感謝の気持ちを忘れない

文字数 6,946文字

「アンダーザシーって歌あるでしょ?あれを、とにかく大声で歌ってるおっさんが電車の中にいたんですよ!」

この男はさっきから何を言っているのか。
とにかく大声で、この男は市民会館のロビーで話していた。

私はかつて公衆の面前で泣き喚いて辞任した議員が、ささやかながら開催したハートフル懇親会に、参加するために来ていた。

アンダーザシーがどうとか、叫び声をあげている男になど、全く興味がない。

そもそもこいつは誰なのか。
頭髪が欠如していて顔中が脂まみれであり、小太り、タンクトップを着ていて、大量の脇毛がはみ出していて、そこからツーンとした気色悪い臭いを発していた。

「だから!アンダーザシーを顔を真っ赤にして、大声で、電車の中で、歌っていたんですよ!」

また、繰り返した。この男は低脳過ぎて、自分が今さっきした話を忘れてしまうのだろうか。そもそも、何のために、私に対してその話をするのか。

私はアンダーザシーが好きだと世間に公表したことなどない。

ない。

暗くて冷たい空間であり、光はほとんどない。

廊下を歩いていくと暗い空間に出る。
割れた窓ガラス。
埃だらけのリノリウムの床。
社会に対する激しい呪詛の言葉が、荒々しい字で、壁に書かれている。
この二人死にました、とカップルの写真に書き込みがされている。
それはユミコとジュンゾウのカップルであり、実際には二人とも浮気をし、交際は自然消滅、それぞれ、また浮気をしては別れ、それを繰り返しているようだ。
暗い廊下には、蛞蝓、百足、蛙の死骸が、落ちている。
鋏、文化包丁、牛刀、鉈などの刃物が、乱雑に、放置されている。
とにかく忌まわしい、邪悪な雰囲気が漲る空間である。
こんな場所が、学校というサンクチュアリゾーンに存在するとは意外である。

「感謝の心!イエイ!感謝!イエイ!」

凄絶な叫び声をあげながら、普段は真面目な、七三分けの髪、黒縁眼鏡、グレーのスーツという出立ちの川崎万次郎先生が全裸の状態で、倒れている女子高生の首を絞めていた。

「感謝の心!イエイ!感謝!イエイ!」

七三分けに黒縁眼鏡はまだ存在していた。
首から上は、いつもの、真面目な川崎万次郎先生だ。

だが、首から下は、おぞましいほど毛深い部分が多数存在し、思わず目を背けたくなる。

なぜ、ムダ毛の処理をしないのか。

干しブドウ色の乳首にも、もちろん、豊富な毛が、生えている。
臍の下辺りから、毛が濃くなり、股間にはモサモサと縮れ毛が生えている。
そこから顔を出すチンポコは赤黒く、先の方が肥大化しており、太い血管を浮かべた茎の部分が、ビクンビクンと震えていた。

川崎万次郎先生のチンポコは勃起していて長さは16センチほど。

先っぽの部分からは透明な先走りの液体がでている。

不穏な空間、サンクチュアリゾーンである学校にはふさわしくない場所である。
川崎万次郎先生の着ていたグレーのスーツは、乱雑に埃だらけの床に放られていた。

「感謝の心!イエイ!感謝!イエイ!」

激しい絶叫により、川崎万次郎先生の脳内の血管がかなり切れてしまったのではないかと、心配になってくる。
若く見えるが彼はすでに50歳を過ぎていて、体にガタが来始める年齢である。
健康には、気を付けて欲しい。

女子高生の首を力いっぱいに絞める川崎万次郎先生の腕もまた、野性のチンパンジーを思わせるほどに、黒い剛毛に覆われていた。

また川崎万次郎先生のケツである。

ケツの表面にはうっすらとではあるが、びっしりと毛が生えている。
そして、肛門の部分、すなわちケツの谷間の部分からは、もわっと、大量の縮れ毛があふれ出ている。生えているのである。

川崎万次郎先生のケツ穴の周辺に、大量の毛が生えている。

それを見て、改めて川崎万次郎先生は、ムダ毛の処理には全く興味がないのだと、確認することができた。

川崎万次郎先生と言えばその著書『かけがえのない愛の瞬間』でこう語っている。
《満員電車の中で自慰行為をする時には注意した方が良い。万が一目撃されてしまった場合、周囲の人々すべてが敵と化して一斉に殴りかかってくるだろう。だから満員電車の中で自慰行為をする時には十分に神経を研ぎ澄ませ、何人にも見られぬように注意すること。全身全霊の自慰行為をするのだという覚悟を持つこと。人はいつ死ぬかわからぬ。だからこそ満員電車でさえも、自慰をしたいと思ったならば、自慰をするのである。後悔のない人生を送ろうではないか。その際に前方にいる人物の臀部に放出したものが掛ってしまう恐れがあるが、それを恐れることはない。そんなものは昔、ミシシッピ川で大量のワニに囲まれた時の恐怖に比べれば大したものではない。》

「アンダーザシー!アンダーザシー!って凄い声量でした!今は亡きパバロッティに匹敵するくらいと言って過言ではない!本当ですよ!やばかったんだから!ねえ、本当なんですよ!」

まだ言っている。それが本当だろうが嘘だろうが、全く興味がないことに変わりはない。

市民会館のロビーには、私と男の他に、自販機の前に並ぶ数人の老人がいた。
皺のよった灰色とか茶色とかベージュとか、いかにも年寄り臭い色のポロシャツを上に着て、下には一様に濃紺のスラックスを穿いている。

彼らはすでに15分以上、自販機の前に立っていた。

何をするわけでもなく、ただ、そこにいた。

買いたいものがなくて失望している、その無念さをパフォーマンスとして実演しているのだろうか。

微動だにしない老人たち。自販機の前に一列で並び、一様に俯いているようだ。

凄くカクカクした、機械的な動きをしながら、ウェイターが、お盆を持って移動していた。

お盆はステンレスで、上には、直置きで、赤黒い、動物の臓物が載せられていた。

真顔で、ウェイターは、白いリノリウムの床を歩いていく。

機械的な、酷くカクカクした感じの動きである。

その動きは不気味だし、お盆に載っているものも、不衛生だし気持ち悪い。

しかも、彼が延々と行ったり来たりしている場所は、レストランではなく、人様の私有地である。

勝手に侵入し、勝手に、機械的な動きをしているのだ。

私有地を所有している俳優で歌手の加山雄二86歳は、その様子を自宅である5億円の豪邸のベランダから見ていた。

86歳と高齢だが身長180センチ以上、胸板の分厚い肉体で、若々しく見える。日本人離れした骨格の顔に大き目のサングラスを掛けている姿は、往年のハリウッドスターを彷彿とさせる。

銀の、細かな彫刻の入った高級双眼鏡で、ウェイターの様子を見ていた。

「ずっと気にしているのは、彼が歩いている間、俯いていることだ。特段、赤黒い、動物の臓物を凝視しているわけでもない。視線は真下を向いている。一体、どうしたのか。悩み事があるならば、気軽に相談して欲しいが、彼のような庶民が、私のような成功者、圧倒的セレブリティに話しかけるのは気が引けるのだろうか」

ウェイターが歩いている私有地の横を、女子高生二人が、テニス道具を担いだ状態で、移動していく。

ウェイターには目もくれない。
特に興味がなかった。お金をくれるわけでもないし、どうでもよかった。

やっぱり、何よりも、お金をくれる人に興味があるし、好きだった。

茶髪ロングの背の高い女子高生、真美子が、声を出す。

「ねえ、よね子、首のそれ、アザ?」

言われた黒髪おかっぱ、背の低い方の女子高生、よね子は、さっと、首元を隠した。

「え?なんでもないよ。ほんと、なんでもないから。」

必死な感じがあり、これ以上、突っ込んで聞いたら不味そうと思った真美子は、ただ頷いて、わかった、じゃあね、と言って別れた。

大人しそうに見えるよね子には、実は凶暴な一面があるから、気をつけないといけないのだ。

テニス部は激しい運動部だ。常に走り回る、叫びまくる、テニスラケットを破壊する。

「疲れた。」

真美子はバッグとテニス道具を床に投げて、リビングで全裸となり、大きな乳房を揺らしながら浴室に駆け込んだ。

シャワーが、勢いよく発射された。

発射されたものを、真美子は全身に浴びる。

真美子の豊満な肉体の上を、液体がすべっていく。

真美子がシャワーを浴びながら流行のラブソングなど口ずさんでいると、浴室の窓からクラスメイトの高田陽一が覗き込んできた。

高田陽一はクラスでもかなり真面目で、現在、生徒会長を務める人物。

優等生の見本のごとく、黒髪で七三分けで、黒縁の、枠の大きな眼鏡をかけている。

「え?」

口ずさむのを止め、シャワーを止めて、真美子は胸と股間を手で必死に隠した。

高田陽一は白目を剥いて、口を半開きにし、無言で立っていた。

「何なの?」

真美子が問いかけると、高田陽一は、白目を剥いたまま、ゆっくりと立ち去るのだった。

シャワーからでて、薄桃色のビキニパンティだけ穿いて、上半身は剥き出しのまま、冷たいアップルティーを飲んだ。

そして、窓を見る。

また、クラスメイトの高田陽一が、白目を剥いて、口を半開きにして、立っていた。

「え?」

思わず、真美子はコップを落としてしまう。床に落ち、派手な音をたてて、コップは割れた。

床に散らばる無数の割れたガラスに、ビキニパンティ姿の真美子が映る。

翌日、真美子は、高田陽一を呼び出して問い詰めた。

「ねえ!昨日あたしのフルヌードを見たでしょ!それ、犯罪!」

高田陽一は首を横に振る。

「意味がわからない。そんなことしてない。私は君の自宅の場所を知らないし、君に対して、フルヌードを見たいとか、そういう興味が全くない。」

「嘘!絶対に見た!」

「君、大丈夫か?なんだかまともではないが。」

納得できない。あれは間違いなく高田陽一だった。真美子は、諦めない。

執拗に、高田陽一に付き纏う。

高田陽一が、男子便所で大をしているときにも、上から個室を覗き込み、ねえ、見たでしょ!フルヌード!と叫んだ。

ホームルームの時間に、突然、真美子は立ち上がり、あたし、高田陽一にフルヌード見られました!と叫んだ。

卒業後も、真美子は、高田陽一に執拗に付き纏い、高田陽一の入社式で突然、真美子は立ち上がり、あたし、高田陽一にフルヌード見られました!と叫んだ。

高田陽一が営業先に行くと真美子がすでにいて、営業先の人間に対して、この高田陽一って奴はあたしのフルヌードを見たんですよ!と言った。

もちろん、高田陽一は顰蹙を買い、営業は失敗した。

真美子はニヤニヤしながら、高田陽一の後ろ姿を見ていた。

「あたしの珠玉のフルヌード見たくせに否定して、しかも、興味がないとか、絶対に許さない。」

仕事で疲れて、ヘトヘトで帰宅した高田陽一の自宅前に真美子がいて、あんた!あたしのフルヌード見たでしょ!と叫んだ。

高田陽一はあたしのフルヌードを見た、拡声器を持ち、駅前に立って、真美子は、高田陽一の写真を提示しながら叫んだ。こいつ!こいつが高田陽一!

高田陽一は結果的に精神を病み、三ヶ月ほどで仕事を辞めた。

真美子は、諦めない心を持ち続けたい、きっと、誰かに勇気を与えられるから、とカメラの前で話した。

同じカメラの前で、カリスマ教育者として有名な川崎万次郎先生も、語っていた。

「物腰柔らかな雰囲気から、私にホモセクシュアルなものを感じる方が多いようですが、私は、間違いなくヘテロセクシュアルです。その証拠に、私は男子生徒の前では全裸になりませんし、首を絞めることもありません。私が全裸になるのは、大人しそうな女子生徒の前だけです。感謝、イエイ!と叫びながら、私は確実に首を絞めるでしょう。」

《感謝の心を忘れることはない。特に、生まれたことへの感謝は……。》

そのように、自販機の前から離れ、路上を歩く老人は思うのだ。
市民会館のロビーにある自販機の前に30分ほど、飲み物を買うことなく、ただ佇んでいたが、何かを思い出したかのように、急に動き出したのである。

「生まれたこと、産んでくれたことへの感謝は、永遠に忘れることはない。」

ぶつぶつ言いながら、老人は自宅である都内某所の一軒家に入っていく。
1人暮らしであり、誰もいない。暗い部屋。ほんのりとイカ臭いのは男の1人暮らしであれば、よくあることだ。

すぐに灯りを点けて、地下室に、下りていく。
湿った、コンクリートの階段。滑らないように注意。

ギイイイイイイイイイイイイイイイイ。錆びついた扉が不快な甲高い音をたてる。

地下室には数人の痩せ細った少年たちが、全裸で、鎖に繋がれていた。
みんな項垂れている。みんなチンポコが萎えていて、しょんぼり感が凄い。

「感謝している。生まれなかったら、こんなことも、できないからな」

老人は言い、壁に立てかけてある斧を、意外なほど軽々と持ち上げ、鎖に繋がれている一人の坊主頭の少年の方へ行き、おりゃっ、と叫びながら、斧を振り下ろした。

ドバッ、ドババ、ドバ。

坊主頭の、痩せ細った全裸の少年の首が切断され、血が噴き出した。

首は転がり、老人の足元へ。上を向いている。目に光がない。

「最近のガキは目に光がない。希望のない状態で、何をするでもなく、生きている。情けないことだ」

老人は吐き捨てるように言い、少年の坊主頭の生首を蹴った。

首を切断された全裸の少年の死骸を呆けたような表情で、老人は眺めた。その老人の股間部分は、大いに盛り上がっていた。

老人は首のない少年の死骸、その萎びたチンポコを、ジュポジュポとしゃぶった。死体のチンポコうめえ、うめえよお、と老人は言っていた。

老人は首のない少年の死骸のチンポコを激しくしゃぶりながらズボンのチャックを開けてチンポコを露出しシコシコと自慰を始めた。ああ、きもちい、死体チンポコしゃぶりながらシコるのマジきもちい、そんなことを白目を剥きながら、涎を垂らしながら、老人は言った。

クチュ、クチュクチュ、という、老人がチンポコをしごく音が地下室に響いた。

「生まれてこなければ、こんな最高の快感を実感することも、できなかった。だから永遠に感謝している。生まれたことを、神様に感謝、良心のチンポコ&マンコにも感謝である……ああ、きもちい、ああ、ああ、あっ、あっ、あ!イグッ!!イクイクイクイクイクイクイクイクイクイク……アイグイグッ!!!」

老人の勃起した赤黒いチンポコから発射された大量の精液は、蹲って項垂れている全裸の痩せた少年たちの上に降り注いだ。

うう、うううう、他の数人の少年たちが噎び泣いていた。死にたくない、きもちわるい、死にたくない、と呟く者もいた。

「死にたくないと言っても、人間、いつかは死ぬものなのだから、それは仕方がないことではないか?」

老人は冷静に返事をし、その、死にたくない、と述べた少年(ツーブロックの髪形、耳には金色のイヤリング)の下へ行くと、おりゃっ、と斧を振り下ろした。

ズボンのチャックは開けたままだ。チンポコが、ぼろんと顔をだしている。
その状態で、斧を振り下ろしたのだ。

ドババ、ドバッ、ドババババ。

血が噴き出した。生首が転がった。

首のない少年の死骸の股間部分に斧を振り下ろす。ぐちゃぐちゃのミンチ状になる若いチンポコとキンタマ。

「ほら、死んだだろ。だから、仕方ない」

もうやだよ……誰か、助けて……か細い声で、少年たちが言う。
老人は無言で、ポケットから黒い棒状の機械を取り出し、残りの少年たちの股間に当てていく。電気ショックである。

アギャ!と獣じみた悲鳴を、少年たちはあげて、しばらく、うううううう、と呻いていた。みんな股間を手で押さえていた。

「最後に必ず死ぬのが人間の特徴だ」

老人は柔和な笑みを浮かべながら、斧を、壁に立てかけると、喉が渇いたな、と述べて、再び家を出て行く、市民会館に向かう、そして、また自販機の列に加わる。

自販機の前には老人たちが列をなしている。

なぜ最前列の奴はさっさと飲み物を買わないのか。

なぜ後ろの奴らは最前列の奴に文句を言わないのか。

事態は遅延しているようだった。いや停滞しているようだった。
決定的に、物事を前に進めるという意欲が欠けているのがわかった。

私はかつて公衆の面前で泣き喚いて辞任した議員が、ささやかながら開催したハートフル懇親会に、参加するために来ていた。

自宅を出て、駅まで歩き、電車に乗り、バスに乗って来た。

いつから来ていただろうか。
数時間が経過している可能性がある。
わからない。年寄りたちはどれくらいの時間、ああやって自販機の前で立ち尽くしているのか。

どれくらいか、わからない。
いつからだろうか。

どれくらいの時間、気絶していただろう。

よね子は立ち上がり、トイレに行き、鏡を見た。黒髪おかっぱ頭の、痩せた、青白い女子高生が映る。

首のところに、くっきりと指の痕がある。

思い出す。

先生が、顔を真っ赤にして発した凄絶なる、感謝イエイ、という叫び声。

「あたしが感謝の心を忘れたから悪いんだ。」

よね子は呟いた。

川崎万次郎先生が、全裸になってまで、あそこまで本気で叱ってくれたことに、心から感謝の意を表明したい。

誰だって、全くの他人、親しいわけでもない他人に全裸を晒すにはかなりの勇気がいるだろう。それをやり遂げた川崎万次郎先生は、本気だったのだ。大人の本気の姿を見る機会は、それほどに多くはない。

首に残る指の痕を触りながら、よね子は「温かい世界に生まれて良かった」と思うのだった。
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