前編

文字数 1,804文字





 風に舞い散る砂は、銀色だった。

 僕は、なだらかな砂丘の一つに座り込み、膝元の砂を掬い取る。

 そして、砂まみれになったその拳を、風の中でゆっくりと開く。

 すると、風に舞い散る砂は、銀色だった。

 美しいラベンダー色の空の下、広大な銀色の砂漠が広がっている。

 風が彫り起こした砂丘の凹凸はどれもなだらかで、僕の目に映るそれらの光景は、銀色のサテンのドレスに身を包んだ女性達が、誘うように幾人も横たわっているかのようだった。

 砂丘がこれほどエロティックな場所だったとは、今の今まで知らずにいた。

 とは言うものの、僕はここに来た目的を、忘れてしまったわけでは勿論ない。

 忘れてしまったわけではないが、いっそのこと忘れてしまえたら、どんなに楽になるだろうと、幾度思ったか知れない。

 殆ど不可能に近いことを、やりに来ているのだから。

 僕は、この、銀色に煌めく砂漠へと、きみを探しにやって来たのだ。

 しかも、恐らくは、金色の砂粒と化してしまっている、きみのことを。



 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 きみは、活字を追う行為を、何よりも愛していた。

 僕が、しばしば焼き餅を焼いて、きみの顔を隠してしまっている本を、取り上げなければならなかったくらいに。

 不意を突かれたその瞬間の、無防備な表情が可愛らしくて、僕はきみを抱き締めずにはいられなかった。

 それでも、書店から購入してくる、つるりとした表紙の新刊本に顔を埋めているうちは、まだ良かったのだ。

 きみは次第に古本屋へ足繁く通うようになり、所々に意味不明の書き込みがしてある本や、煙草の匂いが染み付いている本なんかを、好んで読むようになった。

 僕はどちらかと言うと、他人の指紋や匂いが刻まれた古物を、家の中に持ち込むのは苦手だった。

 それで、何故敢えて埃臭い古本を読むのか、聞いてみたことがある。

 すると、きみはこう答えた。

 「読書をする楽しみが二倍になるの。

 新刊だと、印字してある文章を読むだけで終わっちゃうでしょう? 

 勿論、それだけでも充分楽しめるんだけど、古本になると、前の持ち主がどういう人だったのか、色々想像しながら読み進めるから、一人で読んでいる気がしないの。

 例えば、私が思わずクスリと笑ってしまった場面があると、その人もここで笑ったのかも知れないとか、逆にカチンと来たのかも知れないって思ったりね」

 それを聞いた時、僕は少し気分を害した。

 同じ本を読んで、どの場面でクスリと笑ったか、その答え合わせをしたいんだったら、相手は僕でも構わないじゃないか、と思ったからだった。

 けれど、きみが言わんとしていることは、そういう意味ではないということも、同時に理解出来た。

 相手が見知らぬ人間だからこそ、想像の余地があり、ちょっとしたスリリングも味わえるのだ。

 だからこそ、黙って受け入れたし、度重なる古本の持ち込みも黙認していた。

 ところが、それは同時に、きみの性癖を暴走させてしまうきっかけにもなった。

 きみが古本の収集にのめり込み過ぎているということを、もっと早い段階で気付いてあげていれば、こんなことにはならなかった筈なのだ。

 そのことを、今でも悔やんでいる。

 きみが古本屋で買い込んでくるのは、主に年代物のSF小説だった。

 シオドア・スタージョン『夢見る宝石』、レイ・ブラッドベリ『火星年代記』、アーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』、ロバート・A・ハインライン『夏への扉』、アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』、アイザック・アシモフ『はだかの太陽』…‥。

 そして、それらのSF小説の元の持ち主は、どうやら同一人物であるらしかった。

 何故そうと分かるかと言うと、きみがいちいち興奮気味に、僕に報告してくれたからだ。

 きみが読んでいる途中で、感に堪えないと思った箇所には、必ずと言っていいほど、何らかの書き込みがされているのだと。

 例えば、“僕の人生に光を射し込んだ一行”とか、“僕の心が抉(えぐ)られた台詞”とか、“僕が打ちのめされた描写”とか、右肩上がりの、癖のある筆跡で、そう記されているのだった。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

・・・ 後編へと続く ・・・


☘️いつもご愛読ありがとうございます。1000記事以上の豊富な読み物が楽しめるメインブログは、『庄内多季物語工房』で検索出来ます。そちらでも、あなたのお気に入りの物語との出逢いを、楽しんでみて下さいね。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み