アネモネを貴女へ。

文字数 2,256文字

 小学校高学年あたりから、さまざまな性の知識が入りだす。

 男女の愛しあいかたを知ったときは動揺したし、正直少し、汚らしいとも思った。

 ただ、精通を迎え『処理』の仕方も覚えると、なんだか思考があらぬほうにばかり行ってしまう。

(繋がりたいとまでは望まない。けれどもし、今よりも深いところで、花姫様を感じられたら――……)
 僕は、自慰をしながらそんなことを考えるようになった。

 己の体液でねっとり濡れた手を見る度、自分こそがこの世で一番(けが)らわしい(ケモノ)じゃないかと、嫌悪と自嘲(じちょう)が止まらない。

(なにか、彼女への欲情を(まぎ)らわせられることができないだろうか――)
 そう考えた僕は、花姫様に贈るための花を作ることにした。
 捧げるための花を一から育てるなんて、すごく重いとは思う。けれど恐らく……『贖罪(しょくざい)』には、軽すぎるのだとも思う。

 図書館でいろいろ調べてみて、育てる品種は『アネモネ』にした。比較的栽培するのが容易らしいのと、あとは、花言葉が気に入ったからだった。
 色によって様々あるから、本当の目的である赤色の言葉――君を愛す――は万が一気づかれてもごまかせるし、なにより『見捨てられる、見放される』なんて意味もあるのが、最高に皮肉だった。

 お小遣いで球根を買ってきて、『秘密の場所』に埋める。それは、家の敷地の外れにあった。
 八代の家は、ひとびとが自由に参拝することが可能な神社、間を置いて僕たち家族の暮らす離れ、花姫様が『儀式』を行なう祭場(さいじょう)で構成され、周りはちょっとした林で覆われていた。
 『秘密の場所』は林の中にあって、高い樹に(まも)られている割にはあたたかな光が注ぎ、ひとも来ない穴場だった。二~三年に一度業者さんに整えてもらっているのだけれど、去年お願いしたから今年いっぱいは確実に暴かれる心配はない。

(……これで、よし)
 球根が苦しくならなそうな程度に、土をかけて整える。
 本当はプランターのほうが管理をしやすそうな気もしたけれど、万が一見つかったら言い逃れしようがない。全く計算しどおしだなと、無意識に乾いた笑みを浮かべてしまう。

 花は順調に育った。
 バッグに小型のスコップと軍手をビニール袋に入れて、水はペットボトルに詰めて持ち歩けばいい。放課後、自宅に入る前や休日に時間を見つけては、アネモネのお世話に打ち込んだ(もともと花姫様が神事等で忙しい日中は、気まぐれにあちこちふらふらする癖があったので、だれからも不審に思われなかった)。
 “花は話しかけつつ育てるといい”と昔、テレビで観たことがあったので、勇気を出し、
「キ、キレイに咲いてね……」
 と語りかけた二秒後に、自分がいたたまれなさすぎて、近くの樹に頭突きしたのは、僕が持つ唯一の黒歴史だ。

 そして、春休みを迎え、アネモネたちは満開の紅色で咲きほこった。
 ……意図通りなのに。うれしいはずなのに。
 僕は頭を抱えた。
 鋏を、入れられなかったのだ。
(だって自分の都合で勝手に、命を奪うようなこと――)

 わかっている。そんなことを思ったら、勝手に育てて花を咲かせたことすら、傲慢(ごうまん)以外のなにものでもない。

 ただ、今この『子』たちは確かに息づいて、ここに在る……。

 僕は唇を引き結んで、静かな風に揺れる花々の、花びらのひとつをそっと指でなぞった。それはとてもすべらかで、外気にさらされているためか、少しだけ冷たかった。

 次の日、花姫様を詳細は一切告げず、『秘密の場所』まで連れていった。
 花姫様は、アネモネたちを見て、感嘆したように声をあげた。
「わ……! 鮮やかで美しい子たちじゃのお!」
 花姫様も僕と同じく『子』たち、と呼んでくれたのが、嘘みたいにうれしかった。
「僕が育てたの」
「司が!?」
 この調子だと、花言葉は知らなそうだ。内心安堵しながら、言葉を続ける。
「この花、『アネモネ』っていうんだ。ホントは花束にして貴女(あなた)へ贈りたかったんだけど、どこまでもキレイに一生懸命育ってくれるから――摘むの、かわいそうになっちゃって」
「……」
(……うわ、なんかこれ……改めて言葉にするとすっごく恥ずかしい……!? 花姫様、きょとんとしちゃっているし……!)
 赤面しそうなのを必死にこらえて、にこりと笑う。
「意外でしょ? 僕、とても優しいの」
「……」
 ……なにか言って。
 ちょっと泣きそうになったところで、花姫様がぷるぷる震えだした。
「え、花……」
「司~! ありがとうなのじゃー!!」
 ぱああ、ときらきら輝く瞳を向けられる。
「とっても美しいのぉ! この子たちも喜んでおる!」
 かがみこんだ花姫様は、花々へ顔を寄せ、綺麗じゃ綺麗じゃ、とひとしきりはしゃいだあと、不意に僕を見上げて当然のように言いはなった。
「この『さぷらいず』はびっくりしたがの。司が優しいのは、なにも意外ではなかったぞ?」
「……っ」
 今度こそ僕は、真っ赤になるのを抑えきることができなかった。

 さらに次の日、花姫様とその場所で、『プチピクニック』と称して、花姫様が作ってくれたお弁当を食べた。ちょっとむず(がゆ)かったけれど、こんなに心がぽわぽわ浮き足立ったのは久しぶりだった。

 その花々はプランターに植え替えられ、今も毎年春になると、玄関前で僕らの目を楽しませてくれている。
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