第13話 伝わる想い

文字数 6,230文字

 最近、三遊亭盛喬の評判が良い……と言っても内輪での話なのだが、それでも席亭の間あたりでも話題になったみたいで、寄席の顔付けに名前が出たそうだ。
 寄席の出番の「顔付け」は先の出番を寄席の席亭や寄席で興行を直接担当する者が集まって、会議をする。これを俗に「顔付け」というのだ。
 具体的にどうするのかは、俺も話に聞いただけなので実際に見た訳ではないのだが、噺家の名前を書いた木札をやり取りして「ウチは誰々が欲しい」とか「これはそっちに譲るから、誰々を来れ」とかやり合うらしい。当然、その席には協会の者が参加する。
 昔はこの顔付けをする者を「五厘」と言ったそうだ。無論今はそんな言い方はしない。その席で、盛喬の名前が上がったそうだ。そして、寄席でも噺家協会の者しか出ない寄席の上野鈴本の席亭が「評判が良いなら仲入りに使ってみよう」と言うことになり、盛喬が鈴本の夜席の仲入り前に出る事が決まった。
 寄席の出番で一番重要なのは無論トリなのだが、その次に大事なのが仲入り前の出番なのだ。俗にこの出番を仲トリなどと言う者もいるが、実はそんな呼び方は無い。知らないで口にすると恥を書くので注意した方が良い。
 盛喬は柳生から稽古をつけて貰ってから噺家として生まれ変わった感じで、どうやら、あれからも柳生に色々な噺を教わっているみたいだ。柳生の噺に対する態度を見て色々と考えることがあったのだろう。俺は勝手にそう考えていた。
 師匠の圓盛師も喜んでいて、先日お会いした時に
「いい人を紹介してくれました。やっとやる気になってくれたみたいです」
 そんなことを言って喜んでいた。
 ならば、寄席に出ている時に陣中見舞いに行ってやろうかと思った。行くならやはり薫も連れて行ってやりたい。帰りにどこかで旨い酒でも呑みたいと思った。
 二月の下席の「夜の部」の仲入りで盛喬の名前が登場した。勿論そのような情報は我が「よみうり版」ではいち早く判る。薫はその頃は春ドラマには出ずに劇団「役者座」の舞台に出るので、その稽古が始まる寸前なので時間は取れると言っていた。子作り宣言をしたものの、まだその徴候はなく、それはおあずけとなっていた。
 二月の下旬の日曜日、俺と薫は午後から湯島天神の梅を見に行きながら鈴本の夜席を見に行くことにした。

「わあ、満開ねえ。紅白綺麗だわ。梅って桜と比べると少し寂しいけれど、そこが清浄な感じがする」
 満開の白梅を見ながら薫が独り言のように呟くと、遠目に薫のことを判った人もいたみただ。薫はサングラスをして歩かないので、直ぐに判ってしまうが、本人はそれには無頓着だ。サインをせがまれれば応じるし、特別に声を掛けられなけば一般の人と同じように行動する。そんなところが他の芸能人とは違うのかも知れない。前に言ったことがあるが
「孝之さんと一緒に居る時は橘薫子(ゆきこ)ではなく立花薫だよ」
 きっとそんなつもりなのだろう。
 参拝をして、坂を下って広小路まで降りて来ると夜席には若干早いので、「うさぎ屋」に寄るとまだ、どら焼きを売っていたので、三十個ほど買い求める。陣中見舞いの土産にするつもりだった。これなら下座の師匠方も食べてくれると思ったし、甘いのが駄目な芸人も、この「うさぎ屋」のどら焼きなら食べる者は多い。余れば誰か持って帰れば良いと思った。
 時計を見ると時間的にちょうど良いので、そのまま鈴本に向かう。今回もきちんと入場料を払う。鈴本のテケツの人も笑いながらも黙っていてくれた。
 ここはビルの上にあるので、エスカレーターで上まで登る。三階が客席になっているが、その前に楽屋を尋ねると中から声が聞こえて来た。どうやら盛喬の声らしかった。
「お前、そんな気持ちでいつも高座に出ていたのか! もっと噺と向き合わないと後悔するぞ。俺なんかあと五年は早く柳生師匠と出会っていたかったと思ったよ。お前はまだ二つ目だから、今真剣にやっておかないときっと後悔するぞ」
 話の内容から間違いなく盛喬だと思った。誰に言っているのかは知らないが、他所の一門の者に対してキツイことは言わないので、きっと弟弟子だろうと当たりをつけた。言われた者の返事がないのはきっと言われたままになっているのだろうと思った。
 やや間を於いてからやや大きめの声で呼びかける
「おはようございます! 盛喬師匠いらっしゃいますか?」
 俺の呼びかけに当の盛喬が顔を出してくれた
「はい、盛喬ですが……ああ、神山さん。それに奥様も……」
「陣中見舞いに来たんだ。これ皆さんで食べて。下座の師匠方にもあげてね」
「何だ、悪いですね。手ぶらで来てくださいよ。もしかして今日も入場料払ったんじゃないですか? 聞いてますよこの前末広でのこと……協会が違いますけどこっちまで噂になってますよ」
 恐らく噂になったのは薫のことだろう。俺自身が噂になどなるはずが無いからだ。
「食べてくれ。師匠も甘いのは好きだったろう」
「ありがとうございます! 『うさぎ屋』ですか、大好物ですよ。楽屋一同で食べさせて戴きます」
 そこまで言ってから気がついたみたいで
「今の聞いていました?」
 そう言ってバツの悪い顔をした。
「まあ。、ちょっとね。耳に入ったけどね……弟弟子?」
 俺の質問に盛喬は苦笑いしながら
「ええ、今度二つ目になった盛治です……盛治こっちに来て挨拶しろ、『よみうり版』の神山さんだ」
 盛喬に言われて奥から出て来たのは背の高い青年だった。俺の前まで来ると
「この度二つ目になりました三遊亭盛治です。どうぞ宜しくお願い致します」
 そう言って頭を下げた。横から盛喬が
「お前、扇子と手拭いは?」
 そう言われて慌てて奥から持って来た。このような時は祝儀を切るのが普通だが今日は用意して来なかった。そう思っていたら横から薫が
「頑張ってくださいね」
 見ると祝儀袋に入ったものを手渡していた。貰えると思っていなかったのだろう、盛喬も盛治も驚いて
「そんなつもりでは無かったのですが……ありがとうございます!」
「そんな、気持ちしか入ってませんからね」
 薫が笑っている。いつの間にか、俺の仕事のことも覚えたのだと思うと少し嬉しく思った。
 客席に行こうとすると盛喬が追って来て
「今日は、あいつに手本を示す為にもいつにも増して頑張りますので聴いていてください」
 そんなことを言うがその目は真剣で、あの一件から本当に盛喬が噺家として生まれ変わったのだと思った。
 客席に座ってプログラムを見ると、盛治は二つ目昇進祝いということで、もう一人の昇進の者と交代出演になっていた。十日間のうち五日間ずつ出演するのだ。今回の場合は前半と後半に別れての出演なので、今日が盛治は初めての高座と言う訳だった。
 出囃子に乗って盛治が登場した。高座に座ると今日が二つ目で初めての高座であることを告げると一杯の拍手を貰った。そして噺へと入って行く、どうやら今日は「宮戸川」だった。
 この噺は、元は長い噺なのだが、今ではほとんど前半部分までしか演じられない。あらすじは……将棋好きの半七は毎晩帰りが遅いので家に入れて貰えない。困って霊岸島のおじさんの家に泊めてもらおうとすると、幼なじみのお花が一緒について来て自分もかるた取りで遅くなったらか泊まらせてくれと頼むが、半七は断る。走っておじさんの家まで行くがお花の方が早い始末。おまけに勘違いしたおじさんに二階に上がらされてしまう。
 布団はひとつ。仕方ないので背を向けて寝るが突然の雷でお花が半七に抱きついてしまう。理性を失った半七は……とここで本が破れて判りませんでした。と下げるのだが、本来はこの先もあり、嬉しい仲になった二人はおじさんに一緒になりたいと言い父親に掛けあって貰うが反対されたので小父さんが二人を養子にして結婚させてしまう。
 それから四年後のある日、お花は観音様に小僧の定吉を伴ってお参りに行くが突然の夕立に雨宿りをする。その間に定吉が店まで傘を取りにやるが、その時に雷が近くに落ちてお花は気を失ってしまう。後からやって来た悪者がお花を見て悪戯しようと何処かへ連れ去ってしまう。
 お花が居なくなってしまった半七は随分と探したが行方しれず、結局諦めて葬儀を出す。そして、その一周忌の帰りに乗り合わせた船の船頭が、昨年の悪事を話し始める。ここから芝居掛かりになるのだ。
「これで様子がガラリと知れた」
 三人の渡りゼリフで、
「亭主というはうぬであったか」
「ハテよいところで」
「悪いところで」
「逢ったよなァ」
 というところで起こされ、お花がそこにいるのを見て、ああ夢かと一安心。
 小僧が、お内儀さんを待たせて傘を取りに帰ったと言うので、
「夢は小僧の使い(=五臓の疲れ)だわえ」
 という地口オチとなるのだ。
 今日はそこまでやらずに、雷の件で下げて高座を降りた。
 正直、平凡な出来だった。まあ、昨日まで前座だったと思えば、こんなものかとも思うが、故古今亭志ん朝師は前座の頃からモノが違っていたそうだ。それ並になれとは言わないが、もう少しピリッとした所が欲しかった。元気が良いとか伸び伸びとやってるとか、技術以前に出来ることがあると思った。これなら盛喬が小言を言うのが判った。彼としてもこの前までの自分を見る感じなのだろう。

 プログラムが進んで盛喬の番となった。ところで一口に寄席というが、浅草、鈴本、池袋、末広とそれぞれ特徴がある。なるべく多くの芸人を登場させるのが浅草や末広で、出て来る芸人の数が少ないが一人ひとりがじっくりと聴かせるのが池袋だ。鈴本はその中間で、仲入りとトリは時間を取ってじっくりと聴かせるのだ。だから、浅草などでは十五分から二十分しかない仲入りでもここでは三十分の時間を取ってある。
 出囃子に乗って盛喬が登場した途端に客席から「待ってました!」の声が掛かった。これは芸人にとっては嬉しいものだ。
「え~『待ってました!』なんて言われると本当に嬉しいものでして、でもこの間なんか、終わって頭を下げたら『待ってました!』なんて言われましてね。そこかよ! って思わず突っ込んじゃたんですけどね」
 そんなことを言って客席を沸かせる。何の話をするのだろうと思っていると、「明烏」だった。これは故八代目桂文楽師が得意とした噺で、最後の方で甘納豆を食べるシーンが出て来るのだが、その仕草を見たお客が我も我もと甘納豆を欲しくなり売店の甘納豆が売り切れたという伝説を持つ噺だ。
 この噺のあらすじは、日向屋の若旦那の時次郎は世間知らずで若者らしさに欠けるので父親は心配して、町内の源兵衛と多助に頼んで吉原に連れて行って貰うように頼む。二人は一計を案じ、「浅草の裏のお稲荷さんに参拝に行こう」と言って誘い出す。
 そうとは知らない時次郎は喜んで一緒に行くが、一事が万事父親の言うがまま。何の問題もなく吉原に着いてお茶屋に上がるがそこでことが露見。一転帰りたがるが、二人は何とかなだめる。「いいですか若旦那、大門の所で怖いオジサンが居たのを見ましたでしょう。あれはね不審な奴が出入りしないか監視しているんですよ。今、若旦那が帰ったら怪しまれて大門で止められますよ」
 そんなことを言って脅しすかして何とか泊まらせる。
 翌朝、二人が時次郎を起こしに行くと、何と花魁と二人でしっぽりと布団の中。
「若旦那、良かったでしょう、また来ましょうね。お起きなさい」
 そう言っても起きません、いい加減に怒って
「花魁、起こしてやって下さいよ」
「若旦那、お起きなまし」
「若旦那、起きて下さい!」
 すると時次郎が
「花魁は口では起きろと言っているけど、さっきからあたしの体を両方の脚で挟んで……苦しいったら……」
「ああ、もう何ですか、若旦那、あなたはこのままここに居て下さい。私達は仕事ですから帰ります」
「あなた方帰れるものなら帰ってご覧なさい。大門で止められる」
 サゲが綺麗に決まった。時次郎も良かったが、それより源兵衛と多助が良かった。この二人が活き活きとしていた。恐らく柳生から稽古を受けたのだろうが、彼のとも違っていて、盛喬独自の噺になっていた。これだけ出来れば立派なものだと思った。
 仲入りの休憩になったので、帰ろうとすると、盛治が後ろに立っていて、
「あのう、兄さんがこの後ご一緒にと」
 やはり来たかと思って薫を見ると頷くので
「ああいいですよ。じゃあ前で待ってます」
 そう伝えて貰った。

 鈴本の前で待っていると程なく盛喬と盛治の二人が出て来た。
「すいません。お時間は取らせませんので、何処かでコーヒーでも……」
 時間は既に午後の七時を回っている
「この時間じゃ、こっちでしょう」
 俺はそう言って呑む仕草をした。すると判っていたのか二人共顔がほころんだ。
 鈴本の裏側は歓楽街になっている。怪しい店もあるが、旨い肴を出す店もある。その中の店に四人で入った。
 今夜は少し暖かい晩なので、生ビールを頼む。適当に肴を頼み「お疲れ様」と乾杯をする。
「いや、生が旨くなってきましたな。『梅は咲いたか桜はまだかいな』ですね」
 盛喬が陽気に言って場を和ませると、その隣に座った盛治が
「今日、始まる前に兄さんに言われたことですが、今日の兄さんの高座見て良く判りました。正直、兄さんがあそこまで上手くなってるとは思いませんでした。最初はそんな話を聞いても柳生師匠みたいな名人になる人から教わっていたからだと思っていました。でも今日の噺は柳生師匠じゃなかったんです。私達の師匠圓盛からだったのです。自分は判りました。教わる相手が大事なんじゃなく自分の噺に取り組む姿勢が大事なんだと……本当に恥じ入る思いです」
 そうか、今日の噺は柳生じゃ無かったのか……そこは俺でも気が付かかった。それなら、今日の噺は本当の意味で盛喬個人の考えであそこまでやったのだと……
 どうやら、柳生の熱い想いが盛喬にそして盛治に伝わって来たのだと思った。出来ればこれが多くの噺家に伝わって欲しい。それが出来れば落語は不滅だと……
 
 少しだけ呑んで、二人と別れた。
「明日もありますから深酒は止めます」
 盛喬がそう言って笑って盛治を連れて帰って行った。
「もう少し飲みたいな……お鍋が食べたい」
 薫がそんなオネダリをして腕を絡ませて来た。
「じゃあ、ふぐでも食べて帰ろうか?」
 俺の提案に笑顔で答える。
「じゃあ、今夜は白く淡泊だけど旨味の塊の鍋を食べに行こうか」
「うん!」
 二人で銀座線に乗り浅草を目指す。あそこには旨く安いふぐ専門店がある。そこに薫を連れて行くつもりだ。
 思えば噺とふぐは似ているかも知れない。大袈裟な味では無いが、何とも言えない旨味が凝縮されていて、鍋に限らず色々な料理の仕方がある。料理人の腕次第でどのようにもなる所が何だか似ている気がしたのだ。
「また吟醸酒頼んじゃおうかな」
 薫が目をキラキラさせて俺を見つめる。悪くない。そうさ悪くないじゃないか、将来性豊かな噺家の落語を聴いて、旨い料理を口にして、隣には恋女房がいる。もしかしたら俺の人生で一番幸せな時ではないだろうかと思うのだった。
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