【短編】あの苦い道のりは、あなたにたどりつくまでの回り道だった

文字数 7,145文字

誠と出会ったのは、小学校の一年生の時だった。

よくしゃべる男の子だった。
授業中も、となりの席の私によく話しかけてきて、先生に怒られないかとヒヤヒヤしたけれど、不思議と憎めなかった。

私たちの小学校は小さな街にあったから、各学年は一クラスずつしかなかった。
小さな揉めごとは、それなりにあったけれど、男女関係なく仲の良いクラスだった。

何かというと、クラスの中心になる誠のことが、ずっと気になっていた。
どんなきっかけで、その気持ちが、「恋」というものだと気づいたのかわからないほど、当たり前のように、誠のことが好きになっていった。

高学年になると、誰が誰のことを好き、なんていう噂が立ち始めた。
私も、女子同士で集まると、そんな話に夢中になった。
人の話を聞けば、自分の話もしないわけにはいかなくて、私も、誠が好きだということを友だちに伝えた。
噂で、誠も、私のことが好きみたいだと聞かされて、嬉しかった。
私の気持ちも、本人に伝わったらしかった。
だけど、お互いの気持ちを知ったことで、私たちは、急激に、話せなくなっていった。

嬉しさと、切なさと、もどかしさを抱えたまま、私たちは、同じ中学校に進学した。

近隣の小学校の学区が三つ合わさって、中学校では、人数が増えた。
誠と違うクラスになってしまって、寂しさが加わり、とうとう、中学一年のバレンタインデーに、告白することに決めた。

友だちの早智子に頼んで、昼休みに、呼び出してもらった。
3階から屋上につながる階段の踊り場で待っていると、誠は、照れていたのか、気だるそうにやっていて、私の前に立った。
久しぶりに近くで見た誠は、私の背丈を越していた。
「これ受け取って」
と、チョコレートと手紙を入れた紙袋を押しつけると、私は、顔も見ずに、階段を駆け下りた。
誰かの心臓の音が聞こえると思ったら、自分の音だった。

夜遅くまで、誠からの連絡を待った。
次の日になっても、何の音沙汰もなく、私は、告白したことを後悔し始めた。
「ホワイトデーにお返ししようとしているんじゃない?」
早智子の言葉にすがって、気持ちを落ち着けようとしたけれど、学校に行くことさえ苦しくなった。

手紙には、小学校の時からずっと好きだったこと、中学生になってクラスが変わってしまい寂しく思っていることを書いた。
告白をしながら「つきあってほしい」という言葉は、書けなかった。
返事が必要な言葉を書くことで、もし返事が来ないとつらくなると思っていたからだった。
だけど、そんなものを書かなくたって、充分につらかった。

誠のクラスは、別の校舎にあったから、ずっと自分の教室にいれば、ばったり会うこともなかった。
会わない日々が続き、顔を合わせないことにホッとしているのか、がっかりしているのか、自分でもわからなくなった。
だけど、ホワイトデーにお返しをもらえるかもしれないという期待だけは、密かに持ち続けていた。

3月14日。
雨だった。
もしかしたら、お返しをくれるかもしれないと思って、入念にブローをした。

放課後になっても、そんな気配さえなかった。
早智子が、ぽつりと
「残念だったね」
と、言った。
ああ、そうか、残念だったんだな……
「佳奈、大丈夫?」
「うん。大丈夫よ」
笑って言ったけれど、早智子の顔が滲んで見えた。

早智子と正門で別れて、ひとり通学路をたどった。
朝から降り続く、雨が恨めしかった。
ハァー
呼吸とも、ため息ともわからない音が口から洩れた。

もう、期待できる日はないんだ
そう思うと、また、涙が流れてきた。

マンションのエントランスに人影が見えた。
誰だろう?
誰だかわからないけれど、泣いた顔を見られたくなかった。
急いでハンカチで涙を拭きとって、傘を畳んだ。
下を向いたまま通り過ぎようとしたら
「佳奈……」
と、その声は、私を呼んだ。
振り向くと、誠がいた。
「え? どうして?」
「今日、ホワイトデーでしょ?」
「うん。だけど、わざわざ家に来てくれたんだ……」
「だって、学校だと恥ずかしいからさ。はい、これ」
そう言って、持っていた紙袋を、差し出した。
「ありがとう」
そう言って、誠の目を見た。久しぶりに見た。
「え? 泣いてるの?」
「だって、もうお返しくれないと思ったからさ」
「あ、ごめん」
「いいよ。謝らなくて。こうして来てくれたじゃん」
「そうだけど……あのさ、よかったら、つきあってくれない?」
「え?」
喉の奥でグッと音が鳴った。
「だめ?」
「ううん。びっくりしただけ……ありがとう。うん、なんていうか、どうぞよろしくお願いします」
私が会釈すると、誠も
「こちらこそ」
と、会釈した。
そして、ふたりで笑いあった。

次の日から、登下校の時間が色づいた。
私の家のマンションのエントランスで待ち合わせて、一緒に行くことになった。
お互いに緊張してほとんど会話がなかったけれど、それでも、誠と並んで歩けることがとても嬉しかった。

しかし、すぐに、春休みに入って、お互いの部活や塾で、忙しく、なかなか会えなくなった。
空いた時間に「会いたい」と言うことさえ、疲れていて休みたいかもしれないと思って、できなかった。
唯一の、「映画に行こう」という約束も、誠が熱を出してしまい果たされないまま、中二の日々が始まった。

新学期が始まると、誠の野球部の朝練の日数が増え、一緒に登校できる日が少なくなってしまった。

最初、楽しかったふたりでの登下校も、お互いの時間のスケジュールを確認する煩わしさや、せっかく会っても会話がほとんどない物足りなさによって、義務のように感じられてきた。
「偶然会ったら一緒に行かない?」
そう私が言った時、誠は悲しそうな顔をしたけれど、少しホッとしたようにも見えた。

偶然会うことなんてほとんどなくて、私たちは、「おはよう」と「おやすみ」のメールだけで、繋がっていた。
皮肉なことに、直接会って話をするよりも、メールの方が素直になれた。
だけど、私の、長文に対する誠の返事は、いつも短かった。

おはよう
へー
すごいね
つかれた
おやすみ

が、並んでいて、がっかりした。
だんだんと、その文字だけが、私に対する誠の気持ちだと感じるようになっていった。
私からのメールも、だんだんと短くなり、そして、頻度も減っていった。
昨日、おはようメールをしなかったと思うと、翌日送りにくくなり、何かあったらメールしようと思っていたら、誠にメールで伝えるほどの出来事なんてないような気がして、気がついたらほとんどメールしなくなっていた。

私たち、つきあっているんだろうか?

時々、そんな風に思ったりもしたけれど、それすら、思わなくなってきた。

「佳奈と誠は、もうつきあってないの?」
そう、早智子に聞かれたのは、そんな時だった。
季節は、秋だった。

「え? どうなんだろう? 正直わからないんだ。別れたわけではないけれど、つきあっている感覚もないし」
「誠のことはまだ好き?」
「うーん。わからないけれど、もう好きじゃないかもしれない」
「そっか。よかった」
「え? なに? よかったって」
「佳奈、私、誠のこと好きになっちゃったの。気持ち伝えようと思う。応援して!」
驚きすぎて、言葉が出てこなかった。
それでも、早智子がじっと私を見ていたから、ただ頷くしかなかった。
「よかった」
満面の笑みの早智子が、そこにいた。

早智子が、誠に告白したのは、それから、まもなくのことだった。
心のどこかで、誠は早智子とつきあわないと思っていたのに、その根拠のない予想は裏切られ、ふたりはつきあいだした。

早智子は、誠が私とつきあっている時から、時々、誠の相談に乗っていたらしいと、後で知った。
誠は、早智子に、私とあんまり話すことがないと言ったり、つきあってる意味があるのかな? とさえ、言っていたようだった。
誠が言ったというセリフは、私も感じていたことだし、その通りだと思うけれど、私の知らないところでふたりが会っていたことが、解せなかった。

いっそのこと、私に知らせずに、つきあい始めてほしかった。
そうしたら、
「ちゃんと言ってくれればよかったのに!」
と、怒れるけれど、早智子は、ちゃんと、私の気持ちを確認して、私を応援者に仕立ててから、誠とつきあいだした。
シナリオを書き、それに沿うように、早智子は思いを実現しているようだった。

私は、初恋の人と親友を一度に失った。
小学校からの思い出すら、汚されたように感じた。

だって、早智子はいつだって、私の味方だったじゃないか!
ずっと、私が誠のことを好きだって知っていたじゃないか!
少しくらい、誠から気持ちが離れたからって、ごっそり思い出ごと奪わなくたっていいじゃないか!
せめて、私が怒れるように、ちゃんと悔しがって悲しめるように、悪者を演じてよ!

やり場のない思いを抱えながら、ふたりを避けるようになった。

私の態度が変わって、最初は戸惑って気を使っていた早智子も、堂々と誠と過ごすようになった。
部活に入っていない早智子は、完全に誠の都合に合わせて行動していた。

本当に好きだったら、そうするべきだったのかな?

早智子に偶然会えば、挨拶くらいするけれど、つい最近までお互いのスケジュールを知り尽くしていた仲だったなんて嘘のように、お互いの世界から姿を消し合った。

「早智子、酷いよね」
そう言って、慰めてくれる友だちに
「でも、ちゃんと、私に断った上で、つきあったんだから仕方ないよ」
そう言って、自分でも納得するしかなかった。
幸い、勉強も部活も忙しくなり、救われた。

地元の県立高校に、誠も早智子も含めたほとんどの友だちが進学する中、私は、私立大学の付属高校に進学した。

気にしないようにしていたものの、新しい恋もできずにいたから、並んで歩くふたりを見るのはやっぱりつらかった。
高校生になっても、ふたりはつきあっていた。
ふたりの高校と私の高校は逆方向だったから、線路をはさんで、駅のホームで、時々見かけた。
寄り添ったり、抱き合ったりしている時や、何か言い争って喧嘩をしているように見える時もあった。

あんな風に、何でも言い合えていたら、私も誠と、もっと長くつきあえたのかな?

私の世界の隅に寄せたつもりのふたりの影がなかなか消えなくて、私は、電車の時間を変えた。

目に映らないようになって、ようやく、過去のことだと認識できるようになったけれど、また、ふたりは、別の形になって、私を苦しめた。

高校生になって、ようやく、素敵だなと思う人ができた。
相手も、どうやら、私のことを好いてくれているようだとわかっても、あの時のことが思い出されてなかなか一歩踏み出せなくなった。

もし、つきあったところで、また、「話すことがない」と言われてしまうかもしれない……。
「つきあっている意味がない」って言われてしまうかもしれない……。

自分の恋心と、相手の好意を、はぐらかしながら、日々は過ぎて行った。

大学生になると、私は、ひとり暮らしを始めた。
大学は都会にあって、生まれ育った田舎にはない刺激に包まれた。

私は、サッカーのサークルのマネージャーになった。

そこで、和也と出会った。
ひとつ年下の人懐こい性格だった。
「佳奈ちゃん、喉が渇いたよ。飲み物ちょうだいよ」
そんな風に佳奈に言う後輩は、和也くらいだったけど、不思議に嫌でなかった。
3人いるマネージャーの中で、私にだけ、話しかけてきた。
「佳奈ちゃん、映画を観に行こうよ」

映画かぁ……そう言えば、誠と映画に行くことはなかったな……

「いいよ。何見たいの?」

和也とのデートは、デートというには、全くロマンティックではなかったけれど、恋することに臆病になっていた私にとって、気負わず、とても楽だった。
和也のことが好きかどうか、まだ、自分でわからなくたって、和也との会話は楽しく時間が、あっという間に過ぎて行った。
いつのまにか、和也の話を聞くばかりでなく、私もたくさん話をしていた。
こんな話をしたら、どう思われるか? なんて気にしないで、話ができていた。
その時の和也のリアクションも心地よかった。
それは、必ずしも、同意という形でなかったけれど、例え、否定されたとしても、そのことに対して、私も遠慮なく怒れたし、笑ったり泣いたりできた。
それが嬉しかった。

お互いの気持ちを確かめないまま、3回くらいデートした頃に、中学校の時の同窓会の葉書が届いた。

同窓会か……どうしよう……

懐かしい友だちに会ってみたい気もするし、会ったことで苦い思い出がよみがえるかもしれないと思うと、迷いがあった。

「明日会わない?」
和也から連絡があった。
「大事な話があるんだよ」

翌日、約束の場所に行くと、和也は、いつもより少し緊張した面持ちで待っていた。

もしかすると、ちゃんとつきあおうとか、そういう話かな? と思ったけれど、一向に話し始める様子がなく、その代わり、いつもより口数が少なかった。

特に話すつもりはなかったのだけれど、私は沈黙に耐えられず、ついあの話をした。
「今度ね、中学の時の同窓会があるんだ」
「え?」
和也の顔色が変わった。
「中学って、あの人も来るの?」

ああ、そうだった。
和也は、誠と早智子の話を知っているんだった。
サークルの飲み会の時に、話の流れで、初恋の話をみんなでしたことがあった。
「それはひどいね」
って、和也がムキになって怒ってくれたことが嬉しかったのだった。

「来るかな? わかんないけど……」
「行くの?」
「うーん。迷ってる」
少し沈黙があって、和也が
「行ってきたら?」
思い切ったように言った。
「え?」
てっきり、行かないでって、言われると思っていた。
「行ってさ、気持ちを確かめておいでよ」
「気持ちを確かめるっていってもさ、別に、もう、ずっと前に終わってることだよ」
「そうかもしれないけどさ、結構、佳奈ちゃん、まだ引きずっているでしょ?」
「そんなことないよ!」
ムキになってしまって、ハッとした。
確かに、もし、あの時……って、時々、振り返ってる……。
「俺さ、今日さ、佳奈ちゃんに『つきあって』って言うつもりだったんだ。あのさ、佳奈ちゃんがさ、中学の同窓会に行ってさ、彼に会っても大丈夫だったら、つきあってよ」
「なにそれ?」
「あ、それじゃ、おかしいか! その時は、改めて『つきあって』って言うからさ。考えてよ」
ちょっと強引だけど、和也らしい提案だと思って、私は笑って頷いた。

同窓会に出席すると返事をして、久しぶりに、実家に帰ったのは、それから2週間後のことだった。

地元にある唯一のレストランで、同窓会は行われた。
特別、誰かと約束したわけではなく、私は参加した。
「久しぶり、元気だった?」
振り向くと、誠だった。
え? 変わった! こんな感じじゃなかった!
年相応に、大人になっていたけれど、この人が好きだったのだと、人に紹介したくない思いが、心に浮かんだことに戸惑った。
いや、もしかすると、変わったのは私の方で、誠は何も変わっていないかもしれない。
「あ、久しぶり」
会ったらなんて言おうかって迷っていたけれど、自分でもびっくりするくらい、落ち着いた声でそう言っていた。
「きれいになったね」
そう言って微笑んだ誠に、違和感を覚えた。
「あ、ありがとう……早智子は元気?」
「ああ、だいぶ前に別れたんだ。嫉妬深くってさ」
そんなこと、私に言うもんじゃないよって思ったけれど
「そう」
とだけ言った。
「あの時さ、ごめんな」
「え?」
「ちゃんと、別れたわけじゃないのにさ、早智子とつきあい始めて、佳奈を傷つけちゃったなって気にしてたんだ」
何を今更! 
ダメだ、怒っちゃいけない。
いや? 傷ついたじゃない!
いいの? このまま気持ちをぶつけなくていいの?
和也が、気持ちを確かめてこいって言ったことが、思い出された。
「うん、つらかったよ。形としては終わっていたかもしれないけれど、気持ちは伝えあってなかったからね」
そう言うと、誠は、少しホッとしたように笑った。
「どうして、あの時、ちゃんと、気持ちを伝えあえなかったんだろうな、俺たち」
誠の言った“俺たち”に違和感を覚えた。
「あの時、私は、嫌われたくなくて、言葉も選んでいた気がするよ」
「あのさ、俺たち、やり直せないかな? 今なら、ちゃんとつきあえる気がするんだ」
今の私の何を知ってるって言うの?
久しぶりに会って、軽々しくそんな風に言って欲しくなかった。
それに、私は、もう、誠のことが好きじゃない!
「ごめんね。私、今、好きな人がいるんだ」
「……そうか」

早智子は来ていなかった。
その後、何人かの懐かしい友だちと話をしたけれど、正直、上の空だった。

二次会に出て実家に泊まるはずの予定を切り上げて、一次会が終わると、私は電車に飛び乗った。

携帯を開いて、和也にメールを送った。

同窓会に行ってきたよ
自分の気持ちがわかったの
今から好きな人に会いに行くよ
だから、駅に迎えに来て!
後、2時間くらいで着くよ!

久しぶりに、このローカル線に、軽やかな気持ちで乗っていることに気がついて、嬉しくなった。
《終わり》

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