後編

文字数 10,234文字

 ヨシュアはパトロールカーを道端に止め、サンドイッチを頬張っていた。窓からは赤レンガでできた建物が並んでいるのが見える。クラウド・シティの企業管轄区域が華やかなのは一部だけだ。他の都市と同じく、底辺の人間が貯まる掃きだめは無数に存在する。サンドイッチを食べ終えた時、ダッシュボードに電子音が鳴り響く。同時に連絡元が浮かんだ。警察署の本部からだ。通信のスイッチを入れた。
『突然ですまない。通報だ』署長の声が響いた。
「気にするな、突然の用事は警察の職務だ。署長が直に連絡してくるとは珍しい。問題でもあったか」
『重大な問題が出てきた。優先して連絡する』立体地図が現れた。クラウド・シティの外れにある広場を示している。『広場にて一瞬、チャイルド・キットの反応があった』
「反応なんて珍しくも何もないがね。奴等が犯罪でも引き起こたのか」
 立体地図が消え、代わりに女性のチャイルド・キットのデータが現れる。
「ナンバーが古いな」
『初期型だ』
「初期型って、今時使ってる奴がいるんか」
『事実として存在している。チップを抜き取って交換した可能性もある』
 ヨシュアは頭をかいた。「単に初期型がうろついているだけで緊急、優先で調べてこいって話か」ヨシュアはディスプレイに映る情報を見た。チャイルド・キットの仕様が現れる。トーマスが見ていたのと同じデータベースで、警察が保有している情報と照合していく。既に主は亡くなっている。野良になったチャイルド・キットを何者かがフォーマットしないで使用していると見ていい。
『登録者が存在しないチャイルド・キットは危険だ。制御のない機械は何をしでかすか分からんからな。居場所を確認して調査しろ』
「調査ね、確定したら例の手段で大丈夫かい」
『検証ができるなら構わん。でなければお前に頼みはしない』通信が切れた。同時にウィンドウが消えた。
 ヨシュアは別のウィンドウを開いて地図の座標を打ち込んだ。チャイルド・キットは登録者が変わった場合、フォーマットをする義務がある。登録者に従う関係から、フォーマットをしないと別の人間に前の主と同じ対処をするからだ。引き継いだのが既知の間柄まら、対処をスライドすれば良いので問題はない。むしろ作業に時間や金を消費する為、親族間での引き継ぎはフォーマットしないのが基本となっている。
『向かうのですか』後部座席に待機している警備型チャイルド・キットはヨシュアに尋ねた。
「面倒くさくてもやる。仕事ってのは、意味を問わずにやるから仕事ってんだよ」ヨシュアは入力を終えた。
 パトロールカーは自動制御で超高層ビル群から広場へ一直線に向かった。
 ヨシュアは窓から見える景色を眺めた。チャイルド・キットによって生活が変わったのはごく一部の人間だけだ。人が長年かけて作った社会は、簡単に変わりはしない。
 パトロールカーは広場の前に着いた。
 ヨシュアはダッシュボードに入っているカードを取り出し、ドアを開けて外に出た。警備型チャイルド・キットが後部座席から出てきた。後部のトランクを開けた。ピープサイトにセンサーが付いたライフルと、弾丸の入ったマガジンが入っている。ライフルとマガジンを手に取り装填すると、袋に入れて背負った。
『破壊ですか』警備型チャイルド・キットはヨシュアに尋ねた。
「状況次第だ」ヨシュアは広場に向かった。警備型チャイルドキットが続いた。
 人々は警察官とチャイルド・キットの姿に引き下がった。警察が物騒な格好で見回りに来るのは区域内では珍しくない。法を盾にする存在は自らより階級が低い人間は異常なまでに見下し、人権無視な因縁を付けて権力を突きつける。恐怖で押さえつけるのが分かっているから、手を出さずに下がるのだ。
「奴の居場所は」ヨシュアは警備型チャイルド・キットに尋ねた。ライフルを持っているので両手がふさがっている。
『現在は回線が切れています。シグナルの発生が古く、不安定なのが原因と推測できます。履歴を追っていきますと、オベリスク前に反応があり、移動の履歴がありません。動きを止めています』
「分かった」ヨシュアはオベリスク前に向かった。徐々に澄んだ歌声が聞こえてくる。
 人々がオベリスク前に集まっている。
 ヨシュアは人々をかき分けて人々の前に来る。
 汚れきった男がオベリスク前の壇に座っていて、女性が清らかな声で歌を歌っている。
 ヨシュアは女性の前に来た。男は警察の姿に驚き、女性は歌を止めた。
「警察が何だ」男は警察の前に来た。
「チャイルド・キットだな」ヨシュアは男に尋ねた。
「知らねえよ、仕事の邪魔すんじゃねえ」
 警備型のチャイルド・キットは女性の方を向いた。女性の体を目のカメラで読み込み、内蔵しているデータベースと照合する。『初期型です。シリアルナンバーは』
「言わずとも手段はある」ヨシュアは袋からライフルを出し、銃口を男に突きつけた。男は目に映る銃口と、バレルの奥に映る闇に恐怖を覚えた。人々は突然ライフルを出した警察官に驚き、逃げ出していく「まさか、俺を撃とうってんじゃねえよな」
 ヨシュアは笑みを浮かべた。「連れはチャイルド・キットだな」
「知らねえよ、金を稼ぐだけだ」男は強弁を発した。
 ヨシュアは男をにらみつけ、センサーを立ててトリガーに手をかけた。センサーの液晶には男の心拍数や筋肉の動きが数値になって映っている。
 男は悲鳴を上げ、腰を抜かした。
 ヨシュアは男から女性に銃口を向けた。液晶に心拍数の代わりに電子脳が放つ電気泳動が映る。
 女性は動じずにヨシュアを見ている。
 ヨシュアは女性の態度でチャイルド・キットだと確信し、トリガーを引いた。
 銃声が響くと同時に、銃の反動がヨシュアに伝わる。薬室から薬莢が飛び出し、火薬の匂いが周囲に広がる。
 銃弾は女性の頭に当たった。受け身も取らず、当たった場所から火花を発して倒れた。回路が切れた女性のチャイルド・キットはまもなく機能を停止した。
 男はヨシュアの確固たる目つきに恐怖し、震えた。
 トーマスとナイアスが駆けつけた。女性のチャイルド・キットが倒れていて、ヨシュアが表情一つ変えずにライフルを下ろしていた。
 人々は退散していた。
「破壊したのか」トーマスは声を上げた。
 ヨシュアはトーマスの声に気づき、声がした方を向いた。「トーマス博士」
「チャイルド・キットは人の財産だ。令状なしに撃ち抜けば損壊罪になるぞ」
 ヨシュアは男を見た。男は震えている。銃弾が自分に飛ぶのではないかと、妄想が体を支配していた。
「チャイルド・キットに文化継承を認めた場合、即時破壊を優先する。分かっていますな、博士」
 トーマスは顔をしかめた。「確信がある場合だけだ」
 ヨシュアはライフルからマガジンを外し、腰のホルスターに入れた。「データならある。一つはライフルに付いたセンサーだ。次に」破壊した女性のチャイルド・キットに目をやった。
 トーマスは為息をついた。
「ご同行できますか」
「警察署内なら解析の専門家がいるのにか」
「質問の答えなら、警察は倫理でしか判断しない。想定外な事象なら対応できる人間に頼む。次に君達は目撃者だ。理由は何にせよ事情聴取を受ける羽目になる。同じ目に会うなら、任意同行で話をした方が早く終わる。俺も面倒な手続きは嫌いなんだ」
 ヨシュアは男に近づいた。「お前からも事情を聞く。ただし後続からだ」
「お、俺は何も知らねえよ。勝手にマスターって呼んでただけだ。何も悪くない」男は逃げ腰でヨシュアから引き下がっていく。
 ヨシュアは男の襟をつかみ、頭突きをした。男は衝撃で気を失った。
『応援を呼びました。まもなく来ます』警備型のチャイルド・キットは二人の前に来た。『貴方達は証人として署まで同行願います。なお拒否する場合は』
「何もせずとも行くよ」ナイアスは力なく言い、トーマスの方を向いた。「ごめん、変に巻き込んじゃって。本当なのか分からなくなっちゃったね」
「警察が破壊したのが証拠だ。文化継承をするチャイルド・キットがいた。分かっただけで十分だ」
 ヨシュアはこめかみにあるスイッチを押した。スロットが抜き出てきた。スロットに刺さっているカードを回収している。
 サイレンの音が響き渡る。警察が次々と駆けつけてきた。
 調査は後続の警察官がする。実際に鑑識が混じっていた。ヨシュアは自分の役割を終えたとみなし、ナイアスとトーマスを警備型チャイルド・キットの誘導に従い、パトロールカーに連れていった。
 ヨシュアは警備型チャイルド・キット共にトーマスとナイアスを連れてパトロールカーに向かった。「軽く見ろ。感想を言え」壊したチャイルド・キットのカードを警備型チャイルド・キットに渡した。
 警備型チャイルド・キットはヨシュアからカードを受け取り、目を通して読み込んだ。カードからオンラインデータのログが浮かぶ。『現在から2時間前まではオンラインで接続していましたが、以前のログがありません。余りにもネットワークの方が古く、アップデートをするにも接続する仲介が存在しなかった為です。オンラインで接続できたのはナイアス=シンが地図を同期した際、ネットワークの通信暗号を同時に受信して照合したからです』
 ヨシュアはカードから映る情報に目をやった。ログを確認してからナイアスに目を向けた。「君のおかげで対象を見つけたという訳か」
 ナイアスはヨシュアと目が合った。視線をそらした。
 ヨシュアはパトロールカーの運転席のドアを開け、無線機を取り出した。警察に限らず専用回線は傍受を防ぐ為、あえてアナログな手段で中継基地を介して接続している。「もし、聞こえるか。ヨシュアだ。事件に関しては署長から話を聞け。俺は関係者2名を保護した。残りは応援に任せる。関係者は容疑はないから取調室じゃなくて編纂室で尋問する。無論、所持品は解析班に回す」
『了解した。捜査班は事件処理と共に発砲の適性検査に入る。整理後直ちに出頭せよ』
「分かった」ヨシュアは無線機を元の場所に置いた。「乗れ」
 後部座席のドアが開いた。トーマスとナイアスは後部座席に乗った。警備型チャイルド・キットが乗り込んだ。ドアが閉まった。
 ヨシュアは運転席のドアを開けて乗り込んだ。ドアが閉まる。
 パトロールカーは警察署に向かって発車した。
 車内は重い空気で、トーマスとナイアスは口を開けなかった。
 ヨシュアは空気を軽くする為に口を開いた。理由があるとは言え、銃を民間人の所有物に使用した為に適正捜査を受け、容疑が晴れるまでの間はデスクワークで警察署に泊まりこむ。警察は殺傷や破壊行為は正当な理由がない限り処罰を受ける。銃の扱いは特に慎重で、正当な理由がない限り謹慎になると話した。現場仕事から離れるのが嫌なのが、退屈さの混じった口調から明らかだった。
 警察署に到着するなり、警察は二人の荷物を没収した。身分証明を兼ねたカードも例外ではない。
 廊下を通り編纂室に入った。書類が棚にあふれる程に並んでいた。机は端末が置いてある場所以外、ファイルが隙間を埋めている。人は誰もいない。
 ヨシュアに同行しているチャイルド・キットは部屋に入ったナイアスとトーマスの前に出て、椅子を引いた。『お座りください』
 ナイアスとトーマスは、引いた椅子に腰掛けた。
 暫く経過した。ヨシュアが入ってきた。「本当なら一人ひとりで話をするんだけどな。面倒くさいんで、一度に尋問する」席に座り、机においてある板状の端末をつついた。多重にウィンドウが展開する。
 トーマスはウィンドウを見て顔をしかめた。チャイルド・キットに含んでいるデータだけではなく、自分が会社にアクセスした内容も映っている。自分の身分から一瞬でログを解析したのだ。
 老年の男のデータが映る。
「チャイルド・キットの所有者はヨハン=マグワイアだ。ボストン出身の歌手で引退後、クラウド・シティに住み込んでいた。既に死亡している」
「ヨハンか」トーマスはつぶやいた。
「俺の世代でも知ってる歌手だ。隠居して死んだから、未だに生存説がある位だ。でだ、保有していたチャイルド・キットは不明のままだったが今回でやっと分かった。10年越しの決着だ」
「使役した男は」トーマスはヨシュアに尋ねた。
「応援で聴取した知らせが来てる」ヨシュアは端末を操作した。男の身分や状況が映る。「男はシモン=エイブラム。と言っても自称したのを元にデータベースから照合しただけで詳細は分からん。分かっているのは学がない、金がないでチャイルド・キットの保有資格を持っていない点だな」
「本来の持ち主ではないと」
「プログラムを抜かずに遺族が破棄したと見える。人間に近くて若い女の姿をしているとなれば、アレルギーになる奴が出ても無理もない」
「不気味の谷だな」
 ヨシュアはうなづいた。ロボットが人の姿形に近づけば近付く程自然に見えるが、発汗を含めた代謝による体の変化がないので不自然だ。嫌悪する現象が発生する。遺族は余りに人間に近い存在であったチャイルド・キットを規定に乗っ取り処分せず、感情のままに廃棄したのだ。
 ナイアスは顔をしかめた。トーマスの推測と同じだ。
 ヨシュアは別のウィンドウに目をやった。チャイルド・キットのデータ内容が映っている。「介護の状況や態度に限界があると見えて、意図してリミットを外したと見える。自分の娘と錯覚し、歌を始めとする教養を教え込んでいる」
「錯覚だと」トーマスは眉をひそめた。ヨシュアが錯覚と言い切ったのに納得できない。プログラムを人間の感覚で判断している。
「チャイルド・キットは商品だ。人間ではなく血縁関係もない。最低限の労働を果たすのなら、先を教える理由はない。対象を失えは廃棄するか誰かに譲るか。何にせよ真っ白にするんだ、意味はない」
「歌を教えても何も損はしません。現に広場にいた人達は皆喜んでいましたよ」
 ヨシュアの表情が真剣な面持ちに変わった。「何故、チャイルド・キットが文化継承を禁じているか分かるか」
「人の仕事を奪うからですよね」
「仕事を奪う問題は解決している。別の問題だ」ヨシュアは端末を操作し、一つのウィンドウを出した。文化発展の系図を示している。「人が築き上げた技術は安定しない。明確な答えがないから環境によって発展し、時に消滅していくが正解はない。今残っている技術や文化は現在の環境で必要だから存在しているに過ぎないんだ」
「チャイルド・キットと何の関係があるのですか」
「チャイルド・キットは現状で正しい判断だけしか継承しない。他の技術は切り捨て消滅していく。環境の変化で真っ先に滅ぶのは以前の環境に適応しすぎた、現状で最強にして最適解の存在だ。技術も同じで、無駄な技術でも環境が変われば主軸になり、強力だった技術は廃れていく。人間が環境が変わっても生き残ったのは現状の技術を放棄してでも弱くなった技術を発掘しながら開発し、生き残る手段を見い出したからだ。チャイルド・キットは最適解でしか判断しないし残さない。継承した技術が環境の変化で役に立たなくなったら行き詰まる。行き詰まりってのは絶滅だな。だから人からチャイルド・キットに文化を継承してはいけないんだ」
「なら、人が正せばいい」トーマスはナイアスに反論した。「人が制御すれば解決できるのではないかね」
「過去の歴史で、できた試しがない」ヨシュアはナイアスに尋ねた。
 ナイアスは黙った。
「未来に置いてもできないから、禁止してるんだ」
「規則と根拠は分かるが、破壊はやりすぎではないのか」トーマスはヨシュアに尋ねた。
「芽を潰すのもあるが、実際には嫉妬だよ。ロボットが普及した時に労働を奪い貧困を拡大すると危惧した。実際に奪ったのはエリートの暇つぶしと道楽周りだったんで、労働者の反発は取るに足らない程度に終わった。ロボットに置き換える作業が増えれば、人間ができる領域を奪うってのは分かった。俺達警察だって、ロボットじゃ善悪の判断を判断できないから人間がやってるだけだ。法に反する奴を捕まえるだけならチャイルド・キットにだってできる。むしろ有能だ」ヨシュアは編纂室の隅に立っている警備型チャイルド・キットに目をやった。「エリートを目の当たりにした俺達警察は、自分達の特権を失うのが怖いんだ。だから潰す。人間って奴はな理屈つけても、感情で判断するんだよ」
「人は感情の生物だからな」トーマスは力なく声を上げた。
「正しいから任せないって意味ですよね。警察にも悪が必要なんですか」ナイアスはヨシュアに尋ねた。
「嫌疑がないお前らを捕まえて話をしているのも、俺がチャイルド・キットを破壊したのも解釈次第では悪だ。場合に寄っては悪とも手を組まねばならん」
 ナイアスはヨシュアの言葉に、何も返答せずにうつむいた。
「歌を歌うのも、同じ容認できる悪ではないんですか。誰も迷惑をかけていないんですから」
「法規に例外はない。警察は法を維持する装置にして、民を守る盾だ。個人の主観が入る余地も、哲学を論じている暇もない。で、法が出来た理由は嫉妬になる。で、前の話に戻りループで解決できなくなる。答えが質問になって終わらないから、現状で判断するしかない」
 電子音が端末から鳴り響いた。ナイアスが端末をつついた。「何だ」
『トーマス・シンとナイアス・シンのカードの解析が終わった』
「内容は」
『3枚あるカードのうち、2枚は身分証明だ。ナイアスのカードは破壊したチャイルド・キットとの接続履歴がある。地図の同期に関する内容で、チャイルド・キットが認証をコピーして、自身をオンラインにした形跡がある』ウィンドウが映る。チャイルド・キットのオンラインアクセス履歴とナイアスとのアクセス履歴との比較が映る。互いに同期を図っていて、座標の同期以降はチャイルド・キットはナイアスのカードにある暗号を元にしている。
 ヨシュアはデータを見て、一息ついた。予想通りだ。「データの履歴は違法か」
『合法です』
「なら問題ない。残り1枚は」
『クライスという人物のデータです。記憶データの断片ですかね。画像や動画だけではなく、音声を含めたパーソナルデータの集合体です』
「クライス」ナイアスは声を上げた。
「身内か」
「甥だよ」トーマスは声を上げた。「私の甥だ。弟のアルフは交通事故にあって妻を亡くし、息子のクライスは脳障害を起こした。身体機能を助ける為に脳にチップを埋め込んでいたが、元々体が弱くてな。手術から3年後に亡くなったよ。遺品としてチップを取り出して内部の記憶を解析したんだ。終わったので本人に届ける為、息子のナイアスを呼びつけたんだ」
 ヨシュアは端末を操作し、クライスのデータを呼び出した。同姓同名の人物が映る。血縁関係者としてトーマスの名前を打ち込んで検索する。まもなく一人の名前がウィンドウに浮かぶ。クライスのデータを映し出した。死亡を示す記号が付いている。手術の履歴には脳外科手術を含む、人体改造とも言えるまでの内容が書いてある。
「宅配でも使えばいい」
「記憶の複製を当人は望まんかった。他人が身内の写真をアルバムから取り出し、焼き回すと迷惑なのと同じだ。運ぶなら信頼できる人間が一番だよ」
「息子の記憶を保持しておくのは分かる。誰だって過ごした時間の保持を望む。俺もママが死んでから数年経つが、今でも寂しいさ」ヨシュアはアゴに手を当てた。「仮にだ。記憶をチャイルド・キットに移植した場合、当人になり切るってのはできるのか」
「何故聞く」
「半分純粋な興味だ。大学にいた頃、講義で似た話を聞いたんだ」ヨシュアの表情が緩やかになった。職務とは関係ない、興味から来る質問だ。「確か、スワップか何かだったか」
「スワンプマン、泥人間か」
 ヨシュアは納得した表情をした。人間が事故で死んだとしても、同じ記憶を持った姿形の同じ泥人形が同じ場所に現れて死者の行動を引き継いだ場合、泥人形も周りも複製だと気づかないまま過ごしていく。と言う仮定の問題だ。「さすが博士、泥人形だよ」
「結論から言えば、移植しても無意味だ。記憶とは自身が蓄積した経験から成立する。泥人形は知識があっても知能がないんだ、同じふるまいができても意味が分からっていない。観客が濡れ場を演じている役者を見て、実際にしていると勘違いするのと同じだよ」トーマスは一息ついた。「残り半分は」
「法にからまる問題だ。チャイルド・キットはでき合いのプログラムを入れた状態で出荷する。皆同じで、家族や環境に適応するには教育が必要になる。仮に記憶を埋め込めば、過ごしてきた環境に適応したチャイルド・キットが簡単にできるんじゃないかとな。記憶の移植で歌を教え込んだとすれば、文化継承の問題よりも深い問題になる」
「記憶は脳に一つの情報として書き込んでいない。例えるなら事象を一冊の本に書き込むのではなく、場所や時間などに分割し、バラバラに書き込んでいる。まして書き込んだ内容は状況により欠けてしまい、当人でも読めなくなる。平たく言えば忘れてしまうんだ。だから1冊だけを取り出して移植しても、つなぎがなければ混乱を引き起こすだけだ。今回のケースに例えるなら、歌を吹き込むには音階と歌詞を含めた歌の要素を別個に教え、複合しないといけない」
「面倒くさいな」
 トーマスはうなづいた。「なら最初から歌を吹き込むのが早い。つなぎがなければ記憶を移植するなんて出来ない。余りに非効率だ」
「ありがとう、貴重な意見に感謝する」端末をつついた。通信先が浮かび上がる。「尋問は終わりだ。二人を編纂室から出す。荷物をロビー前で全部用意しろ、全部返すんだぞ。でなければ警察の信頼に関わる」
『了解しました』音声が流れた。
 ヨシュアは席を立った。「パトカーで話した通り、俺は適正捜査にかかるから見送りはできん」チャイルド・キットに目をやった。「お前が送ってやれ」
『了解しました』チャイルド・キットはドアに向かった。『お疲れ様でした』
 ナイアスとトーマスはドアに向かい、編纂室から出ていった。廊下を通る。
「すみません」ロビーに来る前に警察官から声がかかった。「トーマス=シンとナイアス=シンですね」
 ナイアスはうなづいた。「はい」
「押収した品を渡します」警察官は部屋に案内した。
 トーマスとナイアスは警察官に続き、部屋に入った。机が置いてあり、押収した荷物が丁寧に置いてある。荷物を身に付けた。
「受け取り終わりましたら、勝手に外に出てください。ご協力感謝します」警察官は頭を下げた。
 トーマスとナイアスは一通りの装備を終えると部屋から出た。
 警察署を出た先の光景は、超高層ビル街で車通りが激しかった。
 ナイアスはカードを手に取り、操作した。現在位置が立体地図と共に映る。クラウド・シティの中央部だと分かった。トーマスに受け取ったカードを見せた。「今持っているカードをアルフおじさんに届ければ良いんだね」カードを回した。「アルバムだったら、別にストレージに入れていても良いんじゃないか。プライバシーがうるさいって言うけど、実際に漏れたなんて聞いた試しはないよ」
「アルバムだけならな。奴の注文に合わせて欠けた内容を修復し、最適化しているんだ。特にデータのつなぎが繊細でな、下手に解析してバラけると厄介なんだよ」
「つなぎって」
「場所と事象のつながりは、正確ならキレイにまとまる」
 ナイアスはカードに映る項目を見た。項目は難解な文字が書き込んである。「子供の名前がクライスっていうのか。雇っているメイドの名前も同じだったな」
「メイドを雇ったのか。チャイルド・キットはいなかったか」
「見かけなかったな。ましてエセ人間って差別しちゃって」
「エセ人間か。人間として識別しとるのか」
 ナイアスはトーマスの言葉に戸惑った。「人間としてって」
「でなければ、エセなんて言葉を使わんよ」トーマスは手持ちのカードを操作した。タクシーを呼ぶ為のウィンドウが展開した。操作を続けて現在位置を送信する「チャイルド・キットを使っとらんとは、何の為にカードを届けるのか分からんな」
 ナイアスはトーマスの言葉に眉をひそめた。チャイルド・キットを使うのと、カードを届ける意味とはつながりが見えない。「何で困るんだ」
「相手の事情によるとしか答えが出ない」
 ナイアスはトーマスのそっけない返答に顔をしかめ、脳裏にアルフの状況を浮かべた。アルフは自分の子供と同名のメイドを雇っていて、外に出てはいけないと命令していた。何故特殊な処理をするのか、徐々に仮説が浮かんでくる。メイドの瞳を見た時、女性のチャイルド・キットと同じ奥に機械が埋め込んでいるのが見えた。「まさか」小さくつぶやいた。トーマスは記憶はバラバラでつながないと混乱すると言っていたが、裏を返せばつなげば記憶は再生可能だと捉える。更にデータをつなぐが繊細だと言っていた。
 タクシーが来て、トーマスの前で止まった。
「アルフが頼んだのって」
「頼んだぞ」トーマスはナイアスが質問する前にタクシーに乗り込んだ。タクシーのドアが閉まり、走り出した。
 ナイアスは自身から離れていくタクシーを見た。トーマスがアルフに何を届けるのか、アルフは受け取ったカードを何に使うのか気づくと同時に、エセ人間と呼んでいた理由の一端を悟った。
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