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文字数 4,315文字

「襲撃者の顔は見ていない。と言うのも、今日はここまでと作業を終了して、部員全員を帰し、最後に残った部長である僕が部室を見回して、電気を消した、まさにその瞬間、襲われたからだ」
 2番目の犠牲者、美術部部長の説田龍蔵(せつだりゅうぞう)は証言した。
 続けて第3犠牲者の写真部部長・鬼塚一平(おにづかいっぺい)
「僕も同様だ。暗闇の中で飛びつかれ滅多打ちにされて意識を失った。凶器は、ハンマーか鉄鎚のようなものだと思う」
 残る鳥住勇(とりずみいさむ)、放送部・平部員は――
「僕は他の部員と一緒に放送室を出たんです。でも、その、急に(もよお)してトイレへ寄った。用を足して……皆を追って一人で渡り廊下を歩いている時、背後から襲われたんです。いやはや、訳が分からなくて吃驚したなあ!」
 更に詳しく第2犠牲者説田は付け加えて、
 「自分が襲われた前日、文芸部部長の毛利天優(もうりてんゆう)が怪我をしたのは聞いていたよ。だがその時点では何者かに襲撃されたとは知らなかった。事故だと思ってたんだ」
 第3犠牲者の写真部部長・鬼塚は、
「流石に僕は知っていました。と言うのも、9月7日の時点で『文芸部部長の毛利君と美術部部長の説田君が続けて何者かに校内で襲われた』と生徒会長から内密に各部長に連絡が回されたんです。『くれぐれも注意するように』って。でも、まさか、その通達があった日の夜に自分が3人目の犠牲者になるとは、正直思ってもいなかった……」
「連続して3名も襲われるなんて! それでね、僕のとこの放送部は警戒して一緒に帰ろうと部長以下部員全員で同時に放送室を出たわけなんです。ああ、ほんとに、あの時トイレになんか行かなきゃ良かった! 家に帰るまで我慢すべきだったんだ! それが悔やまれます」
 これは第4犠牲者の平放送部員・鳥住の弁だ。
 3人とも自分の体の上に置かれていた紙片の絵柄について、意味などは全くわからない、思い当たることも一切ない、と首を振った。


「これからどうします、海府(かいふ)君?」
 一応の聞き取りを終えて毛利医院を出たのは7時前。
 秋の陽は落ちて辺りは暗くなっていた。


「そうだなあ……」
 本当は一刻も早く探偵社へ駆けつけて探偵に全てを報告したかったのだが。
 だが、新しい助手の手前、志儀(しぎ)は少々見栄を張った。
「とりあえず、僕は家に帰って一人(・・)で推理を展開してみるつもりだ」
「それなら――僕の家へ寄りませんか? 晩御飯を一緒にどうです?」
「え?」
「ぜひそうしてください! ママが喜びます! 僕ね、いつも海府君のこと噂してるから、ママ、凄く、君に会いたがってるんですよ!」
 若葉(わかば)は志儀の腕を引っ張った。
「ね? いいでしょ? ご馳走しますから! 僕のママのコロッケは最高なんだ!」
 〈コロッケ〉よりも〈ママ〉という言葉が志儀の心を(とろ)けさせた。

(ママ、か……?)

 生まれた日に母を失くした志儀だった。
 夕食を作って『お帰りなさい』と迎えてくれる母の姿を知らない。
 その代わり、優しくて美しい姉がいたけれど。
 その姉も遠い異国へ嫁いで久しい。
 志儀が家に帰らず毎日、丘の上の探偵社へ通うのも、そこに必ず待っている人がいるせいかも知れない。

 ―― おかえり、フシギ君?
 ―― ようこそ、フシギ君!
 ―― 今日は遅かったじゃないか、フシギ君?

「じゃ、ちょっとだけ、お邪魔しようかな……」
 若葉は指をパチンとならした。
「そうこなくっちゃ!」



「まあ、まあ、まあ! ようこそお越しくださいました! いつも若ちゃんがお世話になっています!」
 
 赤い屋根の瀟洒な洋館。
 その人は満面の笑みで迎えてくれた。
「やめてよ、ママ! 志儀君とは正式には今日知り合ったばかり――三宅(みやけ)さんの仲介で漸く、初めて、今日、口を聞いたんだってば!」
「あらまあ? でも、いつもあなたの事はお聞きしています。あの海府レースの息子さんとか? 若ちゃんたら入学以来、二言めには貴士(たかし)さんとあなたの名を口にするのよ」
「いいから! もう黙っててよ、ママ!」
 しきりに頭を掻く若葉。
 その息子に母はそっくりだった!
 いや、若葉が母・千羽子(ちわこ)にそっくりなのだ。
 内輪若葉(うちわわかば)がK2中学内第2位の美少年に選ばれるはずだ。志儀は大いに納得した。
 実母の千羽子は元宝塚少女歌劇団の団員だったそうで、母となった今も愛くるしい乙女の風情を残している。夢見るような瞳と小柄で華奢な体つき。ちょっと力を入れると壊れてしまう桜貝のよう。
 こんな可愛らしくて優しい母の待つ家へ毎日帰れる若葉が志儀は少々憎らしくなった。
「それにしても、若ちゃんのいうとおり、本当にお可愛らしくていらっしゃるのね、海府君? 流石はK2中美少年――」
「ははは、美少年はチワワ……若葉君ですよ。人気投票準優勝だって聞きました」
「まあ、お褒めくださってありがとうございます。でも、それをいうなら海府君こそ――」
「もういいから!」
 堪りかねて母の口を塞ぐ若葉だった。
「志儀君、僕の部屋へ行こう! ママ、夕食ができるまで声をかけないでよ? 僕と志儀君はとても大切な話があるんだから!」
「はいはい、わかりましたよ。ママは、邪魔はしません!」

 自室へ志儀を連れ込むと後ろ手でドアを閉めながら若葉は謝った。
「驚いたろう? ごめんよ。 ホンッと、母親って五月蝿いよね?」
「とんでもない! 素敵なお母さんだよ。いいなあ、チワワ君! 大切にしろよ、お母さんのこと」
「?」
「僕の母親は僕を生むとすぐ死んじゃったから……」
「ああ、そうなんだ……」

 帰宅して一緒に夕食のテーブルに着いた若葉の父は息子とは似ても似つかぬ巨漢の紳士だった。
 K銀行の灘支店の副頭取だそう。
「いやあ! 若葉のことよろしくお願いするよ、海府君! なんでも、君、そう見えて沖田総司張りの剣士だそうじゃないか!」
 目を細めて言うには、
「どうか、ウチの若葉も遠慮なく鍛えてやってくれたまえ。若葉ときたら家内に似て得意なのは歌を歌うことときた」
「まあ! その歌声に『魂を奪われた』『結婚してくれ』って泣いて額づいたのはどこのどなたでしたっけ?」
「しまった! こりゃヤブヘビだった。ところで君たち――君たちのK2中は最高の学校だよ!」
 愛妻に睨まれて話題を変える夫君。ワイングラスを高々と掲げると、
「K2中ほど生徒の自主性を重んじる中学校は無い! 自由で活発! K2中に栄えあれ!」
 若葉の父もまたK2中の卒業生なのだ。
「中でも文化祭の生徒会主催の出し物はレベルの高さで毎年感動させられる! フフ、実はね、こう見えて僕も在学中、生徒会主催の創作劇に出てね」 
「パパ、もういいよ。恥ずかしいよ、海府君の前でそんな話――」
「何が恥ずかしいものか! 拍手喝采だったぞ! 何をやったと思う? 西郷隆盛役さ!」
「体型で選ばれたのね、パパ」
「何を言う、演技力だよ! いやあ、思い出すなあ! その時、坂本竜馬役は毛利医院の今の院長の天政(てんせい)で、三宅雅士(みやけまさし)――ほら、今の生徒会長・貴士君のお父さんだよ――が土方歳三だった!」
「ホラ、御覧なさい、パパは体型で選ばれたのよ」
 千羽子も盃を掲げて言った。
「乾杯! 若ちゃん、パパに似なくて良かったわね!」
「今年は生徒会は何をやるんだね、若葉? 僕もOBとして心から楽しみにしてるよ! 勿論、おまえも出るんだろう? ママに似ておまえは美少年なんだから」
「ぼ、僕はいつもどおり、所属してる部のヤツだけだよ。劇なんかでるもんか」
 真っ赤になっている若葉。志儀は3個目のコロッケをほおばりながら訊いた。
「そういえば、チワ……ゴホン、わ、若葉君、君は何部なんだっけ?」
「合唱部よ」
 息子に変わって、嬉しそうに母が答える。
「毎年、文化祭には講堂の1番前の席で若ちゃんの晴れ姿を見るのを楽しみにしてるのよ。宝塚の自分の舞台より緊張してしまう。ああ、本当に今から楽しみ!」
「お願い、パパもママも、もう、やめてよ、文化祭の話は……」
『学校行事にもっと注意を払うべきだ』
 なるほど。
 志儀はつくづく思った。こんな風に毎年それを心待ちにする家族がいるのだ。自分は今まで全く注意を払ってこなかったが。だとすれば、『このままでは修学旅行や文化祭が中止に追い込まれる』と言った生徒会長の悲愴に満ちた表情の意味もわかるというものだ。

 

 結局、志儀はその夜は勧められるままに風呂に入り、泊まることになった。

「ほんと、ゴメン! 全くママとパパの親馬鹿ぶりには呆れ返ったろ? こんな姿見せようと君を招待したわけじゃないのに! 散々だよ」
 ベッドの下にわざわざ2組並べて敷いた布団の中で若葉は心配そうに訊いてきた。
「あの、海部君? 僕のこと、嫌いにならないでくれるといいんだけど?」
「まさか!」
 風呂上りの癖毛を揺らして志儀は笑った。
「君は素晴らしい家族を持っているよ! むしろ、自慢するべきだ。僕なんか、姉さまはお嫁に行くし、父さまは仕事で忙しいし……」
「じゃ、寂しいんじゃないかい?」
「いや」
 志儀はきっぱりと首を振った。
「今は寂しくはない」
 僕を変な名で呼ぶ探偵がいるから。
「何だよ?」
 ふと見るとじっとこちらを見つめている若葉の円らな瞳。
「いや、笑うと可愛いなーと思って」
「僕が? それに、笑ってなどいないよ」
「いや、笑ってた。すごーくニヤニヤしてた! 何を考えてたの? やっぱり恋人のこととか?」
 枕を抱えて起き直る若葉。(しお)れていたさっきまでとは別人のように生き生きしている。
「僕、ぜひ聞きたいと思ってたんだけど、海府君て好きな人いる? それ、どんな人? 可愛いタイプ? それともクールな感じ?」 
「うるさい! もう、寝よう!」
「いいじゃないか、教えてよ。じゃあさ、せめて、好みのタイプだけでも?」
「とっとと寝ろ、チワワ!」

 翌朝、朝食をたらふく食べて――
 千羽子の焼いた厚焼き玉子ときたら……! コロッケに勝るとも劣らない美味しさで志儀は朝から3杯もおかわりをした。
 こうして仲良く登校したK2中公認の探偵と助手を待っていたのは、衝撃の事実だった。

 第5番目の犠牲者が出たのだ。

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