第6章「動詞について:人称・時制って何?」
文字数 1,418文字
さあ、始まりましたPart 2、動詞祭り!
今回のテーマは「人称[にんしょう]と時制[じせい]」です。キラーン☆
(NHK BSプレミアム「ヒューマニエンス」ナビゲーターの織田裕二さん風に)
↑ヒツジが最近はまっている科学エンタメ番組
今回のテーマは「人称[にんしょう]と時制[じせい]」です。キラーン☆
(NHK BSプレミアム「ヒューマニエンス」ナビゲーターの織田裕二さん風に)
↑ヒツジが最近はまっている科学エンタメ番組
今回から、練習問題がさらにハードに!
ヒツジもドキドキ(^^;
書いてみるのに時間がかかると思うので、Part 2はゆっくり進みたいと思いますー。
↑自分のための時間かせぎです(^^ゞ
ヒツジもドキドキ(^^;
書いてみるのに時間がかかると思うので、Part 2はゆっくり進みたいと思いますー。
↑自分のための時間かせぎです(^^ゞ
またベースが英文法の話で……
日本語といろいろ違うから、そのまま応用はできないデス。
日本語といろいろ違うから、そのまま応用はできないデス。
でももちろん、ちょっとの工夫で、めちゃくちゃ使えるようになります。
とりあえず、ポイントささっとまとめちゃいましょう!
それにね、この章、最後に待っている練習問題がすーっごく面白いんです。
どうか皆さま、チャンネル、じゃなかったページはそのままで!
とりあえず、ポイントささっとまとめちゃいましょう!
それにね、この章、最後に待っている練習問題がすーっごく面白いんです。
どうか皆さま、チャンネル、じゃなかったページはそのままで!
言語において、
動詞とは、何かするもので、
動詞の人称とは、それを誰がするか、(固有名詞または代名詞)
動詞の時制とは、それをいつするか、
です。
(『ル=グウィンの小説教室』第6章より。強調はヒツジによります。以下同じ)
動詞とは、何かするもので、
動詞の人称とは、それを誰がするか、(固有名詞または代名詞)
動詞の時制とは、それをいつするか、
です。
(『ル=グウィンの小説教室』第6章より。強調はヒツジによります。以下同じ)
わっかりやすーい!!
念のためおさらいbyヒツジです。
固有名詞は、「寅蔵」「マリアンヌ」などの個別の名前。
代名詞は、「彼」「俺」「それがし」「そこもと」など、名前の代わりに使う呼び名です。
固有名詞は、「寅蔵」「マリアンヌ」などの個別の名前。
代名詞は、「彼」「俺」「それがし」「そこもと」など、名前の代わりに使う呼び名です。
ここから「人称」の話。
小説を書くときに使える「人称」は、
・一人称単数形 (I) ※日本語では「私」「余」「吾輩」などなど
・三人称単数形 (she, he) ※「彼女」「彼」などなど
・(そんなに使われないけれど)一人称複数形 (we) ※「われわれ」「うちら」などなど
・(そんなに使われないけれど)三人称複数形 (they) ※「彼ら」などなど
小説の語りが二人称単数・複数のyou(あなた/あなたがた)で書かれることは、ふつうありません(あたりまえ)。
「二人称で小説書いた人っていままで誰もいないよね、私が初めてだよね!」と思いこんで書いちゃう人が、ときどきいますけどね。
(同書同章)
・一人称単数形 (I) ※日本語では「私」「余」「吾輩」などなど
・三人称単数形 (she, he) ※「彼女」「彼」などなど
・(そんなに使われないけれど)一人称複数形 (we) ※「われわれ」「うちら」などなど
・(そんなに使われないけれど)三人称複数形 (they) ※「彼ら」などなど
小説の語りが二人称単数・複数のyou(あなた/あなたがた)で書かれることは、ふつうありません(あたりまえ)。
「二人称で小説書いた人っていままで誰もいないよね、私が初めてだよね!」と思いこんで書いちゃう人が、ときどきいますけどね。
(同書同章)
ル=グウィンさんこのあたり絶好調で、わりとずっとこんな感じで、いたずらっぽく笑っているお顔が目に浮かぶような語り口です。
笑笑
このあといきなり、文学史の総括をしてくれて、ほんとに自由自在な語り口なんだなー。
ヒツジ、まとめちゃいます。
・「ものを書く」というのは古来、圧倒的に「三人称」でなされてきました。
・「一人称」は、偉い人の日記や手紙などで使われてきました。
・そこから「書簡体小説」(手紙の形をとったフィクション)が生まれました。もちろん「一人称」の語りになります。
・十八世紀以降は「一人称」で小説を書くのがごくふつうになって、いまではみんなとくに不思議とも思っていません。でも、よく考えたら「一人称」の語りってとっても不自然で人工的。この「私」って言ってる人、誰?ってことです。作者でもないし、読者でもない。
(同書同章。本文をちょこちょこカットしてつないでます)
・「ものを書く」というのは古来、圧倒的に「三人称」でなされてきました。
・「一人称」は、偉い人の日記や手紙などで使われてきました。
・そこから「書簡体小説」(手紙の形をとったフィクション)が生まれました。もちろん「一人称」の語りになります。
・十八世紀以降は「一人称」で小説を書くのがごくふつうになって、いまではみんなとくに不思議とも思っていません。でも、よく考えたら「一人称」の語りってとっても不自然で人工的。この「私」って言ってる人、誰?ってことです。作者でもないし、読者でもない。
(同書同章。本文をちょこちょこカットしてつないでます)
じつはですね、この次の章(第7章)で、この「一人称」「三人称」の話をより深く掘り下げていくことになるんです。
だから、この章のここまでは、ハイライトを並べた予告編、みたいな感じです。
だから、この章のここまでは、ハイライトを並べた予告編、みたいな感じです。
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