文字数 2,739文字

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 水面を覆った花びらに息を吹きかけて散らし、人ひとり分の顔が映るスペースを作った。波が落ち着くのを待ってから、顔を近づけてみる。ぼんやりと映るのはやはり、紛うことなき自分の顔だ。どうやら今回も、幽霊が出てきてくれることはないらしい。

 落胆と自嘲のため息が風に溶け、数羽のカラスが嘲笑うかのように騒いだあと、静まり返った境内に僕の名前が響いた。

「キョウスケ?」

 振り返ると、腕を伸ばせば届きそうな距離に、髪の長い女の子が立っていた。彼女は西日を浴びて目を細める。

「久しぶり」

 春風に吹かれて、栗色の髪がきらきらと光る。人形のように透き通った肌もあのころと変わらない。

 固まってしまった僕に、彼女はさっと両腕を交差して胸元を隠した。

「ちょっと! いきなりどこ見てんの!?」

「ち、違うよ! そんなつもりじゃ!」

 咄嗟に目を背けると、笑い声が聞こえた。

「冗談だよ、分かってるって」

「やめてよ……もう冗談にならない年齢(とし)なんだから……」

「ごめんごめん」

 アオイは「あはは」と笑いながら、明るいベージュ色のコートをなびかせて、僕の鞄が置いてある長椅子に腰かけた。

「不思議だよね、他人(ひと)の心臓がわたしの中で動いてるって。譲ってくれた子には、感謝してもしきれないよ」

 僕も鞄を除けて、隣に座る。

 アオイに適合するドナーが見つかったのは、あの年の夏だった。移植手術も無事に成功し、彼女は健康な心臓を得た。

「だからせめて、わたしで良かったって思ってもらえるように、一生懸命生きないと」

 人がどのような経緯でドナーになるのか、当時の僕たちもなんとなくは知っていた。だからアオイは当初、喜びや安堵だけでない複雑な心境に戸惑ったりもしたようだが、今ではある程度、心の整理もついたようだ。

「こっちに来るまでどのくらいかかった?」

「6時間くらい。もう、身体バッキバキ。特急のシートが硬くて」

 アオイは「うーん」と背伸びをし、肩を回して見せる。

 手術が行われたのは遠方の病院で、術後も経過観察や定期的な通院のため、一定期間は近くで生活する必要があった。豊かな自然が残る環境はアオイの快復を助け、万が一の時にもすぐ対応してもらえるという安心もあって、彼女の両親は完全に移り住むことを決めた。

 小学校の卒業式の日、彼女を乗せた車を見送ってからもう4年になる。この間、折に触れては電話やメールで連絡を取り合ったりもしていたが、顔を合わせるのは初めてだった。彼女の父親が仕事で数日間こっちに滞在することになり、春休みを利用してアオイもついてきたのだ。

「背、伸びたね」

 そう言ったのは僕で、クラスで背の順に並ぶといつも1番前に立っていたアオイは、高校の同級生たちと変わらない背丈になっていた。

「でしょ? キョウスケはそんなに変わらないね」

「気にしてるんだから、ほっといてよ」

 対照的に、当時どちらかといえば背が高かった僕は中学以降伸び悩み、今では前から数えたほうが早いくらいだ。

 変わったのは背だけかとしつこく訊いてくるアオイをいなしているうちに、なんとなくどぎまぎしていた気持ちも落ち着き、小学生のころに戻ったかのような気分で近況を報告しあった。

 心臓移植後の暮らし、引っ越し先の町の雰囲気、中学校の思い出、高校でできた仲のいい友達など、アオイは楽しそうに話してくれたが、話題が将来の進路のことになると、突然真剣な表情に変わった。

「ずっと聞きたかったことがあるんだけど」

 その緊張感漂う雰囲気に、僕も身構えてしまう。

「なに?」

 彼女はしばらく口篭っていたが、やがて意を決したように切り出した。

「中学受験やめたのって、やっぱりわたしが関係してたりする?」

「え?」

「いや、その、キョウスケが塾辞めたのって、わたしの病気がわかってすぐだったじゃない? だから、何か関係あるのかなって」

 押し黙ってしまう僕を、アオイは心配そうに見つめていた。

 そういえば、以前にも似たような質問をされたことがあった。僕はきっと、噓をつくのが上手ではないのだろう。

「それはまあ正直、無いってことは無いよ」

 一瞬、瞳を大きく震わせたアオイはすぐに両手を合わせた。

「ごめん! それなのにわたし、引っ越しちゃって!」

「いやいいよ──って、え?」

「うん?」

「どういう意味?」

「えっとだから、受験どころじゃなくなったわたしと一緒の学校に通うために、キョウスケも私立受けるのやめたんじゃないの?」

「いや、そういうわけでは……あのころはあとのことを考える余裕なんてなかったし。確かに、引っ越して行っちゃったのは寂しかったけど」

 当初伝えられていたアオイの余命と、受験までの日数はほぼ一致していた。勉強なんて手につくはずがなかったのだ。それに、拘束時間の問題もあった。あの日だって、塾に通っていたら一緒にここに来ることはできなかった。

 そもそも自分が私立を受けようと思ったのは、何か明確な目標があったわけでもなく、ただ単にアオイをはじめ仲のいい友達がみんなそうするからで、周りに流されていたにすぎない。両親も僕の希望に沿うというスタンスだったため、「やめたい」と言ったときも、すんなりと受け入れてくれた。

 そんな説明をアオイは夕日のように赤い顔をして聞いていた。

「あはは……わたしってば、自意識過剰?」

 しかしまた、神妙な顔つきになって声を落とす。

「でも、やっぱりごめんだよ……キョウスケの進路を変えちゃったんだから。キョウスケなら、絶対通ってたのに」

 それを言い出すのは無しだと、僕は笑った。

「本当に、今も昔も気にしたことない」

 空を見上げる。あの日と同じ、青と赤が混じり合った中に、オレンジ色と紫色の雲が浮かんでいる。あの時の恐怖と悲しみを思えば、大抵のことはどうだっていい。

「そう……そっか」

 アオイは場の空気を変えるように勢いよく立ち上がった。

「じゃあ、数年ぶりに試してみますか!」

 この日、待ち合わせ場所を指定したのはアオイだった。そしてもちろん、桜の花びらを準備しておくようにという指令も欠かさなかった。

「あー! 先にやってる!」

 池を見たアオイは悲鳴を上げる。

「前回はふたりいたから、うまくいかなかったんじゃないかと思ったんだ」

 それに、僕も花びらを浮かべてみたかった。

 僕は鞄の中からポリ袋をもうひとつ取り出し、口を尖らせるアオイに投げ渡した。彼女はそれを上手に両手でキャッチすると、「準備いいじゃん」と機嫌を直した。

 僕も立ち上がって池の前に移動する。

 アオイが袋の結びを解き、花びらを振りまいた。桜吹雪が彼女の手から生まれ、池に舞い落ちる。

「せーの!」

 アオイの合図で水面を覗き込むと、そこにはやっぱり、ふたりの顔が映っていた。
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