第47話 いせかいへ行くひつようはないよ

文字数 2,842文字

 街はファンタジーの様相を観せて。
 疾駆する自転車は公道を走る免許が必要な乗り物と同じほどのリアルさで。
 併走するふたりの表情は、大人以上に大人で。

「ボクト!」
「うん、ミコちゃん!」

 そのふたりは合図を交わしながら交差点を折れる方向を定め、ターンする路地を選び、枯渇したエネルギーを補給するためのグローサリーを丁寧に物色した。

「反応まだないね」
「うん・・・このブロックは2時間かけてなんとかつぶせたけどね」

 ボクとミコちゃんが走破したのはね、観音堂をスタートしてビジネスホテルや海外から観光に来られたお客さんたちが泊まるグレードの高いホテルがあるエリアだよ。
 街の中心部だね。

 でもボクは縦横無尽に走るように見えて、きちんとエリアのポイントポイントをクリアしながら、とてもこうりつてきに街を走ったよ。

 目印は、おじぞうさま
 それから小さなお堂。
 そしてたとえばケヤキのご神木が一本すうっ、って立っているだけの場所。

 ボクが街は冒険の場所だと強くかんじるのはこういうところだよ。

 だって、かんがえてみて?

 わざわざがいこくへぼうけんしなくても、いせかいへのとびらをあけなくても、ボクたちが住んでいる街には道ゆく道に神さまや仏さまがおられるんだもの!
 そしてたとえばボクは神速(しんそく)さまとお会いできた。

 ううん、むしろ逆でね。
 神さまや仏さまが縦横無尽に往来のど真ん中を行き来しておられてね。
 ボクたちはそのお体をすり抜けるようにして動いてるだけ。

 そう、ほんとうに実体があるのは神さまと仏さま。
 ボクたち人間は浮世のゆめまぼろしのようなふわふわした存在だから、ボクらの方が実はすりぬけてるんだよ。

 ほんとうのリアルな実体は、神さまや仏さまのものだよ。

 それが証拠にボクとミコちゃんは出発してからずうっと大人のひととも、子供とも、猫や犬とさえすれ違ったりであったりしないもの。
 これがきっと本来の世界なんだろうと思うよ。

 ボクたちの方が、仮の住まいをさせていただいてるんだよ、きっと。

「ボクト、お昼にしようよ。ここなんかどうかな」
「あっ」

 それでもボクはおどろいたよ。
 だって、そこはね。

「ミコちゃん、この場所ってファミレスのはずだよね」
「うん。でも見て」
「うん」

 ボクとミコちゃんが立っているのは、ところどころが木の柱でできてて、白くてきれいなレストラン。

『風房』って手書きのレタリングみたいなかんばんがあるよ。
 それでね、すけて見えるようにしてファミレスの3D映像みたいなのが、ほんとうにかすかに後ろに見えるの。

「入ろう、ボクト」
「うん。でも、お金足りるかな?」
「だいじょうぶ、ほら」

 ミコちゃんが指さしたのは食品サンプルが並べられたショーケースでね、一番高いのはビーフシチュー。野菜サラダとフランスパンがセットになってるやつ。
 その一番高いのでも50円だって。

「うん。これなら寮母さんの仕事でいただいたお給料でなんとか払えるよ」
「わたしももらってきたお小遣いでだいじょうぶ」

 ボクとミコちゃんが、キイッ、てドアを開けるとね、白のワイシャツに蝶ネクタイをつけて黒いズボンを履いた女の人がね、テーブルに案内してくれたよ。

「いらっしゃいませ。おふたりさまですね。葉巻は吸われますか?」
「え。吸いません」
「ではこちらの奥のお部屋へどうぞ」

 葉巻、ってタバコのことだよね。
 子供のボクたちにそんなこと聞くなんて。

「ねえ、どうしてわたしたちが葉巻を吸うなんて思ったの?」
「はい。当店においでのお客様は紳士・淑女の皆さまでおられます。皆さま自己のお考えと行動とに責任と義務を負う大人の方々しかドアを開けることはできません」
「でも、ボクたちは5歳です」
「ご年齢とは関係がございません。お客様お二方とも、わたくしどもスタッフが敬意を払わせていただくべき自己を確立なさった殿方とご婦人でございます」

 なんだろう。ミコちゃんが頬をとても赤くしてるよ。それでね、ボクはその表情がとてもきれいだ、って思ったよ。

「さ。殿方さま。ご婦人をエスコートなさってあげてくださいませ」

 ふしぎなことにね、体が自然に動いたの。
 ボクはミコちゃんに手を、すうっ、て差し出すとね、ミコちゃんはそっと手をボクの手に重ねたよ。

 そのままふたりのために用意されたテーブルにミコちゃんをエスコートしてね。
 椅子にそっと座らせてあげたよ。

 ふしぎだね。
 ミコちゃんは普段どおりの膝ぐらいまでのスカートに上はひよこ色のセーターなんだけれど、ほんとうに貴婦人に見えるよ。

「メニューをどうぞ」

 ウェイトレスさんが最初に見せてくれたのは飲み物のメニュー。

「ワインなどいかがですか?」
「すみません。飲めません」
「では、アップルタイザーは?」
「すみません。アップルタイザーってなんですか?」
「はい。りんごの果汁をソーダで割ったものでございます」
「そうなんですか・・・ミコちゃん、どうする?」
「ボクトに、まかせる」
「じゃあ、アップルタイザーをふたり分」
「かしこまりました。ボトルを一本ご用意いたしましょうか」
「えっ。そうじゃないとどうなるんですか」
「グラス一杯ずつサーブさせていただくことになります」
「じゃあ・・・ボトル一本いくらですか?」
「10円でございます」
「10円ならだいじょうぶです。じゃあ、アップルタイザーのボトル一本とグラスをふたつお願いします」
「かしこまりました」

 とてもゆうがなお昼ご飯だったよ。
 せっかくだから一番美味しそうなかんばんメニューのビーフシチューにしたの。

 お肉がね、とろけるようにやわらかくて、でもドロドロなんじゃなくってお肉の繊維がちゃんとほぐれるような感じでお口の中で味わえたよ。
 もちろん、ソースもなんとも表現できないような微妙な味覚で。

 おおげさじゃなくって、かんどうしたの。

「あ。ミコちゃん・・・」
「うん・・・ごめん、ボクと。拭くね」

 ミコちゃんがハンカチを出して右の目じりに当てるようにして、涙をふいたよ。

「おいしいからだけじゃないのよ、ボクト」
「うん。ボクもそうだよ」

 とてもふしぎな気持ち。
 味が素晴らしくて。
 テーブルのクロスの真っ白さがとてもきれいで。
 フォークも、スプーンも、ほんとうに曇りがひとつもなくて。

 そしてウェイトレスさんの一挙手一投足、言葉だけじゃなくて表情も吐く息のひとつひとつさえせんれんされててあたたかで。
 ボクとミコちゃんをきちんとした人格として扱ってくれて。

 それでね、一番たいせつなことは。
 目の前にいるのがミコちゃんだ、ってこと。
 たぶん、ミコちゃんにとっては前の座席に座っているのがボクだ、ってこと。

 ボクのうぬぼれじゃなくって、たぶんミコちゃんはずうっと思ってたことばを、ボクに言ったよ。
 背筋を伸ばして、涙を拭いたあとの、長い睫毛の潤いをたたえた、翡翠のようなグリーンがかった瞳で。

「ボクト、あなたが好き」

 ボクは、まよわずへんじしたよ。

「ボクもミコちゃんが大好きだよ」
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