8月31日 夜

文字数 1,571文字

 とはいえ、答えらしい答えは未だに見つからない。帰宅してから、いや帰路からずっと考えているのに答えが分らない。なにをどうしたら世論を変えられるくらいの提唱ができるのかがまるで分らなかった。夕飯をしっかりと摂って、コーヒーだって飲んだのにだ。
 特に頭を悩ませるのは、当たり前という壁だった。それがある以上、改めた善と悪の定義や解釈を呈しても、届かないのだ。届かなければ、夏希が悪という枠組みから移動する事はまずないと言っていいだろう。
 もちろん、悪事はどういう経緯であれ悪であるという倫理観みたいなものは分らなくはないけど、長い目で見れば、夏希の行為が善行だと気づけるはずなのだ。切り取り方一つで景色が変わるのに、当たり前が邪魔をしてそれをしないようじゃ、いつまでたっても夏希は悪人のままじゃないか。……いや、世の中はきっとそれでいいのだ。数億人の中の一人なんて絶えず悪人のままだろうが興味がないのだ。自分に関係がないと割り切るからどうでもいいのだ。だから、知らんぷりを決め込む。夏希が父親を放置していたら、もしかしたらその被害に会う可能性が天文学的確率かもしれないけどあったわけで、であれば間接的に夏希に助けてもらった事になるのにそんな態度なのだ。これは別に夏希に限った話じゃなくて、夏希と同じような行為をした人が、恩人になりうる行為をしたにもかかわらず、ただの人殺しという括りにされているだなんて、その姿勢が悪に思えてたまらない。
 そんな、どれよりも悪に見える姿勢に対して夏希の行為が善行だったと説いたところで、どうせ「人殺しは人殺しだ」と嘲笑されて、是正されない善と悪の圧力を受けて、場合によっては僕までもが悪人扱いされてしまうのだろう。
 なんだそれ。この世の中は、そんな隠蔽工作みたいな当たり前を善と呼んでいるみたいじゃないか。いや実際そうなのかもしれない。そんな世界だから、一向に答えが出ないのだ。出ても、完全な、非の打ち所がない意見でなければ、僕程度の影響力の人間には壁を壊す術がないのだ。
 耽っても耽っても、その、全てを解決してしまう程の答えが見つからなくて、つい不平不満ばかりが勝ってしまう。不平不満に憤っては答えを見つける事はできないと頭では分ってていても、納得のできなさからか、当たり前に対する不平不満が色濃く残る。
 結局、答えが手元にないまま、8月31日が終わった。時計上で終わった。暦上で終わった。もしかしたらスマホ上では何らかの致命的なバグが生じて変わっていないかもしれないと思って確認してみたけど、何食わぬ顔で9月1日を表示していたものだから、独りでに馬鹿らしくなって、ベッドに身を投げた。
 まるで、張り詰めていた糸が切れたような感覚だった。終わったという言葉で簡単に表せてしまえそうな、安っぽい感覚だった。これが、燃え尽き症候群というものなのだろうか。いやきっと、ただの疲労だと思われた。だって僕の中に探求心は目を引くくらいある。だからこれは、疲労と、制限時間を過ぎてしまった事へのやるせなさだ。
 いやまて、眠らなければ僕の中では日付は変わらないのではないのだろうか。であれば、まだ夏休み最終日だし、全くもって制限時間内だ。だったら眠らない事を選択して、弛み無く答えを探し求めれば、まだ結果は分らない。
 とはいえ、早起きした代償か、あるいはこれまでの思考から来る脳疲労からか、残念な事にどうしようもなく眠たかった。ゴロゴロとした瞼の重さを睡気と勘違いしているだけかもしれないが、知らず知らず瞼が閉じている事に気づいて慌てて開くという瞬間的な起床を、何度か繰り返していた。
 あまりにもそれが昼の出来事と似通っていて、時間が戻ったのだろうかと思えてくる。不思議な事に、そう思うと気持ちが軽くなった。
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