うつろう季節
文字数 3,714文字
総裁が鉄研部室の小さなスイング式の窓から外を見つめている。
部室は元トイレだったんじゃないかと思うような、コンクリート壁に囲まれた狭くじめっとした部屋なのだが、今日は珍しくからっとした空気が流れて快い。
外は夏が過ぎて、高い秋空にのんびりと鰯雲が流れている。
そんな穏やかな陽気だが、総裁は一人で顔をこわばらせている。
我々もここでは、同じ非実在女子高生なり。
しかし、安易にキャラを作って安易に消す。それがこの世の習いであり、無常というものであろう。
とはいえ、キャラクターや物語の著者には本来、勝手なことが出来ない責任が存在するのだと思うておった。
そのキャラに命救われる人もいますものね。それなのにそのせっかく救った人をまた崖から突き落とすことが許されるわけがない。
でも、その許されないことをヘーキでする著者、それを平気どころか当たり前、一切気にしてない著者も多いように思えます。
だが、現実には永遠の命などないのだから、死まで書ききるべきだ、そういう考えもありえるかと思う。ただ、安易に死のシーンに頼るものも少なからずおる。
ワタクシが今こうしてここに存在しておる理由のひとつは、今のうちの著者は、ともすれば自ら命を絶ってしまいかねぬ状況にあるからなり。
本質的に価値のない命を生きられるほど、人間は強くはなれぬ。本質的な価値を考えなければ生きていけるであろうが、それは単に気づいていないからだけに過ぎぬ。
ゆえ、ワタクシはその著者のところに、その救いのために生まれたのだと理解しておる。
著者の命がとめどなく漂流してしまわぬようにする、錨の役割として。
まあ、そんなものに毛ほどの価値などない世の中なのは承知しておる。
そして、そのせいで、世の中自身も価値がない、ばかばかしいものになっておるのだ。
ゆえ、今更少しも驚かぬ。
こんなことは至ってよくあることなのだ。
お金を欲しがってはならぬ、ということは誰にもできぬ。
世の中の人は、カードの支払、家賃の支払い、ツールの支払いに皆追われておる。
そしてその中にはスタバでの飲食も入ってくるであろう。たまには贅沢なランチも楽しみたくなるであろう。もっといいスマホも欲しくなる。もっといい暮らしが欲しくなる。もっと広い家も欲しくなる。
そしていずれ豪華な暮らしも欲しくなるであろう。
それを誰が責められようか。責められはしないのだ。なぜならそれは憲法に定められた幸福追求権であるからの。
そもそもキャラを捨てたところで、つまるところ捨てた作者を誰も責められはしないのだ。
捨てるなと言うなら、その分課金すればいいだけの話であったのであるから。
発売が伸びた、生産が遅れた。すべて課金が足りないからそうなるのだ。『課金もせずに文句とな』とはそのとおりである。文句をいうならその分課金するべきだったのだ。
それでも現実には課金せぬものは多い。『書店でさがします』『書店で売ってませんでした』をなんど見たことか。そもそもはなから買う気などないのであろう。
Amazonでいつでも買えるのになぜ書店で探す? 今書店は猛烈なイキオイで減っているのに。
それは言い訳であろう。
そしてKindle本で出したら『買います』とその場で言うものもいる。しかしその後、数週間経っても一向にKindleのダッシュボードの注文グラフが増えぬ。Kindle本は購入されればほぼリアルタイムで注文が表示されるのに。
わからぬと思うて社交辞令を言うておるのだ。もうそんなことには、うちの著者もワタクシも慣れてしもうた。
人は斯様に『買わない』ものなのだ。わかりきっておる。それでも買う人はどんな困難があっても買ってくれる。買ってくれる人が必ずいた。だからうちの著者は20年間、勇気を持ちつづけることが出来た。どれだけ勇気をくれたかわからぬ。感謝しかない。
しかし、にもかかわらず、多くは所詮は社交辞令なのだ。真に受けるほうが馬鹿馬鹿しい。
世の中では最後には『無課金でこんなに頑張っているから運営を続けてください』と公然と、恥もせずにいう基地外すら現れるのだ。人は誰も霞を食って生きては行けぬのに。
だが、人がお金を払いたくないのは当然なり。文句だけつけたいのも当然なり。お金がもらえなければやる気が無くなるのも当然なり。
誰もそれは全く責められないのだ。
そして大量生産大量消費の論理は、コンテンツについてもまた同じなのだ。
だが、その消された彼女については、ワタクシの課金が足らなかったと深く反省するのだ。彼女の場合、不幸にして課金を受け付ける方法が十分に用意されていなかったのだが、それもワタクシの言い訳であったのだ。
深く反省するところなり。
だが、金にならなければ何もかも終わりなのだ。どんなに楽しくても長続きしない。金の切れ目が縁の切れ目なのだ。
そして金にならなくても物語を書き、読み楽しんでいたウチの著者の行き着いたところがこれなのだ。
理想だの思想だのとどんな綺麗事を言おうとも、金の匂いが薄れれば人は容赦なく離れるのだ。それは自然なことなのだ。
そしてウチの著者はまた一人に戻った。それだけの話だ。当然の帰結なり。
そしてその金の匂いでかつて満州国を作り、その結果日本の都市を灰燼にされてもなお、この現代で再び金の匂いでまた豊洲市場も築地市場もオリンピックも全てやりたいだの言うておる。
人とはそういうものなのだ。飽き飽きするほどわかりきっておる!
みんな、押し黙った。