第10話 歪な恋

文字数 3,376文字

いらっしゃい……ってしーくんか
はぁ、はぁ、どうも
 工房で作業している両親にバレることなく、俺は併設のカフェまで辿り着いた。

どうしたの息切らせて?

お客さんいないから座っていいわよ

 お言葉に甘えて、俺はカウンターに座る。

 と、和佳子さんは水出しの紅茶を出してくれた。

ありがとうございます
それで、しーくんはどうして息を切らしながら入ってきたの?
ちょっと、追われていたもので……
誤魔化すなら、もう少し言葉を選びなさい
 嘘ではないのだが、和佳子さんは冗談だと思っているようだ。
そういえば、つなは?

ピアノのお稽古。

一緒に登校している上級生の子が、すごく上手らしくてね。

その子が良かったら教えてあげるって言ってくれて

へ~、そうなんですか……

(一昨日のあの子かな?)

相変わらずね、しーくんは
なにがですか?
考え事している時は顔が怖い

 思案に耽っている自分の顔なんて見ようがないので、なんともいえない。

 が、芳野の調査結果を信じるとすれば、その通りなのだろう。

言葉を選んで喋るのも悪くはないけど、もう少しわからないようにしたほうがいいんじゃない?

すいません。

でも、ある程度は考えないと口が悪くなってしまうんで

悪い癖ね

 以前よりはましになってはいるものの、どうしても出てしまう時がある。それでつなを怖がらせることもあるので治したいのが、容易くはなかった。


そうね……。

つなは虐待を受けていたから

 あっさり切り出された言葉に驚くも、和佳子さんはニヒルに笑っていた。


ずっと、そのことが訊きたかったんでしょう? 

だから、私と二人きりになれる状況を探していた

 図星である。

 現にその状況になっても自分からは踏み出せなかったので、語ってくれる時を待っていた。

さほど驚かないのね
予想の範囲ですので

 子供だから、暴言に弱いのはわかる。

 けど、それを受けて真っ先に出る言葉がごめんなさい、というのは一般的ではないだろう。

 加え、こちらの表情や機嫌を窺う態度。

 そして、夏なのに常に長袖を着ていたこと。

私がキャリアウーマンだってのは話したっけ?
はい
それで家のことを疎かにしちゃったわけなんだけど……どのくらいだと思う?
……

仕事が楽しかっただけじゃない。

認められたかった。いや、見返してやりたかった。女だからって舐められたくなかった。

そんなつまんない意地で仕事をしてた

 最初から答えを期待していなかったのか、和佳子さんは話を進める。
そんな風にがむしゃらにやっている内に、旦那が職を失っててさ
――え?

そのことにも気付かずに、私はたまに帰る家で仕事の愚痴を言うわけ。

そりゃぁ、ストレスも溜まるわ

 相槌を打つことも許されないと思った。

 気易く分かる素振りをみせることさえ、ためらわれた。


そのストレスが、つなにぶつけられているのにも気付かなかった。

知ったのが、警察からかかってきた電話だったなんて――笑えるでしょ?

 和佳子さんは自嘲しきれていなかった。

 未だに後悔して、自分を責めていた。

警察に何度も訊かれた。

本当に貴方は知らなかったのですか? 本当に気づかなかったのかってね

 知らなかったから、許されるわけではない。

 けど、それで罪が変わるのが現実なのだろう。


当時の私は馬鹿でその言葉にキレてたわ

けど、久しぶりにつなを見て思い知った。

つなは体中痣だらけで、顔にまで傷があった。それでいて痩せ細って、人形みたいに表情もなかった。

警察からしてみれば、これで気づかないなんてふざけるなって感じだったのでしょうね

……

でも、本当に気づかなかったの。

なんか動いている、ご飯を食べている

それだけで、当時の私は満足してた。

元気そうだって。我儘を言わないなんて偉いなって。

顔も見ず、声も聞かないで――

 和佳子さんは紅茶をグラスに注ぎ喉を潤すも、俺はできなかった。

 渇いているにもかかわらず、潤す行為を許せなかった。
 興味本位で訊いた自分を、予想と答え合わせがしたかっただけの自分を呪った。

それからは仕事を辞めて、旦那とも縁を切って。

勝手だけど、つなの母親をやっていた。

ううん、正確には罪滅ぼしをしている気分になっていた。

本当につなのことを思うんだったら、私の両親を頼れば良かっただけだしね。

でも、私はしなかった。

離婚とか虐待の件で散々責められて、年甲斐もなく拗ねてたから


友人にもプライドが邪魔して頼れなかった。先輩にも……。

だから先に、先生と話を付けようとしたの。

もっとも、両親と先輩が私の知らないところで繋がってたから無駄な小細工だったんだけどね

 それが冬の話。

 つまり、たった数年前にあった出来事を和佳子さんは話している。



情けないけど、私にとっては仕事がアイデンティティみたいになってたからさ。

それを取り上げられて参ってたんだと思う。

先生だってもう先生じゃなかったのに、あの先輩に下手な言い訳が通じるわけもないのに……

(だから、あの時の母さんは怒ってたんだ)

素直に泣きついたら、助けてくれる人は沢山いたのにさ。

――本当、当時の私は馬鹿だった

 俺は後悔していた。これは訊いていいことじゃなかった。

 子供の興味本位で、好奇心で踏み込んではいけない領域だった。

(けど、だからこそ……愛おしくも思う)

 さほど珍しくはないのかもしれないが、俺の世界では希少。

 深く傷ついた女の子なんて、俺の周りには一人もいやしなかった。

(俺はその、目に見える〝歪さ〟に強く惹かれたんだ)

 つまり、究極のところ初名じゃなくてもいい。
 もし、彼女以上に歪な異性が現れたら、俺はそっちに流れるだろう。隠しきれない影。幼少期のトラウマや複雑な家庭環境。

 それでも、まともに生きていこうとしている強さ。

(きっと、そういった『背景』が好きなだけだ。そういった人を助けてやりたいって、助けになりたいと思っているだけなんだ)

 自分が特別じゃないから。

 特別になれそうもないから。

 

 それでも、特別な誰かの傍にいれば自分も特別になれるんじゃないかって思った。

(そう、まるで物語の主人公のように――自分が平凡でも、周囲が特別なら輝けるかもしれない)
 
 そんな理由で俺はつなを好きになった。 
とまぁ、そういうわけなんだけど軽蔑した?

 俺の沈黙を勘違いして、和佳子さんはそんなことを訊いてきた。

そんなことはありません。

絶対に、そんなことはないです

 ――真に軽蔑されるべきは俺のほうだ。

そう
はい

 そうして、沈黙が支配する。

 和佳子さんも思うことがあるのか、破りはしない。

暑いっ、死ぬ!
 すると、聞きなれた声と共に生温かい風が入り込んできた。
いらっしゃいませ

 和佳子さんの声は、俺が入って来た時と一緒だった。

 それを聞いて、少しだけ安心する。

だらしがないなぁ

おまえはすぐに走るの諦めたからだ。

オレはあのあと勇者と激しい死闘を……!?

(ある意味、助かったわけだが)
あれ? 勇者じゃないか
てめー、さっきはよくもやったな!
ん? しーくんの友達?
 ジジが店内で人聞きの悪いことを抜かしたので、和佳子さんが小声で確認してきた。
こんなとこでお茶なんて、オシャレだね~
おまえら、お店の人に迷惑だからな

 俺は和佳子さんにジェスチャーを送る。

 人差し指を立てて、お願いする。

それではテーブル席に移動しますか?

はい、お願いします。

ほら、他のお客さんに迷惑だから早く座るぞ

他にお客なんていないけど?
モラルの問題だ

どうでもいいが、早く座りたい気分だ。

んでもって、水分が欲しいぜ

どうぞ
ありがとうございます!

 さすがに店員相手にはふざけないようだった。

 ジジは水を飲み干し、芳野はメニューとにらめっこ。

おまえらは、どうしてこの店に来たんだ?

いや、ジジが水分取らないと死ぬ死ぬ喚くからさ。

けど、近くに自動販売機すらないし、しょうがなくって感じだけど

そうか
ご注文はお決まりですか?

ケーキセット三つ。

ディンブラのアイスティーで

こんなとこでも『命令させろ』ってか?

俺のおごりだから我慢しろ

え? まじで! 

さっすが勇者!

ほんとにいいの?
あぁ

 一応、感謝の気持ちである。

 偶然だが、こいつらのおかげで気まずい空気を払拭できたのだ。


 もっとも後日――

 このことを和佳子さんにからかわれる羽目になるが、それもまたお愛嬌であろう。


 友人かどうかはともかくとして、俺から見ても芳野とジジの二人は愉快な奴に違いなかった。


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登場人物紹介

主人公、秋葉(あきば)

諸事情により名前は黙秘。作中でさえ語られないものの推理は可能。

ちなみに母親などから「しーくん」と呼ばれている。

両親がパティシエなこともあり、お菓子作りが得意。

高校1年生だが友達はおらず、クラスで孤立している。


芳野アキト。友人たちからは何故だか「閣下」と呼ばれている。

人を食ったような性格で、何を考えているのかわからない。

ピアノの腕前は天才と称されるほどだが、とある事情から距離を置いている。

秋葉と同じ高校1年生で、彼とは別の意味で浮いた存在。

十文字マキナ。友人たちからは「ジジ」の愛称で親しまれている。

見た目はチャラいものの、発言の多くが著作権に触れかねないほどのオタク。

元天才子役だが、とある事情から舞台を去っている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは幼馴染の関係。

猫田。下の名前は誰も知らない。友人たちからは「ねここ」と呼ばれている。

アキトやマキナと共にいるのが不思議なほど、特徴のない少年。それを自覚してか、語尾で頑張ってキャラ付けをしている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは同じクラス。

四宮初菜(しのみやはつな)、小学1年生。

秋葉の母親の後輩である、和佳子の娘。

年齢に見合わない仕草や影があり、見る人が見れば歪な少女。

江本祥子、小学6年生。初菜にとって、おねーさん的存在。

アキトたちと面識がある様子だが、その関係性は不明。

年齢の割に大人びていて、手が大きい。

四宮和佳子。初菜の母親で年齢は内緒。

秋葉父の教え子であり、秋葉母の後輩。現在は秋葉両親が営むカフェの従業員。

曰く、元キャリアウーマンらしい。旦那とは離婚している。

秋葉の母。女性の菓子職人パティシエール。

夫とは年が離れているからか、年齢の割に少女の面影を強く残している。

秋葉の父。元教師、元彫刻家。現在はパティシエ。

妻との出会いは学校の教師と生徒だが、関係を持ったのは卒業後。

涼子先輩。料理部の部長で高校3年生。

中高一貫なので、中学時代から秋葉のことを知っている。

だが、高校生になってからは一度も会っていない。


 秋葉のクラスの委員長。

 孤立している秋葉を気にかけている。

保険医。サボり癖のある秋葉とアキトが一番お世話になっている先生。

なのに、2人からは名前すら憶えて貰っていない


増田先生。

数学を教えている高校教師で、生徒からは嫌われている。

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