第13話
文字数 1,982文字
見たところ、不破はいつもと変わらないシンプルなシャツとスラックスという格好で、しかも呑気に月森と歩いている。いったいなにをしにきたのかわからない。
不破はちらりと月森を一瞥すると、まえを向いたまま淡々と答えた。
「祭りの夜に羽目を外して騒ぐのは、なにも人間ばかりではない。人間以外のものも、調子にのって悪さをするやつらはあとを絶たない。あの駅員のようにな」
「え」
駅員、という言葉に月森はぎくりとする。思いあたるふしはひとつしかない。だがなぜ不破がそれを知っている。
「あれはふつうの人間だが、下等なやつにつけ込まれて理性の箍が外れたのだろう。いわゆる魔がさした、というやつだ」
「じゃあ、あの駅員、自分の意思じゃなかったのか」
思いきり急所を攻撃してしまった。悪いことをした。
「いや。下等なものに人間の意識そのものを操る力はない。せいぜい、もともとあった潜在的な欲望を引きずり出す程度のものだ。あの駅員は以前からおまえに気があった。そこを突かれただけのこと」
「な」
「おまえに直接拒絶されて目が覚めただろう。いい薬だ」
月森は唖然とするしかない。そういうおまえがそそのかしたのではないかと勘繰りたくなる。
「あの程度の悪さならば放っておいてかまわん。だが、ひとをさらったり喰ったりする輩をのさばらせておくわけにはいかない。そんなものと我われが同族だと思われてはたまらんからな」
つまり。
「見回りか」
「まあそんなところだ」
意外だ。この男がそんなことを気にしていたとは。他人のことなど知らんと一蹴しそうなものだが。
「祭りというのはそういうものだ。ヒトも鬼も神もあやかしも、みな紛れ込んで騒ぐ。この世と異界との境目があいまいになる。鬼籍に入った人間もこちら側へ戻ってくる。面をかぶって顔を隠して」
――――月森、
背後から、聞き覚えのある声に呼ばれた気がした。不破の手に力が込められる。
「振り向くな」
「……ん」
先生、おれはそっちへは行かない。少なくとも、今はまだ。
「おまえのようなやつがいちばん危ない。知らない相手にはついていくなといわれなかったか」
「う」
いわれた。祖母から念を押していわれた。
「妙さんがわざわざおまえのためにあれだけの用意をしていたというのに、おまえはほんとうに危なっかしい」
「え?」
「料理をこしらえていただろう」
「ああ」
「あのあたりは異界と通じている。今夜はとくに結界が薄れやすい。おまえのような、うまそうなやつにはわんさかと群がってくるだろう。そうならないように、山ほどの料理を用意して、おまえから気を逸らせるんだ」
「え」
「いったいなんのために、ゆうべ私があれだけおまえを抱いたと思っている」
不破の言葉に月森は目を瞠る。
「あれだけ体力を消耗させれば、いくらなんでも今日一日は起きられまいと思ったのに。万が一にも、おまえが私の家から外へ出られないように、わざと後始末をせずにおいたものを」
「な、に」
「あの家には、おまえに危害を加える輩は近付くことができない。あのままおとなしく寝ていればよかったものを。おかげで予定が狂った」
いつのまにか、あたりは真っ暗だった。背後に祭りのざわめきが届いてくる。話に気をとられているうちに道を外れたようだ。
まずい。
そう気付いたときにはすでに遅く。背後から抱き寄せられて乱暴にシャツをはだけられる。
「待て不破っ」
月森の手から食べかけのフランクフルトが落ちる。必死に目のまえの木に縋りついた。
「月森、おまえが悪い。かわいらしい真似をするからだ」
「なに……っ」
「勝手に家を抜け出してきたことは許してやる。私を追ってきたのならばしかたない」
「違う! やめろ!」
冷たいてのひらが肌をまさぐる。耳許で不破がささやく。
「たまには素直になれ。さっきのように」
「な」
冗談じゃない。こんなところでいったいなにをするつもりだ。いくら不破が破廉恥きわまりない男でも、まさか外でこんな。
「み、見回りはどうした」
「かまわん。あとは母上に任せる」
それは余計に危険ではないのか。むしろ被害が拡大しそうだ。
「もう黙れ。昨夜、あれだけでは足りなかったのだろう? 今夜は徹底的にかわいがってやる」
「やめろ馬鹿っ」
ふいに、妙に冷静な声で不破がささやいた。
「おまえ、自分では処理できないだろう。どうやって掻き出した?」
「――――っ」
「よく調べてやる。私以外のだれかが触っていたら――仕置きだな」
「や……」
顔だけ強引に振り向かされて口を塞がれる。馴染んだ温もりに、感触に、その匂いに包まれて目眩がした。
寂しいなんて、思った自分が馬鹿だった。
散々抱かれて、意識を失う寸前。
月森は数時間まえの自分を後悔した。
不破はちらりと月森を一瞥すると、まえを向いたまま淡々と答えた。
「祭りの夜に羽目を外して騒ぐのは、なにも人間ばかりではない。人間以外のものも、調子にのって悪さをするやつらはあとを絶たない。あの駅員のようにな」
「え」
駅員、という言葉に月森はぎくりとする。思いあたるふしはひとつしかない。だがなぜ不破がそれを知っている。
「あれはふつうの人間だが、下等なやつにつけ込まれて理性の箍が外れたのだろう。いわゆる魔がさした、というやつだ」
「じゃあ、あの駅員、自分の意思じゃなかったのか」
思いきり急所を攻撃してしまった。悪いことをした。
「いや。下等なものに人間の意識そのものを操る力はない。せいぜい、もともとあった潜在的な欲望を引きずり出す程度のものだ。あの駅員は以前からおまえに気があった。そこを突かれただけのこと」
「な」
「おまえに直接拒絶されて目が覚めただろう。いい薬だ」
月森は唖然とするしかない。そういうおまえがそそのかしたのではないかと勘繰りたくなる。
「あの程度の悪さならば放っておいてかまわん。だが、ひとをさらったり喰ったりする輩をのさばらせておくわけにはいかない。そんなものと我われが同族だと思われてはたまらんからな」
つまり。
「見回りか」
「まあそんなところだ」
意外だ。この男がそんなことを気にしていたとは。他人のことなど知らんと一蹴しそうなものだが。
「祭りというのはそういうものだ。ヒトも鬼も神もあやかしも、みな紛れ込んで騒ぐ。この世と異界との境目があいまいになる。鬼籍に入った人間もこちら側へ戻ってくる。面をかぶって顔を隠して」
――――月森、
背後から、聞き覚えのある声に呼ばれた気がした。不破の手に力が込められる。
「振り向くな」
「……ん」
先生、おれはそっちへは行かない。少なくとも、今はまだ。
「おまえのようなやつがいちばん危ない。知らない相手にはついていくなといわれなかったか」
「う」
いわれた。祖母から念を押していわれた。
「妙さんがわざわざおまえのためにあれだけの用意をしていたというのに、おまえはほんとうに危なっかしい」
「え?」
「料理をこしらえていただろう」
「ああ」
「あのあたりは異界と通じている。今夜はとくに結界が薄れやすい。おまえのような、うまそうなやつにはわんさかと群がってくるだろう。そうならないように、山ほどの料理を用意して、おまえから気を逸らせるんだ」
「え」
「いったいなんのために、ゆうべ私があれだけおまえを抱いたと思っている」
不破の言葉に月森は目を瞠る。
「あれだけ体力を消耗させれば、いくらなんでも今日一日は起きられまいと思ったのに。万が一にも、おまえが私の家から外へ出られないように、わざと後始末をせずにおいたものを」
「な、に」
「あの家には、おまえに危害を加える輩は近付くことができない。あのままおとなしく寝ていればよかったものを。おかげで予定が狂った」
いつのまにか、あたりは真っ暗だった。背後に祭りのざわめきが届いてくる。話に気をとられているうちに道を外れたようだ。
まずい。
そう気付いたときにはすでに遅く。背後から抱き寄せられて乱暴にシャツをはだけられる。
「待て不破っ」
月森の手から食べかけのフランクフルトが落ちる。必死に目のまえの木に縋りついた。
「月森、おまえが悪い。かわいらしい真似をするからだ」
「なに……っ」
「勝手に家を抜け出してきたことは許してやる。私を追ってきたのならばしかたない」
「違う! やめろ!」
冷たいてのひらが肌をまさぐる。耳許で不破がささやく。
「たまには素直になれ。さっきのように」
「な」
冗談じゃない。こんなところでいったいなにをするつもりだ。いくら不破が破廉恥きわまりない男でも、まさか外でこんな。
「み、見回りはどうした」
「かまわん。あとは母上に任せる」
それは余計に危険ではないのか。むしろ被害が拡大しそうだ。
「もう黙れ。昨夜、あれだけでは足りなかったのだろう? 今夜は徹底的にかわいがってやる」
「やめろ馬鹿っ」
ふいに、妙に冷静な声で不破がささやいた。
「おまえ、自分では処理できないだろう。どうやって掻き出した?」
「――――っ」
「よく調べてやる。私以外のだれかが触っていたら――仕置きだな」
「や……」
顔だけ強引に振り向かされて口を塞がれる。馴染んだ温もりに、感触に、その匂いに包まれて目眩がした。
寂しいなんて、思った自分が馬鹿だった。
散々抱かれて、意識を失う寸前。
月森は数時間まえの自分を後悔した。