第1話
文字数 5,022文字
新郎新婦が待つテーブル席に着いた私は、笑顔で挨拶した……のだが。
迷惑そうな顔で、いきなり新郎が顔を背けた。隣に座る小柄な新婦が、私と新郎を交互に見て、困ったように視線を落とす。
一カ月後に都内ホテルで披露宴を控えているカップルにしては、険悪なムードだ。
新郎新婦……
でも、いま目の前に座るふたりは、その多くに当てはまらない。
「初めまして。婚礼司会の東条まどかと申します。これより一時間、お打ち合わせの時間をちょうだいします」
名刺を差しだすが、新郎は手も伸ばさない。仕方なく、自分の名刺をそっとふたりの前に置いた。
年間八十件近い婚礼を担当する私でも、ここまでの不機嫌にはお目にかかったことがない。
でも司会に与えられた打ち合わせは、この一時間のみ。「ご気分が優れないようでしたら、別の日に改めますか?」は、あり得ない。延期やら、やり直しやら、
気を取り直し、目の前の寿を見てみれば。
新婦は申し訳なさそうに、チラチラとこちらを気にしてくれるが、新郎に至っては目も合わせないどころか、新婦の顔すら見ない。
……ケンカでもした?
コーディネーターから事前に受け取ったオーダーシートによれば、新郎新婦入場後、寿からのウェルカムスピーチは……ご不要? 主役の挨拶ナシで宴スタートとは珍しい。
ケーキ入刀も、まさかの不要。余興も不要。お色直しも謝辞も不要。未定ではなく、不要、不要、不要……。
打ち消しの言葉が随所に書きこまれているのは、コーディネーターが寿に意向を確認した証し。ここまでやる気のないオーダーシートは初めてだ。
ということは、不機嫌は今日に始まったことではない、ということか。
ひとまず私はB4サイズの進行表をテーブルに広げ、ペンを手にした。
「では、打ち合わせを始めましょう。披露宴の冒頭で日付をご紹介する際、西暦に続いて元号も入れますか? せっかくの令和元年ですし」
新婦が新郎の上着の袖を引っぱる。入れてもらう? と訊ねる口調が愛らしい。見ている私の心も和む。
やはり打ち合わせは、こうでなくちゃ。いまから私たちは最高に幸せな二時間半のパーティーを創りあげるチームなのだから、楽しまないと!
だが新郎の返事は、私の予測から大きく外れた。
「適当でいいっす」
私は目を丸くした。適当でというのは、なんでもウエルカムという意味か、面倒くさいから投げたのか。……確実に後者だ。
「別に俺は、どうでもいいんで」
ダメ押しの補足に唖然とした。この切り返しは初めてだ。
「主役は新郎新婦ですから、おふたりのご希望をお聞かせください」
促すと、新郎がため息をついた。
「親がやりたいだけなんですよ、親戚への体裁を気にして」
ぽかんとする私に、新郎がぼやく。
「俺らは入籍だけでいいっつってんのに、金は払うから披露宴をやれ、親類だけでも呼べって、マジうるさくて。勘弁してくれって感じです」
不機嫌の理由が明確になった。確かにそれはヘソも曲がる。
からといって同情はしない。なぜなら、隣席の新婦に……生涯をともにすると決めた相手に悲しい顔をさせるなんて、いかなる理由でも許しがたい。
ただ、家族には家族の事情がある。そこへ至る歴史や背景もある。
だから、余計な口を挟むつもりはない。お節介も控える。ご両家が望む披露宴を叶えて差し上げる、それが私の仕事だから。
「当日、俺らは黙って座ってるんで、司会者さんの好きに進めてください。披露宴さえやれば、親は、それで満足ですから」
同じ意見ですか? との思いで新婦を伺うが、目を伏せられた。物静かな女性だ。でも新郎に反論できないのではなく、彼のことが好きだから、彼の気持ちを理解した上で従う、そんな意志が伝わってくる。
わかりました、と私は返した。
ケーキやギフトのセレモニーを提案するのは簡単だが、追加費用もかかるため、却って迷惑になる場合もある。それに、そんな提案なら、とっくにコーディネーターが済ませている。
私にできるのは寿を諭すことではなく、ふたりの味方でいること。
なにもしたくない新郎と、黙って彼に従う新婦を肯定すること。これ以上、寂しい言葉を新郎に語らせないこと。なによりも、新婦のために。
でも、そうして完成した進行表は、空欄ばかりで、やけに寂しい。
コピーを渡し、「これで進めさせていただきます」と打ち合わせ終了を伝えたとき、新郎以上に新婦が、顔に安堵を刷いた。
私は敢えて、新婦に訊ねた。
「ご親族は、お酒はたくさん召し上がりますか?」
「え? あ……はい。お爺ちゃんが、お酒大好きです」
「でしたら、おじいちゃま孝行できますね。お料理やご歓談、ごゆっくりお楽しみいただけますよ」
ハッとした顔で新婦が私を見、そして「そうですよね!」と声を弾ませた。
「私の親族もですけど、タカちゃんとこも、お父さんがお酒好きなんです。ね? タカちゃん」
これまで一度も笑顔を見せなかった新郎・タカちゃんが、新婦の笑顔につられたか、勢いに呑まれたか、数回小さく頷いた。そしてハッとした顔で私を見て、気まずそうに咳払いする。
「あー、まぁ。俺の親父も酒は好きかな」
そう言ったあと、「みんなで呑んで話せたら、それでいいっす」と、この進行表への賛同と納得の言葉を添えてくれた。
あれもこれもと、演出を詰め込むばかりがパーティーではない。この内容で行くと決めた理由を言葉にして差し上げるのも、司会者の務めだ。
ひとつの空間で、ご両家がゆっくりお過ごしになる。それを最優先した結果と考えれば、きっと、ご両家にとって晴れの日になる。
────と、安心していたのだが。
披露宴当日、波乱が起きた。
「余興がひとつもないって聞いたから、それじゃあマズいと思ってね。これ、映してもらえないかしら。ほら、よくあるでしょ? スライド上映っていうの? あれ、できるでしょ?」
知人の娘さんの披露宴で、こういうの見たのよ〜と、音響係に紙焼き写真を押しつけているのは、なんと新郎のお母様!
早めに会場入りしてキャプテンと進行確認をしていた私は、お母様にご挨拶しつつ、それとなく訊ねた。新郎はご存じですか? と。思ったとおり「まさか!」の返事。
「言ったら、あの子に叱られますよ! でも、余興がないなんて、親戚に対して恥ずかしいじゃないですか。でしょ?」
私は頭を抱えそうになった。でもキャプテンが断るはずだ。「当日持込はムリです」と。それなのに。
「できますよ」
「キャプテンッ!」
飛びあがったのは音響さん。さすがの私も顔が引きつる。
やれるよね? と、音響さんに特急作業を押しつけるキャプテンの、 笑顔の目力が半端ない。無言の威圧に、音響さんが早々と敗北する。
「ス……スキャンしている時間がないので、スマホ接写の画像アップでよろしければ」
いいのいいの、それで充分! と、お母様が音響さんの背を叩く。
「解像度、かなり荒いですけど」
いいよいいよと、キャプテンも首を縦に振る。キャプテンがOKなら受けるしかない。わかりました、と私も応じた。
「では、乾杯後の歓談、一品目のお料理のあと、入れますか?」
「そうしましょう。僕がキューを出したら、アナウンス入れてください」
「はい!」
キャプテンと私の会話が終わらないうちに、音響さんが作業に入る。新郎のお母様は満足そうに微笑み、親族の待つ会場入口へと向かわれた。
接写した写真をパソコンに転送し、大急ぎで繋げながら音響さんが言う。
「BGMは入れます。でも写真の年代が不明なので、順番違ってたら、すみません!」
了解、と私は親指を立てた。今日は晴れの日、祝福の日。断るなんて不謹慎。不安な顔は一切厳禁。
ダメです、ムリです、受けられません……そんな否定は口にしない。
たとえ外が土砂降りだろうと、この会場内だけは、必ず晴れにしてみせる!
「──……さて、皆様。ご歓談中ですが、ここで新郎のお母様からお預かりした思い出の数々、メモリアル・フォトをご覧いただきましょう」
思い出の写真をアップすることは、事前挨拶で寿に伝えた。
新郎は目を吊り上げたが、新婦がすかさず言ったのだ。「タカちゃんの小さいときの写真? わー、楽しみ!」と。
新婦のおかげで、新郎の怒り爆発は回避できた。この新婦、控えめに見えて、意外にやり手だ……と嬉しくなる。
音響さんが、メモリアル・フォトをスクリーンに投影した。
産まれたばかりの新郎を抱っこするのは、お母様。オーダーシートに書かれていた新郎の生誕地や誕生日を、私はゲストに紹介した。
「耳を澄ませると、新郎の産声が聞こえるようです」
私のコメントに、家族席の誰かが「ゴジラみたいだったよな」と返し、笑いが起きた。メインテーブルの新郎は渋い顔だが、新婦はずっと優しい笑みだ。
次々に写真が映しだされる中、キャプテンと目が合った。「その調子」と語る目に、どうも、と私も目で返す。
「さて、こちらはキャンプでしょうか。焼きマシュマロ、こんがり……というより、焦げていますね」
ゲストがドッと笑ったそのとき、キャプテンが新郎にマイクを差しだしたのが見えた。
私は反射的に、コメントを質問に切り替えていた。
「この焦げた部分も、お召し上がりになったんですか?」
答えざるを得ない質問。おいしそうですねーで自己完結してしまっては、レスポンスはもらえない。
待つこと数秒。新郎がマイクに手を伸ばした。そして。
「食いました」
この返しに、すかさず私も食いついた。
「ちなみに、どんな味でした?」
「味っつーか……、ただの炭でした」
口元を両手で覆い、新婦が笑う。ゲストたちも噴きだしている。
メモリアル・フォトは、まだまだ続く。幼稚園、ランドセル、詰め襟……。
「中学時代、教科書は教室に置いてくるタイプでしたか?」
「あー、そうっすね。カバン、めっちゃ軽かったっす」
「でもこのカバン、やけに膨らんでますよね。中に、なにが入っているのでしょう」
「体操着と……弁当っすよ」
新郎のマイクに手を添え、自分のほうへ傾けた新婦が、またしてもナイスアシストを繰りだす。
「お母さんのお弁当、すごく美味しいそうです」
おい! と新郎が慌てる……が、なんとも優しい照れ顔だ。
最後の一枚です、と音響さんが合図をくれた。
見てびっくり。写真の結びは、なんと寿が顔を寄せ合い、ピースサインをしている仲睦まじい一枚!
メインテーブルの新郎が、目を
サプライズならサプライズと、教えてくれればよかったのに……と思ったけれど、一杯食わされたことすら、いまは心から喜べる。
「新婦から新郎へのサプライズ。新郎がご両親から受けた愛情は、新婦がしっかり引き継いでくださいました。以上メモリアル・フォトでした。では引き続き、ご歓談をお楽しみください」
お開き後、ゲストを送る寿の表情は優しかった。打ち合わせ時のぎこちない雰囲気は、もうない。
私は送賓の最後尾に並び、ご両家と挨拶を交わした。私の顔を見るなり、寿が声を弾ませる。
「東条さん!」
その弾む声が、教えてくれた。
今日という日が寿の、「晴れの日」になれたことを。
「本日は誠におめでとうございます」
頭を下げる私に、寿も揃って一礼する。「おかげさまで、いい日になりました」と。司会者にとってはその一言が、最高の
東条さん、と再び呼ばれ、新郎を見あげれば。
「プロ司会者の言葉って、気持ちまで晴れにしてくれるんですね」
プロの司会者でありながら。
このときばかりは熱いものがこみあげて、うまい言葉がみつからなかった。
〈完結〉