第1話

文字数 6,894文字

「もう8月か。今年も俊(さとし)を、送り火、見に連れて行ったらなあかんな。」
 カレンダーに目をやりながら、朝彦(あさひこ)は、なんとなく億劫な気持ちでつぶやいた。
毎年8月16日に行われる、五山の送り火は、京都市民のみならず、全国によく知られた精霊送りの行事であるが、これを、自宅のある伏見稲荷からわざわざ電車に乗って見に行くのが、父子二人の恒例行事になっている。
 妻は、「もう何度も見たし。」と言って興味を示さず、下の息子は、「まだ小さいから」と連れて行くのを妻が許さないので、いつも俊だけ連れて行く。
 だが、「それも、今年で最後になるかもしれへんなあ。」と朝彦は、思う。
 かつては、夜の小冒険に大喜びしていた息子も、いつの頃からか朝彦には近寄って来なくなったし、それどころか、近頃では、敵意さえ感じさせるようになっていた。
 例えば、朝彦がいる部屋に俊が入って来る時、小さな息子から、激しい攻撃的な(憎しみと呼んで良いくらいの)オーラが発散されているのが、何も口を利かなくても分かるのだ。
 小学3年生の子供から、実の父親である自分が、なぜこんなに敵視されるのか、思い当たること が全く無い訳ではない。「あの時、怒り過ぎたかなあ。」というような後悔は多々ある。
 とは言え、息子の敵意は想定しうる範囲をはるかに越えているように思え、彼にとって、不可解かつ不愉快なものとなっていた。
 正直なところ、息子が部屋にいない方が、リラックスできるのだ。
 したがって、今年は、もう行かないということも選択肢としては、有り得る。
 だが、そんなことできるだろうか。二人の間にわずかに残った絆を自ら断ち切ることなんて。
 朝彦は、ちいさなため息をついた。
 億劫でも、やはり誘わなければならないだろう。

 食卓の上に、父が開いたままにしていた新聞に、「五山の送り火 今年は月曜日に」と題された記事が載っていて、大の字に広がった送り火の写真が白黒で掲載されているのを眼にとめて、「もうすぐ大文字の日か。」と俊は考えた。
 小さな頃(と言うのは、小学校に行く前のという意味だが)、一年で特に楽しいイベントと言えば、春は庭でのキャンプ、夏は大文字とその後の外食、そして、春と秋に祖父母の農園に行って春ならいちご狩り、秋なら芋を掘って焼き芋を頬張ることだった。
 どれも「パパ」が計画することで、その頃は、父親は最高に楽しくて最高に大好きな存在だった。
 今ではそれは、遠く幽かな記憶になって、いつしか「パパ」は鬱陶しく、重ったるい存在に変わっていたが、それでも、夏の火祭り(と彼には映った)の魅力は完全に色あせてはいなかった。もし、父が「今年も行くか?」と問うならば、もちろん、行くだろう。
 真夏の宵の闇の中、空の向こうの山肌に、いっそ冷たいとも形容できるようなしんみりとした灯火が、ポっと静かにともり、音もなく大の字に広がっていく様は、忘れがたい情景として、しっかりと心に刻み込まれていたのだ。
 だが、「パパ」は行こうと言うだろうか?最近は、ほとんど会話もなく、自分の方を見ようともしないし、いつも無表情で怒っているように見える(だから、自分も、闘争心を高めてからでないと、父と同じ空間に入って行くことさえ出来ないのだ)。もう連れて行く気はないかもしれないし、そんなこと思い出しさえしないかもしれない。
「いいや、そんなの。」
 俊は強く頷く。
 一緒にいても緊張してばかりで楽しくないし。まだ、大地君のお父さんの方がずっと身近に思える。「パパ」は遠い遠い存在になったのだ。別に悲しくはないけれど。

 夕食時、朝彦は、何度かの逡巡を乗り越えて、「今年も大文字を見に行こうかと思うんやけど。」と切り出した。ただし、それは、俊に向かってというより、妻に向かって言ったのだった。最近はいつもそうで、長男に話すことがある時は、いつも、妻の方を見て言うのだ。
「行って来たら。」と妻は、自分及び溺愛する次男坊の悠(ゆう)祐(すけ)は、行く意思がないことをしっかりと滲ませつつ、そっけなく答えを返したが、「俊も行く?」と、半ば質問、半ば命令の言い方で聞いてくれたのは、正直、ありがたかった。
 俊は、「うん。」と小さくうなずいた。
 息子の答えに、朝彦は内心喜んで、「じゃあ、行くか。」と、今度は、どちらかと言うと俊に向けて言ったが、息子からは、何も反応はなかった。
 唇をかんで、「悠祐は、どうする?」と、長男に対するような気まずさは、まだ感じていない、小学1年の次男に矛先を向けると、即座に妻から、
「あかんよ。まだ小さいし、迷子になったらどうするの?」とご託宣、あるいは横槍が入った。
 俊を初めて大文字に連れて行ったのは、まだ小学校にも入っていない時だったのだが、そんなことを指摘する気は毛頭ない。
 妻が下の子ばかり溺愛して、上の子には不当につらく当たるのは、今に始まったことではない。そのせいで、朝彦は、下の子にはあまり構うことが出来ず、上の子にだけ遊び相手になってやったり、色々と外に連れて行ってやったりもしていたのだ。小学校に入るまでの話ではあるが。

  *

 8月16日は月曜日だった。その日、朝彦は、仕事を定時退勤し、すぐ家に帰ると、着替えて一息つくのもそこそこに、俊だけを連れて、京阪電車で出町柳へやって来た。
 電車はかなりの人込みだったし、出町柳駅は人でいっぱいだった。この辺りは、送り火見物のベストスポットとされていて、鴨川と高野川が完璧なY字形を描いて合流する地点に形造られた三角州とその付近の河川敷や橋の上は、毎年、観光客で埋め尽くされるのだが、朝彦たちは、人混みとは反対の方向へと歩いてゆく。
 観光客は知らない、より真近で、遮るものもなく大文字山を真正面に見られる場所を朝彦は知っていた。
 そこへ行くには、まず今出川通を東に向かって進む。そうすると、百万遍の交差点に出る。ふつうはそのまま今出川通を東進するのだが、今日は、朝彦は、京都大学の構内に入って行った。
送り火に遠慮しているのか、照明が落とされ、薄暗い構内を歩いていくと、真ん中に時計塔がそびえる大きな建物のシルエットが浮かび上がった。
「時計台も今日はすっかり灯りを落としてるな。」
 朝彦は、いつもなら、時刻を表す十二の円が柔らかな灯りをともし、遠くからでも見ることのできる大時計を見上げた。
 かつては、京都大学の本部が置かれ、今では記念館になっているこの建物(通称「時計台」)も、今日は真っ暗である。
 息子は、何も言わなかった。
 父子は、大きなクスノキの周囲に、所々学生が群れている、時計台前の広場を通り過ぎて、正門を出ると、東の方角へ向かった。その道は、平安の昔からある吉田神社の参道で、神社は神楽岡(吉田山)と呼ばれる標高100メートル余りの小山を境内としていた。
 この小山の東面から、大文字山の山頂までは直線距離で1.5キロ程度しかなく、まさに目と鼻の先の間隔で、夜空を焦がす火文字に対面することが出来る。さらに、この山に縦横に走る遊歩道を廻れば、五山の送り火(すなわち、大文字、妙法、舟形、左大文字、鳥居)のすべてを見ることも可能だ。
 まっすぐな道は直ぐに石造りの大きな鳥居を抜けて、砂利道にかわり、少し行くと神楽岡のふもとへ出た。手水鉢のあるそこから、石段と急な舗装道が上に向かっていて、上がりきると、砂利敷きの広場に出、左手には、神社の本殿が見えた。
 広場には、いくつかの人影があったが、朝彦らが迷わず暗い木立の中の道を選んで上がって行くと、懐中電灯をつけて、後ろをついてきた。他所から来たが、どこへ行けば大文字が見られるのか分からない人たちらしかった。
 電燈もない急な坂道を息を切らせて登っていくと、ほどなく山頂に出た。そこは、遊具や砂の広場やベンチなどのある公園になっていたが、そこから、東側の木立の間を抜ける細い道筋があって、そこを通りぬけると、こじんまりとした別の神社に出た。山頂と言ってもよい位置に、山の尾根筋に細く広がったその神社は、朝彦と俊の近所に本家があるお稲荷さんをお祭りしており、本家とは比べ物にならないものの、朱塗りの鳥居がいくつも連なっていて、けっこう絵になる景なのだが、今は、人気なく静まり返っていた。
 後ろから付いて来ていた人たちは、「ここじゃないみたい。」「こっちだろう。」などと言い合って、違う道の方に引き返していった。
 朝彦は、腕時計を見て、「あと15分くらいあるな。」と言って、境内の短い石段に腰掛けた。時計は7時46分を指していた。五山の送り火は、まず東側の大文字山に8時に点火し、その後、少しずつ間をおいて、北にある妙法、舟形、西側の左大文字、鳥居へと点火されていくことは、京都に長く住んでいる朝彦は、もちろん、よく承知していた。
 俊は腰掛けようとはせず、1年ほど前からやっている空手の突きや蹴りの型を、「アチョー」などと声を発しながら、やり始めたが、それは明らかにふざけた(関西風に言えば、いちびった)動きで、何で今この時に空手なんだ、しかも、なんでブルース・リーなんだよ、と、朝彦を微妙にイラつかせた。
 座っている彼のやや左、ちょうど、大文字山の方向に、奇妙な形の小さな石の鳥居があった。ふつうの鳥居の構造に加えて、真ん中に直径2メートルほどの大きな正円型の石の輪が付いているのだ。
 鳥居の周囲には、細い藁縄で結界が作られ、余人の侵入を拒んでいた。
 鳥居の先は、すぐに生け垣が迫っていて、その向こうには大文字山の黒いシルエットがある。
 その鳥居を指さして、朝彦は、厳粛な口調で、毎年、息子に言って聞かせてきたことを繰り返した。
「いいか、俊、大文字の日には、絶対、あの輪をくぐったらあかんからな。大文字の日にあそこをくぐると、別の世界に行ってしまうんやぞ。」
 俊は、つまらなそうに「うん。」と答えた後、また、「アチョー」とやり始めた。この(鳥居の)話をすると、小さな頃は、心底から恐ろしそうにしていたのに、今では、全く信じなくなったのだろう。そう思って、朝彦はさらに腹立たしくなった。なぜなら、今言った禁忌は作り話ではなく、真実だからだ。
 もし、あの少年時代の信じがたい出来事の記憶が間違いでなければ・・・
 彼の思いは、いきなり顔面に加えられた打撃に断ち切られた。俊が振り回していた掌が、彼の眼鏡とその付近に直撃したからだった。
「なにすんじゃ、アホ。」
 朝彦は、反射的に息子の頬を叩いていた。
 俊は、ショックを露わにして立ち尽くしていたが、俄かに身を翻すと、黙ったまま、朱鳥居の続く石畳の道を、小さな体に憤怒を漲らせて、大股に歩き去って行く。
「おい、待てよ。」
 朝彦は、直前の暴力行為を後悔しながら、後を追いかけた。自分でもよくないとは思うのだが、自分の大事にしているものに、傷をつけられたりすると、ものすごく怒ってしまう。一度、傷がついてしまうと、二度と元には戻らない。そういう取り返しのつかないことをやってしまった人間(それは、自分自身であることも多々あるのだが)を許せない気持ちになってしまうのである。だが、今のシーンは、もし他人が見ていたら、虐待だと思っただろう。一体、この小さな子供が何をしたというの?といぶかるだろう。
 止まろうとしない息子に追いついて、「おい、行くぞ。道知らんやろ。」と肩に手をまわして反対方向に向きを変えさせると、俊は不服な表情はそのまま、こぶしを握り締めて、朝彦の後についてきた。 
 再び、あの奇妙な鳥居の前にやって来た。既に、大文字山に点火した、オレンジの光が、チラチラと瞬いていた。
 すると、何を思ったか、俊は、鳥居の方へ近寄って行こうとした。
「おい。あかんて言うたやろ。」
 自分でもびっくりするほど、大きく鋭い声が静かな境内に響き渡った。
 それが、逆の引き金になった。
 度重なる理不尽な叱責に、怒りが抑えられなくなった息子は、そのまま、前に走り出し、縄の結界を越えた勢いそのまま、鳥居の石の輪に飛び込んで行ったのだ。
 朝彦は、恐怖に凍りついた。声にならない叫びが、頭の中にこだまする。
「あかん、そこを越えたら。ほんまに違うところへ行ってしまうんや。」
 まだ10歳だった遠い夏、送り火の夜に、誰よりも大切に思っていたひとりの少年が、そこを越えて、違う時空へと旅立った。そして、今、大事な息子が、そこを越えて・・・見えなくなった。かき消えてしまった。
「サトシッ。サトシッ。」大声で呼びかけて、周囲を探し回る。
 単なる眼の錯覚であってくれたら。
 必死に呼ばわるその声に、「どうしました。」と初老の夫婦が声をかけてくれた。
そこは、神楽岡の東の斜面に広がる、大正時代に造成された住宅街の中の広い道だった。どうやって、そこへ来たのかも覚えていない。
 朝彦は、無駄と知りながら、それでも、懸命に、小学3年生の息子を見失い、探していることを説明した。
 夫婦は、「それは、たいへんだ。」と協力を申し出、早速「小学3年生くらいの男の子を見ませんでしたか?」と周囲の人々にも声をかけ、一緒に探してくれたが、誰も俊を見た者はいなかった。
 朝彦は胸が締め付けられ、言葉を発することが難しくなってきた。
 息子は帰らない。二度と会うことはできないのだ。そういう確信が強まってきた。
「見つからないですねえ。」
 老夫婦は、こちらを気遣いながらも、疲れを覗かせた。
「どうもすみません。せっかく送り火を見に来られたのに、お時間を取らせてしまって。」
 朝彦は、恐縮して詫びた。
「いいんですよ。」夫婦は笑顔を返し、「交番で迷子を預かってないか聞いてみたらどうでしょう?昔、子どもが花火大会の時に迷子になったんですが、交番に行ったら、色々と連絡を取ってくれて、1時間もしないうちに子供を見つけてくれましたから。」と勧めてくれた。
 既に、希望を失いつつあった朝彦だが、「そうですね。交番に行ってみます。場所は、知ってますので。」と答え、自分たちも一緒に行こうという夫婦の申し出は、丁重に断って、山を下りて、広い道に戻った。
 大文字の火は、もうだいぶ弱まって、いよいよ儚げになっていたが、眼中に入らず、焦燥を露わに(と自分でも分かった)、今出川通の坂道にある交番に駆け込んで、迷子の知らせはないかと尋ねた。
 子供の特徴を説明しても、今のところ、それくらいの年齢の男の子が保護されているという情報はない、とのことだった。
 迷子になった状況について、いろいろと質問に答えたが、奇妙な形の鳥居の輪をくぐって見えなくなったというくだりは、省略した。
 もし、子どもが見つかったら、自分の携帯電話に架けてほしい、と頼んでおいて、朝彦は交番を後にした。
 直ぐ近くに見上げる大文字山は、もうほんの僅かな消え残りの火が見えるばかりとなっていた。
 神楽岡の東側斜面を上がって行く階段を辿りながら、妻に連絡をしないといけないだろうな?と暗い気持ちで考えた。見物を終えて降りてくる人々とすれ違いながら、朝彦は、携帯電話を取り出し、妻の番号を登録してある短縮ボタンを押して、目をつぶって電話機を耳に押し付けた。
「どうしたん?」
 何のトラブルの予感も持たぬ声に対し、朝彦は、どもりながら、ことの始終を説明した。もちろん、鳥居云々のことは飛ばして。
 電話の向こう側は、嵐になった。「何やってんのよ。あなた、父親でしょう?何でちゃんと見ておいてやらへんかったん?私は、そんなもん連れて行かない方がいいって、あれだけ言ったのに。絶対に見つけてよ。ちゃんと、見つけて、連れて帰って来て。」
 最後の方は、絶叫に近いものだった。
 電話機をポケットに戻しながら、朝彦は、かつてない孤独感と無力感を覚え、虚ろな表情で山上の稲荷社までの道をたどった。
 これがただの迷子だったら、それなら、何という事はないのだ。だが、そうではない。自分は、俊が石の輪をくぐった直後に消え失せたのを、この目で見たのだから。
 錯覚である可能性はなかった。何故なら、遠い昔、まだ少年だった頃に、自分は、一人の少年が、そこをくぐり、同じように消失したのを見ていたからだ。そして、その少年とはそれから一度も会っていない。
 森の中の暗い道を通り、人気の絶えた稲荷社へ戻ってきた。
 大文字山は、既に火は絶え、静まり返っている。
 その大文字山の方向を向いた、真ん中に大きな輪を持つ石鳥居は、闇の中に、禍々しい妖気を発しているように感じられた。
「やはり、俺もここをくぐるしかないのか。」
 朝彦は、目を見開いて、鳥居を見詰めた。向こう側の世界に行ってしまった俊を見つけ出すには、他に方法はないように思えた。
 だが、そこはどこで、また、帰ってくる術はあるのか。それに、俊がいるのとは別の世界、あるいは場所、あるいは時間に行ってしまったら。
 頭の中を様々な懸念が渦を巻き、朝彦は心決めかねて、そこに立ち尽くしていた。
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