第2話 和音、拉致られる!

文字数 2,010文字

 上杉和音(うえすぎわおん)が自分の声に違和感を覚えたのは、中学に入った頃からだった。
 小学生の頃は、周りの男の子も声が甲高いので、和音の声質が周りと違うことにほとんど誰も気がつかなかった。もちろん和音自身もそうだ。
 ところが、中学生になり同級生の男子の声が少しずつ低い声に変わってゆくのだが、不思議なことに和音の声は小学生の頃のままだった。さらに、周りの男子の声も甲高い小学生の時には誰も気がつかなかったが、中学生になるとはっきりしたことがある。それは、和音の声質が「男子の声」ではなく「女子の声」であることだった。
 残念ながら人間は残酷だ。異質なものを排除しようとする力が働く。
 その力の矛先が段々と和音に向かい始めた。男子の体を持つ和音から女子の声がする。ただそれだけのことで、特に上級生たちのからかいの対象となり始めたのは2年生になった頃だった。
 今だけさ。自分だっていつか変声期が来れば——
 そんな和音の願いも虚しく、3年生になる頃になっても何も変わらない。むしろ、身長さえも成長が止まってしまったようだった。
 そして悪風は上級生から同級生にまで感染した。

 気がつけば、いつしか和音は自分の殻に閉じこもってしまう少年となった。友達と遊ぶこともなくなった。小学校からの友人もいく人かいたが、声を出して喋ることに引け目を感じ、いつしか自分から他人との交流を避けてしまうようになっていたのだ。
 髪を少し伸ばして目立たないようにいつも俯いて歩いた。視力が悪かったのもあるが、顔を隠しやすいように、フレームの太い眼鏡をかけるようになったのもこの頃からだ。
 
「ねえ、和音。高校はさ、ここはどう?」
 中学3年の夏、母親の冴子が持ってきたのは、その時住んでいた街からかなり離れたところにある、私立高校のパンフレットだった。
 私立聖華学園は中高一貫の女子高校だったが、少子化と時代の要請もあり、来年度から初めて男子の受け入れを始めるらしい。
 高校なんて行かない。行きたくない。
 最初、和音は進学さえも拒否した。友達なんて——いらない。
「ここってさ、女子校だったから、上級生の男子って……いないんだよね。しかも来年は初年度だから同級生になる男子も少ないんだって」
 お母さんが優しく笑いながら言った。すべてわかっていたのだ。
 中学を卒業と同時に、新しい学校の近くへ引っ越した。おかげでお父さんの職場は少し遠くなったけど。

 母親の目論見通り、同じ中学からその高校に進学する同級生はいなかった。進学後にわかったのだが、この高校は授業料なども公立と比べて結構高いらしい。中学から持ち上がりで進学してくる女の子たちは、いわゆる「お嬢様」が多いと聞いた。
 おかげで、女の子たちの間には中学から続く小さな派閥のようなものがすでにあって、高校になってから合流した男子たちはとても肩身が狭いのだ。だから和音にとって願ったりの環境だったと言えるかもしれない。
 だからといって、すぐに和音の心が溶けるものでもないし、何年もそうしてきたように、教室の中でいつも和音はひとりであることに変わりない。

「上杉和音です」
 入学してすぐ、できるだけ短いセンテンスで、無理やり作ったしゃがれ声で自己紹介した。それ以降、ほとんど喋っていない。授業で当てられて答える時も、「わかりません」とわかった問題さえもわからないふりをした。
 何か話しかけられた時は、笑顔を作って首を縦に振るか横に振って答える。そうこうしていると、あまり話しかけられなくなった。
 和音は、それでいいと思った。いじめられさえしなければ、それでいい。
 結局、高校生になっても自分の声は変わらなかった。

 相変わらず声にコンプレックスは抱えていたが、和音は歌うことは好きだった。自分のキーに合う歌は、女性が歌うものがほとんどだけど、別にそれも嫌いじゃない。だから、たまにひとりでカラオケに行っていた。

 その日、久しぶりにカラオケでたっぷりと歌った和音は、終了の連絡を受けて部屋のノブに手をかけた。まあ、満足だ。
 きっと部屋の外にいた人にも少し聞こえたかもしれない。できるだけ目立たないように、帰らなきゃ。そう思いながら顔を伏せるようにして、そっとドアを開けて部屋を出たとたん、そこに立っていた人にぶつかりそうになって思わず後退りをした。
 危なっ。誰だよ——
 和音は思わず顔を上げた。
 そこに、同じクラスの西園寺詩の顔を認めて、和音は反射的に顔を伏せたがどうやら遅かったみたいだ。
「今の、誰」
 西園寺詩に肩をつかまれて、和音は背中を今出てきたばかりの部屋の扉に強く押し付けられた。
「今歌っていたの、誰」
 西園寺詩に、さらに攻められた。
 ああ、絶体絶命——
 数ヶ月前に捨てたはずの中学3年間が、再び和音の頭をよぎった。
「お願いだから、誰にも言わないで」
 そして、その言葉をやっと口にした。いや、そう言うしかなかった和音であった。
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