ。私は、笠原興業が建築を手掛けようとしてたネットカフェの建設予定地で倉田翔平を呼び出して、そのまま笠原玄次と同じ手口で殺害したの。――まさか、ミステリ研究会の3人が事件を追っているなんて気づかずに」
「なんか、ごめん。――恵介くんも意識を取り戻したし、福代先生が手を染めた犯罪に関する証言はこれから色々と出てくるはず。でも――とりあえず、まずは署で詳しい話をすることだ」
「そうですね。――ごめんなさい」
 福代先生が謝った瞬間、浅井刑事は彼女の腕に手錠をかけた。
 ――空には、オレンジ色の夕日が浮かんでいた。

 それからの記憶はよく覚えていない。所謂「トランス状態」だったから当然だろうか。僕が覚えていることといえば、頭が脈を打つようにどくどくと痛む中でそのまま気を失って――病院に緊急搬送されてしまったことか。
 とはいえ、恵介と違って僕は「ただの頭痛」だったので、全治半日で済んだ。どうせ病院に来たのなら、恵介の顔を見て帰ってやろうか。そう思いながら、彼が入院している病室へと向かった。
 病室には、頭に包帯を巻いた状態で恵介が小説を読んでいた。彼の手にあるのは犬のマークの溝淡社ノベルスで、分厚い背表紙には『鵼の碑』と書いてある。――京極夏彦じゃないか。
 僕は、なんとなく――恵介を脅かしてみた。
「――わっ!」
 恵介は、ビックリした顔で僕の方を二度見した。
「な、なんだぁ――絢斗さんですか。冗談もほどほどにしてくださいよぉ。蛇か鵺かと思ったじゃないですかぁ」
「そうか。――そんなつもりはなかったんだけどな」
 咳払いをしつつ、彼は事件の解決を喜んでいた。
「コホン。まあ、それはともかく――その様子だと事件は解決したみたいですね」
 真実を交えつつ、僕は胸を張って言った。
「ああ、もちろんだ。ただ――結末は悲しいことになってしまったけどな」
「僕は覚悟していましたよ? いくらマスクとフードで身を隠しても、華奢な見た目で福代先生だって分かってましたし」
「――じゃあ、なんでもっと早く言ってくれなかったんだ」
「そ、そんな余裕なんてありませんでしたし……」
「それはそうだな。――なんか、ごめん」
「別に絢斗さんが謝る必要なんてありませんよ? まあ、僕が襲撃されたのは完全な不注意ですけど。そのせいで事件も混迷を極めることになってしまいましたし……正直言って反省しています」
 矢っ張り、反省しているのか。――悪いのは僕の方なのに。でも、「僕が悪い」とは言い出せなかった。――一番悪いのは、福代先生だった訳だし。
 そんなことを思いつつ、僕はテーブルの上に置かれていたバナナを口にした。
「そうだ。りんごの皮でも剥こうか?」
「心遣いはありがたいんですけど、大丈夫です。りんごは皮ごと食べるタイプですから」
「そうか。――まあ、いいけどさ」
 それから、恵介とはしばらく事件に関する話をしていた。もちろん、「事件の被疑者が福代加世という恩師である」という真実も含めた上である。
 色んなことを話しているうちに面会時間が終わろうとしていたので、僕はそのまま変えることにした。
「次に会う時は――どうなっているんでしょうね?」
「どうだろうな。多分、退院はしていると思う」
「まあ、互いに『健康が第一』ってことで」
「そうだな。――それじゃあ、僕はこれで失礼するよ」
 そう言いながら、僕は恵介の病室から踵を返した。――後で聞いた話だったが、浅井刑事曰く『全治3日』とのことだった。軽症じゃないか。

 *

 ――そういえば、バイクを第一中学校へと置きっぱなしだったな。引き取らなければ。とはいえ、病院から第一中学校までは意外と距離がある。どうしたものか。そう思っていると――聞き馴染みのあるエンジンの鼓動が聞こえた。
「――卯月くん、君の相棒だろう?」
 この声は――鈴村先生? そう思った僕は、ヘルメットの男に対して声をかけた。
「確かに、このバイクは僕の相棒ですが……」
 僕がそう言うと、ヘルメットの男は――漸く素顔を見せた。
 ヘルメットの下には――矢張り、鈴村先生の顔があった。
 鈴村先生は、僕に向かって話す。
「卯月くんが連続殺人事件を追っているということはある人物から聞いていたが、まさか解決するとは思ってもいなかったよ。――それにしても、小説のような展開になってしまったな」
「そうですね。――全く以て僕の小説と同じ……って、なんで知っているんですか!?」
「当たり前だ。『ゴーレムの殺人』というタイトルのノベルスを手にした瞬間に卯月くんの顔が浮かんだ。『とうとう卯月くんも小説家になったのか』なんて思ったぐらいだからな。それはそうと――『綾川夏司』というペンネームはどうにかならなかったのか。綾辻行人、有栖川有栖、京極夏彦、そして――島田荘司の4人から取ったとしても、安直すぎる」
「そ、そうですか……。まあ、別に良いんですけど。それはともかく、僕にバイクを持ってきてくれたという認識で合っているんでしょうか?」
「そうだ。こう見えて、私はバイクの免許を所持しているからね。ナンバープレートに『芦屋市』って書いてあるのを見て、『これは卯月くんに届けないと!』と思ったんだ。――間違ってなかったみたいだが」
「そうですね。――ありがとうございます。それじゃあ、僕はこれで失礼します」
「幸運を祈っておるぞ。それと――杉本先生も卯月くんのことを心配していたぞ」
「――ゲッ」
 杉本政志(すぎもとまさし)――ある意味僕の天敵であり、担当教科は英語。そして――進路相談で僕を地獄へ突き落とそうとした張本人である。とはいえ、普段の杉本先生は優しい。厳しくなるのは学校で風紀が乱れそうになった時と進路相談の時と部活中の時だけである。顧問は――女子バスケットボール部を担当している。
 まあ、僕は別に杉本先生を嫌っていた訳じゃないのだけれど――どういう訳か、進路相談で厳しく言われてしまったのがトラウマになっている。とはいえ、多分――ミステリ研究会のこととか、広報部のこととかは知っているだろう。――もしかして、鈴村先生が言っていた「ある人物」って、杉本先生だったのだろうか……。――いや、今はそんなことを考えている暇はない。とりあえず、家に帰ろう。
 ――多分、オカンは首を長くして待っているはずだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み