郵便受けの白い箱
文字数 1,477文字
大学時代に私が住んでいたのは、三階建てのアパートの最上階。集合住宅の常で、郵便受けは一階にまとめて設置されており、そのアパートの場合は、階段脇の陰のような辺りに据えられていた。
その日。
私が郵便受けを覗いたのは、夜遅くではなく、まだ早い時間だったはず。おそらく夕方の一時帰宅であり、またすぐに大学の研究室へ戻るつもりだったのだろう。
郵便受けの中には、特に手紙は入っておらず、いつも通りのチラシの束。しかし、明らかに『いつも通り』ではない点もあった。
雑然としたチラシの上に、白い小箱が一つ置かれていたのだ。
「何だ、これは……?」
箱といっても、郵便荷物ではない。それらしき住所氏名などは書かれていないし、そもそも形状が違う。
基本は直方体だが、特徴的なのは、その上部。左右の斜めの紙板で挟まれた、横長の取っ手らしき部分が備え付けられている。……と、言葉にすると、少しわかりにくいかもしれないが。
要するに、ケーキの箱だった。
「いやいや、なぜ買った覚えのないケーキが郵便受けに入っているのだ……?」
少し背筋がゾッとした。
誰かのプレゼントとか差し入れとか、そういう発想は、全く浮かんでこなかった。それならば、その旨を記した書状が添えられているはずだから。
真っ先に思い浮かべたのは、他の部屋の住人――上下左右の郵便受けを使う者――が間違って入れてしまったのではないか、という可能性だった。
よく学園ものアニメにある「うっかり隣の靴箱にラブレター入れちゃった!」みたいなパターンだ。
しかし、そんな微笑ましい話とは少し違う。ものがケーキというナマモノだけに、放っておくわけにもいかないし、かといってネコババして食べてしまうのも気持ちが悪い。
そう、とにかく不気味に感じたのだ。
いっそのこと、捨ててしまおうか……?
いや、それよりも、隣の郵便受けに入れ直そうか? もしも間違って入れられた物ならば、そうやって皆が「これ俺のじゃないから」と一つずつ隣へ移動させていけば、いつかは正しい部屋の郵便受けに収まるのでは……?
そんな馬鹿なことを考えたのは、わずかな時間だったのかもしれない。行動に移すより早く、別の可能性が頭に浮かんできたのだから。
「ああ、おそらく……」
まだ半信半疑ながら、私はケーキの箱を手にして、自分の部屋へと向かうのだった。
――――――――――――
「あら、ちゃんと冷蔵庫に入れておいてくれたのね」
「ああ、あのケーキ。やっぱりKちゃんのだったのか」
その夜。
部屋で私は、恋人とそんな言葉を交わしていた。
当時付き合っていたKちゃんは、ほとんど毎晩、私の部屋で寝泊まりする状態。いわゆる半同棲というやつだろうか。もう着替えも勉強道具も私の部屋に置きっぱなしで、洗濯も二人分まとめて行うくらいだった。
問題のケーキは、彼女がバイト先でいただいた物だったらしい。でもバイトの後に大学へ戻る用事――夕方のコマの授業かあるいはサークルの練習か――があり、そのままケーキを持って行くことには抵抗があった。
そこで私のアパートに立ち寄って、ケーキを置いていったのだという。急いでいたから――あるいは面倒だったからかもしれないが――、三階の部屋まで上がらず郵便受けに入れておく、という形で。
「Kちゃんのおかげで、美味しいケーキが食べられるよ。ありがとう」
と、私は礼を述べたような気がする。
少なくとも。
捨ててしまおうとか、他の郵便受けに移してしまおうとか。そんなことを考えたなんて、一切彼女には告げなかった。
(「郵便受けの白い箱」完)