第10話「結論は夜が更けて…」(2020年ジャパンカップ予想編:その5)

文字数 5,613文字

「んっんっ、はぁーっ」
泡盛で氷を浮かべたグラスに口づけする稟音は一気に喉を滑らせた。
気持ち良さげな稟音に源司は感想を向ける。

「しかし、改めて考えると凄いメンバーだなぁ」
「殿堂入り三頭のレースなんてそうは拝めないぜ」
気の早い稟音が手酌で同意の杯を続いて挙げる。
源司の左側から、甘く重厚な酒の香りが漂う。
「もう三冠馬三頭なんて生きているうちに観れるか?ですねぇ」
俯き加減の久美がしみじみと呟く。
今日は泡盛でも三年以上熟成させた古酒、アルコール分43度だ。

「アーモンドアイ。府中の2,400mでも心中するか」
稟音は有無もなく宣言するとグラスを久美に渡す。
グラスに躊躇の双眸を落としていた久美が覚悟を決めて飲み干す。
「うっ、んっ、ふみゅ、ふぃーっ……」
源司の右からも濃厚な色香がそこはかとなく流れる。

「……デアリングタクトちゃんはマストですよね、源司さん!?」
久美が空のグラスを源司の胸へと押しつける。
両手で受けざろう得ないグラスに屈折する光を放ちながら魅惑の液体が流れ込む。
両足に乗る美女二人は口元を緩めながら意地悪そうに男の唇に注目する。
「当然選ぶよ」と刮目する源司がグラスと一体になる。
命の液を飲み干した源司は満足そうに馬名も吐く。

「コントレイルも絶対的だな」
「よく出来ました」と褒める姉妹に左右から物いう花の頬がプレスされ、擦られる。
「三頭立ですかぁ、ねぇ」
舌足らずの久美が源司からグラスを奪い取る。
「その見立ては正しいかもねぇ」
叩首する稟音が古酒の濃い目な液体を注ぐと久美も酒の愉楽を味わう。
それから三人はグラスが空くと誰となく泡盛と氷を都度入れ合う。

「先行するはアーモンドアイ」
そう予想する源司の口を塞ぐように久美がグラスに押しつける。
稟音が酒を寄越せと女の手首を引き寄せる。
「コントレイルはアーモンドアイをマークして」
続く震えた稟音の桜色した唇にグラスがキスをする。
稟音の手を振りほどいた久美が負けじと酒を飲み干す。
「デアリングタクトちゃんは、後方から自分の競馬に徹するんですよねっ!」
期待を込める久美の手から稟音にグラスが渡ると、口から泡を飛ばした。
「後方追走からスムーズに4コーナーで好位に押し上げられれば、後は未知の能力次第だけどな」
興奮する久美に稟音は「出入りの激しい乱ペースにならなければ」と祈りに似た冷静さを見せる。

「後はどうするよ、源司!?」
「キセキは買うよ」
買わなかったら稟音が怒るだろうと真顔の源司が断言する。
真面目な表情に杯を向けた稟音が古酒を含みながら馬名を口にする。
「なら、グローリーヴェイズも」
「ユーキャンスマイルだって、いますよぉ」
久美も必死に舌を操りながら続く。
「雪乃さんが言うように競馬には絶対はないからな。「三強」が崩れた時は前目でキセキ、好位でグローリーヴェイズと差し馬でユーキャンスマイルは押さえておくか」
キセキが先行すると評して腕を組む源司が美女二人に目線でどうか?を投げる。

「結局、検討した六頭を全頭買うんだぁ」
内省を踏んだ稟音が口を開いて舌を左右に揺らす、呆れた姿容が妙に滑稽だ。
源司が吹き出して形相を崩すと、久美も頬が緩む。
何だよと稟音が焦りながら男女の表情を行ったり来たりして、更に二人の破顔を誘う。
「久美ちゃんの意地悪っ」と稟音は彼女の胸に顔を埋めて嘘泣きをする。
困惑を表しながらも源司が口元を緩め、怪しい言動の稟音からグラスを手に入れる。

「で、どうするんだい。稟音」
問われた稟音はムクリと起き、額に指を当てて何かを思い出そうと悩む素振りだ。
突然、目を見開いてツインテール振りかざす。
「馬連ボックス六点っ!!」
先月に続いての「馬連ボックス六点」に対して少し興ざめの男に比し、久美が手を叩いて「すごい、すごい」と競馬の先輩に気を遣う。
朗らかな久美の風采を受け、悦に入る稟音が鼻息を荒くして馬名を挙げる。
「2番アーモンドアイ/4番キセキ/5番デアリングタクト/6番コントレイル/13番ユーキャンスマイル/15番グローリーヴェイズの六頭だわよ!」
「稟音さぁ。その買い方だと、手すりゃ取りガミ……」
先月に続いて変わった買い方を指摘する源司に右手を振りながら久美が立ちはだかる。

「源司さん、私は2番アーモンドアイ/5番デアリングタクト/6番コントレイルのワイド三点にしますね」
「さすが久美、当たりしかないような買い方だね」
感心した稟音が妖精のように飛び跳ねながら心を弾ませる。
馬券は買いたい久美は儲かるというよりハズレるのが嫌だという。
源司は女子のテンションの高さに何事かと呆れ混じりに鼻から息を吐く。
残念そうな源司からグラスを奪う稟音が中身を飲み干すとセンターテーブルに置く。

「こら、源司! お前の買い目はどうなんだよ!?」
手隙になった両手で源司の頬を引っ張る稟音が強い口調で唾を飛ばす。
「そぉですよぉ、源司ぁさん、一人だけ言わなぃなんてずるいですぅう」
更に縺れた舌で久美が両手で源司の両耳を引っ張る。
「痛いから、参ったから、勘弁して」
虐められた男子は両手を小刻みに振る。
「じゃぁ、聞いて進ぜようぜぇ、源司様の馬券の買い目とやらを」
厳しい眼をした稟音に同調する久美も彼の顔を食い入るように見る。
可愛い女の子二人とはいえ、間近で酔い混じりの真剣な表情は迫力がある。
呂律が回らない中年男が口にするのを躊躇すると、二人はさらに可愛い強面で圧迫する。
彼女たちのプレッシャーに負けた男が仕方なしに口を開く。
「まずは2番アーモンドアイ/5番デアリングタクト/6番コントレイルの三連複……」

「何だよ、その馬券はっ!」
稟音が曲げた右腕の根元を正面の首へとかち上げる、プロレス技のアックスボンバーだ。
低い絶句と共に憐れ源司は床に転がり落ちる。
仰向けになった中年者の腹に稟音が馬乗りになり、男の両手を押さえつける。
「オレの馬連六点ボックスと久美ちゃんのワイドボックス三点を馬鹿にして……」
口の端を不気味に引き上げる稟音の影とツインテールが源司の顔に落ちる。
「……それで上位三強の三連複が源司の勝負馬券だぁ!?」
コイツどうしようかと親指を突き指して稟音が問う。
血の気が引いた顔を傾げる久美が「どうしましょかねぇ」と源司に近づくと、自身の膝が崩れる。
身体を左右に揺らして腰砕けの久美が倒れ込む。
「きゃっ」という短い悲鳴の彼女が強張る男の顔面へ覆い被さり動けなくなる。
「酔っちゃったぁ、眠いよぉ」
瞼を重くする久美は源司の鼻と口を塞ぐと脱力を始める。
彼女の胸と体重を意識すると苦しがり始めた。
「窒息しないように気を付けるんだねぇ」
馬乗りで尻を腹に押しつける稟音の嫌味が徐々に遠退いていく。
柔らかな身体を面持ちに受ける源司の意識が一度、落ちた。

リビングの照明が源司の目縁を擽った。
夜の光に促された男はゆるりとリビングを眺める。
ソファーの右端では栗色の髪した寝顔の眠り姫が親指の爪を噛んでいた。
あどけない寝息を立てる美少女にズレた毛布を掛け直す。
左隣の稟音も身体を揺すりながら蠢動する。
ずっとこの頃の久美でいて欲しい、ぼんやりとした目で源司の手が右にいる久美の額に落ちる髪を掬う。

「やっぱり久美は可愛いか、源司」
男の想いを見透かすように薄らとした笑みで稟音が左隣に座る。
「いや、まぁ」
棘を含んだ笑顔に源司は頭を搔きながら困惑混じりの曖昧を投げる。
「で、最終的には!?」

寂しげな子猫が源司の腕に纏わり付く、離さないように逃がさないように。
子猫は困った飼い主を弄ぶように口端を緩めながら瞳を輝かせて、形のいい小ぶりな胸を腕に押しつける。
その妖艶な魅惑に上半身を上気させ、仰け反ろうとする。
息を詰まらせる男が緊張させる頬に勝ち誇る口唇が触れる。

「三連単なんだろ? 勝負馬券は」
小さく吹き出す口を側にして、首を上下させる源司は安堵を吐く。
「アーモンドアイとコントレイルが主力だ」
「デアリングタクトは?」
子猫が頭を飼い主の肩に乗せ、尋ねた。
「未知の部分と斤量が魅力だけど」
「いきなり、このメンバーだもんねぇ」
源司と稟音が意を同じにする。
三歳牝馬同士から歴戦の絶対女王と無敗の牡馬トリプルクラウンなどの相手は今までとは訳が違うか、果たして全馬纏めて差し切れるのか。
源司が肩に手を掛け、抱き寄せる。
稟音が頬を紅潮させながら「久美が隣にいるのに?」と目線で質した。
男は遠くを眺め、覚悟を主張する。
「まずは2番アーモンドアイ/5番デアリングタクト/6番コントレイルの三連複……」

「三連単フォーメーション、一着に2番アーモンドアイ/6番コントレイル、二着に5番デアリングタクトを加えて、三着は六頭全馬かな」
「なるほど、また変な買い方だねぇ」
稟音は力強く抱かれた肩に同じ想いを預けた。
「馬単はどうするんだい?」
嬉しそうにツインテールを揺らし、横顔に尋ねる。



「一着固定に2番アーモンドアイ/6番コントレイル、二着は残り全馬かな」
「分かった」
了解とばかりに頬へ再びキスを見舞う。
軽い触れ合いで意を通した源司と稟音は顔を向け合う。
恥ずかしそうな瞳たちがしっとりと絡み合う。
深夜の静かな灯火は照らす男女を浮き彫りする。
お互いの視線を閉じると二人それぞれ無言で明日の競馬に思いを投げた。

2020年11月29日はジャパンカップの朝だ。
まだ午前7時を回ったところは少し肌寒いか。
昨晩、飲んで騒いで馬鹿やった稟音が以外にも瞼を軽々と上げる。
ソファーで無茶をした身体を起こすと、ブランケットが床に落ちる。
節々を軋ませ両手を天に突き上げて、背伸びをしながらリビングを見回す。
センターテーブルには空いた缶と瓶、主不在の皿が騒ぎの残滓を晒す。

ソファーの右側で源司と久美が各々毛布に包まれてイビキと寝息を立てている。
身を縮めている源司と久美が幼子のようで、なんとなく可愛い。
稟音は久美に近づくと目線と影を落とす。
目を細めて囁く息は少女と同じだ。
「ごめんな、久美」
ツインテールを垂らしながら何故か謝ると、目の前で久美の息を感じていた。
毛先を感じた彼女が頬を微動させると、稟音は口惜しそうに離れた。
隣では源司がイビキを立てる大口をそっと人差し指で押さえる。
リビングに静寂が漂うと口を封じられた男は子犬になる。
稟音は源司の顎を愛おしそうに触れると、短く伸びた髭の痛みで男を感じる。
何度も髭を撫でると、男の顔を両手で押さえて目を閉じて獲物を狙う。
くちびるが捕らえられようとする、刹那。
「なんだい、稟音」
寝言での驚きが後へのステップになる。
足音で源司が目を覚ますと、目の前には珍しく狼狽した稟音が両手で自分の身体を抱きしめていた。
源司と稟音はお互い語りかけようとするが声が出ない、昨晩を思い出すオトナたちは目を床に落として中学生のように恥ずかしがる。

「次は有馬記念だ」
逃げるように顔を背けた稟音が宣言した。
2020年を締めるG1有馬記念が12月27日にある。
「12月26日の夜に遅めのクリスマスパーティをしようぜ」
気持ちを切り替えたのか、稟音は呆気に取られた鼻先に勢い良く、人差し指を突き刺した。
「どうせイブやクリスマスなんて「ぼっち」だろ、源司」
口端を吊り上げた稟音が断定する。
稟音の鶏のような甲高い声音に久美を目を覚まそうと蠢く。
決めつけを否定しようとした中年男の頭に名曲「クリスマス・イブ」がリフレインする。
想い人を「クリスマス・イブ」一人で待ち続ける甘美で切ない歌だ。
「ご名答だよねぇ」と残念そうなオヤジに稟音が肩を叩く。

「俺たちがいるだろう、源司」
「源司さん、私もいますよ」
久美が源司に右腕に抱き付いてきた。
幼い娘のように甘える光景が微笑ましい。
「よし、決まりだ!」
パーティを宣する稟音は源司と久美にダイブして、ソファーの上で二人の髪の毛を掻きむしる。
「雪乃っちの店でクリスマスケーキとチキンを用意するぜ」
クリスマスのイベントで繁忙な喫茶店を営む白井雪乃も呼んで有馬記念の予想大会だという。
「酒はヒロコかな、あいつん家、ワインショップだし」
「内山田洋子先輩、懐かしいですねぇーっ」
稟音がヒロコと呼ばれた女性の名を挙げると、久美も二つ返事で同意する。
「だろ♡だろ♡」と稟音、「です♡です♡」と久美は両手を握り合い、上下に振る。
嬉しそうな美女たちを見る源司はイブもクリスマスも「ぼっち」でも乗り切れそうな気がした。

「まずは、ジャパンカップだぜ!」
「せっかく、早起きしたんですから1レースから競馬を教えて下さいね」
稟音と久美がそれぞれ源司の脚に乗ると耳へ囁いた
麗しい二人に懇願された源司は「今日も競馬を楽しむか」と緊張しながら叩首する。
張り詰める源司が何だか面白い稟音と久美が腹を抱えて爆笑すると、少し遅れて源司が笑声をリビング一杯に響かせた。


*ジャパンカップ、買い目
源司:
「三連単フォーメーション、一着固定2番アーモンドアイ/6番コントレイル、二着2番アーモンドアイ/5番デアリングタクト/6番コントレイル、三着2番アーモンドアイ4番キセキ/5番デアリングタクト/6番コントレイル/13番ユーキャンスマイル/15番グローリーヴェイズ」

「馬単ながし、一着固定2番アーモンドアイ/6番コントレイル、二着2番アーモンドアイ/4番キセキ/5番デアリングタクト/6番コントレイル/13番ユーキャンスマイル/15番グローリーヴェイズ」

稟音:
「馬連六点ボックス、2番アーモンドアイ4番キセキ/5番デアリングタクト/6番コントレイル/13番ユーキャンスマイル/15番グローリーヴェイズ」

久美:
「ワイド三点ボックス、2番アーモンドアイ/5番デアリングタクト/6番コントレイル」


第二話、了。


イラスト:みかん


*参考文献
ようこそ荷葉亭へ もてなしおつまみ65
著者:森 荷葉
発行所:講談社

*参考資料
資料館ノート 第103号
大相撲の歴史と深川① 富岡八幡宮と大相撲の石碑
江東区深川江戸資料館
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