関係者の証言(1)

文字数 10,089文字

「あいつなら出禁喰らったっすよ」
 狐のような顔をした男は、にやにやしながら答えた。
 男の顔と甲高い声を、須間男は記憶していた。オフ会映像に映っていた取り巻きのひとりに間違いなかった。
 男は『カワ』と名乗った。恐らくハンドルネームだろう。
「出禁、ですか?」
 二十代前半と思われるカワに対し、三十二歳の須間男は敬語で問いかける。
「@LINKは今キテるし。ああいうヤバいヤツはつまんでポイっしょ」
 まるで他人事のようにカワは言い、けけけと笑った。
「っつーか、事務所も酷いわ。最初にイサッチを呼んだのは事務所の方だし」
「事務所が?」
「オタク連中を束ねるにはああいうのを使うのが楽なんすよ。見返りでステージパスでもあげりゃいいだけっすから。イサッチは声かけ写真とか動画も販売してたけど、事務所の連中は黙認っすからね。けどまあ、ネットで悪評が広がっちゃったし」
 広めたのは他の誰でもない、イサッチ──寄藤勇夫自身だが。
 寄藤と共に甘い汁を吸ってきた側のカワは、完全に他人事として喋っている。
 箱の前に来てすぐ、千美が構えたカメラをカワに見つけられた時、須間男はしまった、と肝を冷やした。しかし、カワの話を聞いているうちに、彼に対する恐れが薄れ、徐々に冷めていく自分に気づいた。
 寄藤が出禁を喰らった途端、カワを含めた取り巻きは寄藤を切り捨てた。彼らの間に仲間意識など最初からなかったのだ。利権で繋がっていただけのことだ。
 事務所や取り巻きにとって寄藤という存在は、その程度でしかなかったのだ。
「彼と連絡が取りたいんだけど、電話が繋がらなくて」
 心にもないことを須間男が口にすると、カワがにやりと笑みを浮かべた。
「炎上中だから無理っしょ。ケータイも電源切ってんじゃないんすか?」
「炎上中?」
「え? おたくら、それを取材しに来たんじゃないんすか?」
 カワがきょとんとする。
「僕らは別件で彼を追ってるんだけど……」
「何あいつ、まだ余罪があるっての?」
「余罪? もしかして、全裸土下座の件?」
 須間男の問いに、カワがあからさまに落ち着きを失う。
「そ、そっちじゃなくて。あいつは今、病原菌扱いっすから」
「病原菌?」
「ナンバー4の呪いを、@LINKや他のグループに拡散しようとしてるってんでね」
 予想外の答えだった。
 今朝のミーティングでは、ナンバー4の呪いに関する記事はたった二件しかヒットしなかった。それが今は何故か、ファンの間ですっかり噂が広まっているようだ。
「あなたは呪いを信じてるんですか?」
「そりゃあうさんくさいと思うっすよ。でもあんな動画を見ちゃうとさぁ」
「動画?」
「見てないんすか? @LINK関係のまとめサイトや掲示板にリンク張ってあるから見てみなって。って……もしかして、あの動画はおたくらの仕込みっすか? なになに? @LINK主演のホラー映画でも作ってんすか?」
「いえ、そんなことしてませんよ」
 フェイクドキュメンタリー映画の中には、動画サイトに数分程度の動画を掲載し、口コミで拡散させる宣伝手法を使うものもある。しかし須間男たちが追いかけているのは先が見えない話で、宣伝の打ちようがない。むしろ掲載されている映像がナンバー4の呪いと関係があるのならば、すぐにでも見たいところだ。
「ちょっとその動画のアドレス教えてくれませんか?」
 須間男はタブレット端末を取り出しながらカワに頼んだ。
「いいっすよ。ちょっと貸してみ?」
 カワは須間男からタブレットを受け取ると、手慣れた操作でネットワークブラウザを起動した。いくつかのページを経由して動画サイトを開くと、「これが問題の動画っす」と言いながら、須間男にタブレットを返却した。

『呪われた廃村に潜入! 絶叫アイドルナンバーワンは誰だ!』
 その動画は、大げさなジングルとテロップから始まった。
『さあいよいよ始まりました、絶叫アイドルナンバーワン決定戦! わたくし、司会のさるぼぼのボボ村上でーす』
 小柄でピンク色のスーツを着た男が、早口で自己紹介を行う。
『同じくさるぼぼの猿田げんじです。よろしくお願いします』
 ボボ村上の左隣に立っていた、長身で紺色のスーツを着た男が、相方とは対照的な低音で自己紹介を行った。
『相変わらず辛気くさいな君ぃ。そしてぇ?』
 カメラがさるぼぼのふたりの横に立つ、八人の少女を映し出した。
『せーのっ。あなたのハートに挟まりたい! ピクルスです!』
 ピクルスと名乗った八人の少女は、揃いのシャツにジーンズ姿だった。しかしカメラが捉えたメンバーたちの顔には、ひっかき傷のようなモザイク(・・・・・・・・・・・・・)が施されていた。司会のふたりの顔も同様だった。乱暴なモザイクは、嫌でもあのロッカーのナンバープレートを想起させた。
 しかし麻美奏音の顔にだけは、何故かモザイクがかかっていなかった。
『それじゃ、ひとりずつ自己紹介してもらいましょう!』
 ボボ村上に促されてピクルスのメンバーが始めた自己紹介は、初々しいものの、なんら不審な点はなかった。しかし、四番目に自己紹介を行った少女が喋る時だけ、声をかき消すように酷い雑音が重なった。まるでチューニングのずれたラジオのようで、何を喋っているのかが全く聞き取れない。
 他の少女たちとお揃いの服を着た、終始何かに怯えているように落ち着かない様子のポニーテールの少女──ナンバー4の自己紹介が終わったところで、動画は終了していた。

 動画の題名は「ロケ1」。投稿者名は「Number.4」だった。「Number.4」が現在投稿している映像は、「ロケ1」ひとつだけだった。
「短いっしょ? でも不気味じゃないっすか?」
 得意げなカワの様子を見た須間男は、もしかして彼の自演なんじゃないだろうかという疑念を抱いた。寄藤が邪魔なのは善良なファンや@LINKの関係者だけではない。むしろ、これまで行動を共にしてきた彼ら取り巻きの連中にとって、寄藤という存在は地雷に等しい。寄藤が全てを明らかにしたならば、取り巻き連中もただでは済まない。
 @LINK単体での不祥事ではなく、過去の不祥事を晒すことで寄藤を糾弾する。久千木の発想に近い手口ではあるが、先程の動画だけでは寄藤との関連性を見いだせない。動画の名前が「ロケ1」となっているということは、今後続編が投稿されるのだろう。寄藤との関連性を示唆する映像は、まだ投稿者の手元で順番を待っているのかもしれない。
 オリジナルの映像作品もしくは番組が存在するなら、ワンシーンを切り出して掲載する程度のことは、高い編集ソフトや専門知識がなくても──それこそカワのような一般人でも容易だ。
「この映像、いつ放送されたものなんですか?」
「ネットではローカル番組だろうって話だったけど、有力な情報はなかったっすね」
 とぼけているのか、それとも本当に知らないのか。
「映像と寄藤君の繋がりがよくわからないんだけど」
「あいつのホームページを見たっしょ? きっちり書いてあるじゃん、ピクルスの麻美奏音推しだったって。あいつが関わってつぶれた事務所やユニット、芸能界をやめた子もかなり多いみたいだし、ナンバー4を自殺に追い込んだのもあいつだって噂もあるし」
 カワが最後に言った言葉は、須間男にとって理解の範疇を超えていた。
「ファンがアイドルを追い込むって、どういうことですか?」
「本人は教育のつもりでやってるんすよ。オタク歴長いし売れた子と売れなかった子をたくさん見てきた、っつーか、育ててきた、みたいな? @LINKで出禁喰らったのも、それがウザかったから、ってのもあるんじゃないっすか?」
 寄藤が出禁を喰らった理由を、カワは他人事のように喋った。しかし恐らくは、寄藤が@LINKのメンバーを「教育」していた現場に、彼自身が同席していたのだろう。あまりに雄弁すぎる。
 しかし、動画を上げたりネット掲示板を扇動するような計算高さは、目の前の男にはなさそうだと、須間男は思った。
「ところで、この画像を見て欲しいんですけど」
 須間男は久千木が撮影した動画を再生し、廃墟が映っている場面をカワに見せた。
「なんすか、これ?」
「この場所に心当たりはないですか?」
「さっきの動画で『呪われた廃村に潜入!』とかタイトル出てたし、その廃村の建物じゃないっすか? っつーかすごくねえっすか? やっぱり何か映画作ってるっしょ? これの続き見せてくださいよ」
 言うなり、カワは須間男の手からタブレットをひったくり、静止していた動画を再生した。あっという間にカワの顔から笑みが消え、強ばっていった。須間男は慌ててタブレットを回収したが遅かった。
「なんだよ今の。それを何に使う気なんだよ?」
「いや、その」
「てめーも俺を撮ってんじゃねーよ!」
 カワはいきなり怒鳴ると千美に掴みかかった。千美は後じさって避けたがバランスを崩し、その場に尻餅をついた。その時、須間男の中で何かが弾けた。
「撮られて困ることでもあるんですか? ああ、そういえばあなたも寄藤勇夫さんと一緒になって、さんざん甘い汁吸ってましたよね? ほら、ここに映ってるの、あなたですよね?」
 棒読みで、しかし周囲に聞こえるほどの大声で、須間男は問いかけた。
「て、てめえっ!」
 逃げるでも言い訳するでもなく、カワは右拳を振り上げた。須間男は無我夢中でカワの懐に飛び込み、彼を押し倒した。そして、彼らに注目しだした群衆の方を見た。
「それと、あなたとあなたとあなた。ハンドルネームまでは知りませんが、あなたたちも彼や寄藤さんの仲間でしたよね?」
 ことの成り行きをただ呆然と見ていた人たちの何人かを、須間男は指さした。指摘された人たちは周囲の冷ややかな視線に包囲され、その場に立ち尽くしていた。騒ぎを聞きつけ現れた箱の関係者が周辺の人たちから説明を受けている様子を、須間男は他人事のように見つめていた。

「こんな時ですから、もう無茶はしないように」
 年配の警察官に釘を刺され、須間男たち三人は平身低頭してひたすら詫びた。
「そりゃあもう、きつく、きつーく言っておきますので」
 ぺこぺこと頭を下げる社長に苦笑しつつ、二人の制服警察官は部屋を後にした。
 @LINK事務局の応接室には、カオスエージェンシー全社員三名とステージ統括マネージャー・川口雅弘をはじめとしたステージ関係者三名、そして二名の警備員という顔ぶれが残った。
「お前さんにまで迷惑かけちゃって、本当に申し訳ない」
「やめてください先輩(・・)。鈴木さんでしたっけ? 彼は危険人物を洗い出してくれた恩人です。その上司が先輩だったなんて、本当に奇跡としか言い様がないです!」
 相変わらず須間男は冷めた気持ちで、社長と川口の茶番を眺めていた。
 警備員がカワ──笈川(おいかわ)(あきら)をはじめとした寄藤一派の残党を捕縛し、警察に通報。最寄りの警察署から数人の警察官が駆けつけ、残党はあっという間に連れて行かれた。須間男の軽はずみな挑発行為について、つい先程まで叱られていたのだ。
 警察官の話によると、残党の全員が唐辛子スプレーや特殊警棒、バタフライナイフなどの危険物を所持していたらしい。一歩間違えば、とんでもない事態になっていた可能性もあったのだ。
 残党狩り──今まで自分たちがやってきたことに対する復讐を恐れていたと、彼らはそう釈明していたそうだ。中には、漫画雑誌や電話帳を何重にも巻き付けた、手製の防刃腹巻きを仕込んでいた人までいたそうだ。
 そこまで厳重警戒をして、そこまでのリスクを冒して、まだこの箱に集う理由が、須間男には全くわからなかった。誰に狙われているかわからない。肝心のアイドルから好かれるはずもない。楽しさなどもう微塵も残っていないだろう。
 彼らをそこまでさせた原動力は意地なのか、未練なのか。それとも──それでも、楽しいとでも言うのだろうか。
「理由はどうあれ、彼らはブラックリスト入りです。このビル内には二度と立ち入らせません。私がそれを許しません」
 川口がきっぱりと断言する。年齢は須間男とそう変わらないようだが、ぱりっとしたビジネススーツと自信に満ちあふれた佇まい、そしてやや濃いめの整った顔立ちが、どこかホストクラブの店長を思わせる。ショウビジネスの頂点を目指す人物らしい出で立ちだ。
「妙な噂があるようですが事実無根ですし、メンバーには一切関係のない話ですので、どうかご内密に」
「無関係……ねえ」
 社長は口の端をつり上げて笑った。
「僕らより前に内部の箝口令、きっちりやっといた方がいいよ。今はネットで暴露とか当たり前の時代でしょ?」
「ええ。それはもちろん」
「怖いねえ」
 社長が大げさに首をすくめる。
「先輩もこの業界は長いでしょう? 甘い世界じゃない。それは先輩が(・・・)一番(・・)わかってるはずです(・・・・・・・・・)
 川口は含みを持たせる言い方をした。話の流れから、川口と社長がかつて先輩後輩の間柄だったと言うことは須間男にもわかったが、どうやらその関係は、決して円満だったわけではないようだ。
「わかってるよ。んで、マー坊、お前さん、寄藤が今やってることは、お前さんと関係があったりするの?」
「あいつ、何かやってるんですか?」
 先程まで会話の主導権を握っていた川口だったが、明らかに狼狽していた。
「どうもね、ナンバー4の呪いとやらに関係があるらしい。さっきのガキ共の話だと、寄藤を感染源として@LINKにまで被害が及ぶかもしれない、なんて口ぶりだったけど、お前さんたちが寄藤にナンバー4の呪いの対処を命令したんじゃないかと思ってさ」
「あんな噂程度でそこまでしないですよ。先輩、まさか本気で呪いなんて信じてるんですか?」
 川口は社長の言葉を笑い飛ばした。
呪いはあるよ(・・・・・・)
 社長は真顔で答え、川口を見据えた。
「は? 本気ですか?」
「誰かが誰かに対し口にした瞬間に、もう呪いは始まっているのさ。今回も誰かが@LINKと寄藤に対してナンバー4の呪いの噂を拡散させた」
「しかしあんなデタラメを」
嘘か本当かなんてことは(・・・・・・・・・・・)どうでもいいことなんだよ(・・・・・・・・・・・・)
「はい?」
「その情報を見た人間が本当と思えば本当になり、嘘と思えば嘘になる。現に、呪いの噂を目にした連中が箱の前に集まり、寄藤の残党は過剰防衛に走った。そしてマー坊、お前さんも早々と寄藤を切った」
「それは目に余る言動が続いたから、出禁にしたまでで」
 狼狽する川口に、社長は笑顔を見せた。
「受け止めた側に覚えがあれば、噂程度でも冷静ではいられなくなる」
 社長は椅子から立ち上がった。その動きに川口がびくっと反応した。
それが呪いさ(・・・・・・)
 川口は革張りの椅子に沈んだ。
「お前さんは寄藤と残党を切り離した。その判断は正しいよ。だけど、それで終わりにしろ。この業界に長いお前さんなら、よくわかってるだろ?」
 うなだれる川口にそう言うと、社長は須間男の肩を叩いた。そろそろ潮時だということだろう。須間男と千美は椅子から立ち上がり、社長に続いて出入り口へと向かった。
 その時突然、室内に大きな笑い声が響いた。
 須間男が振り返ると、川口が全身を揺らして笑っていた。
「あんたが俺に説教とはね」
 川口が社長を睨んだ。その瞳には暗い光が宿っていた。
「呪い……呪いか、ああ、そういう呪いはあるかもな だが、あんたの理論で行けば、真っ先に(・・・・)呪われる(・・・・)べきは(・・・)あんた自身(・・・・・)じゃないのか(・・・・・・)?」
 社長は川口に背を向けて立ち止まったまま、何も言わなかった。
「よくまあこの業界に戻ってこれたもんだ。しかもこんな形(・・・・)でだ!」
 川口の言い方に、須間男は引っかかりを覚えた。
 社長の前歴について様々な噂があるのは須間男も聞いている。しかし演者から制作側に回るという例はそう珍しい話でもない。低予算映画などでは、演者と制作者がイコールの場合も少なくない。カオスエージェンシーのような小さな製作会社であれば尚更だ。
しかし、こんな形(・・・・)とまで言われるほどのことだろうか?
「あんた……どうかしてるよ」
「……かもね」
 社長はそうつぶやくと、応接室をあとにした。

 ビルを出た時には、既に空は鮮やかな夕焼け色に染まっていた。
「なんか今日は収穫ゼロって感じ?」
「……ですね」
 須間男は社長に深々と頭を下げる。そんな彼の頭を、社長はぺしぺしと叩いた。
「まあ、こんな日だってあるわな。そうそう、麻美奏音が所属していた会社の社長とアポ取れたから。明日、ふたりで行ってくれる?」
「えっ?」
 須間男はがばっと頭を上げて、社長の顔をまじまじと見た。先程の川口とのやり取りといい、アポ取りの話といい、ますます謎が増えていくばかりだ。
「せっかくだし、これから飲みに行くか? すぐそこに美味い中華料理屋があるんだよ。もちろん俺のおごりでさ。どうよ?」
「そうですね。ちょうどお腹も減ってきましたし」
 須間男の中で、食への欲求が社長の謎を押しつぶした瞬間である。
「私は残件があるので」
「ええー? チミちゃんたまには美味しいもの食べようよー。俺がおごるなんてめったにないから後悔するよー?」
「すいません。それと」
 千美は須間男の方を向いて、深々と頭を下げた。
「助けてくださって、ありがとうございました」
「え、いや、その……」
 狼狽する須間男に背を向けて、千美は電気街口改札へと消えていった。
「まったくつれないなあ……あ、スマちゃん、やっぱ割り勘にしよう。そうしよう。なんかムカついた」
 そう言って社長はへらへらと笑った。

 中華料理店は箱から歩いて数分、路地を曲がってすぐのところにあった。辿り着くまでの間、須間男と社長の二人は十人以上のメイドからメイド喫茶やメイド足もみの勧誘を受けた。須間男は「いやー」「そのー」となんだかわからない恐縮をしながら拒否し、社長は「また今度ね」「君かわいいね」「今の季節だと、そのフリフリ暑くない?」など軽い世間話をしつつチラシだけ受け取っていた。
 店は普通のラーメン屋のような佇まいで、店の前にテーブルが二卓と椅子が八脚並んでいた。どうやらテラス席のようなものらしい。社長が迷わず古びた丸椅子に座ると、店内からエプロンをしたおばさんがメニューを持って出てきた。
「んっと、このコースと生中2つでいいや。スマちゃん、ライス大盛りにする?」
「いえ、普通で」
「どうもー」
 おばさんはオーダーを聞き終えると、中華街で売っているお面のような満面の笑みを浮かべて店内に戻っていった。程なく、中ジョッキを二つと餃子の皿を持って戻ってきた。香ばしい香りがふたりの鼻腔を刺激する。
「そいじゃ、お疲れさん」
「お疲れ様でした」
 ジョッキをかちんと合わせ、ふたりはビールを喉に流し込んだ。
「ほれ餃子喰え餃子。ここのは絶品だから」
「いただきます」
 勧められるがままに、須間男は餃子を口にした。ひと噛みすると、皮の中から野菜のうまみを内包した肉汁が勢いよくあふれ出る。
「うあっつ!」
 肉汁の熱さに慌てながらも餃子と格闘する須間男の様子を見て、社長は笑った。
「ほれビール飲めビール。ビール餃子ビール餃子、交互にやるのがいいんだよ」
「は、はい!」
 須間男が餃子に苦戦している間にも、様々な料理がテーブルに並べられていく。社長はレバニラ炒めをかっ込むと、ビールを一気に飲み干しておかわりをした。
 そうして料理が徐々に減り、酒量が増えたところで、須間男は口を開いた。
「川口さんと社長、知り合いだったんですね」
「まあな。今じゃあっちの方が立派な社長さんだけどな」
「そんなこと……」
 ありません、と言おうとして、須間男はつい、笈川のたたずまいを思い出し、語尾を濁らせてしまった。
「おいおい、そこは言い切ってくれよ」
「す、すいません……」
「腐れ縁ってのは、なかなか切れないものなんだな」
「えっ?」
「一般論だよ、一般論。ほら飲め」
 社長はへらへらと笑うと、須間男のグラスにビールを注いだ。
「あ、すいません」
「ところでスマちゃん。そんなにチミちゃんのこと、嫌いか?」
 思わぬ問いかけに、須間男はビールを吹き出しそうになった。
「な、な、なんですか唐突に!」
「お前さん、タバコの煙、平気だろ?」
「えっ?」
「中埜のじいさんは、いい煙草の飲みっぷりだったじゃないか。そのじいさんの隣で、お前さん、普通にインタビューしてたじゃないか」
「それは仕事で……」
「我が社はアットホームな会社です、って求人広告に書いてもらったけどさ、一応うちはアットホームかどうかはともかく、ちゃんとした会社で、お前さんがオフィスでやってることは業務なんだけど」
 社長はとろんとした眼差しを、須間男に向けた。
「あ、いえ、会社をなめてるとか、そういうことはまったくないです」
「それじゃやっぱり、お前さんはチミちゃんを嫌ってるんじゃないか」
「嫌いというか……苦手なのは確かですけど……」
「苦手って、どこら辺が?」
 社長は須間男をじっと見つめて、質問を重ねてくる。
 飲み会の席での社長は、普段以上にノリが軽くなり、そしてスイッチが切れたように寝る、というのがパターンだったと、須間男は記憶している。しかし今晩の社長はどうも様子が違う。かと言って、絡み酒ともどこか違う。
 搦め手ではなく、正面からの問いかけに、須間男はお茶を濁すことも出来ず、何と答えるべきか悩んだ。
「……なんとなく、としか……」
 須間男が思考回路をフル回転させてようやく出てきたのは、あまりにもふわっとした答えだった。
「おいおい。なんとなくで嫌がられるチミちゃんの身にもなってやれよ」
「まあそうなんですけど、鶴間さんは僕のことなんか気にしてないと思いますよ?」
「そっか。気にして欲しくてチミちゃんのやることなすことに反発するのか」
「それはないです」
「言い切るなあ」
 そう言って社長は、子どものように口を尖らせた。
「ひとつ、聞いていいですか?」
「チミちゃんの電話番号かメアドか? 本当は守秘義務ってものがあるんだけど、他ならぬスマちゃんの頼みなら」
「違います」
「また即答だね。ノリが悪いなぁ」
「……あの人、いつからあんな感じなんですか?」
 須間男の問いかけを受けて、社長の顔から笑みが消えた。
「あんなって、どういう意味だい?」
「鶴間さんは仕事も喫煙も楽しんでいませんよね? それどころか、憎しみや探究心もない。もちろん技術や構成力、取材力は凄いと思います。ですが、それだけ(・・・・)です」
それだけ(・・・・)、か」
「あの人が何でこの仕事を選んだのか、この仕事を続けているのか、僕にはわかりません。それに……」
 ──ありがとうございました。
 そう言って謝った千美の姿を、須間男は思い浮かべた。
 あの時の千美は、須間男が知っている彼女とはまるで違っていた。
 触れたら壊れそうな脆さを、須間男は感じていた。
呪いはある(・・・・・)、か」
 社長がぽつりと呟いた。
「えっ?」
「やっぱアルコールはダメだなぁ。絡んじゃって、なんか悪かったな。そろそろお開きにするか」
唐突に社長が話を切り上げた。
「あ、いえ、僕の方こそ」
 須間男も、自分が言いすぎたことを後悔した。
「なんだったらメイド喫茶で口直ししてきなよ。俺も興味あるから、ロケハン頼むわ」
 社長はポケットから、この店に辿り着くまでに受け取ったメイド喫茶のチラシを取り出してテーブルに並べた。
「魔法少女喫茶なんてのもあるのか。それに……執事喫茶? なんだこりゃ」
「僕は行きませんって」
「そっか……。今度、小埜沢と一緒に行ってみるか。それじゃスマちゃん、お疲れさん」
 社長は笑顔で須間男の肩を叩き、伝票を持ってレジに向かった。
「あ、いえ、ここは折半って」
 須間男は慌てて鞄を持って立ち上がった。
 その時、須間男は背中に視線を感じて振り返った。
 しかし、往来には人影がまばらで、誰もが路地を覗くことなく通り過ぎていく。あるいは、たまたま視線を投げかけた人がいただけかもしれない。いろいろありすぎて、まだ神経質になっているのかもしれないと、須間男は思い直した。
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登場人物紹介

鈴木須間男(32)


小さな映像製作会社に勤務。

弱腰で流され体質。溜め込むタイプ。

心霊映像の制作と、その仕事を始めるきっかけを作った千美に、かなりの苦手意識を持っている。

よくオタク系に勘違いされる風貌だが、動物以外のことは聞きかじった程度の知識しかない。

鶴間千美(34)


須間男の同僚。

須間男よりもあとに入社してきたが、業界でのキャリアは彼よりも長く、社長とは旧知の間柄。

服装は地味でシンプル、メイクもしていない。かなりのヘビースモーカー。

感情の起伏がほとんどない、ように見えるが……。

社長(年齢不詳)


須間男たちが勤める映像製作会社の社長。

ツンツンの金髪、青いアロハに短パン、サンダル履きと、「社長」という肩書きからはほど遠い見た目。

口を開けばつまらないダジャレや、やる気のなさダダ漏れの愚痴がこぼれる。

本名で呼ばれることが苦手なようなのだが……。

麻美奏音(24)


地下アイドル「ピクルス」の元メンバーで、メンバー唯一の生存者。

六年前の事件以降、人前に出ることはなかったが、今回の騒動で注目を集めてしまう。

肝心の「呪い」については、まったく覚えていないようなのだが……。

寄藤勇夫(42)


有名アイドルグループ「@LINK(アットリンク)」の厄介系トップオタ。

須間男たちの会社に送られてきたふたつの映像に映り込んでいた人物。

@LINKの所属事務所から出禁を喰らってから、消息が途絶えている。

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