第79話起訴猶予処分が確定した

文字数 2,206文字

それから二週間が経過した頃であった。
本社の総務部長から一本の電話が入ったのである。
それは辰男にとっての朗報であった。
本日の午前中に東京地検より本社の広報課へと連絡が入り、今回の未承認薬による傷害罪の件は、起訴猶予処分に決まった事が伝えられて来たのだという。
それと共に厚生労働省からも連絡が入り、薬事法違反についての調査も中止が決まったとの事であった。
辰男はその話の内容に、胸のつかえが下りるのを感じた。
そしてその総務部長から、今回の件と今後に向けた研究の方向性について話し合いたいので、明日の午前10時に本社へ来るようにと告げられた。
そして翌日となり玄関を出てみると、昨日までいたマスコミ陣は誰一人としていなかった。
久し振りに辰男は最寄りの駅まで歩いていったのだが、誰にも監視されないという解放感はもとより、秋風の清々しさも手伝って、自由であることの素晴らしさを改めて実感したのである。
そして電車を乗り継ぎ、丸の内にある本社へとやって来た。
その足で2階にある総務部を訪ねてみると、さっそく総務部長から握手を求められ、そのまま会議室へと案内されたのであった。
するとそこには、この間お世話になったばかりの顧問弁護士と三澤さんの姿とがあった。
辰男は足早に、その二人に近付いて行き握手を求めながら、お世話になった事に対しての御礼を述べた。
そして席に着くなり辰男は、今回起訴猶予処分に決まった事に関しての理由を二人に聞いてみた。
するとその弁護士が、自分なりの解釈を説明してくれたのである。
「今回の件につきましては、ポイントが二つあったのだと思います。
その一つめとしましては、被害者でもある奥さまの病状が非常に重篤な状態であったという事です。
その奥さまの命を助けるのには、この混合液の注入しか残されていなかったという切羽詰まった状態であったこと。
この点は被疑者でもある旦那さんの心情を、汲んでくれたものだと思います。
そしてもう一つの点としましては、この混合液を注入した事による功罪を比較してみたのでしょう。
その功績としましては末期の癌となってしまい、あと僅かであろうと思われていた奥さまの命が助かったという事。
そして罪としては奥さまに脳障害を誘発させ、重大な記憶喪失に貶めてしまったこと。
この二つのことを比較したのだと思われます。
しかしあくまでも、奥さまに発生させてしまった障害とは、脳死では無く、記憶障害であったという事実。
そこでのポイントが一番大きかったのでは無いのかと思っています。
もし脳死に至ってしまっていた場合には、司法の判断も変わってくるものだと思われます。
それと奥さまが、これから懸命な訓練を行っていく事によって、日常生活にも支障が無くなるのではないのかという配慮もされたのでしょう」
その説明を聞いて辰男は、やっと納得をしたのであった。
そして次に、三澤さんの口から辰男にとっては物凄く嬉しい言葉が発せられた。
その内容とは、こうであった。
「今回の真知子さんへの混合液の注入により、その混合液が悪性腫瘍に対して絶大な効果を発揮することが実証されました。
そこで、その不思議なマリモの中に含まれていた3種類の新型化合物が、この先有望な癌治療薬の開発に繋がるのではないのかと社内からも、声が挙がってきたのです。
その話が重役会議へと持ち込まれ、そこで社長の鶴の一声もあり、早速プロジェクトを再度立ち上げる事になりました。
しかしまだ、その新型化合物の人工的な生成には、難題が大きく覆い被さっているのです。
その新型化合物を構成している一つ一つの元素が、何であるのかは解明されてはいるのですが、それらを如何にして超高温、超高圧でもある地球内部の条件に近づけて合成させるのかが課題となっています。
世界中にある化学の研究所も同じ研究をしてはいるのですが、その3種類の新型化合物にそれだけの劇的な治療効果を確認出来たのは、今回の真知子さんへの注入で分かった我が社だけなのです。
そこでお願いです。
時は一刻を争います。
私と一緒に、このプロジェクトの中心となり活動していってはもらえないでしょうか?」
辰男はその話にとても驚き、自分としても興味が湧いてはいたのだが、即答は避けることにした。
それは家にいる真知子の面倒を誰が見るのかと、不意に思い出したからであった。
するとその様子を察知した総務部長が、辰男に語り掛けてきた。
「小林くん、今回は誠に残念ながら奥さんに副作用が起きてしまった。
しかし一番大事な命は助かったじゃないか。
これからの君に課せられた使命は、不思議なマリモに含まれていた物と同じ新型の化合物を、一日でも早く人工的に作り出し、副作用の心配がいらない治療薬を開発するのが君の役目だ。
そうなれば近い将来、癌に苦しんでいる多くの人たちに、明るい希望を届けることが出来るんだぞ。
そしていつの日か、すべての癌が、治る病へと変わっていく事になるだろう。
その重要な役目を君は担っているんだ。
頑張ってくれるよな、期待しているんだから」
そこまで言われてしまった辰男は、もう首を縦に振ることしか出来なかった。
そして、こう考えた。
「今まで会社には、散々迷惑を掛けてきた事だし、これも恩返しになるんだと思って頑張ってみるか」
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