皐月・9

文字数 7,160文字

  
 十二月に入って街がクリスマスムード一色になってきた頃、それを見て「いいなあ、年末って感じするよね」とのんびり言った彰を宏志が一喝した。
「お前さ、その様子じゃ何にも考えてないだろ、クリスマス!」
「へ?」
 基本クリスマスと言うと、勿論子供の頃に両親とすごしたそれは楽しい思い出だったけれど、今となっては「おいしい食べ物やケーキが増える」「セールが増えて服や靴が安く買える」「街の雰囲気がうきうきして何となく楽しい」くらいの感覚しか持っていなかった彰はきょとんとした。そもそもキリスト教徒でもない自分が何かクリスマスについて考えなければならないことがあっただろうか?
「ああ……」
 宏志は彰の反応にがくりと肩を落とす。
「お前なあ、カップルが迎える初めてのクリスマスだぞ。それをそんな、張り合いの無いことでいいと思ってるのか」
「あ、そっちの話か」
 大学帰り、「夕飯食ってけよ」と誘われて宏志と並んで歩きながら、彰はああ、とうなずいて。
「いや、別に考えてない訳じゃないけど。プレゼントは買うよ、勿論」
「ああもう、だから何、その通常対応。いくらお前が普段テンション低いったって、人間人生で何度かはアゲてかなきゃいけない時ってあるだろ?」
「ええ、でも宏志、『成立したカップルで最も重要なのは彼女の初めての誕生日』て言ってなかったっけ? 俺あの時どれだけ頑張ったか」
「違う。いや、違わないけど、誕生日とクリスマスは同じくらい重要なの! どっちが先に来るか、てだけの話なの!」
「ええー……」
 聞いてないよそれ、と彰は両手を上げたい気分になった。五月、皐月の誕生日の前の宏志もどれだけのテンションだったか。
 そもそも宏志は皐月の誕生日は知らなくて、四月の彰のそれに「そういえば遠野さんっていつ」と聞かれて彰が答えた、その日付が既に一ヶ月を切っていたのにそれはもう激しく説教された。曰く「初めての誕生日をしくじったらその後一生言われ続ける」「プレゼントに重要なのは『自分が何をあげたいか決めること』じゃなく『相手が欲しいものが何かつきとめること』だ」とか。
 今回もその手のことを横からびしびし言ってくる宏志の声を聞き流しながら、彰は肩をすくめた。こいつの彼女こんなハードル高かったんだ、知らなかった。
 ちなみに彰の誕生日の時には、リクエストしてちょっと音質の良いヘッドホンを貰った。その時に「皐月は何か欲しいものある?」と聞いたのに、彼女は「携端のリモコン用にチタンのブレスレットが欲しい」と答えた。今使っているのは金メッキで、少しハゲてきてしまって手首がかぶれてきたから、と。
 だからそれをあげるつもりだ、と話した彰を、宏志はまた厳しく叱りつけた。「欲しいものだけあげるんだったらそれは予定調和に過ぎない、イベントに重要なのは驚きだ」「だがただ驚かすのは自己満足でしかない、相手が思ってもみない、でもツボをパーフェクトに押さえた品が必要不可欠である」と。
 それで二人がかりで考えに考えたのが「ペットに似せたぬいぐるみを作ってくれるサービス」で、頼み込んで急いで仕上げてもらった茶太そっくりのぬいぐるみをブレスレットと共にあげた時の皐月の喜びようは成程半端ではなかった。あれは内心、彰も友情に感謝したものだ。
 ……しかし中学生や高校生でそのレベルの要求に応じてたとは、我が友ながら凄い。いや、もしかして、応じられなかったからフラれたんだろうか。
 隣で熱く語る宏志を尻目に、彰はくすっと笑みをもらした。
「真面目に聞いてないだろ、御堂」
 口から盛大に白い息を吐きながら、横から宏志がヘッドロックをかましてくる。
「うわ、ちょ、やめろって……聞いてる、聞いてるよ、けどさ」
 腕をふりほどいて言い返しつつ、彰はもうこらえきれなくなって笑い出した。
「多分皐月、お前が思うよりずっと、イベント熱意、低いひとだと思うよ」
「……そんなこと、判ってる」
 腕をおろして、宏志はわずかにふてくされたような頬をしてふい、と横を向く。
「普段の遠野さん見てりゃ、それくらい判るし……それに、そういうひとでなきゃ、お前のことなんか選ばないだろ」
「言えてる」
 宏志の言葉を揶揄の方向で受け取って彰がくすっと笑うと、宏志はますます、顔をそむけた。
「……だからさ」
「え?」
「そういう、ひとだから……お前のことをちゃんと見て、中のいいところ判って選んでくれる、そういう子だから……だからすごく、大事にしたいんだよ。て、俺の彼女じゃないからそんな言い方もヘンだけど」
「…………」
 彰は足を止め、まじまじと宏志を見た。
「俺は、嬉しいんだ」
 宏志は速度を遅くしながらも、歩みは止めずに進んでいく。
「お前に大事な存在ができて、向こうもお前のこと大事に思ってくれて、それが遠野さんみたいな子で、俺は、嬉しいんだよ。だから大事にしたいんだ」
「……宏志」
 距離がだんだん開いていくのに、はっとして彰は小走りに後を追いかけて。
「だから今度のクリスマスは完璧に仕上げる!」
 横に並んだ瞬間、握り拳で宏志が熱く宣言した。
「え、えっ?」
「飯食った後、作戦会議だからな! 今日は泊まれよ!」
「ちょ、ちょっと、宏志」
 急にものすごい大股になって早足に歩く宏志に、彰は必死でついていき――やはりどうしてもこらえきれずに、口から笑いがこぼれる。
 ああ、こんなにもはっきりくっきりと、間違いようもなく、自分が幸福だ、と自覚できる瞬間が訪れるなんて、昔の自分は、思いもしなかった。
 皐月があの日、茶太の元にいる自分を思いもしなかったように。
 彼女に出逢えて良かった。
 それをもたらしてくれたそもそもの存在が宏志で、本当に……良かった。


 宏志の「作戦会議」において、サプライズの方のプレゼントは予想外にあっさりと決まった。
「普段はあんまり言わないのに、突然『欲しい』とか『気になる』とか言ってた品はなかったか」と宏志に言われて思い出したのが、急に寒さが強まった日に二人で歩いていて、大きなストールをラフに巻き付けた三十代くらいの女性とすれ違ったのに、「ああいうのいいな、あったかそうだし、でも大人っぽいし」と皐月が呟いたのを覚えていたのだ。
「御堂、ソレすごい良い。むちゃむちゃいい。よく覚えてた。お前とは思えないくらいの快心の一打だ」
 と褒めてるのか何なのかよく判らない言葉をもらったが、彰は肩の荷が下りた思いで素直に喜んだ。
 本命のプレゼントはもう普通にストレートに要望を聞くとして、デートの場所はどこにすべきか、食事をどうするか、などということにまた熱心に宏志が口をはさむ。
 無論心底有り難いと思いつつも正直食傷気味になっていた彰に、ある日皐月があっさり「プレゼントはケーキがいい」と言った。
「普段手が出ないようなちょっとお高いの。ほらウチ、親がパン屋だから。ちょっとお菓子寄りのパンとかあるじゃない、あれで自信あるのよ。だから子供の頃からクリスマスケーキは基本、親の手作りで。まあ確かに相当に気合いの入ったものつくってくれるし、美味しいんだけど、でも憧れだったんだ、有名パティシエクリスマスケーキ」と。
「成程」と納得しつつ、「あれ、でもそういうケーキって基本、店では食べない、持ち帰りだよな」と彰は思い、後で宏志に「こう言われたんだけど」と話をしてみると、宏志は本人を差し置いて激しく興奮した。
「ちょっと待て、家? 家か? いやそうすると根本的に計画を見直す必要があるんだけど!」と早口に呟いてひとり長考に突入してしまった宏志を、こりゃ駄目だ、と彰は放っておいた。
 ……でもまあ確かに、家でしか食べようがないよな。
 それから内心でちらりと自分もそう思う。
 いくら何でも、買って、渡して、「わあありがとう!」で帰宅しちゃってひとりで食べる、てことは……ないよな、多分。ない、と思いたい。
 家、か。
 そう思うと足元からじわじわと熱が上がってくるのと同時に、ついつい口元がゆるんでしまうのを感じた。正直素直に、嬉しい。
 ……やっぱりここは、宏志先輩の意見をよく聞いておこう。
 彰はいまだにひとりぶつぶつと考え込んでいる宏志の元へ、足を振り向けた。


 彰の、そして宏志のあれこれとした思惑をすっ飛ばすように、クリスマスまであとわずか、という頃、部室で大掃除をしながら皐月はやはりあっさりと、「クリスマス、ケーキもあることだしアキくんウチにおいでよ! あ、もし良かったら羽柴くんも、そうだ、ナミも誘おっか!」と言って宏志を思い切りのけぞらせた。
「いや! いやもう、それ有り得ないから! 何が楽しくてカップル初のクリスマスにお邪魔しなくちゃいけない訳⁉」と宏志は若干キレ気味に言って、ぷんぷんしながら歩き去っていく。
「ええー……今の、そんなに怒るとこ?」
 ほうきを手にしたまま、皐月は途方に暮れた顔でその背を見送って。
「うん……なんか、あるんだよ、宏志には宏志の美学が」
 こちらも半分呆れつつそちらを見やりながら、彰。しかし、そうか、そういう方向性が残っていたことをすっかり忘れていた。我ながら浮かれるにも程があったというものだ。
「何とか誘いたいんだけど、ふたり」
 彰が内心で反省していると、横から小さく、皐月が囁いて。
「ナミさ、羽柴くんのこと、いいなって、前から」
「へえ」
 続いた言葉に、彰は声を上げた。ナミ、というのは皐月を最初にサークルに誘った子で、結局同期生の中でサークルに残ったのは十人もいなかったので、同期同士は割と仲が良いのだが、そんなこととは知らなかった。
「それ、いいよ。やろうよ。俺宏志説得するから」
「ほんと?」
 皐月の顔がぱっと明るく輝いたのに、彰はじん、と喜びを感じた。うん、宏志の元の「計画」からはかけ離れているけれど、でも自分はやっぱり、この顔を見られる方がいい。
 それに宏志にも、そろそろ新しい「大事な存在」を見つけてほしい。
 ナミは皐月の大学で一番の友達だけあって、()()が良くて情に厚い、端々に目の利く女の子だった。今は舞台では準主役を張るレベルで、小柄ながらスタイルが良く可愛らしい。宏志にはもってこいだ、彰はそう思った。
「任せて」
 彰は軽く握り拳をつくって皐月に示すと、にっこりと笑った。


 とは言ったものの、結局彰が宏志を説得するのには正味時間で二日はかかった。
 やっとうなずかせた時には、互いにぐったりしていた程だ。
 けれどそうやって開催された皐月の家でのパーティはとても楽しく、妄想通りではなかったけれど初めてあがった彼女の部屋は、緑が基調のごちゃごちゃしていない気持ちの良いインテリアで、とても居心地が良かった。
 料理やお酒は各自持ち寄りで、それまでお弁当的なものをつくってもらったり手作りのお菓子をもらったことはあったけれど、いわゆる「家ご飯」は初めてでそれも嬉しい。
 数時間をたっぷり楽しんで、互いにプレゼントも渡し合って大いに喜んで――けれどどうも、皐月のもうひとつの希望の方はかなえられそうにない、彰は宏志の様子からそう判断した。
 その日は皐月の家に泊まっていく、というナミを置いて二人は家を出、宏志とも別れたところで彰は皐月に電話を入れる。
『……そっか。うん、わたしもあれは、脈無いかなあ、と思った』
 ナミが部屋にいるのか、画面の中、ユニットバスの洗面所の前でひそひそ声で皐月が言って。
『ナミの方も判ってるみたい。にしてもさ、そんないいひとだったの、羽柴くんの前の彼女って』
「さあ……中学も高校も別だから、俺殆ど彼女に会ったことないんだよ。デートしてるところに偶然ばったり、くらいで」
『一緒に遊びに行ったりしたことないの?』
「うん。そういうの、彼女が嫌がるんだって」
『それ、あんまりいいオンナ、て感じしないんだけど』
「うーん。あ、顔は可愛かったよ。宏志が言うには、自分とこの高校でよく告白されてたらしいし」
『羽柴くん、顔なの? ナミだって可愛いのに』
 ぷうっと頬をふくらませる皐月の方がずうっと可愛く思えて、彰は破顔した。
「まあどういう風に出逢って、なんでつきあいだしたか、て聞いたことないし、そういえば。何か宏志にとってはものすごくツボなところがあったんじゃない? 恋って落ちちゃうもの、てよく言うし」
『……ん』
 まだどこか不満げに鼻を鳴らしながらも皐月はうなずき、それからま、いいか、という風に軽く顎をしゃくった。
『そうそうアキくん、今日持ってきてくれたローストビーフ、すごく美味しかった。アキくん料理上手なんだね』
「ああそれ、宏志の親仕込み。高校の時から年末年始、毎回がっちり仕込まれた。おせちなんかもつくらされたよ」
『へえ……』
 笑って得意げに言う彰に、皐月は片眉を上げる。
『え、じゃ、年越し蕎麦なんかも打ったりするの?』
「さすがに手打ち蕎麦まではないなあ」
 皐月の問いにまた彰は笑って。
「でもだしはしっかりひいたよ。一からつくる蕎麦つゆ、美味いんだ。海老天とかかき揚げとかもつくったっけ」
『すごい』
 目を丸くして言う皐月に、彰はますます嬉しくなる。
「つくろうか」
『え?』
「年越し。俺蕎麦つゆと天ぷらつくるから、蕎麦、デパートとかでちょっといいヤツ、皐月が調達してきてよ。うちで食べよう」
『…………』
 簡単に言ってしまってから、画面の中の皐月の顔に、彰ははっと我に返った。
 丸い瞳と、何か言いたげにわずかに開いた唇。
 急激に彰の心拍数が跳ね上がった。
「……あ、の」
 声を出してしまってから、何を言えばいいのか途方に暮れる。
「あの」
『……ナミは、呼ばない』
 と、囁くような声が、けれどくっきりと彰の耳に飛び込んだ。
『誰も呼ばない。だから……アキくんも、誰も、誘わないで』
 画面の中で、伏せ気味になった皐月の瞳がうっすら潤んで、頬に赤みが差す。
 彰はもう、自分の足が地面についているのかさえ判らなくなった。
「呼ばない。誰も」
 けれど我ながら奇妙な程にしっかりと強い声で、彰は言葉を返す。
「だから、皐月……うちに、来て」
 こくん、とうなずく皐月を見ながら、彰はこのことは絶対に宏志には黙っておこう、そう固く固く思った。


 三月に入って少しして、毎週末だった実験はあらかじめ告げられていた通り月に二、三回に減らされた。
 だがそれは思っていたのと違い、全員が一斉に休む、のではなくそれぞれに異なる日を休みとして言い渡された。
 その分皐月と一緒にいられる時間が減って、彰は少しがっかりする。
 もともと、秋の終わり頃から「月の参加回数を増やすと最終の報酬額が上がる」という噂が参加者の間でまことしやかに流れていて、課題中に会ったよその会場の参加者からも同じ話を聞いたけれど、二人はその真偽を研究者達に確かめようとはしなかった。講義や他のバイト、サークルの仕事でなかなか二人だけの時間が取れない中、いくら行き帰りが一緒とは言え毎週末の一日をほぼ拘束されてしまう、ということに正直物足りなさを感じていて、これ以上は他に時間を取られたくなかったのだ。
 最近はもう互いの家を普通に行き来するようになっていて、春休みでもある今、それぞれのバイトの日や新歓の為のサークルの準備日を除いた殆どを二人で過ごしていたのだが、それでも彰は、もっと一緒にいたい、そう思っていた。二人きりでいる時でさえもっと傍にいたいと、腕に抱いていてさえもっと、すべてが溶け合ってしまうくらい傍にいたいと、そう考えていた。
 別々に休まされた実験だったが、中に入って行うことは以前と全く変わらず、彰は不思議に思った。休みが一斉だ、と思い込んでいた時には、きっとこれくらい回数が重なればデータとしては充分だから、自分達の研究に時間を回したいのだろう、と考えていたのだが。
 顔や体の再現度は飛躍的に高まって、肌や髪の質感もかなり現実のそれに近づき表情もずいぶん自然なものとなっていた。それでも人工人格は、相対しているとやはりヒトとは違う、と判るのだけれど。
 彰はあれからも時々、そうっと扉や窓の隙間に紙を差し込んでみていた。けれどそれは毎回つかえてしまって、一度も中へ入ることはなく、空に鳥の影を見ることもなかった。
 あれはやっぱり夢のようなものだったのかな、とそんな時ちらっと思う。英一はどうしているのか、しばらくは気にかかったが、まあいつかまた実験で会うだろう、と思って結局出会わないままだった。
 彰と皐月とは、結局七回くらい都市内で一緒になった。その時の皐月は本当に嬉しそうで、最初のまだ荒いポリゴンの頃から、他の人では絶対に読み取れない細かなレベルの表情まですっかり見てとれるのに、彰も内心、嬉しくなったものだ。
 そして季節は七月を迎え、ついに実験の終了する日が来た。
「今日は他のところとシャッフルではなく、今ここにいるメンバーで仮想都市に入ります」
 最終日には誰も休みを言い渡されず、全員が揃っている前で、今はすっかり顔なじみになった研究者のひとりにそう言われる。
 結局最終まで残ったのは、彰と皐月を含め十一人だけだった。
 今では全く驚きも何もなくなった仮想都市へと足を踏み入れて、彰は、いやそこにいた全員が、同時に度肝を抜かれる。

 ――十一人の目の前に、自分達が立っていた。
  
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