酔っ払った後の時間:記憶にない1500字

文字数 1,413文字

 目を開けると真っ白な部屋だった。
 パラパラと見回しても何もなく白い。なんだ? 夢の続きか?

 それにしてはものすごい胃のむかつきで、思わず嘔吐すると白い床に茶色い吐瀉物が広がった。そこから立ち上がる濃くすえた酒の匂いにまた嘔吐する。ダメだと思って鼻を摘んでその場を離れても、すでに狭い部屋全体にゲロ臭さが蔓延していた。
 フラつく頭でもう一度見回す。眩しいほど白いな。四角く区切られた壁の4面。光の加減で僅かずつ色が違うから壁の存在を認識できただけで、そうでなければ区切りなんかまるでつかなくてどこまでも白い空間が続いている錯覚に陥りそうだ。それで部屋自体は三メートル四方、かな。そう思った瞬間頭がズキリとひび割れたように痛んだ。

 割れそうな頭の隙間から恐る恐る昨日何が起きたのか記憶を覗き込む。脳幹の細い合間をズルズルという気持ちの悪い感触とともに断片的な何かが潜み寄ってくる。そうだ、このゲロに混じっても失われない特徴的なピートの香り。アイラモルト、アードベックの十年もの。ということは最後に飲んでたのはBARユトリカだ。そこで酒を飲んで、酔い潰れて、今こんなところにいる。なんだ、悩むほどの理由はなかった。それで。ぼんやりする頭を捻る。それで、なんなんだこれは。

「ハッ、何だ意味わかんねぇ」

 自暴自棄に漏れた呟きはザリザリというノイズの後の放送音でかき消された。

「起きましたか。あらら、嘔吐ですね。片付けましょう」

 そうすると壁の一辺の足元1センチほどの高さがめくれ、そこから強い水圧で大量の水が流れてきて、丁度ぱかっと下部がめくれた反対側の壁にゲロを押し流していく。座っていた俺の足も尻も水浸しだ。それで俺が全裸ということに気がついた。不意に頭上から風が流れ、換気がされてゆく。水捌けがいいのか水吸収率が良すぎるのか、床はいつのまにかすっかり乾いていた。
 俺の足の裏と尻の接着面の上一センチ程度だけ水滴が残っている。

「ここはどこだ」
「ここですか? あなたの部屋ですよ」
「俺の? 俺の部屋はこうじゃねぇ」
「ではどんな部屋ですか?」
「どんなってそれは……」

 おかしい。何か頭に霞がかかったようだ。だが思い出せるのはBARユトリカのあのどこか重厚な雰囲気と入口の樫の木の重いドアだけ。妙な苛立ちが襲う。失ってはいけないようなものを失ったような気持ち悪さ、後悔、それから、俺の中の中心を失ったかのような心細さ。だがそれを超える苛立ちに頭を振りかぶる。

「違う違う違う!」

 口から漏れた苛立ちは思ったより大きなこだまになってさらに脳を揺らした。この真っ白な景色は、何もない景色は、今の俺の頭の中とシンクロして耐えがたく俺を不安にさせる。叫び出したい。不安定さに震える手。
 するとプシュッとする音とともに急に耐え難い眠気が襲い、俺は意識を手放した。

「かなり不安定そうですね。かわいそうになってきた」
「しかし純粋な状態を観測するには余剰情報が極力少ない方がいいことはあなたも同意したでしょう」
「それはそうなのですが、それにしても」
「かといって今更BAR以前の記憶があってもろくなことにはなりはしないでしょう? どうせもともとろくでもない記憶なのだから」
「しかし今の彼の不安定さは記憶の欠落から生じているように思われるのです」
「かと言ってBARより前の記憶があっても余計に気塞ぎでしょう」
「まあ、そうですね」
「しばらく様子を見ましょうか」
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