純文学(国内)

エピソード文字数 1,697文字

小説に関しては随分細かく分類してしまったが、戯曲や詩は純文学の範疇で捉えてもらえると助かる。

もちろん、大衆向けの戯曲もあるから、そのあたりは、なんというかニュアンスで頼む。

遠藤周作『沈黙』


少し前、マーティン・スコセッシ監督によって映画化されたわ。

長崎の隠れキリシタンをテーマにした、なかなかにえぐい話よ。

宣教師が神の教えを説くため、キリスト教不毛の地、日本に侵入する。

そして隠れキリシタンたちと交流を深める。


しかし、日本の侍たちに捕まってしまうの。

まあ、それは予想できる展開よね。

そうでなくては話が始まらないのだから。

これが信仰を試す物語であることは最初から分かっていた。


そして結果として、この小説は日本人キリスト教徒たちの強い批判を受けることになった。

きっと自分たちの信仰そのものを否定されたと感じたのね。

遠藤周作は物語の中でこんな風に語ったの。

日本人が語る神は唯一絶対の神ではなく、太陽神のようなものだと。


決定的なところで分かり合えない。

同じものを拝んでいるつもりが全くの思い違いだった。

そのように悟ってしまい、宣教師は言葉だけの信仰放棄を受け入れた。


この物語はあなたの信仰を揺さぶるもの。

無神論者を気取る人ほど内心何かしらの信仰を抱くでしょう?

その心にかかったもやを『沈黙』と共に暴いてみてはいかがかしら。

うーん、実はスコセッシは「タクシードライバー」しか見てなかったりする。

遠藤周作に関しても、あまり多くの作品を読んでいない。

三浦綾子『塩狩峠』も読んだことがないが、お上はキリスト教を避けている、というわけではない。

むしろ、キリスト教圏の文学には興味があるが、同時にギリシア・ローマ神話圏、北欧神話圏、イスラム教圏の文学にも興味があるため、「異邦人のキリスト教徒」の文学まで順番が回ってこない、というのが正直なところだ。

言い訳ばかりで申し訳ないが、結果的に『沈黙』は読んでいない。

「塩狩峠」 (三浦綾子)

犠牲愛って何かをこの作品は教えてくれた。

文芸が死んでるという感覚は痛いほど分かります。というかここ20年、芥川賞、直木賞が死んでいるという実感があります。と言うか生きていたら、出版市場が1996年比から半減というみじめな数字にはなっていないし。というか「ライトノベル直木賞」作ってほしいなとすら(略


もはや直木賞受賞作品がライトノベルレベルにしか(下手すると芥川賞ですら


だから芥川賞受賞者ですら、生き延びることが難しいという物書きの人にとっては受難の時代なわけで・・・


萌えだ、ハーレムだなんて本ばかり売れてる(?)この時代に2大文芸賞の話題をする人が事実上ノベルデイズで私だけということにまずはショックです。


文芸はもう、死んでいる!

厳しい意見になるかもしれんが、多少出版社に関りがあるお上としては、「文学の正しさ」なんてどうでもいい。

小説の判断基準は「正しいか、正しくないか」ではなく「売れるか、売れないか」に移行している。

あまり内情を暴露するのも褒められたものではないが、半世紀前は作家よりも編集者の方が頭が切れた。それが今では頭の切れる作家を編集者がなだめる、っていう構図になっている。まさにイネーブラーだな。

才能のない物書きは上から言うことを「はい、はい」と聞かなければならないのは当然として、才能ある物書きは「上の人間が納得しないので……」の一言で作品を改変しなければならない。

出版社の権力を盾にとって、才能ある人間を頭から抑えつけていれば、そりゃ小説は売れねえよ

「蟹工船」

俺は今の時代ほど、読んでほしい文学だったりする。

派遣村の人は毎日が「おい地獄さ行ぐんだで!」 だったんじゃね?

なのに団結もせず奴隷の鎖自慢。いつから日本人はひ弱になったんだろう。

何年前の話か忘れたが、いきなり「蟹工船」の知名度が跳ね上がって「?」ってなったぜ。

あれは高橋源一郎が何かの対談で言及したのがきっかけらしいが……

プロレタリア文学をラノベに落とし込む、みたいなことをしてもいいかもな。

元祖、プロレタリア文学は「あゝ野麦峠」かなと。ラノベにしたら萌えにされたり「異世界」とかされたりしそうで嫌だ。

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登場人物紹介

瀧川紅月(たきがわべにづき)


ここの管理者代理。

拙作『頭狂ファナティックス』第一部のメインヒロイン。

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