薔薇の花束

文字数 1,322文字

桜。秋と付き合う前、一緒に桜を見に行った。秋と同じ店で働く早苗(さな)ちゃんと三人。宅配ピザ屋でピザを二枚買って、いくつかのお菓子や缶ビールやチューハイを買い込んで。
私の勤める店の隣に、まだ秋が勤務していた頃。出会ってしばらくしてからのこと。
そこは大型商業施設なので休憩室が一緒だった。それぞれと少しずつ話すようになって、よく三人でお昼を食べるようになった。早苗ちゃんは私の三つ年下でよく笑う小柄な子。私のことを香さんと呼んで、ちょっとしたプレゼントをよくくれた。小さなリボンのついたバレッタとかコアラのキーホルダーとか。早苗ちゃんは秋が好きなようだった。秋が違う店舗に移動する時、早苗ちゃんもまた別な店舗に移動してしまった。
最後に会った時、最近結婚したばかりの人と付き合い始めたと言っていた。私は特別なことが言えなかった。あれからどうしているのだろう。

今日は早めに帰れる。花見のことを思い出して桜味を口にしたいと思った。いろんな店で桜味が出る季節。帰りに優弥くんの店に行こう。もう桜ラテを出していると聞いた。明日は秋と休みが同じ。一日一緒に居られると思うと嬉しくなる。
優弥くんの店はパン屋だ。外観はパン屋とは思えない無機質な感じの。それとは別にパンビストロを経営している。
電車を降りて少し歩いたところで声をかけられた。
「香ちゃん?もしかして店来てくれるの?」
まだ少し寒い季節なのに膝上のショートパンツ。変わらず個性的。奥さんのことが大好きでそれでもたくさんの女の子と遊んでいる。見かけによらず人見知りで憎めない人。
「そう。元気そうだね。桜ラテ飲みたくて。この時間に会えると思わなかったよ。昼間は店任せてるでしょ」
「今日はちょっと買い出しもあったから。まだ起きてる。眠いけど。ラテ入れてあげるよ」
パンは残り少なくなっていたけれど思っていたより残っていた。ライ麦食パンにクロワッサンダマンド、クイニーアマンを選ぶ。フランスパンは売り切れていた。
「やっぱりこの時間フランスパンはないよね」
「フランスパンあるよ。明日オープンサンドにしようと思ってたやつが。持って帰ってよ」
「いいの?使うならいいよ?」
「何本かあるから大丈夫。ラテどうぞ」
桜の香り。この店はパンと一緒にコーヒーとラテを数種類飲むことができる。席はテラスのみだけれど。ラテを一口飲むと桜味が広がった。
「チーズフォンデュにしようと思ってたから嬉しい」
「いいね。明日夕方からビストロでイベントあって、秋手伝ってくれるみたいなんだけど、あいつ明日休み?」
二口目の桜味は一口目のそれとは違うものになった。味気ない薄ぼんやりしたものに。

じゃがいも、ブロッコリー、蓮根、ウィンナー、ミックスチーズを買って、パンの袋を抱えて家に着く。秋からの連絡が届く。
明日ミーティングになった。ごめんね
隣のおばあちゃんの庭に様々な花が咲き始めている。親切で笑顔の可愛い伊代子(いよこ)さん。私が住み始めて間もない頃に薔薇の花束をくれた。棘を少し取ってくれていて包装紙で簡単に包まれた両手いっぱいの薔薇達。あの時花に元気をもらえることを知った。今すぐ買いに行こう。冷蔵庫に買ったものを入れてから。元気をもらう為、小さな花束を自分の為に。
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