二 伊織佳純

文字数 29,927文字

「フルーツバスケット!」
 夏央が手を叩いた。とたんに皆はわっと席を立ち、空席の椅子へ向かった。佳純はすばやく席を取り、夕莉を目で追いかけた。彼女はおろおろと戸惑って、ほかの生徒に椅子を取られてしまった。余った生徒は夕莉となった。
「夕莉、またお前かい! どんくせーなあ」
 夏央がからかうように言うと、皆もどっと笑った。夕莉は拗ねたように夏央をにらみながら、それでもどこか楽しそうに問題を考え始めた。夕莉が外れるのはこれで三回目となる。
「じゃあ……。朝ご飯はパン派の人!」
 夕莉が問題を出すと、該当した生徒がわっと動く。すかさず席を取り、今度は外れることから免れた。
 周りの子より頭一つ分小さい男子生徒があぶれる。そこで時間が来て、先生の「今日はここでお開き~」と軽やかな声を合図に皆はがやがや話しながら椅子を片付けて机を戻した。
 もうすっかりボランティア部はデイケア組に溶け込んでいた。夏央と冬華は周りから人気があるらしく、二人のそばにはいつも誰かしらくっついていた。
 夏休み明けからしばらく経った、九月の終わり。残暑がようやく和らいできた季節。翠がデイケア組から一般クラスへ編入したことを除けば、いつもと変わりない平穏な毎日だった。
 帰り支度をして夕莉と一緒に教室を出ると、冬華から声をかけられた。
「お二人さん、文化祭って出る?」
 佳純は夕莉と目を合わせ、考え込んだ。身長が低い二人はすらりと背の高い冬華の切れ味鋭い美貌を見上げ、声を合わせた。
「夏央先輩と冬華先輩が一緒に回ってくれるなら」
 すると冬華の切れ長の目に、困ったような表情が浮かんだ。都合でも悪いのだろうか、と佳純は思った。
「実はそれ、ほかの子にも言われているのよねえ」
 冬華は苦笑いを浮かべながら頭を抱えた。「うーん……」と唸ってブツブツと何事かつぶやいている。
 十月に行われる文化祭の下準備期間へ入った時期である。デイケア組は参加自由という形式を取っており、実際にはほとんどの人が自宅休みを取っている。冬華たちは何とかしてデイケア組の生徒を文化祭に参加させたいようだった。
「一度も文化祭を知らずに学校卒業するなんて、寂しすぎるでしょ?」
 冬華はさっぱりと言った。「何とか勇気出して来られない?」と誘う彼女に、佳純は一つの提案をした。
「一日中遊ぶのは無理ですが、午前か午後、または後夜祭だけなら」
 了承の意を示した佳純に、夕莉がチラッと不安そうな目を向ける。佳純は彼女に視線を合わせ、大丈夫だよ、とサインを送った。
「ふむ、時間を区切るわけか。後夜祭は友達との付き合いもあるしなあ……。午前か午後にどう?」
 冬華がキリッとした笑顔で提案した。今度は佳純が夕莉のほうを見た。夕莉はまだ不安げな顔をしていたが、ボソッと「佳純が行くなら……」と茶色がかった瞳を伏せて言った。
「詳しいことはまたあとで連絡するよ。文化祭は出るって方向でいい?」
「はい。待っています」
 佳純の返事に冬華は嬉しそうな表情を浮かべ、二人を通り抜けて先に渡り廊下を渡って部室に帰った。佳純と夕莉も下駄箱へ向かい、帰り道を歩いた。
 日差しを肌に浴びながら、秋の匂いを纏った風を頬に受けて、佳純はつぶやいた。
「文化祭、私たち初めてだね」
「……うん」
 夕莉のか弱い声が聞こえた。それでもその声はあの時の消えそうな声ではなく、いくらか芯の通ったものだった。
「きっと楽しいよ。生徒が主役のお祭りだって言っていたから」
「佳純は、小学校の文化祭には出たことあるの?」
 夕莉の問いに、佳純は「うん」と答えた。
「でも、小学校のやつって本格的な遊びじゃないから、盛り上がりは段違いだよ」
「そんなにすごいのか……」
 夕莉は少し興味を持ったように顔を上げた。
「夏央先輩たちと周れるようにしたいね」
「でも、二人とも人気者だからなあ」
 佳純の言葉に夕莉はまだ不安げな声を出す。それでも彼女が少しずつ前を向き始めていることに、佳純はほっとしていた。
 この儚い少女を守るのは、自分の使命だ。
 佳純は戒めにも似た誓いを、胸に秘めていた。

 バス停のところで夕莉と別れて、七つ目の停車場所で降りる。新築マンションや立派な一軒家が立ち並ぶ住宅街の、小さな坂になっているその道を歩いた先に、佳純の家はある。正確には佳純が新しく住み始めた家がある。
「ただいまー」
 居間のほうに顔を出すと、親代わりの五十代半ばの女性―聡子(さとこ)がソファーで洗濯物を畳んでいた。
「あら、お帰りなさい」
 聡子は佳純を見ると微笑み、冷蔵庫のほうを指差した。「アイス入ってるわよ。まだ暑いから」聡子の優しい声に「ありがとう。あとで食べるね」と返し、佳純は二階の自室へ行った。あの時の自分の家とは比べものにならないくらい広々とした部屋もようやく目に慣れてきたところだった。聡子が掃除してくれたらしい。床が綺麗になっていた。
「何でもしてくれるなあ。聡子さんは」
 佳純はボソッとつぶやくと、苦笑いを浮かべた。制服を脱いでハンガーにかける。部屋着に着替え、また一階へ降り冷蔵庫からアイスを取り出して食べた。バニラの味がじんわりと口の中に沁み出して、自然と笑みがこぼれた。
 佳純はアイスが好きだった。冬でも構わずアイスを食べた。しっとりとした口どけと甘い味が何ものにも代えがたい幸福だった。ほかに楽しむものがなかったというのもある。おもちゃやぬいぐるみなどは買ってもらえなかった。「金がないから駄目」という親の決まり文句に、いつしか佳純も兄たちもあきらめがついていた。
 今のこの家庭では、聡子が自分の欲しいものを買ってくれる。誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントだってくれる。ケーキもちゃんとした店のものを用意してくれる。佳純は聡子に感謝してもしきれないほどの情を感じていた。
「今日の夕飯はロールキャベツね」
「え、またあ? 私あれあんまり好きじゃない」
「好き嫌いしないの」
 聡子が注意するが、彼女は本当に怒っているわけではない。むしろ佳純が一人前の口を利けるようになったことにほっとしている気配さえする。この家に来たばかりの佳純はとても手におえるものではないほど殺気立っていった。それから比べれば、今の佳純は落ち着いている。きちんと聡子たちになつき、本当の子どもらしく振る舞っている。居間では二人の会話が楽しげに交わされていた。
 夕飯時、聡子の夫―(みのる)が帰って来て、三人はテレビを観ながら食事をした。
「青花さん兄妹は、どう? 元気にしてる?」
 聡子から訊かれて、佳純は夕莉の気の弱そうな丸い目の奥の弱弱しい瞳を思い浮かべた。あの子はまだ自分の足で立てていないきらいがあるが、前に進もうという決意はある。それとなく言葉を濁して「だいぶ元気になったかな」と曖昧に笑った。
 本当は、兄の翠は夕莉の家から出て行って、学校の寮に入ってしまった。夕莉と翠は今ではもう何の接点もない。彼は何の説明もなく、誰にも相談することなく、家族から離れてしまったのだった。
 聡子と稔には「双子の友達が大きな喧嘩をしてしまった」ということしか話していない。何となくあの二人のことを詳しく説明するのは気が進まなかった。
「双子って、すごく仲が良いのとめちゃくちゃ仲が悪いのとに分かれるよね」
 佳純が何気なくそうつぶやくと、稔がテレビを見つめながらぼんやりと言った。
「あまりに近すぎるから、客観的に見られないのだろう」
 佳純はふいに家族のことを思い出した。
「うちのお兄ちゃんたちも、お父さんも、客観的に見ることができなかったってことなのかなあ」
 聡子と稔が気まずい表情になり、その場に糸がピンと張ったような緊張が走った。佳純はあわてて「まあ、私にはこの家があるからいいか」と声のトーンを上げた。聡子たちが目配せして、さっと優しい人間の顔をする。「私たちは、もう新しい家族だよ。お前の過去も、病気のことも、全部委ねていいんだよ。安心しなさい」と稔が言って、聡子がうなずいた。佳純の心にスッと白けたような冷めた気持ちがよぎったが、ばれないようにいい子のふりをして「ありがとう」と礼を述べた。
 白いご飯がだいぶ冷めていた。

 この家に来た時のことは、よく覚えている。毎晩、悪夢を見続けたからだ。家族と完全に離別して、家にいることが難しくなった子どもを一時的に保護する施設に預けられ、聡子たちと出会った日、恐ろしい夢を見るようになった。窓から突き落とされる夢。それはマンションの屋上だったり、高層ビルの最上階からだったりと形を変えたが、いずれも地に落ちる時の胃がふわりと浮きあがるような感覚がやけにリアルで、うなされて叫んだ。寝汗をびっしょりとかき、七畳の部屋で一人泣いた。すると聡子たちが必ずやって来て佳純の身体を抱きしめてくれるのだった。毎晩そうやって慰められるうちに、次第に佳純は心を開き始め、聡子たちのことを親だと思うことを決めた。あの家は、多分、間違って生まれたのだろうと思った。自分の本当の家はここなのだと決めつけたかった。けれど心のどこかで、なぜこんなことになったのか、家族はなぜバラバラになったのかという気持ちが湧き上がり、その負の感情に苛まれては悪夢を見た。ようやくぐっすりと眠れるようになったのは、行きつけの心療内科の医師に「あなたは運がなかっただけ」と言葉をかけられた時からだ。それ以来、不思議と悪夢は見なくなった。落ち着きを見せ始めた佳純に聡子たちはほっとしたように愛情を注いだ。ただ悪夢を見なくなった代わりに、明け方頃に目が覚めてしまう癖がついた。そんな時は自室のカーテンを開けて夜明けの空と街並みを眺めた。青々とした色合いと静まり返った空気が気持ちよかった。
 佳純は現在、少し特徴のある子を集めた特別学級のある中学校の面接を受け、そこに通っている。学校には遠くから来た生徒たちのための学生寮があり、そこも一般とデイケア組に分かれている。学校帰りには月に二回の診察を受けている。明日はその診察日だ。
 寝る時間が来てベッドにもぐりながら、佳純は双子のことを思っていた。
 夕莉。
 私と似ている子。放っておけない子。
 翠。
 とてもかっこいい人。美しい人。
 私の初恋。

 病院の待合室は今日も混雑していた。学校は外来日で休みとなっている。まだ朝の九時台なのに、この心療内科は人気があるのかいつ何時でも人が途切れたことがなかった。
 佳純は空いた席に腰を下ろして、文庫本を広げた。読むのはたいてい「さらりと読める軽い話」である。佳純にとって「心に突き刺すような」重いメッセージ性のこもった物語は、余計に精神を悪化させるものだった。ティーンズ向けの文庫や少女小説などはまさに流し読みするのにもってこいの話なので、一番多く手に取っていた。
 ヒロインがついに相手役の男の子とキスをできそうな雰囲気まで読み進んだところで、名前を呼ばれた。これは王道のラブストーリーなのできっとヒロインは上手く行くのだろうなと思いながら、佳純は本を閉じて診察室に入った。
 担当医と挨拶を交わして、近況報告をした。
「友達ができたんですね。それはよかった」
 三十代後半くらいの男性医師は、あの時「あなたは運がなかっただけですよ」と言ってくれた恩人だった。左手の薬指にはめられた結婚指輪がきらりと存在感を放っていた。
「あのあと、悪夢は見ていないですか?」
 担当医はパソコンに佳純の現在の症状を打ち込んで、確認するように訊いた。
「悪夢は見なくなりました。ただ、明け方に起きる癖がついてしまって」
 初めの頃は自分のどんなことを話したらいいのか戸惑って途切れ途切れになっていたが、今ではすっかり言葉が口からすらすら出てくる。
「四時近くに起きてしまって、そのあと寝ようとするんですけど、眠れなくて。結局朝七時までぼうっとしています」
「夜は何時に寝ていますか?」
「十一時前には」
 担当医は「ふむ」とつぶやいてカタカタとキーボードを打ち込む。
「伊織さんの年齢は一番眠い時期ですから、確かにちょっと睡眠が足りていないかもしれませんね。授業中に眠くなったりもしないですか?」
「はい。元気です」
「家に帰って昼寝することは?」
「それもないですね」
 キーボードがまたカタカタと打ち込まれた。
「聡子さんと稔さんは優しいですか?」
 ふいに話題が今の養い主に移った。佳純は一呼吸おいて、はっきりと口にした。
「二人とも優しいです。特に問題ありません」
 嘘はついていない。聡子と稔は家族と離別した佳純をここまで育ててくれた。二人はいつだって温かかった。
 十五分ほどの診察を終えて、佳純は病院を出た。担当医は人気の医師なので一人に対しての診察時間はどうしても短くなる。あの穏やかな人柄が見る者を安心させるのだろう。ここの大病院は有名だ。会計待ちも近くの薬局も混んでいる。最初の頃は辟易したがいくらか慣れた今では、こうして文庫本を読みながら待つこともできるようになった。
 ようやく会計が終わり、薬局で薬をもらうと、駅まで歩いた。十月に入る空は秋雨前線の影響で灰色に濁っていた。傘をカツ、カツと地面に鳴らしながら向かい、駅構内の大型書店に寄った。
 積み上げられている書籍や雑誌などを眺めるのは楽しい。今の話題や流行はこれなのか、とすぐにわかるからだ。世間が何に興味があるのか、佳純は知ることが楽しかった。
 話題になっている少女漫画の最新刊を一冊買い、電車に乗った。停車駅で降りて次はバス停に向かう。バスを待っている間、雨が降り始めた。一応屋根はついているのでなるべく身を縮ませて雨から避ける。やがてザアザアと本格的な降り出しになった頃、バスが遅れてやって来た。「お急ぎのところ大変ご迷惑おかけ致します。ただいま十分ほどの遅れでございます」と運転手のアナウンスのもと車内に入り、奥の二人掛けの座席に着いた。雨が窓に貼りつく様子を見て、佳純は、こんな時も雨が降っていたなと遠い日のことを思った。もう記憶から捨てたはずの、捨てたいと願っているはずの過去が、ぼやけた輪郭を持って佳純の頭の奥に鈍い痛みを与えた。

 長男の兄とは十二歳の差があった。そのせいか長兄のことはほとんど親のように思っていた。長兄は次兄とともにいなくなってしまった母の代わりの家事や役目を全うしていた。この二人の兄は佳純にとって母親のようなものだった。
 三兄と四兄とはほとんど話していない。この二人は反抗期が激しく、夜遊びに没頭してしょっちゅう家を空けていた。
 五兄とは年が近かった。四つの差があったが彼は親しみある雰囲気で、佳純とよく遊んでくれた。この家にとって、または父にとって、佳純はようやくできた一人娘だった。
 父にはよくかわいがられた。兄たちのことを鬼のような形相で怒鳴りつける父も、佳純と接する時は表情を崩してでれっとした顔になった。父の大きな手のひらで頭を撫でられる時は、上手く力加減ができていないため少し痛かった。父は体格もよく、母とともに田舎の大きな日本家屋で、五人の息子と一人の娘を育て上げた。
 佳純の故郷は日本の中でも特に田舎の地方の村だった。そこで子どもを六人も持つ家は珍しかったので、伊織家はよく目立っていた。両親は明るくて社交的な面があったため、あの時の佳純の世界はまだ平和だった。
 母が亡くなり、父が男手ひとつで六人の子どもを育てなくてはならなくなった日まで。

 ぼんやりと雨の降る外の景色を見ているうちに、バスは住宅街に入っていた。はっと気づいてあわてて停車ボタンを押し、バスもはっと気づいたように止まると、佳純は腰を上げて座席から立ち上がり、バスを降りた。ザアザア降りだった雨は少し勢いが弱まっていた。
 傘を差して住宅街を歩く。東京のこの家に引き取られてからまず驚いたのは、家の小ささと密集具合だった。今のこの家は東京の中では充分大きな部類に入るが、佳純の昔の家はその倍以上はあった。そして空気の淀みにも驚愕した。アリの大群のようにひしめく東京の人々は、この狭苦しい環境に気でも狂わないのだろうか。ここは郊外なのでいくらか静かだが、都心部など佳純にはとうてい行けるはずもない。夕莉と翠はおそらく東京出身だろう。どこか孤高な感じがするのは東京人の特徴だ。佳純は、まだ自分の出身を話せていなかった。本当は、話すつもりもないのだが。
 家の中に入り、聡子から診察代をもらうと、またアイスを食べた。子どもが六人もいた佳純の家は、誰一人として誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントをもらったことがなかった。六人分の出費は痛いからだろうと今なら納得がいくが、あの頃はアイスを食べることが唯一の娯楽だった。
 夕飯は、佳純の好きな生姜焼きだった。

 文化祭の日が近づいていた。一般クラスの校舎が華やかに飾り付けられるのを、佳純は帰り道のたびにぼうっと眺めていた。デイケア組のほうはいつもと変わらぬ毎日である。ただ夏央と冬華があまり顔を出せなくなっていた。祭りの一週間前になるとボランティア部は準備期間のため部活動休止となった。夏央たちのいない午後の活動に、クラスはつまらなそうな空気になっていた。
 帰りの時刻が来て、校門をくぐろうとするとそこには色とりどりの装飾がされてあった。ふと本校舎のほうを見上げると、学年ごとの垂れ幕が存在感を露わにしていた。その見事な仕上がりに佳純と夕莉は圧巻した。
「わあ、すごく盛り上がりそう」
「本当に小学校と違うんだな……」
 夕莉が呆けたようにつぶやくと、佳純はおかしくなって彼女の腕を組んだ。
「夏央先輩たちからまだ連絡ないね。忙しいのかな」
 佳純がそう言うと、夕莉はチラッと視線をやった。
「文化祭、先輩たちと周れなくても、一緒に出ようか」
 夕莉がそう発言したことに、佳純は少なからず驚いた。引っ込み思案な彼女の性格を察するに、夏央たちがそばにいてやれないのなら欠席すると思い込んでいたからだ。
「夕莉がいいなら、いつでも付き合うよ。二日とも出るつもりなの?」
「うん。もしかしたらお兄ちゃんに会えるかもしれないから」
 久しぶりに出てきた翠の名に、佳純は少しドキリとした。今や接点は何一つないのだが、彼の低くて色っぽい声や整ったクールな顔立ち、そっけない態度など、何一つ忘れたことなどなかった。それは夕莉も同じだろう。
「……翠君のクラス、わかる?」
「二組。先生から聞いた」
 夕莉はぐっと悲しげな表情を浮かべると、帰り道を歩きながら佳純に兄のことを話した。
「お兄ちゃん、一般クラスに移ったけど、やっぱり体力的に皆についていくのが大変みたいなの。体育の授業で何度も発作起こしたり、ほかにもいろいろ……。体育なんて見学すればいいのに」
「きっと、一度休んだらその分ハンデだと思われるから、嫌なんじゃないかな。皆と対等でいたいんだと思う」
「それはわかるけど……」
 夕莉は口ごもると、おもむろに頭を抱えた。苦しそうな息を吐き、側頭部に手をやりながら歩いていた足を止めた。
「頭痛? どっかで休もうか」
 佳純が背中を撫でると、夕莉のか細い声が聞こえた。
「大丈夫……。すぐに治るから……」
 実際、立ち止まっていた時間はそれほど長くなかった。夕莉は「いたた……」と呻きながらも再び歩き出した。そして言った。
「お兄ちゃんのこと考えると、頭痛がひどくなって……。もう考えないようにしているんだけど……」
 夕莉の悔しそうな声を聞きながら、佳純はあの日、入学式の時に出会ったこの双子の兄妹のことを思い出していた。
 出席番号順に座らされた講堂の座席。自分の前に、寄り添い合うように二人が座った。席に着く直前、兄のほうが一度だけ後ろを振り返ってデイケア組の面子を見た。
 その美貌に、釘付けになった。
 すぐに妹も兄のほうを向いた。妹もまた可愛らしい顔立ちをしていて、儚い美貌が目に眩しかった。兄は対照的に、耽美的な美しさを秘めた冷たい瞳で、つまらなそうに佳純たちを一瞥した。その排他的な雰囲気に、佳純の心は持っていかれた。
 自分の固い髪質とコンプレックスのそばかすが、これほどまでに恨めしいと思ったことはなかった。
 だから、勇気を出して声をかけた。ただ仲良くなりたいとひたすらに願っていた。卑しい気持ちも確かにあった。けれどそれ以上に、この人たちとちゃんと釣り合う関係になりたかった。
 兄が離れていったのは、もしかしたら自分のせいじゃないかと思い出すと止まらなかった。夕莉に申し訳なくて、二人とも兄の話題を軽妙に避けていた。
 夕莉が兄のことを話し出したのは、今日が初めてである。彼女が兄に突き放されて大泣きしたあの時から、夕莉はずっと家族のことについて黙っていた。兄が寮生活をしていることを知ったのも、先生づてに聞いたからだった。
 ゆっくりと帰路を歩きながら、二人はそれぞれの過去について沈黙を貫いていた。

 冬華からメールが来たのは、文化祭が三日後に迫った慌ただしい時間だった。
 自分たちを最優先してくれるらしい。夏央とも話がついて、一日目の午後と後夜祭の時間帯、一緒にいてくれるということだった。
 すぐに夕莉に連絡をして、返信メールを打った。夕莉のほうにもメールが行っていたらしく、二人で喜んだ。
 学校から帰って家でくつろいでいた時に急な嬉しい知らせが届いたので、佳純は夕莉と長電話をした。
「嬉しい。夏央先輩たち、忙しいのに」
 夕莉は心底嬉しそうに弾んだ声で言った。佳純も「楽しくなりそうだね」と笑った。
「先輩たちと一緒なら、お兄ちゃんのクラスの出し物に寄っても嫌な顔されないかなあ」
「大丈夫だよ。翠君ががんばっている姿見たら、いい刺激受けると思うよ」
 佳純が興奮して言うと、夕莉も「だといいなあ」と可愛らしい声を出した。
「ねえ、佳純」
 夕莉が改まった声色をした。
「ん?」
「どうして、お兄ちゃんは私から離れていったのかなあ」
 その声には、悲しみや恨みといった負の感情は感じられなかった。純粋な疑問を問うている声だった。佳純はどう返したらいいのかわからず黙っていると、夕莉は訥々と語り出した。
「小学校を卒業したら一緒に死ぬっていう約束、けっこう本気で信じていたんだけどなあ。あ、今はそんなこと一ミリも思ってないよ?」
「うん」
「ただあの時は、他人はすべて敵だったからさ。味方のいない世界がすごくつらくて、それで死の世界に憧れていたんだけどね」
「うん」
「お兄ちゃんは、多分、とっくに気がついていたんだよね。戦うしか道はないって」
 今日の夕莉はいろいろと話したい気分らしい。佳純は友達の昔話を真剣に聞きながら、また翠に会える日は来るのだろうかと考えていた。
「夕莉、きっとお兄さんと話せる時が来るよ」
「……そう?」
「うん。大丈夫」
「佳純って、大丈夫っていうの、好きだよね。口癖なの?」
 夕莉はおかしそうに尋ねた。
「そんなに口にしてた?」
「うん。だいぶ言ってるよ」
「じゃあ、好きなのかも」
 確かに『大丈夫』という言葉は素敵だ。悪夢に怯えていた頃、よく聡子たちから「大丈夫」と聞かされていた。その時の名残がまだあるのかもしれない。
「待ち合わせ場所はどこだっけ?」
「渡り廊下のところ。デイケア組の教室は閉鎖されちゃうから」
 夕莉の質問に佳純は答えた。時計を見ると、寝る時間はとうに過ぎていた。
「もうこんな時間だ。またね」
 電話を切ろうとすると、夕莉があわてたように「もう一つだけ訊きたいんだけど」と言った。
「何?」
「飯塚舞衣っていう上級生、覚えてる?」
「……ええと、誰だっけ」
 佳純が記憶を探っていると、夕莉の不安そうな声がした。
「二年って自分で言っていたから、先輩なんだろうけど。でもボランティア部じゃなさそうだし。お兄ちゃんと参考書借り合っていた仲だから、繋がりはあるんだろうけど」
「その飯塚舞衣さんがどうしたの?」
 すると夕莉は押し黙ってしまった。しばらくして、
「……ごめん、やっぱり何でもない。夜遅くまでごめんね」
と返事がしたので、佳純もそれ以上は何も言わず、「おやすみ。また明日」と告げると互いに電話を切った。
 アイフォンを充電器に入れて部屋の電気を消したところで、佳純ははたと気づいた。
 翠が最後に妹のそばにいた日、彼女がやって来た。夕莉と翠が教室で言い合いをしていた原因。
 翠は、彼女のところに行ったのか。
 合点がいくと今度は目が冴えてしまい、なかなか寝付けなかった。

『佳純へ。
 元気ですか? 俺はとりあえず元気です。新しい家は慣れましたか? 俺たちはもう独立して一人暮らしを満喫しているけど、未成年のお前たちのことが心配です。学校に友達はいますか? 俺は就職したての頃、右も左もわからないことだらけでつらかったけど今ではすっかり会社にも慣れて上司のゴマをすっている毎日です。弟たちから連絡は来ましたか? 来ていなかったらあとで厳しく言っとくから。最近涼しくなりましたが……』
 長兄からの手紙を隅々まで読んで、あの優しかった兄の面影を思い出そうとした。長兄と次兄は母親代わりの存在だったので、今どうしているのだろうと一番気になっていた。この二人は就職して独立し、たびたび佳純に近況報告の手紙をくれるのだった。今年は五兄からも来た。三兄と四兄も就職したと手紙に書いてあったが、二人からの連絡は途絶えていた。五兄は高校卒業のための単位を取るため二年のうちからがんばっていると手紙が来た。彼は佳純と同じく一時的に施設に入れられて、そしてそのまま某大型施設に移動された。佳純と兄たちの情報をすべて把握しているのは、長兄と次兄のみだった。
 手紙をファイルにしまい込んで棚に戻し、学生鞄を下げて、初日を迎えた文化祭へ向かった。

 待ち合わせ場所には、すでに夕莉がいた。
 茶色いセミロングの髪を今日は結い上げていて、可愛らしいバレッタで止めていた。おめかししてきたな、と佳純はからかいたくなった。自分もサイドアップに結んでいるので、女心はいつどこでも通じ合っているものらしい。夕莉と落ち合うと互いに褒めあい合戦をした。
 学校にはたくさんの客が訪れていた。受付で渡されたパンフレットを持って、大人と子どもが混ざりながらひしめき合っていた。
「人ごみ、平気?」
 佳純が確認するように尋ねると、夕莉は毅然と答えた。
「本当は苦手なんだけど、今日はがんばる。先輩たちと遊びたいもん」
 だいぶ強がっているようにも見えたが、彼女がこの祭りに懸けている思いを察すれば、余計な言葉はいらなかった。
 少しして夏央が冬華を連れてホールを抜けるのが見えた。二人で大きく手を振ると、夏央と冬華はすぐに気づいてくれて手を振り返しながら渡り廊下に入った。
「待ったか?」
 四人合流すると夏央が二人を気遣った。
「いいえ、そんなには」
 佳純と夕莉が声を合わせて言い、彼が自分のお洒落に気づいてくれるだろうかと期待を込めたが、当の夏央は「すげえ人だろ。まずは飲み物買おう」とさっさと歩き始めてしまった。「男の人は鈍感だね」と佳純が夕莉に耳打ちすると、夕莉もまた「先輩らしいけどね」と笑った。
 夏央は夕莉に、冬華は佳純にそれぞれ飲み物を買ってくれた。「今日のお前らは楽しむ側だから」という夏央の言葉に甘えて、二人はのどを潤した。
 彼らの学年が催しているクラスの出し物に寄ってみた。夏央の組は縁日を、冬華のほうはアトラクションゲームをやっていた。縁日では夕莉が輪投げで景品を取ることに成功し、佳純は的当てボールで真ん中を当てた。二つの景品を嬉しそうに胸に抱いた二人を見て、夏央たちは「センスあるなあ」と感心していた。
 冬華の組のアトラクションは人生ゲームだった。升目に沿って「イエス」か「ノー」かで答え、矢印の方向へ進み、各自用意されているゴールへ向かう遊びだった。佳純の人生は仕事で成功を収めるタイプのゴールで、夕莉の人生は愛する人とともに暮らして子沢山の人生を送るというゴールだった。二人はおかしくなって互いに笑い合った。
 楽しかった。文化祭の充実感は兄たちの様子を見て知っていたが、ここまで生徒が主役で盛り上がる行事を経験したのは初めてだった。
 二人の学年の出し物を参加し終えて、夏央と冬華が次はどこを見て回るか打ち合わせを始めた。
「お二人とも、仲いいですね」
 ふいに夕莉が口を開いた。二人はきょとんとした顔をした。
「何でボランティア部に入ろうとしたんですか?」
 夕莉は純粋に疑問を口にしていた。佳純も二人の答えを聞きたくて目を向けた。
「んー、ここじゃ何だからちょっと場所変えようか。そんなに大した理由じゃないんだけどね」
 冬華が夏央に合図をして二人はスタスタと歩いていった。佳純と夕莉もついていく。二人の間にそれほど深い沈黙はなかった。適当に入っただけなのかもしれない。しかし二人の優しさは中途半端な気持ちでできるものではないと佳純も夕莉もわかっていた。
 一階のホールに出た。窓辺に沿う形で並んでいる長椅子に佳純たちは座り、たくさんの人で行きかっている駅の入り口のようなホール前を眺めた。二人は夏央たちの言葉を待っていた。
「俺たち、小学校時代は学級委員だったんだ」
「高学年になった時からずっとね」
 夏央と冬華が順に告げた。
「面倒見いいですからね」
 佳純がそう言うと、夕莉も続けてうなずいた。
「それでまあ、ずっと委員長ってポジションだったんだけどさ、どこのクラスにも必ず一人は身体弱いやつがいるわけ。その中でも特に病弱な男子がいたんだ。そいつはちょっと荒んでいて、危なっかしい雰囲気で、世話好きな俺たちは見事にそいつにかかりっきりになっちゃったわけよ」
 夏央が少しおどけたように笑うと、冬華が続きを話した。
「彼は最初、私たちのことをうっとうしがっていた。あまり口もききたがらなかったし。てっきり嫌われているんだと思っていた。どうにも放っておけなくてしょっちゅう絡んでいたから」
 冬華が昔を懐かしむように目を伏せた。
「最高学年になった時だった。彼が東京から地方の実家へ帰る時が来たの。もっと空気が綺麗なところで過ごさせたいという両親の考えで。別れの日、彼が私たちにだけ手紙をくれたの。教室で簡単な挨拶を済ませた後の、帰り道だった」
 冬華の顔がぽっと上気していた。彼女は、その男の子のことが好きだったのだと佳純たちは気がついた。
「彼が泣きながら手紙を渡したの。そして、今までありがとう、という言葉だけを告げて、走って帰っちゃった。私たちは二人そろってその場で手紙を開けた。便箋にびっしりとお礼と感謝の言葉が書かれていた。胸が熱くなった。その時思ったの。もっともっとたくさんの人たちの力になりたいって。困っている人を助けたいって。同情じゃなくて、偽善じゃなくて、力になりたかったの」
 冬華が話し終えると、夏央が「あいつ今どうしているかな」とぼんやりとした顔で言った。
「彼とは連絡が途絶えちゃったけど、今でも忘れてない。私は決心して、そういう人たちの助けとなる仕事に就きたいと思うようになったの。それでここの学校を見つけ出した。夏央も巻き込んで、このボランティア部に入ったの」
 冬華はそこまで言うと、口調を変えて話した過去の思い出から帰ってきたかのように、カラッと笑っていつもの話し方に戻った。
「だから、あんたたちも大丈夫よ! 私たちがついているから」
 夕莉がもじもじとしていた。何か訊きたいことがあるのかと彼女の肩をつつくと、夕莉は思いきったように尋ねた。
「あの、初めて私たちのクラスに来た時、兄と何を話していたんですか? 知り合いだったんですか?」
 おそらくこの質問をずっとしたかったのだろう、夕莉の切羽詰まった表情が横顔からわかった。佳純は隣で二人の反応を待った。
「ええとね……」
 冬華がそこでどもった。チラッと夏央の顔を見て、二人は言葉を濁しながら話した。
「入学式の時に私たちボランティア部は、一回集まってデイケア組の名簿を渡されるのよ。それであらかじめ顔と名前を覚えて、初対面する時にこっちから話しかけやすいようにいろいろと下準備するわけ。そこへあなたのお兄さんが来て、顧問の先生を通して先に自己紹介してもらったの。多分、お兄さんは最初から先生に話をつけていて、あなたの知らないところで動いていたんだと思うな。どうして隠していたのかは知らないけど」
「翠は、一般クラスに移るために必死だったよ。俺たちと同じように勉強して、運動して、同じ目線に立ちたいって真剣に話していた。その熱意は買ってやってもいいんじゃないか? 隠し事していたのは悪いかもしれないけどさ」
 夕莉はじっと二人の話に聞き入っていた。気の弱そうな丸い目は、強い光を伴ってしっかりと開いているのだろうとわかった。夕莉はうつむいて、手の指をいじり始めた。彼女は悩むと指をいじる癖がある。佳純は夕莉が何をしたいのかを察した。
「じゃあ、翠君のクラスの出し物に寄ってみませんか?」
 夕莉が思い出したようにはっと息を飲んだ。佳純はポンと彼女の肩に手をやって「皆なら、翠君も懐かしがってくれると思うよ」と諭すように言った。
「そうだな。じゃあ、行ってみるか」
 夏央がさっと席を立った。
「考えてみれば、あの子ずっと一人で戦っているしね。どうしていきなり夕莉と離れたのか、今なら訊けるかもしれないし」
 冬華も立ち上がってにっこりと佳純たちに微笑んだ。
「翠君のクラス知ってる?」
「多分、二組。先生から聞いた」
 佳純の問いに夕莉は自信なげに答えた。
「あいつ、本当に何も言ってないんだな。しょうがねえなあ」
 夏央があきれたように溜め息を一つ吐いた。
「一年生はほとんど展示会だから、翠君がクラスにいるかどうかはわからないわね。友達と遊んじゃっているかも」
冬華が持っていたパンフレットを取って、推測するように告げた。佳純は夕莉の背中をそっと押して促した。夕莉が覚悟を決めたように歩き出すと、ほかの三人もついていった。翠に会うことに、佳純の心も高鳴っていた。夕莉の幸せを願っている自分も嘘ではないと言い切れるが、翠に恋心を抱いていることも否定できなかった。結局何一つ行動に移せなかったけれど、会えるかもしれないという期待だけでよかった。
 廊下を抜けて校舎の南側に着き、グラウンドを見渡せる一、二、三組の教室に向かった。二組はちょうど真ん中にある。夕莉の視線が落ち着かない様子できょろきょろとしている。佳純も心臓の鼓動が速くなって、二人は自然と手を握った。夏央と冬華の後ろをついて歩くように、互いの足取りは頼りなげにふらついていた。
 受付係の一年生が二人、クラスの前にいた。机について「どうぞ寄ってくださーい」と明るく宣伝している。夏央たち上級生が近づくと、一年生たちはちょっと緊張気味になって姿勢を正した。
「急に悪いんだけど、青花翠ってこのクラスだよな?」
 一年生は顔を見合わせて「はい。一応」と意味深な台詞を放った。
「一応?」
 夏央がきょとんとして聞き返すと、「あ、いえ、何でも。青花君はこのクラスです」と一年生はあわてて訂正した。そのしぐさに佳純たちは疑問を抱きながらも、彼の居所を問うた。
「青花君は、今どこにいるか知ってる?」
 夏央の問いに一年生は不吉そうな顔をして「えっと……」と言いにくそうにしていた。何かあったのだろうか。彼に。佳純は不安を隠せなかった。しかしそれ以上に夕莉の瞳が揺れ動いていた。互いの握る手の力が強くなった。
「どうかしたのか?」
 夏央が問いただすと、一年生はおずおずと話した。
「今朝、体調を崩して保健室に運ばれました。もしかしたらもう帰っているかも。今朝っていうか、もうずっとこんな感じで、しょっちゅう倒れるし、もう勘弁してよって感じなんですけど」
 一年生の顔には明らかに迷惑している表情が浮かんでいた。言葉にも彼に対する棘が感じられた。佳純の心臓に刺すような痛みが走った。瞬時に夕莉の顔を見る。彼女も頭から冷や水をかけられたような呆然とした色のない顔色をしていた。唇が軽く震えていた。
「……教えてくれてありがとう。皆、行くぞ」
 夏央が固まってしまっている佳純と夕莉の肩をポンと叩いた。そして大股で歩き出す。冬華も「行こう」と真剣な瞳で二人に語りかけた。佳純は夕莉と握っていた手を離して、おろおろと夏央たちについて歩いた。夕莉が横で兄の名を呼んだのが聞こえた。

 廊下を突き抜けたところにある保健室へ入ると、夕莉が「先生」と保険医のほうへ駆け寄った。保険医はまるでずっと待っていたかのように、柔らかな笑みを携えて「青花さん」と夕莉の肩に手を載せた。
「青花君。お友達が来てくれたよ」
 保険医が奥のカーテンをそっと開けて、中の様子を見た。続けて「……友達? 舞衣か?」とあの懐かしい低い声が聞こえた。眠いのかどことなくとろんとしている声が余計に懐かしさを増幅させた。
 カーテンの奥から、翠が現れた。しばらく経った間に背が伸びたのか、身体つきがほんの少しだけ大きくなったような感じがした。切れ味鋭い刃物のようなスッとした目に、困惑したような瞳がその場にいる者を捉えていた。
「久しぶりだな、翠」
 夏央が代表して彼に挨拶をした。
「ああ、久しぶりです。すみません、ずっと忙しくて……」
 翠は夏央を見るとほっとしたように笑顔を浮かべた。「冬華先輩も久しぶりですね」と言いながらベッドから下りて、二人に歩み寄ろうとした。
 その時、夏央と冬華の陰に隠れていた夕莉が、ひょこ、と顔を出した。佳純も続けて翠の前に姿を見せたが、彼は自分には目もくれていなかった。妹の姿を見て、時が止まったかのように硬直した。そして見る見るうちにその冷たい美貌が殺気を漂わせた。
「お兄ちゃん」
 夕莉はそのことに気がついていないようだった。
「久しぶり。身体は大丈夫?」
 当然のように兄を気遣った妹に、翠は、突き刺すような鋭い視線を向けた。
「何でここがわかった」
 押し殺したような声に何かを感じ取ったのか、夕莉がおびえたようにビクッとした。
「一般クラスに移ってから、ずっと体調悪いって聞いて、お兄ちゃんのクラスの出し物に皆で行ったんだけど、いなくて、保健室にいるって言われたから」
 たどたどしく説明する夕莉に、翠はこれ以上ないほど殺気じみた瞳で、がなった。
「出て行けよ」
 その場にしんとした沈黙が流れた。皆が彼の威圧感に負けてたじろいでいた。
「あの、私、ずっとお兄ちゃんのことが心配で」
「うるせえんだよ!」
 夕莉の紡いだ言葉を、翠は怒声で叩き潰した。夏央たちまでもがどうしたらいいのかわからず互いに困惑した表情で見つめ合っていた。
「何でこうも俺の前に現れるんだよ! もういい加減離れろよ! 俺がどんな思いで……!」
 そう言いかけたところで、突如ドアが開いた。何のためらいもなく入ってきた一人の女子生徒に、全員が唖然とした。佳純は彼女を見ると「あっ」と小さな声を上げた。あの時同じように堂々とデイケア組に入ってきた女子生徒―飯塚舞衣がいたのである。
「ま、舞衣?」
 夏央と冬華がそろって素っ頓狂な声を上げた。やはり彼らは知り合いらしい。
「あら、失礼。お取込み中?」
 舞衣はすました声で冷静に事の状況を把握した。
「翠を迎えに来たんだけど。倒れたって聞いたから」
 先ほど夕莉が言ったこととほぼ同じことを言いだした舞衣に、ただ一人、翠だけが返事をした。
「ああ。来てくれてありがとう。一緒に帰ろう」
 翠は誰の顔を見ることもなく、保険医から学生鞄をひったくって夕莉の横を通り過ぎた。妹に一瞥すらくれなかった。佳純は隣にいる夕莉からあふれ出ている激情を、受け止めきれずに逸らした。翠は舞衣のもとへ行き、「いきなり大声出してすみませんでした、先生。それじゃあ先に失礼します。夏央先輩、冬華先輩、お元気で」としらじらしい挨拶をするとバタンと無情にドアを閉めた。その場にいる誰もが動けなかった。
「何で」
 夕莉がこらえきれなくなったように、一言つぶやいた。
「何で。何でよ。ちゃんと言ってよ」
 夕莉の息が上がり始めた。ついに彼女はしゃくり上げてその場に泣き崩れてしまった。苦しそうに息を吐き、頭痛が起こったのか頭を両手で抱えてしゃがみ込んで、「うぅ……」と喘いだ。倒れてしまった夕莉を保険医と介抱しながら、佳純は気まずそうに顔をしかめている夏央と冬華に、言葉を放った。
「先輩、話してください。飯塚舞衣さんと、あなたたちは、どういう関係なのか」
 夕莉を空いていたベッドに運びながら、夏央と冬華も観念したようにソファーに腰かけると、佳純に事情を話し出した。
 翠と飯塚舞衣が初めて出会ったのは、ボランティア部がデイケア組に接触した頃だった。
 翠はその時、夕莉に付きっきりで登下校していた。夕莉に気づかれないうちに一般クラスに接触するのは、昼休みの時しかなかった。翠はその時間を有効的に活用して、昼の活動をしているボランティア部にたびたび会いに行っていた。
 飯塚舞衣は、夏央と冬華の腐れ縁だった。
 彼女は保健委員会の副委員長で、昼休み時間に週に二回、保健室に滞在していた。夕莉と面識がないのは彼女が昼休みは佳純とともに弁当を広げている頃だからだろう。翠はその間、夏央たちのところに行き、彼らを通して舞衣と知り合った。次第に翠は彼女と仲良くなった。その時から、彼の妹離れは始まっていたのだろう。なぜ急に夕莉を拒絶するようになったのかは理由が掴めないが、翠は「外」の世界に憧れを抱き始めた。デイケア組に甘んじることは、翠にとって、許しがたい屈辱なのだろう。彼は佳純たちの組を出て行きたくなったのだ。夏央たちと出会ったあの日から。
 佳純はそこまで聞くと、ベッドで寝込んでいる夕莉に真相を告げた。夕莉は泣きながらもしっかりと兄の事情を聞きとっていた。話を聞き終えると夕莉は一言「ごめん。弱くて」とか細い声で言った。佳純は曖昧な笑みだけを浮かべた。
 夕莉が落ち着くまで、佳純は保健室で待っていた。後夜祭を控えた空は橙色の夕暮れを地平線に残して青々と深くなっていた。夏央と冬華は周りとの付き合いがあるため、最後まで佳純たちに詫びながら保健室を先に出て行った。佳純は薄暗い青の空に佇む薄い雲を窓越しに見上げながら、実家で暮らしていた頃の広々とした空と重ね合わせていた。
「お兄ちゃんが、寮にまで入ったのは、私のせいだったのかな」
 夕莉の声が途切れ途切れに聞こえたのは、後夜祭が始まって皆の楽しそうなざわめきが聞こえ出した頃だった。
「私はずっと嫌われていたのかな」
 彼女のあきらめに満ちた声に、佳純は思わず過去の一部を吐露した。
「私も、ずっと兄に嫌われていたから大丈夫。あなただけじゃないよ」
 夕莉が驚いたように身体を起こした気配がカーテン越しに伝わった。佳純は「そろそろ帰れる? あとで先輩たちにメールしておこう」と言って夕莉の学生鞄を持ち出し、ソファーから立ち上がった。カーテンが開いて、夕莉が泣きはらした目でベッドから下りた。「鞄、ありがとう」と言いながら佳純から荷物を受け取り、黙って状況を見守っていた保険医に頭を下げながら、二人は学校から帰った。
 帰り道、佳純は校門を抜けようとした夕莉を止め、こっそりと後夜祭で盛り上がっているグラウンドへ足を運んだ。皆に見つからないように、そっと木の茂みに隠れたベンチに腰かけて、訥々と夕莉に過去の家のことを話した。記憶をたどると死んでもいないのにまるで走馬灯のように兄たちの顔が一人一人浮かんできた。
「私は」
 これは絶対に誰にも言わなかった過去だ。それを今、言う。友達のために。自分の分身のために。
「兄に、二階の窓から突き落とされたの」
 夕莉が息をのんだ。これを話したら自分は息ができなくなるのではないかと思っていたが、意外にも頭は冷静で、呼吸は正常のままだった。
「私の家はここからすごく遠い田舎の村でね。兄が五人いて、両親と八人家族だった。大家族だったから珍しいってよく言われていたな。でも、お母さんが死んじゃってからお父さんが狂っちゃって。兄たちに事あるごとに八つ当たりしていたの。私は台風の目のような立ち位置で、私だけ父に愛されていて穏やかだった。それで、落とされちゃった。二階から」
「……誰に?」
 夕莉がおずおずと訊いてきた。佳純はありのままの心情を述べた。
「それが、わからないの。突き落された時に覚えているのは、夕暮れ時の夜が迫った暗い空と、やけに綺麗な夕焼け。そして家の庭の大きな蜜柑の木。その木に引っかかって私は助かったの。八歳の時だったから記憶に残っているのはそれくらい。誰に落とされたのかは誰も教えてくれない。自分で探し出すしかない」
 佳純は、あの時と同じような深い青に染まった空を見つめ続けていた。夕暮れ時の空は、青だ。橙色の夕焼けは、地平線にしかない。本当の夕暮れとは、深い悲しみのような青い空のことなのだ。
「……少し、昔の話をしてもいい? あなたを救えるヒントが隠されているかもしれない。私とあなたは、似ているから」
 夕莉が決心したようにうなずいた。佳純は心の奥底にしまった記憶の箱を開けて、ゆっくりと自分の身に起こった出来事を語り始めた。

 母が亡くなったのは、五歳の時だった。
 事故か病気か、もう覚えていない。確かめる術もなかった。太陽のように光り輝いていた母がいなくなり、皆に平等に注がれていた愛は大きく歪み始めていった。
 五人の兄は、長兄と次兄がしっかりとした人で、下のほうの五兄は落ち着きがなくドジばかりしていた。母はこの三人の兄のことが割と好きで、真ん中の三兄と四兄は放っておいた。そして佳純のことは、目に入れても痛くないほど可愛がっていた。そんな風に八人の大家族は成り立っていた。
 そのバランスが、母の死をきっかけにあっけなく崩壊した。まるでトランプカードのタワーが崩れるように一瞬で何もかもがなくなった。
 しばらくは父と兄たちの膠着状態が続いた。大らかでどっしりとした父は母を失ってからピリピリと殺気を放った男に変貌した。喧嘩に明け暮れる中、母親の役目はだんだんと長兄と次兄二人が担うことに決まった。佳純の幼い頃の記憶は、男たちの怒鳴り声と罵声だった。部屋の隅で震えるように息をしていた。お母さん、と何度心の中で口にしていたか知れない。
 ランドセルを買ってくれたのは、父だった。小学校入学の時には父はだいぶ落ち着き、佳純を連れてランドセル売り場へ行った。どんなやつがいい? と尋ねる父は、ごく普通の優しいお父さんのように見えた。佳純と接する時だけ、父は親の感性を取り戻していた。
 入学式には長兄と次兄が来てくれた。父は仕事だった。一年生のクラスへ行き、自分と同じ年齢の子どもたちがわらわら集まっている光景を不思議な気持ちで見つめていた。
 あなたの家、大家族なんだよね? お母さん死んじゃって大変だね。地元の小学校の子どもたちは皆、親から佳純の家の事情を聞きとっていたらしく、それぞれ言葉尻を変えながらこんな風な台詞を言った。佳純は曖昧に笑った。
 年月が経つうちに友達が何人かできて、家に招待され、驚いたのは自分一人の部屋が与えられていることだった。佳純は父と一緒の部屋で生活していた。兄たちは大部屋で一緒くたにされていたので、一人部屋という世界が想像できなかった。カルチャーショックを受けながら友達の母親が出したお菓子を食べている時、自分だけ空間が歪んだ場所にいるような疎外感と漠然とした不安が押し寄せてきた。私だけ違う。私の家だけ違う。なぜか泣きたくなって、友達と遊ぶことに集中できないまま微妙な時間帯に帰宅した。家には誰もいなかった。
 玄関のドアが開いて兄のうちの誰かが帰ってくるまで、佳純は居間の座椅子に座り込んで膝を抱えて待っていた。喉がカラカラに乾いて、台所でジュースや麦茶を飲んだりしながら、また玄関が見渡せる位置に座椅子をずらして待った。
 ガチャン、と鍵が勢いよく回る音がして、重い扉が開いた。佳純が力いっぱい引っ張って開ける扉を、軽々と開け放って家に上がり込んだ兄を見て、佳純はとうとう無我夢中ですがりついた。
 お母さんを返せ! お母さんを返せ! 何で私の家だけ違うんだ!
 叫ぶうちに涙が出て鼻水と一緒に流れ、佳純の顔はボロボロに崩れた。力任せに叩いてもびくともしない兄の胸板が、こんなにも憎たらしく見えたのは初めてだった。
 ふわり、と身体が浮いた。兄に抱きかかえられたのに気づいた。佳純がぐずっていると、兄はそのまま二階へ階段を上がり、ベランダに出た。
 自分を慰めてくれているのだろうか、と目いっぱいに広がった夕暮れの迫る空を見た。地平線に日が浮かび、そこに雲がかかって激しいピンク色に染まっていた。真上のほうを見ると兄の顎の先から深い群青色の空が見えて、星たちがキラキラ光っていた。綺麗、と思った。
 ふいに身体の重力がなくなった。星空がガクンと落ちて猛スピードで世界は一点に向けて消えていった。頭か身体か、強い衝撃が走って視界が暗くなった。
 気を失う間際、ベランダが見えた。兄がこちらを覗き込み、薄い笑みを浮かべていた。
 そのあとの記憶は、もう聡子と稔に出会った施設の場所だった。長兄が佳純の手を強く握りしめ、この子をよろしくお願いします、と頭を下げた。聡子たちは優しそうな大きい掌で、佳純の頭を撫でた。絶対に守り抜きます、と稔の声が降ってきた。記憶を取り戻しそうになったら連絡をください、と伝えると、長兄は佳純と握っていた手を完全に離した。家族がバラバラになることに対してはそんなに驚かなかった。もうずいぶん前から自分たちはバラバラだったのだから。では私を落としたのは一体誰なのだろう、とそれだけが気がかりだった。
 聡子たちの家に来てから数日と経たないうちに、今度は悪夢を見始めた。
 ほぼ毎日のように見続けて、夜中に泣き叫んで飛び起きた。眠るのが怖くなった。次第に眠れなくなって、布団の中で身体を丸めて泣き続けた。聡子たちが心配して佳純をいろいろな病院に連れていった。四回目の診察で、現在の精神科医に行き着いた。
「あなたは運がなかっただけです」
 それまで悪玉菌のように繁殖していた負の感情が、すとんと落ちて消化されていくのを感じた。運がなかっただけ。その言葉は魔法のように佳純の心を洗い流した。それからは毎月そこの病院へ行って診察を受けている。
 薬をもらって飲むようになってから、悪夢を見る頻度は少なくなり、やがてごくたまにしかうなされなくなった。悪夢に起きた日は、常備している薬を飲んで窓から空を眺めた。真っ暗闇の空に星や月が浮かんでいるのを見つけた日は嬉しくなった。佳純にとって空とは、心の安定剤のようなものだった。
 兄たちから連絡が来たのは、聡子たちとの暮らしに慣れてからしばらく経った頃だった。最初に手紙をくれたのは長兄で、すぐあとに次兄、しばらくして五兄も連絡をくれた。何気ない近況報告の中に、佳純をいたわる文が綴られているとほっとした。五人のうち三人と繋がりがあるのなら、それだけでいいと最近は思えるようになった。
 この中に一人、自分を窓から落とした兄がいる。その真実は針のようにプツリと佳純の肌を刺しては痛んだが、知りたくもないことは知らないままのほうがいいと佳純は自分自身に言い聞かせていた。このままの関係を維持したいと、切に思った。時々ひどく鬱屈とした気持ちになる心を抱えながら。

 グラウンドではしゃぐ生徒たちを遠目に見つめながら、佳純は夕莉に過去のことを話し終えた。夕莉はじっと耳を傾けていた。時折、相槌を打ちながら、佳純の紡ぐ言葉に聞き入っていた。
「あ、夏央先輩と冬華先輩のクラス、賞取ったみたいだね」
 佳純がふと話題を変えると、夕莉も視線を移した。遠くで夏央がクラスメイトと熱い抱擁を交わしていた。冬華のほうはクラスの女子たちと手を取り合って喜んでいた。
「青春って感じだなあ」
 夕莉が溜め息交じりにつぶやいた。その声の調子に羨ましがっているような感情を佳純は感じ取ると、「私たちも青春したじゃん」と返した。
「うん、まあ、午後しか参加できなかったけど。……ごめんね、あんなに取り乱しちゃって」
「いいよ。もともとは私が言い出しっぺだから。……もう外、暗いね。帰ろうか」
「うん」
 佳純と夕莉はそっとベンチから立って、そろそろとグラウンドを後にした。先に帰るという旨を夏央と冬華にメールで伝え、今日はいろいろとご迷惑おかけしました、という文章を添えて送信すると、二人はゆっくりと帰り道を歩いた。
「頭痛は治まった?」
「うん、だいぶ」
 先ほど倒れた夕莉は、頭に手をやりながらも気丈に答えた。
「ありがとうね。つらい過去のこと話してくれて」
 夕莉は礼を述べると、髪をまとめていたバレッタを外して手串で広げた。佳純も縛っていた髪をほどく。いつもの自分に戻ると今日一日の疲れがどっと出た。
「私のお兄ちゃん、何も言わないから。いつも私に黙って何でも決めちゃう」
 夕莉は少し笑いながら、とっぷりと夜の満ちた空を見上げて歩いた。
「きっと、兄と妹っていうのは、荷が重すぎる関係なんだよね」
 彼女がその台詞を言うと、それはとても説得力のある言葉に思えた。佳純は夕莉に寄り添って、バス停とモノレール線に分かれる駅の入り口まで進んだ。
「ヒント、見つかりそう?」
「うん、何とか」
 私たち、やっぱり似ているから。そう言いたげな夕莉の視線に佳純は笑顔で返した。
「じゃあ、明日は文化祭の後片付け日だから、私たちは休みだね。明後日また学校でね」
「うん。バイバイ」
 夕莉は手を振るとモノレール線乗り場まで改札を通っていった。バイバイ。さようなら。また明日。もう何度この言葉を伝えてきたのだろう。また明日会えるなんて、どうして思えるだろう。別れの言葉はいつでも自分に過酷な試練を課してきた。もう、終わりだろうか。もう、言ってしまおうか。あなたの兄に恋をしていると。あなたの兄のことが好きだと。
 自分も、三学期から一般クラスに編入するつもりなのだと。

 待ち合わせ場所の駅のロータリーに行くと、長兄がすでに待っていた。約束の時間の五分前に到着したのだが、長兄はそれより早く待機していてくれたらしい。そばにいる時は気づかなかったが、離れてみてわかったことがいくつかある。彼は几帳面で時間には正確な人だった。
 今年で二十五になる長兄は、もう立派な大人の男の風貌に近づいていた。身体つきがすっきりとして、社会に出たての新人の頃からだいぶ揉まれた余裕のある表情が、佳純との長い隔たりの年月を物語っていた。もうこの人は他人と言っていいくらい、佳純の心は達観していた。
 文化祭を終えていつもの気だるい毎日がやってきた秋の半ば、聡子を通して長兄から連絡が来た。土日でどこか会えないかという誘いを受けたのは初めてだった。思えばあれ以来、直接的な関わりを避けてきたともいえる。何かあったのかもしれないと、佳純は不安と期待で押し寄せ合っている感情の波にたゆたっていた。
 実際に会ってみると、話は弾んだ。長兄は気を使ってくれているのか、慎重に言葉を選びながらも佳純から思い出話を上手く引き出せていた。
「そうか。友達できたか」
 コーヒーを一口飲んで、長兄は言った。
「でもどうして、せっかく入ったデイケア組を編入してまで一般クラスに?」
「……世界を、もっと広く見てみたいの」
 怪訝な顔をされるかもしれないと思ったが、彼は佳純の回答を笑ったりはしなかった。少し黙り込み、それから吐息を一つ吐いて、昔を思い返すように懐かしげな瞳をした。
「佳純は昔から箱入り娘だったからな。父さんも母さんもひどく甘やかしてさ」
「……うん」
「俺らなんか男だから、皆放っておかれて勝手に育って。佳純が羨ましかったなあ。お前はずっと大人の誰かにべったりだっただろ?」
 そう言われて、自分が保育園児だった時のことを思い出した。確かに一番気に入っていた保育士に四六時中つきまとっていた記憶がある。
「……よく覚えているね」
「俺は物覚えがいいのですよ」
 長兄が少し自慢げにかしこまった。佳純は笑って目の前にある紅茶を口に含んだ。甘さと苦さが同時に舌に伝わって気持ちよかった。
 ……やはり、彼なのだろうか?
 佳純の疑心はなおも鋭い光を放って向かい側の男を捉えていた。佳純が窓から落とされた八歳の時、兄たちはまだ学生だった。誰があの時間帯に帰宅してもおかしくないのだ。
「……ほかの人たちは元気?」
 それとなく尋ねると、長兄は目を細めて笑った。
「ああ、あいつらはしぶといから。お前が気にすることなんて何もないよ」
「そっか。ならよかった」
 佳純は再び紅茶を一口飲んだ。
「変わってなくてよかった」
 長兄は声のトーンを少し落として、安心するように一言漏らした。
「聡子さんたちから、お前がずっと悪夢にうなされているのを聞いていたから、どうにも心配で。でも抜け出せたみたいだから、よかった」
「……うん」
「お前は昔と変わらない。ずっと末っ子で、ずっと甘えん坊の、わがまま娘だよ」
「お父さんみたいなこと言うね」
 佳純がおどけて言うと、長兄の表情が一瞬固くなった。すぐにいつもの穏やかな顔に戻して、彼は残りのコーヒーを飲み干した。
「せめてお母さんみたいだと言ってくれよ」
 そうおどける長兄に、佳純は「そうだね。ごめん」と自分もおどけて返した。
 喫茶店を出て、アーケード街を二人でしばらく見て回ると、夕方近くになった。デパートで佳純が今人気のマスコットキャラクターのスケジュール帳を見つけ物欲しそうにすると、長兄がすぐに気づいて買ってくれた。「お兄ちゃんは何でも買ってくれるなあ」と感心すると、「高校の時から俺は母親の役目だったからな」と兄のまんざらでもないような声が返ってきた。デパートから出ると、外はだいぶ暗かった。今日もいい天気だ。空は青く澄み渡り、夜に差し掛かる海の底のような群青色が、星を一つ二つ輝かせていた。
「お前、よく空を見るよな。そんなに綺麗?」
「うん。とても」
 顔を上げて建物の間から見える夕空を視界に収めると、佳純は兄と歩き出した。
 帰り道を長兄に送ってもらいながら、佳純は訊くべきかどうか迷っていた。母がどうして死んだのか、自分は誰に憎まれていたのか、思い出すべきことはすべて思い出していた。
「お兄ちゃん、家の前まで送ってくれる?」
「ああ、いいよ」
 長兄は快く承諾して、一緒にバスに乗って佳純の住む住宅街までついてきてくれた。バスに揺られている間、二人は当たり障りのない世間話をしてその場をしのいだ。長兄も感づいている。佳純が過去の記憶を取り戻したことに。
 バスを降りて、聡子たちの待つ一戸建ての家の前に二人は向かい合った。何か言おうと頭の中で言葉を探している兄とは対照的に、佳純はスラスラとまるで芝居のように台詞が口から舌に乗って出てきた。
「私を落としたのは、五番目のお兄ちゃんね? あの時家に帰ってきたのは、あなたとそのお兄ちゃんでしょ?」
 問うと、長兄はこの世の果てのような暗い瞳を浮かべた。
「そしてそのきっかけは、お父さんなのね?」
 長兄は俯いて、罰を受ける罪人のようにうなだれていた。そしてゆっくりと口を開いた。
「どこにでもある、ごく普通の親子喧嘩だよ。馬鹿みたいな話さ。あの晩、あいつと父さんは激しい口喧嘩をしたんだ。原因は、何だったかな、思い出せないくらい些細なくだらないことで。お前は部屋の隅っこで震えて泣いていた。お前がそうなる時、俺は決まってお前をなだめるために空を見せていた。うちの庭は広かったから、庭に出て、一番星を一緒に見つけた。お前をあやすのは俺の役目だったから。あいつは俺たちのことをずっと見ていたんだろう。その翌日、お前が落とされた。理由は、父親への八つ当たり。お前が一家で重宝されていたから、あいつはお前を落とすことですべてをぶち壊してしまいたかったんだろう。俺とあいつが家に帰った時泣きついてきたお前を抱いて、あいつは言った。俺が見ているから兄貴はいいよ、と。俺は何の疑いもしなかった。夕飯の準備をしていると、庭ですごい音がした。お前が倒れていた。あいつは、笑っていた。そのあとのことはもう思い出したくもない」
 長兄は顔に手を当てて苦しそうに呻いた。「だけど、どうして……」とかすれた声で訊く彼に、佳純は「蜜柑の木」と答えた。
「蜜柑?」
「そう。五番目のお兄ちゃんからの手紙に、今も蜜柑の木を見るとお前のことを思い出します、という文章が書かれていたの。蜜柑はお前が生まれた年に植えたらしいですよ、とも。私が助かったのは、あの木に引っ掛かったから。うちでは蜜柑のことを気に掛ける人なんて誰もいなかった。あなたでさえ、私をあやす時は空を見せて庭の木のことを忘れていたでしょう? お兄ちゃんたちの中で蜜柑の存在に気がついているのは、五番目のお兄ちゃんだけだった。きっとあの人は、計画的に私を落としたんだわ。殺さずにひどい目に遭わせる方法を、ずっと探していたんだと思う。あの庭で一番大きかった蜜柑の木の上に落とせば、命が助かると思ったのでしょうね」
 五兄は、いつも父親に怒られていた。気が弱くて、泣き虫の癖がいつまでも治らなくて、馬鹿にされていた兄。彼の親に対する憎しみはそのまま肥大して佳純を材料に使う動機にまで至った。
「俺が」
 長兄が両手で顔を覆った。
「俺が、お前をあやしていれば。もっとあいつのことを気にかけていたら」
「多分、お兄ちゃんたちにお母さんの役目は、荷が重すぎたんだよ」
 佳純の心は穏やかだった。詭弁ではなく、誰のことも恨んではいなかった。
「荷が重いのに、自分じゃ似合わないことはわかっているのに、その仕事をしなくちゃいけないことって、あるよね」
 長兄はしばらく佳純の放つ言葉を聞いていた。顔を覆っていた手を離す頃には、いつもの落ち着きを取り戻していた。
「スケジュール帳、買ってくれてありがとう。大事にするよ」
 佳純は別れを言った。買い物袋を見せて、思い切り笑った。彼を安心させるために。
 長兄は何かをこらえるような表情で、無理に笑った。
「元気に暮らせ。聡子さんたちと幸せになれ」
「うん」
「今度こそ、俺たちを見返せよ」
「約束する」
 佳純と長兄は互いに手を振り合った。血の繋がりは切れない。この先また何かの因果で会うかもしれない。その時は、その時だ。いつか他人のように振る舞えたら、それが自分の救われる時だ。
 門扉を開けて、玄関の扉を閉める間際まで長兄は手を振り佳純の姿を見届けてくれた。家の中に完全に入り、彼の気配が消えた頃、佳純は、さようなら、と一言告げた。

 気温が下がったな、と週末の天気予報を見て、佳純は夕莉に連絡しようかどうか迷っていた。
 文化祭明けの学校は皆何かに燃え尽きたような様子でだらだらとした空気が流れていた。もっともその様子が顕著なのは本校舎の生徒たちで、デイケア組の地下の校舎にいる佳純たちはいつもと変わりなかった。大きな学校行事は終わり、あとは冬休みを待つだけとなった。夏央たちの学年は修学旅行があったが、九州地方に三泊四日で出かけるだけだと特に何の感慨もなく言い切った夏央と冬華は、今ちょうどその時期で学校を留守にしている。文化祭のすぐあとだと気持ちの切り替えが大変だろうな、と佳純は思いながら、もう一つの重要事項をいつ彼女に伝えようか考えていた。
 私があそこを出て行ったら、夕莉は一人ぼっちになる。
 彼女の涙に濡れた顔を想像した。驚くほどすぐにその映像が頭に浮かび上がってきて、つまりそれほど夕莉はよく泣いているということだろう。
 あの子は、本当に笑わない子だ。
 夕莉のことを思うと、胸がズキリと痛む。捨て犬を腕に抱いた時のような悲しくて見捨てられないような気持ちになる。それでも佳純は知っていた。自分は彼女を置いていくと。そして初恋の人と同じ環境に飛び込むと。夕莉の情は重すぎる。がんじがらめになった愛だ。しかし自分も似たような人間なので彼女のことを批判することはできなかった。
 居間のソファーに体育座りの姿勢で足を抱え、テレビに映る明日の天気を見た。曇り時々晴れ。秋雨前線の通過する時期の中で久しぶりに晴れ間がのぞくのかと思考に耽りながら、聡子の夕飯の手伝いをした。聡子は手際よくキャベツを千切りにしている。佳純は味噌を研いで三人分の具材を取り分けた。「もうご飯ね」と聡子がカツを揚げて皿の上に手際よく乗せ、千切りにしたキャベツをさっと乗せた。佳純がそれを持っていき、その時にちょうど稔もやって来てテレビを見始め、聡子が味噌汁を盛り分けて食食卓に運んだ。夕飯の準備が整い、皆で「いただきます」とご飯に手をつけた。何度この幸せな瞬間を経験しても、あの時兄に抱えられて見上げた夕空の美しさは忘れられなかった。自分の居場所は、どこなのか。佳純はまだわかりかねていた。

「おはよう」
 夕莉に声をかけられて、自分がぼうっとしていたことに気づいた。朝の読書時間がもうすぐ始まる時だった。ギリギリに着いた夕莉を見て、「おはよう。今日は遅いね」と笑顔で返した。「うん、ちょっとね」と言う夕莉の顔はどこか嬉しそうだった。
 一緒に登校することはもうなくなっていた。それは合図も何もなくごく自然に訪れた。どちからともなく二人はそれぞれ好きな時間に学校へ行っていた。ただ家へ帰る時は相変わらず一緒だった。隣を歩く夕莉は、最近は佳純の左側を歩く癖がついていた。
 担任教師が入ってきて、十五分間の読書は始まった。佳純はそろそろ読み終わるティーンズ向けの小説を広げた。ちらりと夕莉の背中を見ると、彼女はびっしりと隙間なく羅列された文章の本に集中していた。何やら難しそうだな、と思った。
「何読んでいたの?」
 昼休み、机をくっつけて弁当箱を広げ、佳純は夕莉に尋ねた。すると彼女はぱっと花が咲いたように笑った。
「お兄ちゃんが私に送ってくれた本」
 びっくりして、思わず箸を落としそうになった。あの冷たい美貌が一瞬で佳純の脳裏に浮かんだ。
「す、すごいじゃん! 連絡があったの?」
「うん。昨日、包装されて家に送られてきたの。宛先見たらちゃんとお兄ちゃんの字だった。手紙もついてて」
 佳純は逸る心臓で「へえー」と上ずった声を出した。この二人に進展があったことは何より嬉しい。翠はまだ妹のことを見捨てていなかったのだ。
「どんな本なの? 小説?」
「ちょっと昔の本。文章もいっぱいあって、内容も難しくて、挿絵もないから少しずつしか読めないんだけど……。お兄ちゃんの手紙に『最後まで読め』って書いてあって」
「じゃあ、ちゃんと読まなくちゃね」
 夕莉は「うん」と照れながらうなずいた。今日は食欲もあるようで、ご飯を進めるのが早かった。その満ち足りた表情を見て、佳純は、きちんとこの友達に本当のことを話そう、と決意をした。今の彼女になら、すべてを打ち明けてもいいと思った。
 午後の授業を終えて、夕莉とともに歩く帰路。佳純は三学期から翠と同じ一般クラスへ編入することを告げた。移るクラス先も知らされていて、翠とは違う組だったが、移動教室の時間割次第では鉢合わせることもあり得るということも話した。そして、彼に恋をしていたことも。
 夕莉は、もう泣くようなことはなく、ただ静かに聞いていた。佳純としっかり目を合わせ、「そうか。がんばってね。大変だろうけど」と笑みを浮かべた。その微笑を見て、彼女も兄と同じく、とても美しい少女なのだということを佳純は思い知った。
 なんてきれいなのだろう。
 ふいに泣きたくなった。勝手に進路先を変えたのに、何一つ相談すらしなかったのに、彼女はすべてを受け入れていた。夕莉に涙を見せたくなくて、顔をそらした。それきり二人は黙った。しばらく肩を並べてゆっくり歩いていると、夕莉がぽつりと言った。
「実はあの本、途中の内容を飛ばして、最後の結末読んじゃった」
 彼女は「へへへ」と笑った。佳純がポカンとしていると、夕莉は悪戯っぽく肩を小突いた。
「好きなら後悔しないように勇気出しなよー」
「あ、あの、話の内容はどうだったの?」
 佳純がたじろぎながら訊くと、夕莉は「ああ」と朗らかな笑みで話した。
「ストーリーはね、冒頭部分で主人公と大の仲良しだった一つ上のお兄さんが死んじゃって、その人の葬式のシーンから始まるの。それで主人公は悲しみの淵をさまよいながら、最終的にお兄さんの亡霊を見て、彼の魂の言葉を聞いて、この世界で生き抜くことを決心するの。それ以来、もう二度とお兄さんの言葉を聞けなくなっちゃうんだ。そこで終わり」
「……何か、悲しい話だね」
「うん、でもね」
 夕莉が何かから解放されたように、爽やかな笑顔を見せた。
「私、救われた。上手く言えないけど、お兄ちゃんが私に何を伝えたいのか、何となくわかったから」
 それにね、と夕莉は続けた。
「メモが挟まれてあったの」
「……メモ?」
「うん。本から落ちないようにセロテープで貼っていてさ。最後のページの、作家と編集者の名前や発行人とか印刷所の名前が記載されているページ。そこにノートの切れ端みたいなやつがあって、お兄ちゃんの字が綴られていた」
 夕莉は前を向き直して、懐かしむように言った。
「生きて、元気に暮らせ。もう逢うことはないだろう」
 佳純は胸がキュッと締め付けられるような途方もない気持ちになった。「これ、作中の登場人物の台詞なんだよ。あの人ってロマンチストだったんだね」と夕莉は少しおかしそうに吹き出した。佳純は夕莉の笑い顔をずっと見ていたいという思いを抱いた。彼女は、間違いなく自分の親友だった。
「佳純、私は、もう大丈夫」
 夕莉はなおも前を見つめて、力のこもった声を出した。
「大丈夫。絶対に大丈夫。言い切れるから、一般クラスに移って。がんばって。また遊びに来てね」
「……うん」
 泣かないようにするのが精一杯だった。夕莉の美しい横顔をずっと見ていたかった。進もうと決めたのはほかでもない自分自身だ。親友の夕莉に誓って、絶対に後悔はしない。彼女と別れることを。翠のことを好きになったことを。この先、この二人とどんな関係になるだろうか。兄たちと同じように疎遠になるだろうか。また一緒になれるだろうか。わからない。でも私たちの深すぎる苦しみは、今ようやく終わろうとしている。そしてまた新たな苦しみも生まれるだろう。そんな時は、大切な人たちの笑顔や言葉を思い出せばいい。
 バス停への分かれ道に差し掛かり、佳純は夕莉の姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。「さようなら」「また明日」と二言だけを告げて。
 バスの中はがらんとしていた。こんなに空いているのは初めてだ。乗っているのは二組の年寄り夫婦と一人の若い男性だけだった。
 一番前の座席に座った。ぐっと体重を乗せて、ポコッと突き出た最前席に腰を下ろすと、窓から真昼の日差しがまぶしく道を照らしていた。
 これからは、帰る時間帯は夕刻の始めだろう。空は少しずつ暗くなるのが早くなっている。秋は深まり、冬が近づいている。三学期は真冬の一番寒い時期だ。今年は雪が降るだろうか。
 夕莉のことが好きだった。翠のことも好きだった。二人を心から愛していた。
 目の前の景色が歪み始めた。にじみ出た涙は佳純の頬を濡らし、バスの車内の薄暗い沈黙はエンジン音が響くだけで誰一人として騒がなかった。周り中が他人なことで、救われることもあるのだということに佳純は気づいた。あの息苦しかった実家。皆が監視者のように佳純の家を見張っていた。ここでは誰もが他人だった。聡子と稔でさえも。やっと、一人で泣くことができた。家に帰ろう。新しい家に。未来を、生きなければいけない。
 佳純は声も立てずに泣いた。幼い頃から誰にも知られないように泣くのは得意だった。部屋の片隅で、じっとうずくまっていた。ぽろぽろと落ちる涙は手の甲に落ちて、服の袖に落ちて、温かかった。
 バスは、住宅街へと入った。停車ボタンを押し、降りた。空を見上げると、厚めの雲の中から太陽が丸い輪郭を伴って光を注いでいた。
 もう、大丈夫。
 誰かの声を聞いた気がした。それは夕莉だったり、翠だったり、聡子や稔だったりした。その声は形を変えて佳純のそばに佇んでいた。この言葉とともに、歩いて行ける。
 涙は乾いていた。佳純は深呼吸をして、しっかりとした足取りで、家へと歩いていった。
 さようなら。また明日。もう、大丈夫。
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登場人物紹介

青花夕莉《あおはな ゆうり》

引っ込み思案でオドオドしている女の子。依存性が高く、まだ情緒が不安定。

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