第1話

文字数 1,278文字

 人の一生は最後まで分からない。
 患者さんは90歳半ばのお婆さんだった。高齢者の患者さんの話となると、いつも女性ばかりだが、女性は男性より生命力が強いという俗説?は本当だと思う。
 彼女は当院の脳神経外科、内科、循環器科に通院中だった。心不全で入院を契機に人生の終末期(=老衰)を迎えた。点滴をしているが、経口摂取はこの1か月はほとんどゼロだった。終日臥床し傾眠(けいみん)で苦痛の訴えはなかった。急性期治療を終了し、自然経過を看取(みと)る方針で、地域包括ケア病棟に転棟した。
 服薬も困難になった。彼女は、心不全治療薬をはじめ、整腸剤、そして安定剤まで11種類、計15剤もの薬を1回に内服していた。ふ~。
 この2年間、新型コロナウイルス感染拡大で、患者さんの家族面会が禁止になっている。家族が患者さんの顔を見る機会がないことに配慮し、家族と面談した結果、在宅で看取る環境を整えた。内服も、抗凝固剤(こうぎょうこざい)(*血液を固まり難くする薬)1剤に思い切って減量した。
 「先生、退院時処方をお願いします。」
 「はいよ、いや、ちょっと待てよ…。」
 この患者さんは退院して家で看取る。経口摂取はできないし内服はいつまでできるだろうか?
 取り敢えず2週間分の内服を処方した。
 「2週間後の外来を予約しました。もし本人の受診が無理なら、家の人だけでも受診して下さい。」
 (果たしてそこまで寿命が持つだろうか…?)

 その2週間後の診察室。
 私の目の前に車椅子に老婆が座っていた。日よけの帽子を(かぶ)っていた。白髪の髪の毛が後ろで結わいてあった。化粧こそしていないが顔の色艶はいい。私と目が合った。老婆には目力(めぢから)があった。
 「…?!。○○さんですよね?」
 思わず患者さんの本人確認をした。
 「んだ。」
 「え~っ! 元気になりましたねえ。」
 「お陰様で元気になりました。」
とは付き添いの娘さんだ。私は何もしていない。これは患者さんの生命力の賜物(たまもの)だ。
 「ご飯は美味しいですか?」
 「んだの。先生、便秘の薬くれ~。」
 「?!」
 椅子から転げ落ちそうな位、驚いた。1か月以上も何も食べられず、もはや臨終を迎える筈だったのが、今や便秘するほど食事を食べている。
 住み慣れた自宅に戻ったこと。慣れ親しんだ味付けの食事が出たこと。安定剤を含む多量の薬を中止したことなどが、回復した背景ではと推察した。
 (よみがえ)った老婆を前にして、メモリー容量が一杯になって動かなくなった古いパソコンで、メモリーを消去して再起動したら動いた時のような感動を覚えた。(←例えが不謹慎? んだ。)

 さて写真は2014年4月10日に町内の居酒屋で撮影した、平目(ひらめ)の刺身である。季節の桜が添えられている。

 私は人生の終末期(=老衰)で食思不振の患者さんには、「好きな食べ物を3つ挙げて下さい」と質問することにしている。好きな食べ物が言える患者さんは、本当の食思不振ではないことが多い。私の経験では、患者さんが好きな食べ物で多いのは刺身、寿司、果物、甘い物だ。
 本当の老衰の患者は、「…。」好きな食べ物も思い浮かばないようだ。なむ。

 んだの~。
(2022年7月)
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