誘われて 其ノ壱ノ弐
文字数 1,839文字
玄関に人造人間のような年若いメイドが出迎えてくれた。意表を突かれて怯んだ様子にカエリは言った。
「……両親は、留守にしていると申しました。」
内心安堵している自分がいた。
「……それとも、何か残念なことでも。」
「まさか。」
慌てて答える言葉が上滑りしていた。扉の前で振り返るカエリの顔には、汗一つもかいていなかった。
「……まさか、そうでしたか。まぁ、残念なことだこと。」
扉を抜け薄暗い玄関に踏み入った瞬間、背筋が凍るような冷たい空気が鼻腔をついた。二階まで吹き抜ける広い空間の威圧感に足がすくんだ。
通された広い応接室の窓からは、桜の枝越しに街並みが眺望できた。時代錯誤とも思える程の重圧で豪奢な作りの長椅子に緊張した。
メイドが用意する英国風のお茶は、雑誌か映像でしか見たことのない正式なものだった。
「……お客様と、ご一緒するのもいいものですね。」
一人掛けの椅子に背筋を伸ばして姿勢よく座るカエリは、視線を逸らさずに言った。
カエリが座る背後の壁には、古い大きな人物画が掛けられていた。カエリによく似ていたが、衣装は前世紀の巫女の出で立ちだった。
「……この館、何と呼ばれているかはご存じかしら。」
「いいえ、残念ですが。」
この土地柄に暗いことを正直に答えた。
「……それは、幸運だったかしら。」
カエリは、疑問符を付けた。
「……聞きたい?」
「大丈夫です。」
「……そぅ、勇敢なのね。」
カエリは、そう言ってから話題を移した。
「……学校は、楽しいかしら。」
「どうですか。」
「……わたしは、楽しい。」
カエリの言葉を聞きながら、彼女が学校に行っていないのを想い返して言葉を詰まらせた。
「……休んでいる生徒が楽しいと話すのは、不可思議かしら。」
「どうですか。」
そう返事する以外になかった。カエリは、口元に静かな笑みを浮かべていた。
「……可笑しいでしょう?」
「そうですか。」
「……そう思いますが、君は見方が違うかしら。」
カエリの鷹揚の少ない声音は、聴き入ってしまう魅惑感があった。涼しい視線を投げかけていたカエリが、不意に話題を変えた。
「……桜の木は、好きかしら。」
「嫌いではないと思います。」
庭の桜の大木に視線を向けた。カエリが、視線を追うように窓の外を眺めた。
「……曖昧ですね。ですが、人はそのように感じてしまうものなのでしょうね。」
カエリは、お茶を一口飲み深い眼差しを向けた。一瞬見せた威圧感に縮かんでしまった。
「……桜は、人の想いを吸って育っていく。特に想いの詰まった死人は、よい肥やしになると、聴いたことがないかしら。」
「いいえ、たぶん。」
「……そうなのですよ。」
カエリの言葉は、一方的に積み重なっていった。
「……桜に導かれて、この地にいらしたと思いませんか。」
「どうですか。」
「……少し、考えておいて下さいな。」
長居をしたつもりはなかった。外に出ると、陽が傾いていた。
「……近くまで、お見送りしましょう。」
カエリは、先に立った。
歩いて上ってきた小道の近くまで来ると、カエリは車道の先を示した。
「……此方の、広い道をお帰り下さいな。」
言われるままに従った。
山肌を切り開いた車道を降ると、直ぐに古いトンネルに行き着いた。車一台が通れる幅の入り口は、暗く冷気が漂っていた。躊躇わせるほどの異界感があった。出口の明かりは漏れていなかった。
「……トンネルは、異界へ誘う入り口と聴いたことありませんか。」
カエリは、そう言いながら先に進んだ。
並んで歩きながら足元から伝い上がる冷気に身が震えた。
「……光がないと、歩けないのは不便ですね。」
スマホのライトで足元を照らした。灯りがなくても困らないようなカエリの話に首筋を冷たいものが走った。
「古いトンネルですね。」
当惑気味に尋ねた。カエリは、立ち止まるとライトが当てられた側面を視線で示した。トンネルの壁は、ノミの跡が残っていた。
「……人の手で掘られたトンネルは、どうしてこんなに美しいのでしょう。」
カエリは、静かに言った。
「……辛く苦しい労働だったでしょうに。」
その工事を見ていたようなカエリの言葉は生々しかった。返す言葉もなく弱い光の傍で仄かに浮かぶ横顔を盗み見た。カエリは、視線を先に此方に移してからゆっくりと顔を向けた。その仕草の妖艶さに息を呑んだ。
「……この語り、感動して頂けましたか。」
カエリは、そう言って再び歩き出した。
「……両親は、留守にしていると申しました。」
内心安堵している自分がいた。
「……それとも、何か残念なことでも。」
「まさか。」
慌てて答える言葉が上滑りしていた。扉の前で振り返るカエリの顔には、汗一つもかいていなかった。
「……まさか、そうでしたか。まぁ、残念なことだこと。」
扉を抜け薄暗い玄関に踏み入った瞬間、背筋が凍るような冷たい空気が鼻腔をついた。二階まで吹き抜ける広い空間の威圧感に足がすくんだ。
通された広い応接室の窓からは、桜の枝越しに街並みが眺望できた。時代錯誤とも思える程の重圧で豪奢な作りの長椅子に緊張した。
メイドが用意する英国風のお茶は、雑誌か映像でしか見たことのない正式なものだった。
「……お客様と、ご一緒するのもいいものですね。」
一人掛けの椅子に背筋を伸ばして姿勢よく座るカエリは、視線を逸らさずに言った。
カエリが座る背後の壁には、古い大きな人物画が掛けられていた。カエリによく似ていたが、衣装は前世紀の巫女の出で立ちだった。
「……この館、何と呼ばれているかはご存じかしら。」
「いいえ、残念ですが。」
この土地柄に暗いことを正直に答えた。
「……それは、幸運だったかしら。」
カエリは、疑問符を付けた。
「……聞きたい?」
「大丈夫です。」
「……そぅ、勇敢なのね。」
カエリは、そう言ってから話題を移した。
「……学校は、楽しいかしら。」
「どうですか。」
「……わたしは、楽しい。」
カエリの言葉を聞きながら、彼女が学校に行っていないのを想い返して言葉を詰まらせた。
「……休んでいる生徒が楽しいと話すのは、不可思議かしら。」
「どうですか。」
そう返事する以外になかった。カエリは、口元に静かな笑みを浮かべていた。
「……可笑しいでしょう?」
「そうですか。」
「……そう思いますが、君は見方が違うかしら。」
カエリの鷹揚の少ない声音は、聴き入ってしまう魅惑感があった。涼しい視線を投げかけていたカエリが、不意に話題を変えた。
「……桜の木は、好きかしら。」
「嫌いではないと思います。」
庭の桜の大木に視線を向けた。カエリが、視線を追うように窓の外を眺めた。
「……曖昧ですね。ですが、人はそのように感じてしまうものなのでしょうね。」
カエリは、お茶を一口飲み深い眼差しを向けた。一瞬見せた威圧感に縮かんでしまった。
「……桜は、人の想いを吸って育っていく。特に想いの詰まった死人は、よい肥やしになると、聴いたことがないかしら。」
「いいえ、たぶん。」
「……そうなのですよ。」
カエリの言葉は、一方的に積み重なっていった。
「……桜に導かれて、この地にいらしたと思いませんか。」
「どうですか。」
「……少し、考えておいて下さいな。」
長居をしたつもりはなかった。外に出ると、陽が傾いていた。
「……近くまで、お見送りしましょう。」
カエリは、先に立った。
歩いて上ってきた小道の近くまで来ると、カエリは車道の先を示した。
「……此方の、広い道をお帰り下さいな。」
言われるままに従った。
山肌を切り開いた車道を降ると、直ぐに古いトンネルに行き着いた。車一台が通れる幅の入り口は、暗く冷気が漂っていた。躊躇わせるほどの異界感があった。出口の明かりは漏れていなかった。
「……トンネルは、異界へ誘う入り口と聴いたことありませんか。」
カエリは、そう言いながら先に進んだ。
並んで歩きながら足元から伝い上がる冷気に身が震えた。
「……光がないと、歩けないのは不便ですね。」
スマホのライトで足元を照らした。灯りがなくても困らないようなカエリの話に首筋を冷たいものが走った。
「古いトンネルですね。」
当惑気味に尋ねた。カエリは、立ち止まるとライトが当てられた側面を視線で示した。トンネルの壁は、ノミの跡が残っていた。
「……人の手で掘られたトンネルは、どうしてこんなに美しいのでしょう。」
カエリは、静かに言った。
「……辛く苦しい労働だったでしょうに。」
その工事を見ていたようなカエリの言葉は生々しかった。返す言葉もなく弱い光の傍で仄かに浮かぶ横顔を盗み見た。カエリは、視線を先に此方に移してからゆっくりと顔を向けた。その仕草の妖艶さに息を呑んだ。
「……この語り、感動して頂けましたか。」
カエリは、そう言って再び歩き出した。