05 少女ニュートン、物理学の師匠と出会う

文字数 2,568文字

「科学クラブ?」

 登校初日の放課後――とはいってもまだ正午すぎだったが、はじめての給食をクラスのみんなでいただいたあと、われらが主人公・葛崎美咲穂(かつらざき みさほ)は、修善寺可南(しゅぜんじ かな)天川星彦(あまかわ ほしひこ)比留間真昼(ひるま まひる)の三名に、『科学クラブ』の結成を持ちかけたのだった。

「ふしゅる、面白そうだわー。みんなで科学の勉強ができるのねー」

「ぜひ、やろうよ! そうだ、長谷部(はせべ)先生に顧問(こもん)になってもらうのはどうかな?」

「ふひひ、それがいいと思います。そうと決まれば、さっそく先生に進言(しんげん)しにまいりましょう」

「ふえふえ、話はまとまったわねー。よっしゃみんな、いざ職員室へ行きましょう!」

「おーっ!」

 ふぇふぇー、すべてはわたしの思いどおりだわー。

 そんなふうに美咲穂は心の中でほくそ()んだ。

 こうして四人はぞろぞろと職員室へ乗り込んだのである。

「うーん、ちょっとそれは無理ねー」

「えーっ!?」

 長谷部先生の意外な一言(ひとこと)一同(いちどう)はびっくりした。

「先生は乗り気ではないということですか?」

「ふしゅる。そういうのは教育的にどうなのでしょうかー?」

「ふひ。明らかな子どもへの人権侵害(じんけんしんがい)です。先生への不信任(ふしんにん)決議(けつぎ)します」

「ふえーっ、さーべーつーだー」

 いかに相手が子どもとはいえ、これでは先生とて理不尽(りふじん)すぎる。

 それにどうやら、クラブの結成を断るのには、しっかりとした理由があるようだ。

「いやみんな、そういうことじゃなくてね。学校の決まりがあるのよー。クラブを作れるのは、四年生になってからってことになってるんだ」

 長谷部先生は()(あせ)もたらたらにいさめた。

 こうして美咲穂のもくろみはあっけなくぽしゃったのである。

   *

「学校の決まりならしかたないよ」

「ふしゅる。大人(おとな)には(さか)らえないもんねー」

「ふひひ、社会とは理不尽なもの。それに打ち勝つ(ちから)が、われわれには必要です」

「おのれー、かくなる(うえ)は……」

 美咲穂はなにやら(のろ)いの言葉を()いている。

「ミサホちゃん、しかたないって」

「ふしゅしゅ、違う手段(しゅだん)を考えようよー」

「ふひ。こればかりはどうにもなりませんからね」

「ぎぃにゃあーっ!」

 咆哮(ほうこう)、それは()()えた(けもの)のように――

(あたま)にきたから………」

 今度はいったい何をしでかすというんだ?

 三人は戦々恐々(せんせんきょうきょう)した。

「うちに帰って、ワルターのモーツァルトを聴くんだわーっ!」

 ドギャオラアッ!

 面々(めんめん)盛大(せいだい)にずっこけた。

   *

「ふえーっ、つまんないのー」

 三人と校門の前で別れたあと、美咲穂はひとり、帰り道を歩いていた。

 可南の家は美咲穂と同じ方角(ほうがく)だったが、彼女はピアノのお稽古(けいこ)があるからと言って、星彦や真昼と一緒(いっしょ)に行ってしまった。

「ぐぬー、これではわたしの(かがや)かしい物理学者(ぶつりがくしゃ)への道が、()ざされてしまうわー」

 商店街も終わりに近づくとき、くだんの金物屋(かなものや)の前で、店主(てんしゅ)のオヤジがなにやら、ひとりの女性と話していることに気がついた。

「ふえ? あの人はいったい(だれ)なのかなー? きれいな人だわー」

 シックだが上品(じょうひん)服装(ふくそう)()の高い女性で、髪の毛は(かた)にちょっとかかるくらいのブロンドだった。

 年齢(ねんれい)はだいたい十代(じゅうだい)の後半くらいに見える。

ガイコク(・・・・)の人かなー?」

 その女性はどうも金物屋のオヤジと口論(こうろん)になっているようだった。

「ちょっとオヤジさん、このネジ、不良品(ふりょうひん)ですよ?」

「おいおい、お(じょう)さん、いったいどういうことだい?」

「チタン(せい)と書いてありますが、それにしては(おも)すぎます。(あき)らかに不純物(ふじゅんぶつ)(ふく)まれていますね」

「なんだいあんた、うちの商品にイチャモンつけようってのかい?」

「ほら、仕様書(しようしょ)にはアルファ・プラス・ベータ型の6アルミニウム・4バナジウム型と(たし)かに記載(きさい)されています。その引張(ひっぱ)(つよ)さはおよそ1,200メガパスカル。しかしこのネジはそれよりもはるかに低い数値です」

「そ、そんなの、なんでわかるんだよ?」

「ほら」

 ミシィ……

 女性が指を軽くひねると、ゲンコツくらいの大きさのネジは、いともたやすくひん曲がってしまった。

「ひっ……」

「ね? チタンが理論上(りろんじょう)この程度(ていど)握力(あくりょく)変形(へいけい)するはずがないのです。おわかりいただけましたか?」

「ひっ、あ、あんた、なにもんだい!?」

 オヤジは内股(うちまた)にした両脚(りょうあし)をカクカク(ふる)わせながら、悲鳴(ひめい)のような声を上げた。

「とおりすがりの、物理学者です」

 ふえっ――

 物理学者!?

 確かにあの人はいま、物理学者と言ったわ!

 オヤジさんとのやり取りを見ても、ただ者じゃあない。

 なんてこと、こんなところで『先輩(せんぱい)』にあえるなんて! 

 まさに夢のようだわ!

 ふえふえ、これを(のが)す手はないわね、よーし……

「すみませーん!」

「――?」

「わたしの先生に、なってくださーい!」

「……はあ?」

 これがのちに、ともにストックホルムの地に立つこととなる恩師(おんし)蘭田理砂(らんだ りさ)との出会いだった。
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