第2話

文字数 1,128文字


 翌朝、隣で眠っている"白い月"の安らかな寝顔を見て、リンガはほっと胸を撫で下ろした。本当のところ、昨晩のことで彼は自分の元から姿を消してしまうのではないかと恐れていたが、どうやら杞憂ですんだようだ。
 "白い月"のわずかに腫れた瞼に口づけし、寝台から降りると素早く衣服をまとった。初夏であるとはいえ、朝はそれなりに冷える。瓶から掬ったわずかな水で顔を洗い、髪を束ねた。
 

 茶を沸かしながら、リンガは昨晩のことを思い出していた。ふだんは寡黙で冷たささえ感じる彼だけど、胸に秘めた感情はリンガの思ってる以上なのかもしれない。なんにせよ"白い月"が人間的な感情を覗き見せてくれたことが、うれしかった。胸につっかえた何かは、依然として残ったままだけれど、"白い月"はリンガにひとつ約束をした。それだけで十分だった。

「リンガはぼくを救ってくれた。だから、ぼくが死んだら、全部教えてあげる。ぼくの全てを君にあげる。輪廻のほとりで待っていて。ぼくは必ず会いに行く。そのときまでは──」
 
 夢うつつのまどろみの中で、"白い月"はまじないを唱えるように言っていた。それに対して、自分はなんと答えたんだっけ──。
 
 
 カタカタとうるさく鳴る土瓶に、意識が引き戻された。すっかり煮出された茶葉が、芳ばしい香りをたてている。

「おはよう」
 声をかけられ振り向くと、"白い月"が結わえた髪に花を挿しているところだった。いつも通りの姿になぜか、懐かしさを覚えた。それだけ昨晩のできごとが、夢のように感じた。
 
「リンガ?」
 "白い月"が不思議そうにリンガを見つめている。なぜ、彼がそんな表情をしているのだろうと瞬いたとき、リンガの目から雫が溢れた。はらはらと、頬を伝う涙に驚いたのはリンガ本人だった。
「あれ、おかしいな」
 取り繕った笑顔が保てなくなり、しだいに嗚咽が漏れる。
 "白い月"はそっとリンガに近づき、涙を拭った。
「……ぼくは、そばにいる、ずっと。誓うよ」
 そう言って、"白い月"は互いを確かめるように、何度も口づけた。その度に涙が口の中で溶け、無意識に閉じ込めていた感情も一緒に消えていく。
 それは、"白い月"を──神を手に入れ、地に堕とした罪の意識。後悔と恐れを抱いていたのは、リンガの方だった。
 
 『君に会えるまで、待つよ。この身が滅んでも、何度でも』
 
 罪が許されたなら、夢の岸辺で会えるだろうか。リンガの瞳に写った"白い月"が、ゆっくりと頷いた。
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登場人物紹介

ファルカス リンガ=エル


遊牧民の青年。心優しく、皆に慕われている。


“白い月”


謎の多い精霊。

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