2. 〝狼たちの午後〟

文字数 2,171文字

「もうすぐだ」

 運転席との仕切り窓が開いた。

「遠吠え、聴こえるだろ?このあたりだとニエモツノコの群れかな?」

 スマートフォンの動画を消して顔を上げる。

「タブレットに映ってると思うけど、次の交差点を左折したら現場だ。大丈夫?準備はいい?」
 窓の横に据え付けられた液晶画面の地図を見ながら無言で頷く。視線の先の小窓の景色が右に流れる。サイレンの音はひときわ大きくなり、視界に何台もの緊急車両が映った。バリケードの一部を開放した制服姿の警官が両手を上下に振る。

「『そのまままっすぐ入れ』って指示だ」

 別の警官が背中を向け、緊急車両の群れの中心へと急ぐ。そして、内側のバリケード手前に位置するワンボックスの扉をノックした。女が顔を出す。
「失礼します。田村(たむら)警部は?」
「電話中ですけど」
 彼女が後ろを見やる。奥に立つ男が、いくつかのモニターを背に携帯電話に怒鳴っている。
「何でログを取り寄せるのにそんなに時間がかかるんだよ?二週間前の話だよ?そんなにかかるんだったら、そもそもログを残す意味がないだろうが。というか、ホントに記録取ってんの?」
「あ、あの、田村さん、すみません」
 女の問い掛けに男が通話口を手で塞いで振り返る。警官が一礼してから言う。
「狼が届きました」
(ともえ)。悪いが受領のサインしてきてくれ」
「え、ええと」
「巴警部補、ご案内します。こちらへ」
 携帯電話を耳にあてて通話に戻った男を尻目に、警官が巴を促した。慌ててその後を追う彼女の視線の先に、紅白模様の軽トラックがこちらを向いて停まっている。
「赤帽?」
「納品の確認をお願いします」
 警官について車の後ろに回ると、作業着姿の男が幌に手を掛けて待機していた。
「ごくろうさん。巴警部補だ」
「ありがとうございます。赤帽です」
「県警の巴です」
「お待たせしました。大変失礼ですが、身分証を拝見できますでしょうか?ご指定の方にしかお渡しできないことになっているものですから」
「あ、ええ、はい」と巴が警察手帳を内ポケットから取り出し、開く。
「確認させていただきました。ありがとうございます」

 運転手は一礼してから、トラックの幌のカーテンを一気に開ける。薄暗い荷台から飛び出した影がアスファルトの上に降り立った。濃緑色のマントとフード。半透明のゴーグルとマスクで顔はほぼ全て覆われている。
「それでは伝票にサインをお願いします」

「人間を? 荷台で? 納品?」
「荷物です」と警官が答える。
「これは県警が発注した荷物です」

 巴は深呼吸してから頷いた。伝票にペンを走らせながら横目で見る。それは現場の方向を向きながら、金属片でできた左手のグローブを開いたり閉じたりしている。
「ありがとうございます」
 巴が伝票を返すと、運転手が再度礼を言った。そして運転席のドアに手をかけ、それを一瞥する。それも顔を上げて運転手の方をみやるが、すぐに現場へと視線を戻す。
「お願いします」
 運転手は早口の言葉を残し、ドアを閉め、エンジンをかけた。巴を案内してきた警官の指示で後方のバリケードが開かれる。後退した軽貨物車はバリケードの外に出ると、そこで切り返し、車の向きを変えた。

 視線を切ろうとした巴が、視界の端に移った車のドアを二度見する。
「赤帽、モエモエ急便?」
「巴警部補。急いでください」
 背後から呼ばれる声に慌てて振り返る。警官と〝それは〟、既にバリケードの奥の方へと向かっている。
「あ、はい」
 巴が慌ててその後を追う。警官は回り道をしならがワゴン車まで〝それ〟を導いた。そして扉をノックすると、ちょうど電話を終えた田村が顔を出す。彼は警官に小さく頷き、それに向かって手招きをした。それがワゴン車に乗り込み、警官は敬礼してから持ち場へと戻って行く。呆然と見ている巴に、田村が「何をしている。君も来い」と声をかけた。急いで乗り込み、扉を閉めると、田村がそれに、車内に据え付けられた数台のモニターのうちの一つを示した。

「事件発生は十二時一分。信州銀行浅麓(せんろく)支店で、昼の混雑時に覆面をして武装した七人がなだれこんだ。七人は窓口の職員を銃で脅し、用意していた袋に金を詰めさせた。しかし、偶然近くを巡回していたと思われる制服警官が異変に気付き、威嚇射撃。行内にいた客のうち三人を脱出させることに成功したが、その後銃撃戦となり、警官は被弾し、倒れた。犯人グループはシャッターを閉めて行内に立てこもった。これらは全て、破壊される前の銀行内の監視カメラによる映像と、その後解放された赤子連れの若い母親の証言に基づく情報だ」
 それはじっと立ったまま聞いている。
「警官が犯人グループを抑えている間に、解放された人たちがそれぞれ通報。約五分後にパトカーが一台到着。一分遅れて二台目。倒れた警官のおかげで犯人グループは逃走する機会を失ったことになる。そしてその後、現在まで、三十分以上膠着状態が続いている。『ネクローシス』か『ガウス』を発注したが、『ネクローシス』は別の現場に行っているらしい」
 そこで初めて、田村がそれを見た。
「いや、君が来てくれて助かった」
 そしてその肩に手を置いた。
「解錠」
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登場人物紹介

絵馬深夜(えましんや)

公立雨月学園御代田中等教育学校高等部一年生


野宮萌(ののみやもゆ)

深夜の同級生で、野宮伝の妹。

景清(かげきよ)

公立雨月学園御代田中等教育学校高等部三年生。

八島(やしま)

公立雨月学園御代田中等教育学校高等部三年生。

新聞編集営業配達部部長。

呉服(くれは)

公立雨月学園御代田中等教育学校高等部三年生。

新聞編集営業配達部副部長。


砧(きぬた)

公立雨月学園御代田中等教育学校高等部三年生。

田村(たむら)

長野県警の刑事(警部)。

ノンキャリア。

長野県警の刑事(警部補)。

キャリア。

雨月一陽(うげついちよう)

公立雨月学園御代田中等教育学校校長。

〝Es ist Kain!〟の著者。

安宅(あたか)

公立雨月学園御代田中等教育学校教頭。

水無瀬微笑(みなせほほえみ)

公立雨月学園御代田中等教育学校中等部二年生。

厨二病。

野宮伝(ののみやつたう)

赤帽ドライバー。

萌の兄。

雨月一陽とは同窓生。

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