『天才WEB作家猫になる』(短編小説/アシェラ著)
文字数 2,089文字
関西の石橋は博学にして才能豊かな人物であった。平成の終わり。若くして市議会議員となったが、自尊心の塊であり、「こんな阿呆どもに囲まれて仕事なんかできるか。天才仕事せずだ!」とばかりに辞職し、以降はひたすら小説家になろうで小説を書いた。しかしなかなか人気が出ない。評価ポイントも増えない。生活が苦しくなる。評価ポイントが増えたところで生活は好転しないが、高評価であれば書籍化待った無しと考えていた。別にもともと美少年と言うわけでもなかったが、やつれて貧相な顔立ちとなっていた。生きるために仕方なくコンビニバイトを始めるが、エリアマネージャーは高校時代バカにしていたクラスメイト。いい加減辛抱たまらんくなった石橋は何か訳の分からぬことを叫びつつそのまま五月山に向かって駆け出した。彼は二度と戻って来なかった。特に誰も気にかけていなかったので、捜索もされなかった。
翌年、ウォーターサーバー押し売りの能勢と言う者、社長命令で五月山近辺の住民にウォーターサーバーを売り歩いていた。その時出会った老婆が言うには、これから先におねだり猫が現れるから気をつけろ。おねだり猫にかかれば、いくらでも散財してしまうのだ。能勢は猫なんかが怖くて水が売れるかと気にせず進んだ。すると果たして一匹の猛虎、ではなくトラ猫が公園の草むらから躍り出た。トラ猫はあわやおねだりのポーズをするかに見えたが、たちまち身を翻して電柱の影に隠れた。電柱の後ろから尻尾をフリフリ「危ないところだった」と繰り返し呟くのが聞こえた。その声に能勢は聞き覚えがあった。
「その声。ひょっとして石橋くん?」
「ちゃうで。ブリジストンやで」
「やっぱり石橋くんやないか!」
二人はかつて高校の文化祭で漫才をやり、滑りまくった過去を背負って生きている。電柱の後ろからしばらく返事が無かった。シクシク泣き声がしたあと、低い声が答えた。「いかにも。自分は関西の石橋である」と。すかさず能勢は「関西とか広すぎやろ」と突っ込みを入れた。能勢はウォーターサーバーを下ろし(なんとサンプルを担いで売り歩いていたのだ)、電柱に近づいて話しかけた。
「なんでそんなとこに隠れとるん」
「自分は今や異形のものと成り果てた。おめおめと友人の前に姿をさらせようか」
「いやいや、異形とかそんなかっこよくないで。猫やん」
「まあ、猫なんやけど、さ」
後で考えれば不思議ではあるが、その時の能勢は猫とおしゃべりすると言う異常事態を別段変には思わなかった。商品の水を二人で飲み、昔話に興じた。能勢はこんなこともあろうかと猫用の皿を用意していた。そして石橋は自分がいかにして猫になったかを語った。
「なんか知らんけど、猫になっててん」
「もうちょっとなんか言えや」
「まあ、なんか知らんけど、誰かに呼ばれた気がしてな。無我夢中で走ってるとすっごい楽しくなってきてん。そんで気がついたら身体中モコモコになってるやろ。せやから、ああこれは夢なんやなって。でもだんだん夢でもないって分かってきて、うろちょろするネズミを見かけて、ああこれはあかんやつやってなって……。気がついたらお腹いっぱいになっとったわ。今でも人間らしく小難しいこと考えられるんやで。燃やすゴミの収集を週2日やなくて3日にすべきやないか、とか、市議会議員やってた時もそれで議会が紛糾したしな。でも最近は猫になることの方が多くなってきてん。人間の時に、なんで自分は前まで人間やってたんやろ、なんて考えるようになったらもう終いや。わいの夢はなろうで一旗揚げることやった。せや! わいの新作、書き留めてくれへんか」
能勢は頷くとiPhoneの録音機能を起動した。そのまま文字起こしのできる優れものだ。石橋は物語を紡ぎ始めた。なるほど、一旗あげようと思うだけのことはある。非凡さを思わせる物語である。作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは第一流の作品となるのには、どこか欠けるところがあるのではないか。
「なんでこんなことになったんやろ。分からんけど、なんとなくこう言うことなんかなあって思うねん。ほら自分、天才やろ。せやから周りのこと阿呆や思てんねん。なろうでもせっせと小説書いてたんやけどな。絶対に自分よりレベルの低い人間とは関わらんとこってしとってん。でもそんな奴の小説なんか誰も読んでくれへんよな。上手下手の問題ちゃうねん。そもそも読まれる土台に立ってへんかったんや。でも内心はめっちゃ人から評価されたかってん。承認欲求半端ないねん。そんな感情がわいを猫にしてもうたんやな。だってわいより全然文章の下手くそな連中が、わいよりもずっと凄い成果を出してるんやで。そんなん。猫になるしかないやん」
しばらくグダグダと続く石橋の愚痴を聞き、能勢は会社に帰って辞表を叩きつけた。それからiPhoneに記録した小説を、小説家になろうに投稿した。一ヶ月で、評価ポイントは20もつかなかったが、能勢はまあこんなものかと思った。家の外でにゃーと鳴く声がする。
翌年、ウォーターサーバー押し売りの能勢と言う者、社長命令で五月山近辺の住民にウォーターサーバーを売り歩いていた。その時出会った老婆が言うには、これから先におねだり猫が現れるから気をつけろ。おねだり猫にかかれば、いくらでも散財してしまうのだ。能勢は猫なんかが怖くて水が売れるかと気にせず進んだ。すると果たして一匹の猛虎、ではなくトラ猫が公園の草むらから躍り出た。トラ猫はあわやおねだりのポーズをするかに見えたが、たちまち身を翻して電柱の影に隠れた。電柱の後ろから尻尾をフリフリ「危ないところだった」と繰り返し呟くのが聞こえた。その声に能勢は聞き覚えがあった。
「その声。ひょっとして石橋くん?」
「ちゃうで。ブリジストンやで」
「やっぱり石橋くんやないか!」
二人はかつて高校の文化祭で漫才をやり、滑りまくった過去を背負って生きている。電柱の後ろからしばらく返事が無かった。シクシク泣き声がしたあと、低い声が答えた。「いかにも。自分は関西の石橋である」と。すかさず能勢は「関西とか広すぎやろ」と突っ込みを入れた。能勢はウォーターサーバーを下ろし(なんとサンプルを担いで売り歩いていたのだ)、電柱に近づいて話しかけた。
「なんでそんなとこに隠れとるん」
「自分は今や異形のものと成り果てた。おめおめと友人の前に姿をさらせようか」
「いやいや、異形とかそんなかっこよくないで。猫やん」
「まあ、猫なんやけど、さ」
後で考えれば不思議ではあるが、その時の能勢は猫とおしゃべりすると言う異常事態を別段変には思わなかった。商品の水を二人で飲み、昔話に興じた。能勢はこんなこともあろうかと猫用の皿を用意していた。そして石橋は自分がいかにして猫になったかを語った。
「なんか知らんけど、猫になっててん」
「もうちょっとなんか言えや」
「まあ、なんか知らんけど、誰かに呼ばれた気がしてな。無我夢中で走ってるとすっごい楽しくなってきてん。そんで気がついたら身体中モコモコになってるやろ。せやから、ああこれは夢なんやなって。でもだんだん夢でもないって分かってきて、うろちょろするネズミを見かけて、ああこれはあかんやつやってなって……。気がついたらお腹いっぱいになっとったわ。今でも人間らしく小難しいこと考えられるんやで。燃やすゴミの収集を週2日やなくて3日にすべきやないか、とか、市議会議員やってた時もそれで議会が紛糾したしな。でも最近は猫になることの方が多くなってきてん。人間の時に、なんで自分は前まで人間やってたんやろ、なんて考えるようになったらもう終いや。わいの夢はなろうで一旗揚げることやった。せや! わいの新作、書き留めてくれへんか」
能勢は頷くとiPhoneの録音機能を起動した。そのまま文字起こしのできる優れものだ。石橋は物語を紡ぎ始めた。なるほど、一旗あげようと思うだけのことはある。非凡さを思わせる物語である。作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは第一流の作品となるのには、どこか欠けるところがあるのではないか。
「なんでこんなことになったんやろ。分からんけど、なんとなくこう言うことなんかなあって思うねん。ほら自分、天才やろ。せやから周りのこと阿呆や思てんねん。なろうでもせっせと小説書いてたんやけどな。絶対に自分よりレベルの低い人間とは関わらんとこってしとってん。でもそんな奴の小説なんか誰も読んでくれへんよな。上手下手の問題ちゃうねん。そもそも読まれる土台に立ってへんかったんや。でも内心はめっちゃ人から評価されたかってん。承認欲求半端ないねん。そんな感情がわいを猫にしてもうたんやな。だってわいより全然文章の下手くそな連中が、わいよりもずっと凄い成果を出してるんやで。そんなん。猫になるしかないやん」
しばらくグダグダと続く石橋の愚痴を聞き、能勢は会社に帰って辞表を叩きつけた。それからiPhoneに記録した小説を、小説家になろうに投稿した。一ヶ月で、評価ポイントは20もつかなかったが、能勢はまあこんなものかと思った。家の外でにゃーと鳴く声がする。