まずは一号、手に取って

文字数 2,000文字

 1963年創刊の伝統ある『小説現代』が2020年3月よりリニューアルされた。長編小説連載を軸とする構成から一号ごと単独で楽しめるようになったのだ。文芸誌を敬遠していた私も本誌2020年11月号を手にして考えを改めた。私がいかにして寝返ったか、その理由を以下に記そう。
 巻頭の最新長編『天を測る』は警察小説の旗手・今野敏が歴史小説に挑戦した意欲作である。主人公は小野友五郎。幕末の世に優れた実務能力を買われ、笠間藩の徒士から勘定奉行にまで昇り詰めた人物だ。算術を修めた友五郎は、世の中の真理はごく単純(シンプル)であるという信念を持ち、激動の時代にも己の使命を瞬時に見極めて一心に邁進する。やがて国防や財政を任される友五郎は度々の洋行で得た知見を糧に、欧米列強の脅威に対し国力を増強すべく奔走する。進歩の基本を「足し算」と捉える友五郎からすれば、尊王攘夷の名の下に幕府や異国を排斥せんと暴動を起こす、倒幕勢力の「引き算」の発想は稚拙な蛮行でしかない。時代の立役者として後世に伝わる人物も見方を変えれば大言壮語の政治犯。旧幕府の建設的な尽力の恩恵に与って新政府が成立した事実を今野は現代に伝える。
 本号で今野と対談した小栗さくらは、読み切り小説『恭順』で先の友五郎と共に幕府を支えた小栗忠順(ただまさ)の晩年を息子・又一の視点から描く。戊辰戦争勃発後、時の将軍・慶喜が勝海舟の掲げる恭順論を採り、主戦派の忠順は罷免されて上州権田村に居を移す。父を敬愛する又一は領地で静かに余生を送ろうとする忠順が歯がゆい。抗戦を逸る又一に対し、忠順の明かす真意とは――。後の悲劇は歴史の語る通りだが、父子を繋ぐ一本の螺子は時代を築いた志士らのかけがえのない命を象徴するようである。
 過去を再構成する二作に対し、現代に暗示された未来を想像(創造)するのが、森晶麿『沙漠と青のアルゴリズム』だ。2028年第三次世界大戦後の陰惨な世界を生きる少年〈ヒカル〉の夢を2015年に見る新米編集者〈未歩〉に促されて2000年をテーマに筆を執る作家〈センセ〉――三人は画家〈K〉の影に誘われて「日常の階段を踏み外」す。虚実は入り混じり、予言や首切りの不吉なイメージが随所に付きまとう。もし難解だと感じたら、大森望との対談に理解の糸口を探そう。既刊「黒猫」シリーズのほか読書家の心を擽るオマージュの数々。本号掲載の第一部を読めば、当月発売された単行本に手が伸びること必至。
 一穂ミチの読み切り『ピクニック』は、命を授かる幸福と命を預かる重みの間で引き裂かれる母親たちの痛みに寄り添う。母・希和子、娘・希里子、追い詰められる二人を赦すように、労るように注がれる三人称の語り(神の眼差し)。頻繁に入れ替わる視点が「一卵性母子」の苦悩を綯い交ぜる。結末で明かされる「真実」は鳥肌ものだが、それを認識できる関係者は誰もいない。先述の作品を踏まえて本作を読むと、個々人の記憶の集合体でしかない世界とは、歴史とは、どれほど頼りないものかを考えさせられる。
 日本SFの黎明期から活躍し『ねらわれた学園』ほか数々の名作でその裾野を開拓した眉村卓の遺作『その果てを知らず』。眉村自身を思わせる主人公・浦上映生が病床で過去を回想する自伝的作品だが、合間に幻覚の形をとって良質なショートショートが挿入される。眉村は会社員時代から始まる自身の歩みを真摯に記しており、それと分かる偽名で書かれた文壇事情が読み手の笑いを誘う。本号ではその抄録と権田萬治、池澤春菜による解説が掲載されている。
 現在連載中のシリーズ三編も一話のうちに十分なカタルシスを得られる。西條奈加『母子草』は、江戸で菓子処・南星屋を営む一家を中心に人情味溢れる市井の様子を描く。大火にも負けず、四季を愛で生活を彩る人々の姿は軽やかだ。真藤順丈『アーニーパイルで逢いましょう』は、戦後の沖縄で映画に魅せられた少年少女の淡い恋物語だ。敗戦の痛みと貧しさに喘ぐ中、生きる希望を映画に見出す人々。「ここ(評注:頭)(ユクシ)でいっぱいにしておけば、腹ぺこ(カラワタ)なのも忘れる」少年の憎まれ口が真理を語る。赤神諒『梟の眼』は、柴田勝家ら名高い武将に仕え、『信長公記』など優れた軍記を遺した太田牛一に焦点を当てる。史実に基づきながらも成願寺における牛一の兄弟弟子を創作し、彼らを通じて名もなき民の生を伝える。千々に行く手を分かたれ、家族や旧友と刀を交わす彼らの運命には涙を禁じえない。
 そのほか本号には、東野圭吾『危険なビーナス』ドラマ化を記念した妻夫木聡のグラビアとインタビュー、塩田武士原作の映画『罪の声』のロケ地紹介、芸人や書店員を含む魅力的な書き手によるエッセイなど他では読めない記事が満載である。ライブ感溢れる濃密な内容が一部たったの千円。文芸誌を購読する習慣のない方も是非一号手に取っていただきたい。様々な作家との邂逅があなたの読書の幅を広げてくれるはずだ。
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