§01-2 10/21 誘われなかった女の子たち(2)

文字数 2,238文字

 教室にはまだいくらか生徒が残っていた。中間試験の最終日で、部活が再開するから弁当を食べている人間も、ちらほらと見える。話題の桃井彩香と瀬尾聡之はいつものように机に向き合っていた。わたしの席からは、横向きに座り上体を捻る彩香の顔が見えている。人目を惹く華やかさはないけれど、目鼻立ちがはっきりしていて、けっこうスタイルがよくて、ずいぶんと大人っぽく、一人だけ大学生が混じっているみたいな気配。
 この二学期までは、彩香はじっと身を潜めるように過ごしてきた。けれども、目立たないと言うよりは、近寄り難いと言ったほうが正しいと思う。抜群に成績がいいといった分かり易い指標でそうなる人間(紀平里美)もいれば、これと言って目立ったサインもないのにそうなる人間(桃井彩香)もいる。でもまさか、いきなり瀬尾くんに猛アタックを仕掛けるなんて、想像もできなかった。
 どこへとも行き場のないわたしたちは、なにがしたいということもなく、ぐだぐだとおしゃべりをつなぎながら、だらだらと居残っている。二人、三人と減っていくうちに、そんなわたしと細田と向井(窓際)のほか、彩香と瀬尾くん(ほぼ中央)、そしてひとりぽつんと座って文庫本を読んでいる結城さん(廊下の壁際)――教室にはこの六人になっていた。
 程なく、バタバタと走ってくる足音が聞こえ、前の扉から雨野くんが駆け込んできた。窓辺のわたしたちにちらりと目をやって、三人の誰にともなく微笑んで見せてから、まっすぐに彩香と瀬尾くんのところに向かった。じっと見守るわけにはいかない。興味津々であることを気取られないよう注意しながら、顔を背け、しかし視界には残し、耳を聳てる。
「悪い。遅くなった」
「雨野、あそこって弁当は禁止か?」
「映画館と一緒だね」
「ああ、ポップコーンとコーラ」
「どこかで済ませる?」
「だな」
「夏耶、行くよ!」
 廊下の壁際に座る結城さんは、呼びかけに顔を上げず、左手を挙げて応じてから、けれども、帰宅準備を終えた雨野くんと彩香と瀬尾くんを、教室の後ろの扉の前にしばらく立たせておいた。やがて、パタンと文庫本を閉じ、教室を見回し、待っている三人を後ろの扉の前に見つけると、リュックを肩にかけ、ひらひらと文庫本を振りながら歩み寄った。
「ヘミングウェイが出てきたんだけどさ、あの人って不滅?」
「確か奥さんが四人いたね」
「アウグスト2世みたいな意味で不滅ってこと?」
「孫も十人くらいいたと思うよ」
「下半身が奔放な息子を三人くらい産めばいい?」
「不滅の存在になりたいの?」
「でもそっか。全員にお年玉配ってたら、不滅じゃなくて破滅だわ」
「クンデラもうまいこと言うねえ」
「いやクンデラは言ってねえだろ」
 遠ざかる会話の最後に、瀬尾くんの笑い声が廊下に響いた。
 朝からの曇り空がさっと晴れ渡り、再会した部活の声を乗せて、乾いた風が窓から吹き込んでくる。教室にはわたしと細田と向井、三人きりが残された。雨野くんはわたしたちを見てくれたけれど、彩香と瀬尾くんは二人の世界からわたしたちを経由せずに去った。結城さんについては相変わらずよくわからない。「不滅」とはいったいなんのことだろうか?
 なんだかすっかり毒気を抜かれてしまったかのように、言葉少なに校舎を出たところで、細田と向井と別れた。二人とは使っている路線が違う。寄り道をしようという話も、誰の口からも出てこなかった。中途半端に埋まっているロングシートに座る場所を見つけるのが億劫で、ドアの脇に立った。真っ暗なガラスに映る顔は、たぶんマスクのせいで、どこのだれでもない女の子のように見える。そう、たぶんマスクのせいだ。小さな頃は姉妹のようによく似ていると言われた。いま急に思い出した。二人で写った写真もいくつか持っている。家族的類似性――どこかどうと明確に指し示すことはできないのだが、見る者の目にはよく似ていることがわかる。確かそんな意味だ。
 彩香がわたしを誘わなかったのは、仲がいいとは言えないからであり、それ以上の含みはない。ただそれだけの無味乾燥な意味だけがある。細田はなにも知らないから無責任なことが言える。あれではまるで、誘われなかったわたしがみっともないみたいだ。……ああ、そうか。細田も向井も、彩香に誘われなかったわたしに不満だったのか。そうすれば自分たちが男子バレー部の集まりに呼んでもらえたはずだから。平木さんと吹雪さんではなく。……ちょっと待ってよ。平木さんと吹雪さんだよ? 細田と向井じゃどうにもならないでしょ? バレー部の男の子たちは瀬尾くんの退部にかこつけてただ騒ぎたいだけなんだから、それなら平木さんと吹雪さんのほうがいいに決まってる。そのほうが絶対に盛り上がるし、絶対に愉しいし。まったく、細田も向井もなにを言ってるんだろう……。
 地上に出て大通りに顔を出すと、いつにない騒々しさを感じた。見回すと、交差点のほうに見慣れぬ宣伝カーがあって、なにやら叫んでいる。少し歩み寄って聞いてみれば、どうも衆議院が解散したらしい。来年には選挙権があるのか…と初めてそんなことを思った。十月なら先輩のおよそ半分に投票用紙が届く。生年と暦年のズレに違和感があるけれど、高校生でない十八歳もいる。大学生でない二十歳はもっと多い。結局どこで切っても同じことか。父のお客さんはみんな現政権にNo!を突きつけるだろうと、そう言えばつい先日、晩御飯のテーブルで、父と祖父が話していたのを思い出した。
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