忍び寄る影

文字数 2,860文字

――

病室のベッドで寝ている美しい女、

酸素マスクをして目を閉じ眠り続けている。

おそらくもう二度と

彼女が目を覚ますことはないだろう。

これが先程まで大暴れしていた生き霊の

本体である肉体とは、


とても愛倫(アイリン)には思えぬ程に

穏やかな安らぎに満ちた顔で眠っている。

この()はもう

助からないのかい?

その顔に暗い影を落とした愛倫(アイリン)

目の前にいる看護師に問うた。

その看護師は医療スタッフの衣装というよりは

修道女のような衣装を身に纏っている。

……はい

機能障害を起こしている患部は

ヒーリングでも治せるのですが、


根本的な原因となる病原体、ウィルスは

私達の力でもどうにも出来ません

彼女は愛倫(アイリン)と共に

異世界から移民して来たプリーストであり、

現在は看護師としてこの病院で働いている。

患部をヒーリングで治しても

すぐに他の患部が障害を起こして、

延々とそれを繰り返すばかり……

それもやがていずれは限界が来るでしょう……
そうかい……

病原体ウィルスを

一つの生命だとするならば


あんた達のヒーリングは

肉体を修復するものであって

命を奪うものではないかならね


効かないと言うのは

当然の話なのかもしれないね

愛倫(アイリン)の表情は憂いを浮かべていた。
――
愛倫(アイリン)が見た眠り続ける彼女の記憶。

簡単に言ってしまえば、

いつの時代でもどこででも見られた

悪い男に騙された馬鹿な女、

と括られてしまうのだろう。

だがそれで済ませてしまうには

少々タチが悪くもあった、

少なくとも愛倫(アイリン)が怒るぐらいには。

女は三年前に高校を卒業し

東京の大学に進学する為に上京して来た。

人も少ないような田舎で育った純朴な少女は

垢抜けていない田舎娘ではあったが

間違いなく美少女でもあった。

はじめは怖がって拒絶していた少女だったが、

やがて一人の男と交際をはじめる。

……

今風なノリが軽くて面白い、

お洒落でセンスがあって都会的、


純朴な少女からすれば

そういうところが新鮮で

男性の魅力と勘違いをしたのかもしれない。

相手に夢中になって行き、

本気で愛するようになってしまった少女は

男の本性に気づくこともなく、純潔も捧げ、

純朴さを失いすっかり都会の女になって行く。

だがやはり案の定、

相手は(たち)の悪い遊び人で

少女ともただの遊びに過ぎず、

他にも複数の女と交際していた。

少女が自分に本気になると、

嫉妬したり束縛しようとしたり、

今度はそうした少女の行為が

面倒で疎ましくなって来る。

それからしばらく

少女の肉体を飽きるまで堪能した後に

飽きたので捨てるということに。

ここまでであれば

男を見る目がない田舎娘が

都会で悪い男に騙されて

弄ばれた挙句に捨てられてという、


こちらの人間世界でも異世界でもよくある

馬鹿な女の話として愛倫(アイリン)も済ませただろう。

しかしね……

ここから先が、それまでとは異なり

大きく一線を越えてしまっていた。

あまりにしつこく追い掛け続けて来る女に

いい加減にうんざり、辟易とした男は、

遊び人の仲間達を使って女を襲わせたのだ。

それは立派な輪姦レイプであり、

男女の痴情のもつれ、その範疇、領域を

大きく逸脱してまっているではないか。

そしてそれは愛倫(アイリン)が憎む

性犯罪に他ならない。

彼女の霊体を通して見た恐怖と

耐え難い苦痛、屈辱、そして絶望、


愛する男に売られたことを知った

女の悲しみ、怒りと憎しみ、恨み、


それをその身に感じた愛倫(アイリン)の苛立ちは

簡単に収まるものではなかった。

行き過ぎた正義を振りかざす

あのやんちゃな天使達に


魂を抜かれちまえばいいのに

さらに女の悲劇はこれだけでは終わらなかった。

何日にも渡り男達の凌辱を受けた女は

その場で命こそは取られなかったものの、


脅迫用にその時の有様を動画に撮られ、

その後も男達の都合のいい様に使われる。

それに耐え切れなくなった女が拒むようになると

男達は動画をネット上に流し拡散させた。

数年前に上京して来たばかりの純朴な少女は

わずか数年で社会的に抹殺されてしまったと言える。

そしてさらに数か月後、女は突然倒れ、

この病院に運ばれ、感染症にかかっていることが判明、


おそらくは男達から性的暴行を受けた際に

感染したのだろうと診断される。

そして、愛倫(アイリン)には腑に落ちないことがあった。
――
――この娘の怨念、憎悪の深さは理解したけどね

それにしてもだよ


こちらの普通の人間、一般女性が


一人であれだけの霊力を

行使することが出来るものかね?

あれではまるで渋谷駅周辺、その一角に

突如として竜巻、トルネードが発生したようなものだよ

そもそもあの生き霊は

どうして石化能力を使うことが出来るのか?

その点もずっと気になっていた愛倫(アイリン)

ここ一週間ぐらいの間に、

彼女に何か変わったことはなかったかい?

愛倫(アイリン)は目の前に居る

看護師のプリーストに再び問う。

ちょうど、そのことで

お話をしなくてはいけないことがありまして……

余計な混乱を招かないように


信頼出来る人だけに

お話ししようと思っていたんです……

あれは、石化事件が起こる

前の晩だったと思います

その日は夜勤で

深夜に病室を巡回していたのですが


私がこの病室に入ると、

カーテンが風でなびいていたんです

窓は閉めていた筈なのに

おかしいなと思いながら病室に入ると


月明りに照らされて

ベッドの脇に人のような影が見えました

……

その影は私に気づくと

すっと窓から外に消えて行ったのですが

この段階で既に愛倫(アイリン)には

嫌な予感しかしない。

胸がさわつくこの感覚、

この後に続く話の内容、

直感的にそれを理解してしまっていた。

……あれは、

間違いなく『悪魔』です

……
あそらくは下級の悪魔だと思いますが

天を仰ぎ自らの手で顔を覆う愛倫(アイリン)

――今日はなんてロクでもない日なんだろうね

あんたが言うんだから、

間違いないんだろけど


あたしとしては

間違いであって欲しいもんだよ

しかし目の前のプリーストは

彼女の信仰の誇りにかけて断言する。

ええ、聖職者でもある私が

悪魔を間違える筈はありません

――ついにあいつ等が

こっちの世界にやって来たのかい

でも確かにこれで

すべての辻褄(つじつま)は合う

この娘が渋谷で見せた強大な霊力も


生き霊であるにも関わらず

男を石化させたその能力も


悪魔が事前に力を

分け与えていたのであれば、合点(がてん)は行く

プリーストから提供された悪魔の情報、

これを踏まえて思考する愛倫(アイリン)

――悪魔は現在、

こちらの世界への移民を認められてはいない

しかし今回の事件から考えても


間違いなく裏ルートで

密かに、そして着実に


こちらの人間社会へと

既に入り込んで来ているのだろう

今回の石化事件、

悪魔に怨念を利用された女の生き霊が

犯人ということになるのか

現時点でその悪魔をこれ以上追うことは

おそらくは不可能


下級とは言え狡猾な悪魔が

この程度のことをするのに

手掛かりを残しているとは到底思えない

悪魔の動機はハッキリしていないが


今回それを追求したところで

大した意味はないだろう

それは人間に

「なぜ家畜の肉を食うのか?」

そう聞くようなものなのだからね

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