第56話 藍那
文字数 4,418文字
由真は明らかに怒っていた。両手を腰に当て、藍那を無言で見上げる。全身に憤怒 をまとう姿は、まるで狂乱の戦女神《死屍神 》だ。こんなに怒った由真を見るのは初めてだった。
「どうして私がここに来たか、先生、もうお分かりですよね」
たじろぐ藍那を見据え、由真が口を開く。
「どうして……って」
「とぼけないでください。紫園さんに、私をお祭りに誘うように言いましたよね」
「う……うん……」
ではやはり、紫園は由真を誘ったのだ。ぎこちなくうなずくと、由真は大きなため息をついて、頭 を振った。
「どうして……」
怒りで震えた語尾を、いったん飲みこむ。それから息を大きく吸って
「どうしてそんな勝手なことするんですかっ!」
大声で怒鳴った。
「わたし、先生にお願いしました? 紫園さんに誘うように言ってくださいって。言ってませんよね? それなのに、なんでそんな余計なことをするんですか?」
「で……でも……」
「私が紫園さんに誘われて喜ぶとでも? 言っておきますけど、私はお二人のあいだのやりとりなんて知りません。でも紫園さんが私を誘うなんて、どう考えても先生が一枚噛んでいるに決まってますよね。わたし、それほどバカじゃないです」
「由真……」
「紫園さんは、ずっと先生のことを誘いたいって思ってたのに。それなのに……」
由真は藍那を睨みつける。
「そんな紫園さんの気持ちに向き合うこともしないで、逃げるどころか、私を代わりにあてがうなんて、先生は卑怯です」
思い切り頬を叩かれた気分だった。全身から血の気が引いて、足が小刻みに震える。
由真の言葉は正鵠 を射ていた。結局自分は逃げていただけなのだろう。紫園からも自分からも。逃げた先が、由真の幸せを願うという偽善だったのか。
「私は……紫園さんのことが好きです」
こぶしを握り、由真は視線を足元へ落とした。
「最初はお兄さんみたいでした。でも今は……一人の男性としてお慕いしています。だけど、だけど……好きだからこそ、分かっちゃうんです。紫園さんが先生しか見ていないって。私の入る隙間なんて、これっぽっちもないって。
でもそれでも良かったんです。だって、私は先生のことも大好きで、できればお二人に幸せになってほしかった。それなのに……」
顔を上げた目には、涙がいっぱいに溜まっていた。
「先生にそんな真似されて、屈辱ですし、迷惑です。私は紫園さんのことも好きだけど、先生のことも好きなのに。それなのに、わたし……どうしたらいいか……」
顔を両手で覆い、肩を震わせて泣き始める。
泣きじゃくる由真を前に、藍那は情けなくていたたまれなかった。穴があったら入って、そのまま由真に埋めてもらいたいくらいだ。
何のことはない、今でも自分は世間知らずのままであった。秧真のことを笑えない。苦労もして、人の心の機微にも、すこしは通じていると思っていた。それもとんだ勘違いだったというわけだ。
「ごめん由真、本当にごめんね」
由真の肩を抱きしめる。泣きじゃくるたび震える頭に、額を寄せた。
「由真の言うとおりね、私は卑怯だった。だからもう泣かないで。お願いだから」
「でも……せんせい……が……」
「馬鹿だったね。由真の気持ちも、もっと考えるべきだったのに。だから許してほしいの。ね、お願い、由真の言うこと、何でも聞くから」
「本当ですか?」
泣きじゃくっていたのが嘘のように、由真がすかさず顔を上げる。泣きはらし赤くなっていたが、目には不敵な光が浮かんでいた。
「ほんとうに、私の言うこと、なんでも聞いてくださるんですよね」
「う、うん……」
「それじゃあ、明日、朝ごはん食べたら一緒に出かけてもらいますから」
「出かけるって……お祭りに?」
「それは内緒です。では先生、おやすみなさい。明日が楽しみですね」
さっきまでの泣き顔が嘘のように、由真は笑って部屋を出ていった。なにやら狐につままれたような心持ちで、その場にしばし立ち尽くす。
その翌日。
朝食を済ませ、泊まった客たちを送り出して、由真とでかけた。連れて行かれた先は、あろうことか慈衛堵 の屋敷である。
あらかじめ来訪を告げてあったのだろう。守衛は由真と藍那を見て、にこやかに門扉を開いた。広い階段式の前庭 を通って、まっすぐ表玄関へと向かう。
「すごいですねえ、先生からお話を伺ってましたけど、とてもご立派な……」
由真は目を丸くして、そう感心する。来客用の扉をくぐった先で、上良 が待ってくれていた。二人を見ると嬉しそうにほほえみ、
「いらっしゃい、由真。懐かしいわ。しばらく見ないうちに、ずいぶんと背が伸びたわね」
そう言って由真の手をとる。
「お久しぶりです、上良さん。今日は例の件で、先生をこのとおり」
「ええ、分かっているわ。先生、お部屋で愛紗さまがお待ちでございます」
部屋へ向かう途中、回廊から自慢の庭園を眺めることができる。金亀楼にも劣らない見事な噴水と、手入れされた季節の花々。涼やかな風にのって、秋バラの芳香が鼻先をくすぐる。色を変え始めた葉むらの、朱紅 や黄色が目に鮮やかだった。
「きれいですねえ。まるで王宮にいるみたい」
由真は目を輝かせ、うっとりする。いっぽう隣で歩く藍那はそれどころではない。由真が上良に告げた《例の件》という言葉が、気になって仕方がなかった。なんだか嫌な予感がする。
「あら、いらっしゃい、藍那、由真」
女部屋に入ると、長椅子に寝そべる愛紗が右手を差し出した。
「由真、ほんとうに久しぶり。もっとこっちへ来て、よく顔を見せて。なんだかとっても綺麗になって」
「愛紗さま、お久しぶりです。この度はご懐妊おめでとうございます」
手を握りあい、再会を喜び合う。由真に微笑む愛紗は、相変わらず美しい。以前会ったときより少し痩せたようだ。それには由真も気づいたらしく、
「愛紗さま、お痩せになったのではないですか?」
と訊ねた。
「ええ、ここ最近、すこし具合がすぐれないの。ただの悪阻だけど、旦那さまがとても心配なさって……。お医者さまが言うには、なるべく安静にするようにって」
下腹を愛おしそうに撫でると、愛紗は視線を上げた。
「それじゃあ藍那、さっそく準備に取り掛かりましょ」
「準備?」
「先生、先生は私の言うことをなんでも聞いてくださるって、そうおっしゃいましたよね」
怪訝な表情の藍那に、由真は言った。
「これから愛紗さまに、先生を見違えるくらいお綺麗にしていただきます。そして紫園さんと、二人でお祭りに行ってください」
「は?」
間の抜けた返事が出た。視線を向けると、愛紗は楽しそうに首を傾げる。
「良かったわねえ、藍那。あなたにもようやく春がきたわね」
「で、でも……わ、わたしは……」
「約束ですよ、先生。では愛紗さま、よろしくおねがい致します」
「ええ、大船に乗ったつもりで任せてちょうだいな」
嬉々と話し合う二人を前に、絶句した。呆然としていると、上良 に黙って腕を取られる。
――こうなったら、もう観念してくださいな。
無言の裡 にそう言われ、そのまま浴場へずるずると引きずられていった。
* * *
浴場では垢すりの女が待ち構えていた。まくりあげた袖からにょっきりと、丸太のような腕がのびる。湯 帷子 に着替えた藍那を見てニヤリと笑った。
「さあ先生。さっぱりと、垢ひとつないよう、きれいにして差し上げますからね」
そう張り切る彼女に、ふやけるほど湯に浸 けられた。それから全身を力強くこすられる。気分はまさに、羽をむしられる鶏だ。再び湯にひたされ、次は髪や爪をごしごしと洗われた。
三度 湯から上がると、全身に香油を塗られ、ようやく浴室から開放される。だがこれで終わったわけではない。湯帷子 を着せられ、隣室で待機していた上良と若い次女二人に、化粧を施された。
上良は愛紗に対するのと同じ、職人的熱心さでことにあたった。
眉は余分な毛を抜き、眉墨をひく。眦 と頬と唇に、紅を入れる。そのあいだ、水気を拭 われた髪は徐々に乾いて、丹念に櫛で梳 かれた。
その間 、藍那はようやく置かれた状況を理解し、おののいていた。上良が
「先生の御髪 、いちど結って差し上げたいと思っていたのですけど。まさかそれが本当になるなんて。由真に感謝ですわね」
などと言っているが、冗談ではない。これから紫園に会わなくてはならないのだ。いったい、どんな顔をすればいいのだろう。彼は化粧をした自分を見て、なんて思うのだろうか。
考えれば考えるほど、鼓動が早まり、身体の芯が熱くなる。そしてここ数日の出来事が、走馬灯のように、次から次へと頭をよぎった。
あの夜の口づけと、触れ合った舌先の感触。手のひらにのこった痛みと、見開かれた紫の双眸。そして、由真を誘うよう告げたときの……。
――それが先生の望むことでしたら、仰るとおりにします。僕は……先生の、弟子ですから……。
全てがぐるぐると脳裏を駆けめぐって、握りしめた手に汗が滲 んだ。
そんな藍那をよそに、上良の器用な手は勤勉に動き続けた。笄 を使って後ろ髪のひと束を高く結い上げ、その他は長く垂らす。ちかごろ、若い娘たちが好んでいる《噴水 》という型だ。
「さあ、出来上がりましたよ」
上良がそう言って、藍那を椅子から立ち上がらせた。背後に控えていた侍女二人が、長衣と袴をそれぞれ抱えて膝をつく。
鬱金 色の長衣と白袴は、花蓮が祭りのためにと仕立ててくれたものだ。そして、刺繍のほどこされた白帯も。
湯帷子を脱いで下着をつけ、白袴と長衣をまとう。絹地の長衣など、身につけたのは何年ぶりだろう。最後は母のための喪服だったか。
白帯の紐を背後で上良が結んだ。愛紗が用意してくれた靴を履くと、完成である。
「ほんとうにお綺麗ですわ、先生」
頭のてっぺんから爪先まで眺め、上良は満足そうに言った。
「このご様子だと、街で誰かに会ってもわからないですよ。紫園はさぞ驚くでしょうね。そうそう鏡をご覧になります?」
どうしようかとしばし迷ってからうなずいた。銀色の手鏡を受け取り、腹を決めて覗き込む。
「……」
絶句した。
言葉を失った。
そう――。
鏡に見たそれは、記憶のなかの母、《藍那》の面影そのものであった。
「どうして私がここに来たか、先生、もうお分かりですよね」
たじろぐ藍那を見据え、由真が口を開く。
「どうして……って」
「とぼけないでください。紫園さんに、私をお祭りに誘うように言いましたよね」
「う……うん……」
ではやはり、紫園は由真を誘ったのだ。ぎこちなくうなずくと、由真は大きなため息をついて、
「どうして……」
怒りで震えた語尾を、いったん飲みこむ。それから息を大きく吸って
「どうしてそんな勝手なことするんですかっ!」
大声で怒鳴った。
「わたし、先生にお願いしました? 紫園さんに誘うように言ってくださいって。言ってませんよね? それなのに、なんでそんな余計なことをするんですか?」
「で……でも……」
「私が紫園さんに誘われて喜ぶとでも? 言っておきますけど、私はお二人のあいだのやりとりなんて知りません。でも紫園さんが私を誘うなんて、どう考えても先生が一枚噛んでいるに決まってますよね。わたし、それほどバカじゃないです」
「由真……」
「紫園さんは、ずっと先生のことを誘いたいって思ってたのに。それなのに……」
由真は藍那を睨みつける。
「そんな紫園さんの気持ちに向き合うこともしないで、逃げるどころか、私を代わりにあてがうなんて、先生は卑怯です」
思い切り頬を叩かれた気分だった。全身から血の気が引いて、足が小刻みに震える。
由真の言葉は
「私は……紫園さんのことが好きです」
こぶしを握り、由真は視線を足元へ落とした。
「最初はお兄さんみたいでした。でも今は……一人の男性としてお慕いしています。だけど、だけど……好きだからこそ、分かっちゃうんです。紫園さんが先生しか見ていないって。私の入る隙間なんて、これっぽっちもないって。
でもそれでも良かったんです。だって、私は先生のことも大好きで、できればお二人に幸せになってほしかった。それなのに……」
顔を上げた目には、涙がいっぱいに溜まっていた。
「先生にそんな真似されて、屈辱ですし、迷惑です。私は紫園さんのことも好きだけど、先生のことも好きなのに。それなのに、わたし……どうしたらいいか……」
顔を両手で覆い、肩を震わせて泣き始める。
泣きじゃくる由真を前に、藍那は情けなくていたたまれなかった。穴があったら入って、そのまま由真に埋めてもらいたいくらいだ。
何のことはない、今でも自分は世間知らずのままであった。秧真のことを笑えない。苦労もして、人の心の機微にも、すこしは通じていると思っていた。それもとんだ勘違いだったというわけだ。
「ごめん由真、本当にごめんね」
由真の肩を抱きしめる。泣きじゃくるたび震える頭に、額を寄せた。
「由真の言うとおりね、私は卑怯だった。だからもう泣かないで。お願いだから」
「でも……せんせい……が……」
「馬鹿だったね。由真の気持ちも、もっと考えるべきだったのに。だから許してほしいの。ね、お願い、由真の言うこと、何でも聞くから」
「本当ですか?」
泣きじゃくっていたのが嘘のように、由真がすかさず顔を上げる。泣きはらし赤くなっていたが、目には不敵な光が浮かんでいた。
「ほんとうに、私の言うこと、なんでも聞いてくださるんですよね」
「う、うん……」
「それじゃあ、明日、朝ごはん食べたら一緒に出かけてもらいますから」
「出かけるって……お祭りに?」
「それは内緒です。では先生、おやすみなさい。明日が楽しみですね」
さっきまでの泣き顔が嘘のように、由真は笑って部屋を出ていった。なにやら狐につままれたような心持ちで、その場にしばし立ち尽くす。
その翌日。
朝食を済ませ、泊まった客たちを送り出して、由真とでかけた。連れて行かれた先は、あろうことか
あらかじめ来訪を告げてあったのだろう。守衛は由真と藍那を見て、にこやかに門扉を開いた。広い階段式の
「すごいですねえ、先生からお話を伺ってましたけど、とてもご立派な……」
由真は目を丸くして、そう感心する。来客用の扉をくぐった先で、
「いらっしゃい、由真。懐かしいわ。しばらく見ないうちに、ずいぶんと背が伸びたわね」
そう言って由真の手をとる。
「お久しぶりです、上良さん。今日は例の件で、先生をこのとおり」
「ええ、分かっているわ。先生、お部屋で愛紗さまがお待ちでございます」
部屋へ向かう途中、回廊から自慢の庭園を眺めることができる。金亀楼にも劣らない見事な噴水と、手入れされた季節の花々。涼やかな風にのって、秋バラの芳香が鼻先をくすぐる。色を変え始めた葉むらの、
「きれいですねえ。まるで王宮にいるみたい」
由真は目を輝かせ、うっとりする。いっぽう隣で歩く藍那はそれどころではない。由真が上良に告げた《例の件》という言葉が、気になって仕方がなかった。なんだか嫌な予感がする。
「あら、いらっしゃい、藍那、由真」
女部屋に入ると、長椅子に寝そべる愛紗が右手を差し出した。
「由真、ほんとうに久しぶり。もっとこっちへ来て、よく顔を見せて。なんだかとっても綺麗になって」
「愛紗さま、お久しぶりです。この度はご懐妊おめでとうございます」
手を握りあい、再会を喜び合う。由真に微笑む愛紗は、相変わらず美しい。以前会ったときより少し痩せたようだ。それには由真も気づいたらしく、
「愛紗さま、お痩せになったのではないですか?」
と訊ねた。
「ええ、ここ最近、すこし具合がすぐれないの。ただの悪阻だけど、旦那さまがとても心配なさって……。お医者さまが言うには、なるべく安静にするようにって」
下腹を愛おしそうに撫でると、愛紗は視線を上げた。
「それじゃあ藍那、さっそく準備に取り掛かりましょ」
「準備?」
「先生、先生は私の言うことをなんでも聞いてくださるって、そうおっしゃいましたよね」
怪訝な表情の藍那に、由真は言った。
「これから愛紗さまに、先生を見違えるくらいお綺麗にしていただきます。そして紫園さんと、二人でお祭りに行ってください」
「は?」
間の抜けた返事が出た。視線を向けると、愛紗は楽しそうに首を傾げる。
「良かったわねえ、藍那。あなたにもようやく春がきたわね」
「で、でも……わ、わたしは……」
「約束ですよ、先生。では愛紗さま、よろしくおねがい致します」
「ええ、大船に乗ったつもりで任せてちょうだいな」
嬉々と話し合う二人を前に、絶句した。呆然としていると、
――こうなったら、もう観念してくださいな。
無言の
* * *
浴場では垢すりの女が待ち構えていた。まくりあげた袖からにょっきりと、丸太のような腕がのびる。
「さあ先生。さっぱりと、垢ひとつないよう、きれいにして差し上げますからね」
そう張り切る彼女に、ふやけるほど湯に
上良は愛紗に対するのと同じ、職人的熱心さでことにあたった。
眉は余分な毛を抜き、眉墨をひく。
その
「先生の
などと言っているが、冗談ではない。これから紫園に会わなくてはならないのだ。いったい、どんな顔をすればいいのだろう。彼は化粧をした自分を見て、なんて思うのだろうか。
考えれば考えるほど、鼓動が早まり、身体の芯が熱くなる。そしてここ数日の出来事が、走馬灯のように、次から次へと頭をよぎった。
あの夜の口づけと、触れ合った舌先の感触。手のひらにのこった痛みと、見開かれた紫の双眸。そして、由真を誘うよう告げたときの……。
――それが先生の望むことでしたら、仰るとおりにします。僕は……先生の、弟子ですから……。
全てがぐるぐると脳裏を駆けめぐって、握りしめた手に汗が
そんな藍那をよそに、上良の器用な手は勤勉に動き続けた。
「さあ、出来上がりましたよ」
上良がそう言って、藍那を椅子から立ち上がらせた。背後に控えていた侍女二人が、長衣と袴をそれぞれ抱えて膝をつく。
湯帷子を脱いで下着をつけ、白袴と長衣をまとう。絹地の長衣など、身につけたのは何年ぶりだろう。最後は母のための喪服だったか。
白帯の紐を背後で上良が結んだ。愛紗が用意してくれた靴を履くと、完成である。
「ほんとうにお綺麗ですわ、先生」
頭のてっぺんから爪先まで眺め、上良は満足そうに言った。
「このご様子だと、街で誰かに会ってもわからないですよ。紫園はさぞ驚くでしょうね。そうそう鏡をご覧になります?」
どうしようかとしばし迷ってからうなずいた。銀色の手鏡を受け取り、腹を決めて覗き込む。
「……」
絶句した。
言葉を失った。
そう――。
鏡に見たそれは、記憶のなかの母、《藍那》の面影そのものであった。