2章―3
文字数 3,489文字
夫婦は[家族]にホットミルクを用意し、ラウロにも一杯勧めた。彼はしばらく何も口にしていなかったのか、喉を鳴らして一気に飲み干している。ノレインはもう一杯注ぎながら、にこやかに挨拶した。
「改めてようこそ! 色々辛いこともあっただろうが、ここでは[家族]皆が君の味方だ。困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ」
ノレインはそのまま自己紹介を始めようとするが、ラウロが盛大にくしゃみをしたため床に引っくり返ってしまった。
「あらあら、風邪引いたら大変だわ! ルイン、着替え用意してくれるかしら?」
「あ、あぁ。もちろんだ。ちょっと待っててくれ」
メイラに頼まれ、ノレインは急いで起き上がると屋根裏への梯子を登る。ラウロは「す
彼の服は上下共に擦り切れており、ただでさえ寒そうだ。しかし、よく見るとレースの意匠らしきものがある。女性用の服だろうか、とアースが思った瞬間、ノレインがどたばたと戻ってきた。
「とりあえず私の服を貸すぞ。君にはちょっと小さいかもしれないが、我慢してくれ」
「いや、我慢なんてそんな。ありがとう、……ございます」
ラウロはしどろもどろに礼を返す。寒さで口が回らないのか、と心配になるが、どうやら丁寧な言葉遣いに慣れていないだけらしい。本来の彼は口が悪いのだろう。
メイラに促され、ラウロはシャワールームに向かった。その間、アース達は夕食の準備をする。彼が戻って来る頃には粗方準備が終わり、夕食を囲みつつラウロと親睦を深めた。
モレノと双子はすぐにラウロと打ち解け、彼を質問攻めにした。だがラウロは過去に関することは全く言わず、どんな食べ物が好きか、などの他愛もない質問にも真剣に悩み「分からない」と返した。
そしてラウロの[家族]記念日パーティーは終わり、後片づけも済ませる。ノレインは咳払いで注目を集め、ラウロに一歩近寄った。
「ところで、君は[潜在能力]を知っているか?」
彼は「サーカスの時に聞いたような?」と首を傾げている。ノレインは改めて[潜在能力]についての説明を始めた。
ラウロは分かったような分からないような微妙な顔で聞いていたが、ミックが彼の[潜在能力]を告げた瞬間、表情が固まった。
「……ラウロさんの力は『治癒能力が高い』こと。怪我をしてもすぐに治るらしいわ」
「おぉ、これはまた便利な能力だなッ!」
「なぁなぁ、どれくらいの怪我なら大丈夫なんだ?」
ノレインは目を丸くし、モレノは興奮気味に身を乗り出した。ミック曰く頭部さえ無事なら、どんな重傷を負ったとしても数秒で元通りになるという。ラウロは手を首の後ろに当てたまま考えこんでいたが、[家族]の会話を遮るように声を発した。
「ルインさん、[潜在能力]を開花出来るって言ってましたよね? 俺の能力、今すぐほしいです」
ラウロは切羽詰まった様子で迫る。ノレインは「分かった分かった」と彼を宥めながら、『手品』の口上を始めた。
「そッ、それでは、貴方の[
眼前に右手を出され、ラウロは慌てて顎を引く。ノレインは勢い良く指を鳴らした。
――バチン!
「よーし。これで大丈夫だ」
「えっ? い、今ので終わり?」
ラウロは勢い余ってずっこける。ノレインは「ぬはははは」と高笑いしながら、椅子の上に片足を乗せた。
「あぁ間違いない! さて、新しい[家族]も増えたことだし次の町へ」
「ルインさん、こないだここに着いたばかりじゃないっすか!」
「それに、そろそろ資金が切れる頃よ。移動どころじゃないわ!」
モレノとメイラに反論され、ノレインは真後ろに引っくり返った。[オリヂナル]は入場無料である。従って、収入は全くないはずなのだ。
「(そういえば、どうやってお金をもらっているのかな?)」
アースは急に不安になる。一週間近く生活してきたが、夫婦は仕事をしているようには見えなかった。もし資金が尽きたらどうなってしまうのだろうか。悩みを巡らせる中、ラウロは「あの……」と苦々しく発言した。
「だったら、俺が稼いできます」
[家族]全員が息を飲む。ノレインは震える手で彼の両腕をがっしり掴み、恐る恐る聞いた。
「ラウロ、も、もしかして仕事があるのか?」
「仕事っていう仕事じゃないけど……金は手に入ります」
「ぬおおおぉ助かったあああぁありがとうぉぉおおお‼」
ノレインは慟哭しながらラウロに抱きついた。彼は引きつった表情でその薄い頭から目を背けている。
「じゃあ、明日行ってきます。結構忙しくなるんで一日中かかるけど……」
「いや、それでも嬉しいぞ! ありがとう‼」
「この辺の治安は悪くなさそうだけど、くれぐれも気をつけてね!」
メイラはノレインを引き剥がしつつラウロを労う。モレノにも抱きつかれ、ラウロは「止めろよ!」と笑っていた。アースもほっとしたが、彼の背後を見て息を詰まらせた。普段ならモレノと一緒にはしゃいでいるはずの双子が、心配そうにラウロを見つめていたのだ。
アースは公演中の双子の様子を思い出す。ラウロの『過去』は想像を絶するほど痛ましいものに違いないが、彼は今、極端に笑い転げている。滑稽とも思えるその笑顔を見ながら、アースはぼんやりと考えた。
「(もしかして、つらいのをがまんして笑ってるのかな?)」
――
ラウロの[潜在能力]が目覚めた後、[家族]は就寝準備を始めた。車内の奥には二つの部屋があり、片方は女子部屋、もう片方は男子部屋となっている。部屋の両壁にはそれぞれ、二段ベッドが固定されている。アースのベッドは左側下段であり、ラウロは空いている右側下段を使うことになった。
身支度が済む頃には午後十一時を越えており、アースはベッドに寝転がると同時に眠りにつく。だが数時間後、前触れもなく突然目が覚めた。
アースは上体を起こす。大きな物音がした様子はなかったが、上段で寝ているはずのモレノが何故か、隣で爆睡していた。
気を取り直して部屋を見回す。床ではスウィートが仰向けになっていびきをかき、衣装ケースのハンガー掛けでは、ピンキーが頭を背中に埋めて眠っている。だが、アースの向かい側は空っぽだった。
「あれ、ラウロさんは?」
もう『仕事』に出かけたのだろうか、とも思うが、彼は明日テントの解体を手伝ってから出発する、と言ったはずだ。眠気でぼやける頭を働かせていると、アースはモレノに引き倒されてしまった。
「アース、なんでにげるんだよ……いっしょにいこうぜ……」
モレノはむにゃむにゃと呟き、寝返りを打つ。必死に体を動かそうとするが、彼の下敷きになっている以上抵抗出来る訳もない。アースはそのまま、眠りに落ちてゆくのだった。
――――
月の光に照らされた銀色の車体は、冷たく輝く。どこまでも広がる暗い地平線を眺めながら、ラウロは首の後ろを無気力に擦っていた。
新たな力に目覚めた瞬間、風邪は治ってしまった。それだけではない。ガラス片を踏んだ時の傷も、体中に出来た打撲の跡も全て、綺麗さっぱり消えている。だが、残った箇所がひとつだけ。
ラウロは鳥肌が立ち、全身を震わせる。それは冷え切った気温のせいではない。
隣でずっと黙っていたデラとドリは、涙声でラウロに縋った。
「ラウロさん。ほんとうに、『仕事』を続けるの?」
「無理しちゃだめだよ! あの人に見つかったら、また……」
「無理なんてしてない。俺が考えて決めたことだ」
ラウロは自分自身に言い聞かせるように、きっぱりと断言した。
「『仕事』が何なのかばれたら、きっと捨てられる。でも、それでも。俺は[家族]に恩返ししたい。怖がってる場合じゃねぇんだよ」
双子は自分の服の裾を掴んだまま、再び黙りこんでしまった。
ラウロは二人の体を抱き寄せる。本来の『自分』には戻りたくない。だが、居場所をくれた[家族]のことを思うと、辛い『仕事』も乗り越えられる気がした。
恩人との『約束』を破ってしまうのは心残りだが、覚悟を決めた以上仕方がない。ラウロは両腕に力をこめ、静かに呟いた。
「もし三日経っても戻らなかったら、俺はもう戻らないもんだと思ってくれ」
「そ、それじゃあ、みんな納得しないよ!」
双子は引っついたまま泣き叫んだ。ラウロは乾いた声で笑い飛ばし、目を閉じる。忘れたかった『過去』が次々と、鮮明に浮かび出した。
「だったら、その時は俺の正体を晒せよ。そうすれば、嫌でも納得するはずだぜ」
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