3話

文字数 4,287文字

 カラオケを出ると、モリゴエはそそくさと皆から離れた。まだまだ遊び足りないぞという元気なやつもいれば、いつの間にかそっと姿を消していた男女もいたけれど、時間も終電が近いというくらいだったので、ばらばら帰るやつらの方が多かった。あたしも帰るつもりだったけれど、モリゴエが向かっているのがちょうど駅の方角だったので、その気落ちしたような背中を小走りに追いかけた。
「モリゴエ」
 呼びかけると、モリゴエは顔だけで振り向いた。あたしの顔を見ると、ちょっと気まずそうな表情にはなったが、それでも足を(ゆる)めてはくれた。
「佐波は、電車?」
「うん。駅まで一緒にいこうよ」
 まさか断らないよねというニュアンスをこめて、「夜だし、物騒(ぶっそう)だし」と付け足すと、モリゴエは困ったような顔で、それでも小さく頷いた。
「ね。モリゴエ、あんた自分の声、きらいなの?」
 歩きながら訊くと、モリゴエは素直に頷いた。
「うん」
「なんで。いい声じゃん?」
 モリゴエはすぐには答えなかった。でも、その沈黙には、何か答えようとするような、言葉を考えているような色合いがあった。だからあたしは口を結んで、ただ歩きながら、おとなしく返事を待った。
「佐波は……」
 ずいぶん歩いてから、モリゴエはようやく何かいいかけた。そして、思い直したように、途中で口をつぐんだ。
「言いかけてやめるのって、けっこーイラッとする」
 思わずそう言うと、なぜかモリゴエは驚いたような顔をして、そしてどういうわけか、いきなり微笑んだ。
「佐波はいいやつだな」
「はあ?」
 あたしは()頓狂(とんきょう)な声を出した。なんで今の話の流れでそうなるのか、さっぱり分からない。
「人がまじめな話してるのに」
 あたしが不機嫌な声を出すと、モリゴエは目顔で謝るような視線をよこして、それから例の甘い声で、ぼそぼそと言った。
「人のために怒るやつは、いいやつだ」
 あたしは毒気を抜かれて、思わず黙り込んだ。なんなんだろう、こいつ。
 それきり、黙り込んで歩いているうちに、駅についてしまった。二人とも定期だから、券売機には向かわず、そのまま改札を通る。
 構内には、ほろ酔い加減の赤ら顔が目立った。通勤ラッシュの時間帯とは比べ物にならないけれど、こんな遅い時間でも、それなりに人は多い。終電が近いからこそかもしれない。
「モリゴエは何番線?」
 モリゴエがぼそぼそと答えたのを聞くと、どうやら同じ電車になりそうだった。
 乗り場までたどり着いたとき、モリゴエが、電車の到着アナウンスに紛れないぎりぎりの大きさの声で、ぽつぽつと話しはじめた。
「佐波はさ、もしも、周りの人がみんな、自分のいうことを何でも聞いてくれたら、どう思う?」
 なんだなんだ、いったい何の話が始まるんだと、ちょっとあきれながらも、あたしはいちおう、マジメに答えた。
「ちょっとお嬢様みたいな気分になれて、楽しいんじゃない?」
 軽い言葉のようだけれど、わりと本音だった。あたしにはわがままな妹が一人いて、うちの両親は、妹のおねだりなら、(しか)ったりぼやいたりしながらも、たいてい聞いてやっていたけれど、あたしには『お姉ちゃんなんだからガマンしなさい』の一点張りだった。だから、甘やかされる一人っ子や末っ子を見ると、あたしはいつでもけっこう本気でうらやましい。
「それが、どんな頼みでも?」
 モリゴエは何がいいたいんだろう。あたしは怪訝(けげん)に思いながら、首を(ひね)った。どんな頼みでもって、たとえばどんな?
「おれね、長男で」
 モリゴエの話はまた飛んだ。あたしは眉をひそめたが、いちおうは黙って頷いた。
「物心ついたころから、親が何でもいうことを聞いてくれてね」
 なんだよ自慢話かよ。あたしは思わず唇を曲げた。それでも、自分からは喋らないはずのモリゴエが、珍しく長い話をしそうだったから、一応は黙って最後まで聞いてみようと、口ははさまなかった。
「最初はね、別に自分では、へんだと思ってなかったんだ。たとえばさ、プレステ買ってっていったら、買ってきてくれたりさ、勉強勉強ってうるさいなっていったら、もう勉強しろっていわなくなったり。ピーマン嫌いだから入れないでっていったら、次の日からピーマンが食卓にのぼらなくなったりさ」
 モリゴエは途切れ途切れに喋った。
「それくらいだったら、ただの甘い親だって思うよな」
「思うね。めちゃくちゃ甘い親だって思うね」
 そこでホームに電車が入ってきて、ちょっと会話が途切れた。電車に乗り込むと、空いている席は全然なくて、モリゴエとふたりで横に並んで吊り革につかまった。車内でも飲んでいるらしいおっさんがいて、電車の中はビールくさかった。
「両親に、ふたりともケンカすんのやめて、っていったら、次の日からホントにまったく喧嘩しなくなって」
「子どもに(さと)されて、恥じ入ったんじゃない?」
「そのあと十年くらいになるけど、それ以来、ほんとに一回も喧嘩してるの見たことない」
「いいことじゃない」
 合いの手を入れると、モリゴエは唇の端をちょっと吊り上げた。
 電車が動き出した。スピードが徐々に上がっていく。トンネルに差し掛かって、白い蛍光灯がちらちらと視界をよぎった。モリゴエは窓の外をじっと凝視するようにしながら、話を続けた。
「小学校の高学年くらいだったかな、ある日、おふくろが言ったんだ。あんたに頼みごとされたら、何でか、絶対にきいてあげなきゃいけないって気分になるのよね、って」
 モリゴエのその言葉に、なぜかあたしはぎくりとした。それは身に覚えのあることだった。PBRってなに。モリゴエが何気なく(たず)ねてきた、あのときあたしは確かに、なんでか、何が何でも答えなきゃいけないような気になった。
 へんな沈黙をはさんでしまったのをごまかそうとして、あたしはわざと、馬鹿みたいに軽いノリで言った。
「それってさ、単に、モリゴエが甘え上手っていうだけじゃん? 女殺し?」
「おやじも弟も、その頃の友達も、みんな別々に、似たようなことを言った」
「じゃあオトコ殺しだ」
 モリゴエはあたしの軽口に怒り出しはしなかったが、ちょっと怒ったような顔にはなった。
「ごめんごめん、冗談だって」
 あたしは肩をすくめて謝って、それから、ちょっと考えた。考えて、聞いた。
「モリゴエってさ、超能力とかって信じるタイプ?」
 ちなみにあたしは全然信じてない。吊り革を握りなおしたモリゴエは、あんまり興味なさそうに首を傾げた。
「さあ。あってもなくても、別に驚かないけど」
 さっきまでの自分の話は、てんで棚に上げたような調子だった。ちょっと拍子抜け。
 そんなふうに訊いてはみたものの、あたしはいまいち、モリゴエの話を信じてなかった。頭がゆっくり発言のアイツらじゃないけど、モリゴエがちょっと気にしすぎなんじゃないかとか、思春期のときって何かと思い込みがちだからとか、そんなことを考えて、でもどういったらモリゴエが気を悪くしないだろうかと考えると、すぐには何も言えなかった。
 そしてあたしがうまい話の切り出し方を見つけるよりも先に、モリゴエが言った。
「小学校の、運動会のときにさ。徒競走の前に、トモダチのマコトってやつと、ちょっとケンカしたんだ。そんでつい、『お前なんか転んじまえ』って」
 あたしは思わずモリゴエの横顔を、じっと見た。モリゴエは、窓ガラスに映った自分の顔をにらみつけるようにしていた。
「まさか、ホントに転んだの?」
 訊くと、モリゴエは小さく頷いた。唇を引き結んで、窓から視線を動かさないまま。
「偶然じゃなくて?」
 慎重に聞くと、モリゴエは何か答えかけて、そしてためらった。何度も口を開きかけて、やめて、また開いて、それからようやく言った。
「おれの目には、マコトが、わざと転んだように見えた」
 その返事に、あたしはちょっとほっとした。だってそれなら話は簡単だ。
「それはさ、その子があんたをからかおうとしたんだよ」
 けれどモリゴエは、ゆっくりと首を横に振った。
「終わって、そいつ、悔しがって泣いてた。一等賞だったら、親からゲーム買ってもらえる約束だったんだって」
 あたしはちょっと黙った。それから、モリゴエの顔を見ないで、小声で言った。
「それは、きっとさ、あれだよ。ちょっと意地悪な考え方かもしれないけど、その子はさ、たとえば本当は、最初から一等になれる自信がなくってさ、それで、ダメだったのを、あんたのせいにしたかったとかさ、そういうのかもしれないじゃない?」
 だけどモリゴエは、小さく首を振った。「マコトは学年で一番足が速かった」
 あたしはまたちょっと黙り込んだ。それならやっぱり、偶然だよ。わざとに見えたのは、あんたの気が咎めてたからだよ。そう言おうと思ったのだけれど、口にできなかった。モリゴエはガラスに映る自分の顔を、親の(かたき)みたいに(にら)みつけていた。
「たとえば、もしも俺が、そこでさ、『転んじまえ』じゃなくて……」
 モリゴエは言葉の続きを飲み込んだけれど、その先は、言われなくてもなんとなく分かった気がした。
 たとえばモリゴエが、そこでマコトくんに、『お前なんて死んじまえ』とか、そういうことを言ってたら?
 電車がゆっくりと減速する。疲れて投げ遣りな感じの車掌が、マイク越しに駅名を告げて、忘れ物をするな、気をつけて降りろというようなことをぼやいている。あたしははっとして窓の外を(のぞ)いた。
「あ、あたし次だ。モリゴエは? もっと先?」
 モリゴエは頷いた。その目が一瞬、何か言いたそうに揺れたけれど、結局は何も言わなかった。あたしも、もう少し話の続きをしたいような気がしたのだけれど、そうすると電車がなくなりそうだったので、しかたなく軽く手を上げて、降り口の方に足を向けた。
「また明日、ね」
 モリゴエは何も言わず、小さく頷いた。
 電車を降りる人波に押されながらも、つい気になって首を(ひね)ると、窓の向こうでモリゴエが、こっちを見て微笑んでいた。それはちょっと寂しそうな笑い方で、あたしは思わず足を止めた。背中にぶつかったおっさんから、舌打ちが聞こえてきた。そのままモリゴエを乗せた電車がホームを出て、すっかりその姿が見えなくなるまで、あたしはおおいに人の流れを妨害(ぼうがい)してしまった。
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