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3 個人の感覚は個人のものである。

個人がweb作法の守られている小説しか読まないというのは自由。誰にも関係ないし、勝手にすればいい。そこまでして、その人に読まれたいのか?
そういう人はどれくらいいるのか?

人が自分の作品に対して、何処を見て欲しいのか、何を感じて欲しいのかによって”誰に読まれたい”のかが変わって来る。誰でも良いから読まれたい人というのは、代わりなんていくらでもいる。Twitterでは読みますというタグで募集している人がたくさんいる。高々一人に読まれない程度、どうと言うことはない。

では、指定した個人に読まれたい人というのは?
web作法なんてものは、検索すれば出てくる。なので、わざわざそこをチェックするために読んで欲しいのか? という問題。
恐らく大部分の人が、作品の良し悪しについて知りたかったり、感想を知りたいはずである。なので、必要とされていないだろうと推測する。

結論から言うと
「字下げしていない(web作法が守られていない)作品は、自分は読まない(読みたいと思わない)」
という発言について。あなた個人がどうだろうが、(ほぼ)誰にも必要とされていないですよ。なんのために、そんなことを発言しているのですか?
となる。
”自分はweb作法が出来ている”と言いたいのかも知れないが、それが国文法に沿っているかはまた別の話なので、読みやすいのか、分かりやすいのか、見やすいのか。もしくは面白いのかは別の話である。


問題は、この発言である。
「字下げしていない作品は読まれない(web作法が出来ていない作品)」

本気でそんなことを言っているのだろうか?
これに関しては
*作法なんて守っていないけど、賞取りましたよ。
*作法なんて守ってなかったけど、書籍化しましたよ。
(字下げ程度、校正で何とでもなるので当然である)
まずこういう方たちが、当然出てくる。

そして、
*作法なんで守ってないけど、毎日1000PVくらい行くよ。
(これ実際に、猟奇的、美形兄はという作品で経験しました)
そして小説でなくても、需要があれば、PVなんていくらでも稼げるんですよ。




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